廃線レポート 早川(野呂川)森林軌道 奥地攻略作戦 第7回

公開日 2023.07.16
探索日 2017.04.13
所在地 山梨県早川町

  ※ このレポートは長期連載記事であり、完結までに他のレポートの更新を多く挟む予定ですので、あらかじめご了承ください。


 涙の尾根


2017/4/13 10:13 《現在地》

本日ここまでの行程の中で、技術的難易度はともかく、恐怖心をもっとも強く煽られた“超高所斜面横断の難場”をどうにか通り過ぎ、さらに3分ばかり前進してきたところだ。ようやく一息付けそうな大きな岩の庇の下で、来た道を振り返って撮影したのがこの写真だ。いわゆる片洞門。この路線では珍しくもなんともないが。

チェンジ後の画像は、進行方向。
相変わらず急斜面の岩場が目立つ。歩き出したらまた、緊張の連続だろう。
しかしともかく、地名のほとんどない長い探索ルート上に前進のバロメータとして勝手に設定した「A」から「F」までの6つの尾根、その第3番目にあたる「C」の尾根は、もう近いはず。

前進再開だ!




10:25〜10:30 (休憩5分) 《現在地》

途中1箇所だけ足を止めて慎重になった難所があったが、これまでの難しさを更新するような場面や軌道跡としての特筆すべき発見はしばらく進み、10:25に「尾根C」へ到達した。
奈良田橋から約5.5km、今朝軌道跡に最初に到達した地点から約2.7kmの位置である。

例によって尾根部分には鮮明に道形が残っていて、心の安まる場所だった。
もっとも、ピンクテープのような最近人が訪れた痕跡は特に見られず、こうした尾根がいざというときのエスケープルートに使えるのではないかという期待は、結局のところ自分で実証するほかないことが分かり、この点についての不安は解消されなかった。

特に見晴らしには恵まれない尾根だったが、しっかり時計を見ながら5分休んでから出発した。
次の「尾根D」までの距離や地形も、地形図を見る限り、前の区間と大きな違いはなさそうである。おおよそ600m歩ければ着くだろう。




10:52

自撮りしている!

この行動の意味、古くからの読者には説明不要だろう。

意味は、命の危機を強く意識させられる大難所との遭遇。

現在、尾根Cを出発してから20分が経過していたが……



未だこの辺(↑)、尾根Cからたった200mほどの位置に留まっていた。



状況は、これ。

チェンジ後の画像は、同じ場所を振り返り。

写真ならたったこの2枚だが、この景色は虚仮威しではなく、見た目通り、
落ちたらまず助からないので、とにかく慎重に歩みを進める必要があった。



一つ越えたと思っても、同じように危険な場面が、即座に出てくる。
だいたい一つ越えるのに5分かかり、そういうのが4つも5つも6つも続けて現れた。
もう、どうやって越えたとかの記録もしなくなった。最初はしていたが、やめた。

ただ、どんなに険しくなっても、最小限度、幅15cmの踏跡だけは常にあった。

言うまでもなく人間の足跡ではない。ここまでもずっとある、ケモノ道だ。
半世紀以上も昔に数年だけ存在した軌道が、絶壁の山肌に記した僅かな緩やかさは、
本能に生きる彼らの足を、今なおここへ導いている。
私にとっての最後の頼りが、彼らの命が詰まった、この幅15cmだった。




11:19 《現在地》

さらに約30分後。

この動画を撮影していた。

動画の私が疲れて見える。私にしては珍しく、視聴者を意識しなくなっているようだ。
(ちなみに、動画の中で3つ目の尾根といっているのは、4つ目の間違いである。)

このレポートを読んで、ここを歩いてみようと思う人はまずいないと思うが、
特に尾根CとDの間は、軌道跡の見どころが全くないのに、危険度は抜群に高いので、
事前情報が全くなかった私は、何も知らずに突撃しているが、
せっかくこれを目にした皆さまは敢えて通らない方が良い。忠告しておく。




尾根Cから300mも進むことが出来れば、最悪の難所地帯は綺麗に終わる。
地形図にはそのような違いが見えないが、実際に歩いてみれば、差は歴然だった。
しばらく難しいところは現れず、日当りもよくなって、気持ちも徐々に癒やされた。

チェンジ後の画像のように眼下へ目を向ければ、工事車両が時折行き交う対岸の県道がよく見えた。
谷底の早川は水量が少なく、どこでも歩けそうに見えた。いずれどこかで軌道跡からエスケープするとして、
その行先は、あの谷底意外に考えられない。そこが歩ける川原であることは、とても重要なことだった。




11:29 《現在地》

奈良田橋からおおよそ6.1km地点、4番目の「尾根D」へ到達。
そろそろ景色がループしているみたいに見えると思うが、着実に1ステップ進んだ。
この繰返しの先には、間違いなく終点がある。きっと今が一番苦しいところなんだ…、きっとそう…。

しかし、この区間(尾根C〜D)は、わずか600mを進むのに1時間かかってしまった。
このペースだと、体力の限界よりも先にタイムリミットが来てしまうだろう。
まだ次の区間以降で取り返せる希望はあるが、とにかく二度とここは通らないぞ。


