木戸川森林鉄道 (乙次郎〜木戸川第1発電所) 導入

公開日 2012.07.05
探索日 2006.12.09
所在地 福島県楢葉町〜川内村


【周辺図(マピオン)】

木戸川森林鉄道は、福島県南東部の阿武隈山地から太平洋へ注ぐ一級河川木戸川の流域に存在していた、前橋営林局富岡営林署が所管する森林鉄道(2級線)であった。
国鉄常磐線の木戸駅を起点とした軌道は、最盛期において約21kmもの長さを誇り、福島県の浜通り地方を代表する林鉄のひとつであった。

鉄道廃線跡を歩く』『全国森林鉄道』『浪江森林鉄道〜古の鉄道を訪ねて〜』などの記述によると、木戸川森林鉄道は大正3年に民間の丸三製材所が木戸駅〜女平間の「木戸川軌道」を敷設したのが始まりであるという。
当時は木戸川上流の川内方面から伐採した原木を、女平附近までは川流しによって運び、そこから軌道に乗せて木戸駅へと運び出したという。
しかし、大正11年に発生した木戸川の氾濫と山崩れにより、この事業は続行不可能となる。
軌道は一時、双葉軌道会社という会社が管理にあたっていたというが、昭和8年には前橋営林局富岡営林署の所有となり、国有林林道としての木戸川森林鉄道の歴史が始まった。
そして戦後の昭和23年に、(今回探索区間を含む)女平から上小川村戸渡(現:いわき市上小川町戸渡)まで路線が延長され、全長は21kmとなった。


木戸川森林鉄道の木炭乗り下げ風景。
(『鉄道廃線跡を歩く(1)』より転載)
この路線の運材方法は、空の台車を機関車がまとめて引き上げ、帰りは荷を付けた台車が1台ずつ、制動士のブレーキング操作で下るという乗り下げ方式であった。

廃止は昭和36年11月1日付けで行われ、その後一部の軌道跡は自動車道(木戸川林道)へと改築された。現在の県道250号のうち木戸川沿いの区間は、大部分がこうした経緯を辿って誕生した道である。

林鉄が敷設される以前から、木戸川が阿武隈山地を深く刻んだ木戸川渓谷地帯は、その風光明媚さで地元に知られた存在だったが、平成19年に長い工期の末に木戸ダムが完成したために、渓谷の一部は軌道跡と共に木戸川湖の湖底となってしまった。
さらに、平成23年3月11日に発生した東日本大震災とそれに伴う原子力災害によって、ダム付近より下流は警戒区域(立入不可能)となり(規制区域図のリンク)、これを書いている平成24年7月時点でも規制は解除されていない。


私がこの探索を行ったのは、今から6年近くも前の平成18年12月9日(土)のことである。
当時の判断としては、木戸ダムの完成が迫っているという噂を聞き、湛水が始まると軌道跡へのアプローチが難しくなる(もちろん水没する部分も出るだろう)事が予想出来たため、やや準備不足のままに新旧の地形図だけを頼りに、積雪前の探索を試みたのであった。
そんな事情であったから、このときに攻略の目標としたのは、ダム湛水の影響を受けるであろう区間、つまり木戸ダム建設予定地(楢葉町上小塙)から、その上流5.5km地点にある木戸川第1発電所(川内町下川内所倉)までとしていた。

ただ、そんな準備不足を天は評価しなかったらしく、当日は生憎の雨模様となってしまった。
そのため、探索自体は実行したものの、写真をはじめとする成果品には不十分な点があったので、「これはボツネタとして、ダム工事が落ち着いた頃に改めて再訪しよう」と判断したものであった。
しかし、その後ノロノロしているうちに予想外の立入が制限される事態となってしまい、今日に至っている。

