小坂森林鉄道 濁河線 第1回

公開日 2014.8.10
探索日 2013.5.02
所在地 岐阜県下呂市

濁河索道  〜天空のワイヤーロープ〜


6:51 《現在地》

林道上の広場から分かれていた1本の細路。
どうやらこれが、小坂森林鉄道濁河線(まだ本題の上部軌道ではなく下部軌道の方)の跡であるようだ。
今のところ、軌道跡を示すような遺物は特に見られないが。

また、入口の封鎖ゲートの旁らに立つ看板には、「樹皮堆肥製造場所」という表記があった。
設置者は岐阜森林管理署で、かつての小坂営林署の後裔であろう。
現在もこの土地が、林業のために利用されている事が分かった(少なくとも地目の上では)。
しかし、現に人が頻繁に出入りしているような気配は、まるでなかった。




脇の甘いゲートを抜けて進むと、あっという間に視界から林道は消えた。
林道は右手の斜面を駈け足で登っていってしまったからだ。
取り残された私には、普段の軌道歩きと同じ静謐な時が残されていた。

自転車をデポした標高1400mにはうっすら降りていた霜も、標高900mのここには見られなかったが、それでも5月の割にはえらく寒々とした、新緑前の森だった。
しかし風景写真としては味気なくとも、探索シーズンとしては視界のよい今こそベストと思う。その点は申し分がない。

軌道跡らしき勾配の道には、枕木もレールも見あたらなかった。
落ち葉の土道にはあるのは、レールの代わりのうっすらとした自動車の轍だった。




数分間、森の中の平和な道を歩くと、やや左にカーブしつつ、広場のような場所に出た。
地形的には周囲とあまり変わらぬ平坦な場所だが、そのうちの一画だけ木々が生えておらず、まさに広場としか言いようがない。

また、広場の中には人工的に盛り土されたような直線的な凹凸の地形が見られた。
軌道跡と関係がある物かは分からない。
むしろ、「樹皮堆肥製造場所」として使われた形跡のように思われたが、堆肥らしい物も、独特の匂いもなかった。

それはそうと、いま目の前に見えている山の稜線は、濁河川の対岸である。
これから向かおうとしている、上部軌道が眠る山ということだ。
この段階では、ここと向こうの山を隔てている深い谷の存在は感じられなかったのだが、開けた場所を山の方へ向かって歩くと、すぐさまノイズのような渓声が聞こえ始め、私にとって都合のよい幻想を打ち砕いた。




6:56 《現在地》

歩き出して5分、林道から300mほど北に離れた場所である。
前述の広場を突っ切る形で、そのまま川の方へ近付いていくと、より鮮明かつ大規模に造成された土地が見えてきた。

これだけで断定することはとても出来ないが、この地点まで軌道が延びていたとすれば、手前の低い段差はプラットホーム(人員の乗降もさることながら、木材を積み卸しするための台)ではないかという気がする。しかし、気がするだけである。逆に(水捌けの良い)そこが路盤だったと考えるほうが自然かも知れない。

しかしいずれにしても、この造成された地形には感じ取れた。
現代ではない、軌道時代の匂いを。 しかも濃厚に。

そして、奥の更に高い土台(自然地形利用?)の上に微かに見えたものが、私の軌道への予感を、より決定的なものにした。




中央部を、ズームアップ!
↓↓↓


崩れかけた木造の建造物に、
数本のワイヤーが貫通している光景の正体は…

索道施設に違いない!


火箸で突かれたみたいに駆けた私。




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【林業用索道の基礎知識講座】


架空索道(単に索道とも)は、かつてのこの国では珍しくもないものだった。
その仕組みは、アスレチック公園にはたいていある、いわゆるターザンロープというものを思い出して貰えば分かり易い。
ターザンロープは、高低差のある2つの地点に架け渡されたロープに、人がぶら下がるための滑車付き紐がぶら下がっている遊具で、地上に足を付けることなく思いのほか速い速度で空中を移動する事が出来るため、子供だけでなく大人も病み付きになる爽快感がある。


