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2022/4/9 14:32 《現在地》
夕暮れとともに終わった前日の探索で、砂防ダムより上流側の軌道跡を探索出来なかったことが心残りだったので、翌日午後に時間を作って再訪することにした。
昨日最後に辿り着いた車道林道である林道神之谷線を、昨日歩いたところの東端からさらに800m上流へ進んだところが、今日のスタート地点だ。今日はここまで車で入った。
なお、永冨氏も1度目の探索をmasa氏と共に終えた後、2度目の探索を単独で行い、その際に砂防ダムの上流側へ行っていた。行程だけでなく、日を改めたことも、私は全く同じように追従することになった。
ただし、この上流側の探索に、あまり多くは期待していない。
こういうことを書くと、せっかくこれから読んでいただく読者諸兄の期待感を損なってしまうだろうが、この神之谷トロ道のハイライトは昨日探索した“白い崖”から砂防ダムまでの洞窟を行くような峡谷内であったのは間違いないらしく……
下流と同じかそれ以上の道幅が残っているが、朽ち木や岩屑で埋もれがちだ。岩切取りも随所で見られるものの、例の崖や石垣峡谷のインパクトが強過ぎ、物足りないというのが正直な感想。治山ダムまで行って早々に引き返した。
……という短い文章と少ない写真で、私がこれから歩こうとしている区間を終えていた。
それゆえ、正直いえば私も、この再訪はしなくても良いのかもと少し悩んだのだが、やっぱり気持ち悪いので、やることに。
過去、こういうしつこい態度が功を奏して、いろいろ発見をしたこともあったしね。
というわけで、本日の再訪の目的は、昨日歩ききれなかった砂防ダムより上流側のトロ道跡の踏破である。
距離としては、「現在地」である神之谷林道から、砂防ダムまで片道500m弱である。往復1kmほどのミニ探索だ。
ほぼ全区間、林道神之谷線と川を挟んで並走している区間であり、林道からも概ね観察できるのかもしれないが、せっかく来たので歩いてみる。
それでは、スタート!!
林道が神之谷川を1回だけ渡る橋(銘板などが見当らず橋名や竣功年は不明)の袂から、林道と同じ高さをそのまま左岸伝いに進む道形がある。
これが、最新の地理院地図にも徒歩道として表記され続けているトロ道である。いかにも“それ”っぽい狭い道だった。
入口に、「燃やすまい 皆んなの暮しに 生きる山 北村林業(株)」と書かれた、古ぼけた看板があった。
北村林業(株)というのが、この山の所有者なのかもしれない。昔からそうだとすれば、トロ運材を行っていたのも、この事業者の可能性がある。
自転車をここに残したまま、歩きで突入した。
入ってすぐ50mほどのところに、川側へ膨らんだ土地を簡単に均しただけの小さな広場があった。
道の様子は、昨日歩いたトロ道の延長と言われても違和感は無い。
というか、どこにでもありそうな、軌道跡っぽい廃道だった。
残念ながら、枕木とかレールなんかも見当らない。もしそんなのがあったら、とっくに既報されているだろうしな。
ミニ広場へ。
14:34
レール有った。
え? え? レール有ったよ。
敷かれているものではなく、1本ただ置いてある。
永冨氏が見つけなかったはずはないと思えるくらい“あからさま”だったが、報告はされていなかった。
私と永冨氏の12年間に別の誰かがレールを見つけて、分かりやすいこの場所へ移動させた可能性もあるかもしれない。
なにはともあれ、敷かれているわけでもないレールを1本を見つけただけで騒ぎすぎと思われるかも知れないが、ここは私にとって、レールが見つかっても当然と思えるような“普通の軌道跡”ではなかった。
本編第1回の冒頭で述べたとおり、ここはこれまで一度も地形図に軌道として描かれたことがなく、永冨氏が古い文献からわずか一行の「トロ道」という記述を見つけ出して探索し、その成果を公表するまで、おそらく地元の限られた人にしか存在を知らなかった極めてマイナーな軌道である。
このように、ごく少ない文献の記述と、それらしい道形があるだけで、地図になく、写真もなく、直接の証言もないというのは、それを検証する立場としてはまず一歩引いて、軌道の実在性からして疑う余地がある路線といえた。
だからこそ、今回の永冨氏の後追い探索において私は、「軌道が存在していた何がしかの物的証拠を見つけたい」という、より具体的には、「レールであれば最良だが、せめて枕木、ないしは犬釘、もしくはペーシ、モール、なんでもいい……を見つけ出したい」という、そんな野望を持って臨んだことは既報の通りである。
……有ったよレール。
それも……
レールの片側端部に、レール継目板(ペーシ)がボルトナットで固定されたままの状態になっていた!
これは、このレールが隣のレールと接続されていた痕跡だ。
つまり、このレールが敷設以外の用途……たとえば建設資材……として持ち込まれたものである可能性を否定している。廃材であれば、ペーシやボルト類は取り外されるのが常である。
なお、メジャーで各所を測ってみたところ、このレールは6kg/mの規格品軽レールとみられ、ペーシは長さが22cmだった。レールの長さは計っていないが、3mくらいの短材だ。両端にペーシ取り付け用の穴があったので切断された端材ではないが、ペーシが取り付けられていたのは片側だけだった。
さらに!