「…雨の林鉄風景というのも、また一興かも知れぬ。

 少なくとも、ここに記録されている風景の一部は、ダムが完成した現在では見る事が出来なくなったはずだ。」

そういう風に思い直し、私と同行者の記憶と写真を手繰りながら、このレポートを作成することにした。


それでは、母の故郷にほど近い木戸川の畔に眠る、失われた軌道跡へ…。



探索のスタート地点と目論んだ、木戸ダム建設現場では…



2006/12/9 5:57 福島県川内村下川内 【現在地】

今回の探索参加者は、私とくじ氏。
それぞれ秋田と岩手から夜駆けで参集した2人は、まだ夜の明けぬ下川内で再開の挨拶もそこそこに、早速探索の準備となる車のデポ作業を開始した。
(画像でくじ氏が頬ずりしているのは、当時彼がハマっていたキムチの乾物である。この味を彼に教えたのはトリ氏であり、私はこの合調を前にトリ氏からこれを2袋預かり、くじ氏への再会のプレゼントしたのだ…)

まずは私の車を、今回の探索の終着地と予定される、木戸川第1発電所へ移動させた。
それから私はくじ氏の車に便乗し、2人で探索のスタート地点を予定していた、木戸ダムの建設現場へ向けて出発した。
その際のルートには、遠回りではあったが整備状況の良い、県道36号の富岡経由を選んだ。
そして、富岡町内で食料などの買い出し後、国道6号から県道250号下川内竜田停車場に入り、木戸川沿いに木戸ダム建設現場を目指したのである。



そして、途中多少寄り道しながら進んだせいもあるが、午前8時少し前に木戸ダム建設現場に近付くと、

なんということでしょう…。

ダム堤建設現場の少し手前で、真新しい県道上に守衛が立ち、一般の立入を厳重に規制していたのである。


…まあ、よく考えれば当然の措置だったかも知れない。
また、深夜の内に辿りついていたとしても、おそらくゲートが閉じられていたろうし、さらに無人と言う事も無かったであろう。
いままさに建設真っ盛り(だったと思う)のダム堤体を乗り越えて、その湛水エリアに侵入しようという計画自体が、そもそも無謀であった。

…しかし、もう既に気分は探索モードになっている。車もデポってしまっているし…。

そこで我々は、なんとか合法的にダム堤体を乗り越えて上流へ行く手段が無いかと、地図をくまなく見た…。



う〜ん。道がねぇんだよなぁ…。

と、しばし頭を抱えてしまった。
右岸からダム堤体より上流へ入り込む道が地形図には描かれているのだが、この道もダム堤体に近付けない以上、使うことが出来ない。
そうなるとあとは、この辺りで唯一の集落である乙次郎(おっとじろう)に行き、そこから木戸川へ流れ込んでいる沢伝いに道無き道を下る… くらいしか思いつかなかった。
もう少し土地勘があったら、他のルートを思いついたのかも知れないが、私の隣にいるのはなんと言っても“沢屋”のくじ氏である。
とりあえず、沢に関しては最も頼もしい仲間がいるわけだし、この乙次郎からの入渓ルートを試してみることに決めた。

…よく地形図を見れば、確かにそれは距離こそ短いが、高低差が120m以上もある明らかに険しそうなルートであった。だが、探索を急ぎたい我々は、これを選んだ。



しかし、新たな入渓地点と目された乙次郎へ辿りつくためには、このような大迂回を余儀なくされた。

ダムから乙次郎までは、直線距離でわずか2kmと離れていないのに、そこへ直接行く車道が無かったのである。(なお、ダムの完成と共に上の地図に黄破線で示した道が開通し、県道250号となった。本ダム建設では県道の水没を伴わないはずだが、それにともなって従来は繋がっていなかった区間に県道が開通したことになる。おそらく工事用道路を活用したのだろう)