茨城県の日立セメント鉱山にて、
現在も稼動している鉱山用索道。

空中に架け渡された(架空)ロープ(策)を道として利用する交通・輸送機関を架空索道と総称し、離れた地点間を地形の困難に拘泥されることなく、比較的小さなエネルギーで往来出来る特徴から、人類の交通史上では相当古くから利用された技術であった。

原始的なところでは、険しい峡谷を渡るため橋の代わりに利用された我が国の“野猿”や“籠の渡し”などがあげられるだろう。
そして近代以降は、主として物資輸送を担う産業用の索道と、人を運ぶための観光用の索道(ロープウェイと呼ばれる事が多い)に二分化し、特に山奥のような地形困難で交通不便な場所で営まれることの多かった林業や鉱業において索道が欠くことの出来ない輸送機関となったのは当然のことだった。

だが、索道は予め敷設された線に沿った輸送しか出来ない点や、架空された線(ワイヤーロープ)の強度的に比較的少量ずつしか輸送できない点、天候の影響を受けやすく、ともすれば墜落して致命的な損失を発生させる点、二重三重の安全装置を施さなければ人間の輸送には向かない点など、道路の整備さえ行われれば自動車輸送(ないし鉄道輸送)に取って代わられてしまいやすい不利を持っていた。
そのため、現代の日本では索道の利用は減少し、林業用や工事用くらいでしか目にしない物になりつつある。数キロもあるような大規模な索道は、ほぼ全滅したといって良いだろう。


質問されたわけでもないのに、こんな事をダラダラ解説していること分かるだろうが、私は索道が好きである(ターザンロープも)。もし私が「空さ行がねが」を立ち上げたら、それは航空関係のサイトではないだろう。
過去には大規模な鉱山用索道の跡地を探索した事もある。だが私が索道を好きになった理由は、やはり林鉄歩きが原因だ。
林鉄と索道は(自動車輸送のニッチとしての)親和性が良かったようで、しばしば連絡して利用されていた。
だから沿線に索道があったという林鉄跡を数多く探索したし、そこで実際に索道跡を目にしたこともあったのである。

だが、そうした遺構から索道本来の魅力を十分感じる事が難しいという、一種のもどかしさも感じていた。
その理由は単純で、これまで出会った索道の多くが、魅力のある原形を失いすぎていたからだ。(または訪れる時期が悪く全体像を把握できなかったり)



少し話しが脱線しすぎた。

私がここで本編を脱線してお伝えしたかったのは、林業用に用いられる索道の基本的構造と各部名称についてだ。
これを確認しておかないと、この後の説明が意味不明になるかもしれない(逆に索道の基本を知っている人はとばしてもらって大丈夫です)。

林業用では、索道の中でも単純な形式である交走式がよく用いられた。
右図は交走式索道の基本的な構造を示している。

全体としては、平行する2本の支索を搬器とよばれる輸送器具が、高低差のある停車場間を交互に行き来する構造になっている。
搬器はそれぞれの支索に1機ずつ設置され、滑車を車輪代わりにして移動する。そして搬器同士は全体として環状をなすように、支索とは別のワイヤー(原動機側を曳索、原動機がない側を平衡策という)で連絡している。また停車場には盤台と呼ばれる(多くは木組みの)荷扱い場が設けられている。

構造上のポイントは、高地にある停車場から木材などの重量物を載せた搬器(実車という)を低地側の停車場へ向けて走らせると、重力によって自然と加速し、それにともない低地側停車場の搬器(多くは空車)が上がってくる(=交走する)ことである。このように高地側に実車があり続ける限り、外部から加えてやるエネルギーは、搬器が加速しすぎないように制動する分だけで良いから、非常に経済的である(そして現に多くの伐採現場は、搬出先よりも高所にある)。

以上である。
単純だが、この仕組みを考え出した人は天才だと思う。 思いません?
この内容を踏まえたうえで、濁河索道の跡地を観察してみよう。 正式名、倉ヶ平停車場跡




これはもう疑いようもなく索道の停車場!
盛り土らしき高い部分の全体が停車場。

索道の象徴である支索と呼ばれる太いワイヤーがすぐ目に入ったが、なんとそれは
谷へ向かって架空したままになっていた!すなわち、このワイヤーに結ばれた先には
きっともう一つの停車場があり、そこが目指す軌道跡なのである!!