広場内のすぐ近くの地べたに、単体のペーシが3枚まとまって落ちていた。
かつてこの場所には保線を司るような倉庫か何かがあって、保管していたペーシが地面に紛れ、そのまま放置されたのかもしれない。
あるいは、レール撤去作業時にまとめて置いたのを、回収し忘れたのかも。
ただ、このペーシは長さが32cmあり、四つ穴の位置も22cmのものとは違うから、前出のレールには使えないものだった。
ペーシの長さとレール規格の対応を把握していないが、9kg/mレール用の可能性がある。
またその場合(9km/mレール使用の場合)、手押し軌道ではなく、機関車が入線していた可能性が加算されるが、未使用かもしれないペーシが落ちていただけでそこまで行くのはさすがに想像を飛躍しすぎか。
広場から振り返る、現林道。
こんな近くで、拍子抜けするほど呆気なく、昨日あれだけ見つけられなかった軌道敷設の物的証拠を発見してしまった。
これだけで、日を跨いだ再訪を実行した甲斐があった!
繰り返す。
神之谷川沿いの廃道は、確かにかつて軌道運材を行っていた軌道跡と見て間違いない!
物的証拠ありだ!
なおも、路線名、事業者、開設及び廃止年など主だったデータは何一つ明らかでないが、このレポートを確かに「廃線レポート」に入れる根拠は得た。(木馬道だったら、「道路レポ」にしただろう)
14:36
嬉しい発見に力を得て、直前より10倍くらい冴え冴えとした目になって、残りの区間へ前進を再開した。
山側と谷側に石垣を有する模範的な軌道跡が河川勾配に準じた緩やかな下り坂として続いているが、そこにレールや枕木などは見られず、倒木のあまりの多さに辟易した。
すぐ下に歩き易そうな白い河原が連なる神之谷川があるのも、軌道跡への忠誠心を削いだ。昨日断念した砂防ダムがこの先にあるので、その影響で河床が堆砂に埋まって本来よりも広い河原になっている可能性が高い。
14:40 《現在地》
斜面が大きく抉れるように崩れていて、道が寸断されている場所に突き当たった。
崩壊の向こう側に石垣がある道の続きが見えているが、正面突破は不可能で、この写真の範囲外まで行く大きな高巻きを必要とする地形だ。
さすがに面倒だと思ったので、ここから下へ降りて、あとは河原伝いで追跡することにした。
なお、地図上だと右岸には林道があるが、実際は軌道跡よりかなり高い位置を通っていて、既に写真のフレーム外である。
14:43
少し苦労して谷底へ。
両岸とも岩場が切り立っているが、白い河床は明らかに堆砂で埋め立てられた地形である。
砂防ダムが出来るまでは、昨日見た終盤の峡谷と同じ様な極めて深く細いゴルジュの谷があったものと思う。
チェンジ後の画像は、谷底から見上げた軌道跡の石垣。
法面や路肩に石垣が使われていて、これも昨日見た軌道跡の延長らしい風景だ。
進むほど川幅が広くなっているのは、それだけ堆砂によって埋め立てられた嵩が増している証拠だと思った。
両岸が切り立った崖から、あまり河川の浸食を感じさせない山肌へ変わっていくのも、同じことを表していただろう。
いつでも左岸を見上げると軌道跡の石垣が見えたが、こちらから登って復帰するよりも前に、道の方から降りてくる兆候を見せた。
そろそろく、昨日突破出来なかった砂防ダムが見えてきてもおかしくない。
14:46
すっごい下ってくるよ! 軌道跡!
?! ちょっと思っていた以上に急で驚いている。
平坦な堆砂の谷底へ、急降下着陸を試みてくる軌道跡のラインが、この写真によく見えている。
ここまでの軌道跡や昨日見た軌道跡のどこにもこんなに急な場所はなかった気がするんだが……、インクライン…じゃないよね?
インクラインにするほどは急ではない気もするしな。むしろ木馬道だったらしっくりくるのだが、さっきレールも見てるしな。
まあ、短い距離だけ特別に急な区間があったということなんだろう。 ……たぶん。
で、この猛烈な下りの先は――
――昨日の砂防ダムと、堆砂の地中で衝突するような形で終わっていた!
早くも今日の再訪のゴールが見えた!
しかしここ、ほんとにせっかちな急さで、見ているとなんだか可笑しくなってくる。
何か人間くさくて微笑ましいと感じるのだ。
さすがに理由は分からないが、たぶん設計した当時には何か事情があったのだろう。
堆砂に沈んだ部分に秘密がありそう。たとえば、そこに大きな滝があって、前後の地形との兼ね合いからここで一気に高巻きをするしかなかったとか。全線の計画を先に決めずに、事業の進展に合わせて場当たり的に延伸するようなやり方をしていると、こういうミスマッチな勾配区間が生じやすいとも思う。
左岸トロ道の砂防ダムによる切断は、このようにほんの一瞬の杜絶である。
しかし、これを歩行によって克服することは思いのほか難しい地形であり、私は達成しなかった。
昨日行った以上に大きな高巻きをすれば、杉林を伝って突破は出来るとは思うが、上流側も大きく巻く必要があるので、面倒である。
そしてここまで来たらもう一つ、これは今回の私にとっては数少ない事前情報がない部分である、砂防ダム右岸の木馬道も気になる存在だ。
このあとの復路では、この“未知の木馬道”を辿ってみようと思う。
すぐに終わりでなければ、どこかで林道とぶつかるはずだ。
14:49
神之谷の上と下を厳しく隔てる、地図に無い砂防ダムの天端に迫る。
昨日のやり残しを平らげる瞬間の得も言われぬ征服感が、私をにやりとさせていた。
そして… 見下ろす……
14:50 《現在地》
よっし! “昨日の地獄”を、転生後の天界から、優越の心で見下ろすことが出来た。
……この行為、来世はまた地獄落ちだと気付けないのが、卑しいオブローダーである……。
本当に、たった一基の砂防ダムが、神之谷の風景を180度変えたことを実感する。
それほど、私の前後の景色は違っていた。
再訪の目的は無事果たした。レールという、期待以上の土産を貰って。
あとは、唯一探索の済んでいない右岸上流側の木馬道を使って帰ることにしよう。