この迂回ルートの距離はおおよそ18kmあったが、途中の地名が女平(おんなだいら)、夫太郎(おったろう)、乙次郎(おっとじろう)と変っていくのはいとおかしかった。



木戸川渓谷の北側2kmほどの山中を東西に横切る乙次郎林道は、楢葉町側から乙次郎集落へと向かう唯一の道(探索当時)であり、ということは同集落の一番の生活道路であったはずだが、道は山に入るとたちまち砂利道となって、郭公山の峰続きにある峠へ上り詰めていった。

しかも、林道としての整備状況は決して悪くはなかったとはいえ、こんな1車線の道がダム工事関連の車両通行路になっていて、頻繁にダンプカーが往来していた。
彼らがガードレールも無い砂利道を、道幅いっぱいに使いながら、端からは意外と思える高速で駆け抜けていくのは、後続に付いた我々を釘付けにするに十分な妙技であった。




やがて先行のダンプカーは左の枝道に消えていき、我々の車の単独行となった。

するとまもなく、周囲の森にうっすらとした積雪が…。

今朝の雨が、この標高400m前後の場所では雪となっていたらしい。
これから日中にかけて再び積雪することは無いと思うが、これから未知の渓へ分け入ろうとする身には、ただただ不安な白さであった。

道は2つ目の峠も越えて、思い出したように下って行く。
やがて舗装が復活し、遠かった乙次郎への接近を予感した。




麓の夫太郎から車でちょうど30分。

雪混じりの長い砂利道の果てに辿りついた乙次郎集落は、みぞれが降りしきる中にあった。

標高330mから400mにかけて南北に細長く広がる集落は、月並みな表現であるが、端から見れば完全なる隠れ里のようである。
ケータイの電波も当然のように通じず(au)、谷沿いの小平野を占める水田や山沿いにある数件の民家は見えたが、色のない世界であった。

そして、そんな山間の集落には似つかわしくない、真新しい2車線のアスファルト道路。
これが当時建設の進んでいた県道250号の新道であり、我々が通った乙次郎林道をやがて影へと追いやる本命であった。
しかし、このときはまだ開通しておらず、白線の浮いた感じもまた寂しさに拍車をかけていた。
と同時に、私には探索の邪魔をする憎きダムの片割れと思えてきたから、余計に心の置けない存在だった。




10:27 【現在地】

そりゃ焦りもするよ。

今朝、予定通りの時間に2人が出会ってから、ようやくデポ作業が終了して外へ出るのに、4時間30分もかかったというのでは。
今回は日帰りの予定なのに、もう明るい時間の1/3を使ってしまったのだ。
しかも、依然として目指す軌道跡の端にもかかっていないのである。
挙げ句の果てには、みぞれとも雪ともつかぬものが降り止まない空模様であるし、最も慎重な判断を下すならば、今日の探索は中止としてもおかしくないような悪条件であったと思う。

しかしともかく、辿りついた。
ここは乙次郎集落の南の端あたりの当時の県道の最先端。
右の方にはさらに林道が通じていたが、その道の状況はよく分からなかったし、車はここに止めて歩く事にした。


【 10:28 徒歩で乙次郎を出発! 】



探索の装備を整えて歩き出すとまもなく、見慣れた林道の標柱が現れた。

林道名は乙次郎林道の乙次郎川支線とあり、これから我々が入渓しようとしている沢が、乙次郎川ということを知った。
また起工は昭和59年とあるから、林鉄の廃止から23年後のこと。施工者の富岡営林署というのは、木戸川林鉄の管理者と同じである。

この乙次郎川支線は、現在は拡幅されて県道250号の路盤になっていることだろう。

しかし、我々はこれ以上林道を進まず、果して下降可能な渓相であるかをいち早く把握すべく、手近なところから入渓した。

林道まで渓声を轟かせている流れの状況は…。




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ご覧の通り。

とりあえず、普通の渓流の風景が我々を出迎えた。

季節的なことももちろんあるだろうが、両岸とも下草が少なく、地面も締まっていて歩きやすかった。
川の水量も心配していたほど増えてはおらず、先細りゆく勇気を支えてくれた。