…なんという、ロマン。




まずは停車場の中心に立つ木造の小屋(→)へ入ってみた。

だが外観からも分かるように小屋は倒壊しており、平衡策を掴んでいた滑車も野ざらしの状態になっていた(しかも90度傾いていた)。
小屋自体、おそらく滑車を風雨から守る為だけに用意されたであろう小さなもので、床も施工されていなかった。

なお、写真に「固定具」として注記した細いワイヤーの正式な名称は不明で、前述の模式図にも記載していないが、滑車と結ばれたそれ(拡大写真)が何の為のものかは、少し後で説明したい。


…平然としているのは、説明を優先するためだ(笑)。
現場の私は、既にヤバイくらいに興奮していた。 ハァハァ。
なにせここにある索道は、これまで私が目にしてきた林鉄用の索道の中ではとても保存状態が良かった。ハァハァ。
そして、谷を渡る鉄索の存在。 これからそちらに目を向けるのが楽しみで仕方がなかった。 ハァハァ。

だが、定番の勿体ぶりを発揮して、先に写真奥にある支索の端部(アンカレッジ)を紹介しよう。



はい、こいつが索道の中では一番重要かつ基本的な施設である支索を固定するために設置されたアンカレッジ(アンカー)だ!

平衡策を掴んでいる小屋は木材だったのに、支索を固定するアンカレッジは巨大なコンクリートである。
それも半ばまで地面に埋め込まれた形になっていて、大地そのものが支索を支える重しになっている。
この厳重さからも、支索こそ索道の最重要部位であるということが窺えるであろう。

なお、現場には林鉄時代の遺物としては似つかわしくないゴム製の水道管?があった。
これについては後補のものと判断されたため、行き先や出所は特に調べていない。



やばいやばいやばい。やばいよ〜。  マジでこの索道は。ハァハァ

谷に消えていってる!

そういうふうにしか見えない……この向こうに軌道跡とか……道無いとか……。

にしても、本当に索道の保存状態が良好。
支索には空の搬器がぶら下がったままになってるではないか!
さすがに盤台は崩れ果てているが、地面一面の廃材の山がその広がりを教えてくれる。
搬器に人の手が届くくらいの高さに盤台は築かれていたのであろう。
そして前述した「固定具」だが、それは搬器が勝手に動き出さないようにするためのものだったようだ。搬器と滑車を繋いでいた。これを解かないと、搬器は少しも動けない。



先ほどの模式図では説明を大幅に省略したが、索道で用いられる“車輌”である搬器にも、様々な形式がある。
具体的には、支索を掴む握索方式には人類の英知が詰まっているといっていいくらい、過去様々な工夫が生み出されてきた。
なんといっても支索をしっかり掴めないと、風の影響で荷物や支索が動揺した弾みで搬器が荷物と一緒に墜落することになる。
握索部分こそ搬器の心臓部といえるのだ。

とはいえ私は詳しくないので、華麗にスルーである。
全部で4つの車輪を持つこの搬器は、林業用としては典型的なものではないかと思う。
環状のチェーンに木材の束を抱え込むようにして固定したのである。

搬器は前方を曳索で、後方を平衡策で繋がれている。曳索と平衡策は2台の搬器を連結して全体として環状をなしている。そのため右側の支索の搬器が停車場を離れると、左側の支索の搬器が谷向かいの停車場からこちらへ向かって同じ速度で移動してくることになる。
なお、後補と思われる「ゴム管」は、左側の支索に支えられて対岸まで通じているようだった。



倉ヶ平停車場については、以上でだいたいの紹介を終えた。

続いてはお待ちかね(?)の、鉄索が谷を渡る部分を見てみる。

もちろん、上部軌道が眠る対岸の状況も一緒にチェックするぞ!


刮目せよ!



天翔る鉄索の美しさに感動!