…でも

考えてみれば…

この沢を本流まで無事下降出来たとしても、軌道跡はおそらく対岸なんだよな…。

本流が渡れない状態だったら、それで万事休す。
しかも、その時はこの沢を戻ってくる羽目になるのだ…。

…いろいろ考えると、やっぱりこのルートは心細すぎるものだったが、相方は渓に降りるや水を得た魚のように歩速を早めて先行していった。





川端の植林地をショートカットし…







再びであった渓は、

少しだけ険しさを加えていた。




ピョンピョンと、川の右左を身軽に行き来する青い背を、
頼もしく見遣りながらも、それなりに必死に追い掛けた。

そろそろ、地形図の上でも等高線が密になってくるあたりだろうか。

さっきから、行く手が騒がしい…




ゴーロゴーロゴロ…。

プロの動きに、徐々に次第に離される私であったが、

単に足元が悪くなってきただけでなく、

精神的にも威圧されつつあった。





ちょっと、ちょっと、ちょっと…

行く手の比高感が、私の普段の「廃道探索」と言う名の世界観には
ない感じなんスけど…。

いけるんスか? いけるんスかね??!

ちょっと!!


くじ氏が、小さく見えた。

それはおそらく、距離を離されたからだけじゃない。
彼の周りのスケールが、変化してきている……。




うおっ滑る。

滑るぞッ! 


気がつけば、渓の様相は一変しており、
連瀬、連瀑の境地へと侵入していた。

しかし、徒手空拳で下れぬほど険しくはない。
この調子で、120mの比高をフォロー出来るならば、
下降の線も見えてきたかッ?!


…頼むぞ。

俺たちには、もうあまり後がない。




くじ氏が止まった。

俺のことを待っている。


ま、

ま さ か…。




こ、この “縁” って…。

それに、この吹き上げてくる “風” ……。

止めどなく響き来る “爆音”……

…………。




10:53 【現在地】

歩き出して25分、入渓から20分を経過した時、


我々の前に、

地形図に記載のない  が現れて、

満を持したかのように、

進路を遮った。

【動画】


とりあえず、「乙次郎の滝」と呼んでみる。

滝は全水量を一挙に虚空へ放り捨てていて、
流れ来るものに、冷徹な制裁を下していた。
危うく我々も餌食となりかけようだが、
直前で威圧されて踏みとどまり、

直ちに迂回の進路を探すことになった。




迂回中。



幸いなことに、

滝の左岸側には
滝よりもだいぶ傾斜が緩やかな山の斜面があり、

それでも相当の急斜面ではあったものの、
良く根を張った木々や笹がふんだんに茂っていたので、

当初心配していたほどの、

命のやり取り

を演じることなく、この目測で20mはあろうかという
乙次郎の滝を、
征服することが出来た。

とまれ、この迂回には10分を要したし、

引き返し難いハードルを背負ってしまった。




11:03 滝の下部に到着する。

そして観賞をする暇も持たず、
再び下降を開始した。



5分ほどゴーロ地帯をゆくと、景色に
大きな変化が現れた。

今まで上下にばかり広かった風景が、
急に左右への広がりを現わしたのである。

それは紛れもなく、
我々が恋い焦がれた
木戸川本流谷の出現を告げる変化だった。

そして、この景色の変化とほぼ同時に、
谷に響き渡る重機の音も聞こえはじめた。

我々は緊張した。

これまでは自然との闘いだったが、
ここから少しの間は、
人目との闘いになるのかもしれなかった。



それともう一つある。

果して本流は渡河出来るのか?

…という不安。




11:13 【現在地】

前途への不安は山積みだが、それでも本日の進退を占う上では最も重要な一歩を踏み出し、それを修めることに成功したようである。

我々は建設中の木戸ダムサイトから1.5kmほど上流に位置する、木戸川本流に乙次郎川が合流する地点へと進入した。
写真は乙次郎川の出会いであるが、現在はここも湛水域内である。
その証拠に、どこのダム工事でもそうであるが、湛水位内の森林が伐採されている。

さて、こっからが本題だ。




本流筋に目をを向ける。

そこを工事関係者がうろうろしていたら、もうその時点で「ゲームオーバー」だったわけだが、そういう事は無かった。

両岸とも伐採されて、我々にとっては極めて不都合な状況になっていた本流谷中であるが、相当遠くまで見通せる範囲には、一切の人影が見られなかった。

だが、それだけでは喜べない事情があった。

肝心要の軌道跡らしきものが、未だはっきりとしないのである。

正確には、何となくそれらしいラインは見えていたのだが、「そうだ」と認めたくならないほど、か細かった。
そして、それがある斜面は異様に急峻で、しかも一面の笹に覆われていて…。

こんな雨の中で辿るには、

あんまりだ… きつい……




また、この谷が完全に我々の独擅場として許されたかと言えば、そうではない可能性もあった。

本流の上空には、谷筋に沿うように1本の架空索道が張られており、今は動いてはいなかったが、その一方は我々の進路(上流)の方向へ通じていたのである。

また、先にも書いたとおり、下流の方向からではあったが、さほど遠くない感じで複数の重機が動き回る騒音が聞こえていた。

やはり、湛水予定地を通り過ぎるまでは、我々が真に安堵して軌道跡に打ち込む環境にはなれなそうである。




もう一つの心配事であった、本流の水量であったが…

こちらも雨の影響をまだ受けていないのか、或いはダム工事のために上流で調節されているのかは分からないが、予想よりも遙かに少なかった。

写真の所は本流に乙次郎川が注ぐプールになっていて深いが、跳び石伝いに渡河出来る場所は随所に存在した。
(なお、この日の我々は沢向きの装備だったので、単純な濡れについては余り厭う必要がなかった)



それにしても、辿るべき軌道跡を早くはっきりと見たいものだ…。

それが無いのでは、いつまでも河床を無為に歩き続ける羽目になりかねない……。


求ム! 軌道跡!!




脚、キタ――ッ!


かなりデカい橋脚を、対岸に捕捉!




高い橋脚とその両側にある一対の橋台は、乙次郎川合流点から300mほど上流にある無名の右支流を跨ぐものであった。

この橋脚の発見により、本流沿いに軌道が存在したことが確定し、そのラインも自信を持って見定めることが出来るようになった。

とはいえ、改めて見直しても橋の前後は相当の急斜面であり、隧道でないことが不思議なほど。

いつ人目に遭うか分からぬこの状況で、時間をかけて路盤へアプローチするのは、大局的に見て得策ではないという判断と、単純にこれまでの探索の遅れを取り戻すべく、もうしばらく、楽な河床を進むことに決めた。
今は伐採のため、河床からでも路盤の様子は手に取るように見えるしな。




そういえば、人目に付きたくない一心からだったと思うが、ここまで1枚もダム堤体がある下流方向の撮影をしていなかった。

乙次郎川合流地点から100mほど上流の、適当に右岸へ徒渉した所にあった大岩の影で、久々に休憩した。

そして、初めて下流の方向を撮影した。


実は、我々が下ってきた乙次郎沢はホントに絶妙な入渓点であり、そのすぐ下流には写真にも見える大規模な湖畔整備地区があって、重機が唸りを上げていたのである。
もう少し下流から入り込もうとしていたら、上手く行かなかったと思う。

なお、今回はこのような経路で探索を行ったので、当初は計画に入っていた「ダムサイト〜乙次郎沢合流点」までの軌道跡(約1.5km)については、探索することが出来なかった。
この区間は湛水域に入っているから、水位が高いときには湖底に沈んでいることだろう。
何か橋や隧道などがあったとしたら、惜しいことをしたと悔いるより無い。




さあ、こっからが本番だぞ!