でも、

どうやって対岸に渡ったらいいのかは… 見当が付かない。

無論、鉄索を“ターザンロープ”出来るなんて思ってはいなかったが、

この谷は……



この谷は絶望の匂いがある。

索道が谷を渡っている地点で、人間が地形に従って谷を渡ることは、不可能である。
対岸よりも此岸の絶壁が険しく切り立っていて、索道に見とれたままうろうろすること自体、既に危険だった。

この足元を見て、マジで恐怖した。




前人未踏。

間近で見れば力強いが、この谷の前ではか細い線でしかない鉄索。
そんな鉄索でしか世界と繋がっていない“上部軌道”を想像するとき、
私はつい、こんな大仰で安易な言葉を吐きたくなる。

でも、対岸の山は本当に人間の活動した痕跡が乏しいように見える。
軌道跡はむろん、道路のラインも、植林地も見えないし、
いや、いちおう稜線上にポツンと鉄塔が見えるけどさ…。



それでは、カメラの望遠を使って対岸の軌道跡を探してみよう。


先日、濁河索道の図面が坊主岩太郎さんのサイト『森林鉄道廃線跡解体新書』に掲載されているのを見つけたのだが、それにより前説で紹介したものよりも遙かに詳細な濁河索道のスペックを知る事が出来た。

例えば、0.3kmと解していた索道の延長が正確には348mあり、両端の停車場の名称はそれぞれ倉ヶ平岳見台というそうだ。
そして、私が今いる倉ヶ平停車場の標高850mに対し、岳見台停車場の標高は916mもあるという。つまり66mもの高低差があるのである。
また、索道直下の濁河川の水面は標高740m程度で、架空位置との高低差は110〜170mという凄まじい規模だった。(これはあの無想吊橋の2倍長く1.5倍くらい高い)

こんな化け物じみた索道が、昭和15年という昔年に完成しており、以来(早くとも)昭和46年に濁河線が廃止となるまでは利用が続けられたのである。
これを人間が手作業中心で架設したというのは、本当に恐るべしだ…。
上部軌道を完成させるための工事資材も、この索道によって運搬したのだろう。



望遠にすればするほど鉄索が描くカテナリー曲線が強調され、不思議な雰囲気を醸し出す。
そして探索当時使用していたカメラ(FINEPIX HS20EXR)の限界である30倍ズームで撮ったのが右の写真だ。

探索当時は向こう側の停車場が、ここから66mも高い位置にあったとは思いもしなかったが、かなり高いということまでは感じ取れた。

遠ざかるほど細い糸のような線になってしまう2本の支索に視線を這わせて、慎重に対岸の斜面を視認する。
そこに見えるかも知れない軌道跡、或いは軌道時代の遺物を何一つ見逃したくないという想いがあった。
現時点では、(それはとても悔しいけれども)、ここから見るだけになってしまう可能性もある軌道跡だった。
針穴に糸を通すような目視の戦いが繰り広げられた。

結果!↓




対岸の岳見台停車場の建物らしきものが見えちまった!!

この足で近付かないと、もどかしさで、どうにかなっちゃいそうだ。

軌道跡そのものは少しも見えなかったが、あそこに行けば絶対に何かあるだろう。
少なくとも平成の風景では無いものが、昔日の名残が、あそこには有るに違いないッッ!

これはオブローダーが見る夢かと思うほど、エキサイティングだ。




【オマケ】↓

こんな体験はなかなか出来ないぞ〜(笑)。

索道を構成する鉄索の1本である平衡策が手の届く所を通っていたので、
これを思いっきり握り込んで振ってみた、その実験の結果が上の動画である。
どんなことが起こるのか。まあ大した結末ではないが、ご覧下さい。



【オマケ その2】

巨大な索道遺構に主役を奪われ可哀想な、謎のコンクリート遺構。
倉ヶ平停車場の一角にあった。四方を塞がれた水槽っぽいのだが、用途は不明。



7:06 《現在地》

辺りを朝日が照らし始めたところで、倉ヶ平停車場の探索は終了。

結局、ここから直に対岸へと向かうルートは見出せなかったので、
事前の計画に従って、この少し上流にあるらしい“古い歩道”を探すことにした。

一旦、ワルクードへ戻るぞ。