次第に苦しくなってきた私に、ここでひとつだけ、

とても大きな、

ご褒美があった。




今回の尾根、たまたま地形と樹木の配列に恵まれて、期待以上に、上流方向に遠望が利いた。

そこには、次の【尾根E】推定1.5km先だけでなく、さらにその次の【尾根F】推定3.0km先まで見通せた。

「尾根F」の稜線の上は夜叉神峠に繋がっている。尾根Fとその次の尾根の間に、「今日そこまで辿り着けたら最高だ」と考えた、
南アルプス林道の夜叉神トンネルがある。そこまで辿り着けることが、明日の探索に繋がる今日の最高形の終わり方だ。

というわけで、今日の最終目的地というべき位置が、尾根の“裏”ではあるけれど、
現実的に意識出来る眺めに出会ったことが、この景色の歓びの“半分”である。


では、歓びの残り“もう半分”はといえば…




南アルプス林道が、こんなにもくっきり見えたこと。



ん? 確かに良い景色だけど、そんなにこの林道が好きなの……?

いやいや、そうじゃない。分かる人はもう分かっているだろうが……、




今回の探索の一番最初のきっかけとして、レポート導入にも登場してもらった、
『トワイライトゾ〜ンマニュアル7』に掲載されている、今回の探索区間を推定の破線で描いた
この地図(↑)を見てもらえば分かるとおり――

この軌道跡は、夜叉神トンネルのさらに先では、南アルプス林道(図中の実線)と重なる。
そうして重なったまま、軌道の終点である深沢尾根に達している。
くり返すが、終点は南アルプス林道上に存在する。そしてそこが、明日の最終目的地である。

いま、「尾根D」から見えている南アルプス林道は、明日行こうとしている軌道跡なのである。
そこまでの距離は、直線ならわずか3.5kmだが、軌道上の推定距離だと、実に9kmも先だった。



探索の遠い行先が、こんなにはっきり見えていることに、まず興奮するが、

なによりも、戦時中のわずか2年ほどしか利用されなかった軌道跡が、林道に生まれ変わった部分とはいえ、

これほどよく見えること、その見え方の雄大さ、おそらく現役時代もここからはこう見えていただろうという想像……

それらが全て、私にとって感激の種であり、何重にも私を感動させたのだった。

凄いところだ! なんか涙出て来た…。



明日は、向こうからここを見渡せるよう、今日を頑張るぞ!




 出発からおおよそ7時間、正午前の探索


2017/4/13 11:35 《現在地》

尾根Dで5分間休憩し、まもなく出発するところだ。

ところで、今朝は4:50に歩き出したので、この尾根Dに着いた11:30までに6時間40分が経過している。これだけの時間を使って、約4kmの軌道跡を新たに征服した。
そろそろ正午なので、今日の探索は後半戦に入るが、残り時間を理由に引き返すことは、当面考えないつもりだ。15時頃までは、進めるだけ進むつもりでいる。

というのも、ここまでの厳しすぎる探索内容を踏まえると、今後の展開の予想を立てることはとても難しい。周到な計画を立てても、無駄になりそうな気がする。私がいくら進むつもりでいても、どうやっても進めない難所が現れて、「今日はここまでにして下山しよう」という形で今日を終える可能性が一番高いと思う。

もしも、そういう挫折がないまま進み続けられた場合には、15時になった時点でどこまで進めているかをもって、今日の締め括りをどうするか(具体的には、エスケープしてスタート地点へ戻るか、そのまま軌道跡で夜叉神トンネルを目指すか)を決めようと思う。
そういう、弾力的な計画で臨む。

それでは、「尾根E」を目指して出発する。



これは出発直後に撮影した、上流方向の風景だ。
ここからは、尾根からだと上手く見えなかった早川の谷底がよく見通せた。
いかにも南アルプスらしい、まるで山の中の砂漠のような渓谷だ。

この山中ではほぼ唯一無二であるその平らさは、キツイ地獄のような軌道跡に囚われている私に、あそこへ降りさえすればとりあえず助かるだろうという気持ちの救いをくれた。このことは、過度な命の危険にさらされ続けて疲弊した私の心を軽くするのに役立った。端的に言ってありがたかった。

ところで、上の写真の中央付近、ピンクの枠の中に小さい縦線が見えると思うが、望遠で覗いてみると、見事な滝が落ちていた。水量豊富で高さもある最低2段以上の巨瀑である。




手元の地形図を見ても、そんな滝の記号はおろか、水の流れる沢も描かれていないが、等高線の形から、あそこには確かに大きな谷があると分かる。(→)
後日、古い山の文献から地形図にない名前を探し当てたが、ミヤタ沢というらしい。

まあ、いまたまたま見えたから興味を持っただけで、その場所が私にとって意味を持つのは、まだ当分先だ。というか、正直辿り着けるかも分からない。
直線距離だと1kmも離れていないが、軌道の道のりなら2km以上は先だ。ミヤタ沢は次の「尾根E」と、さらにその次の「尾根F」の間にある。

そもそも、「尾根E」が遠い。
これまで、私が名付けた各尾根の間で1km以上離れたところはなかったが、「尾根D」から「尾根E」の間だけは1.7kmくらいあると予想していた。これまでの倍……いや、3倍近い距離があり、かつ等高線も今まで以上に複雑な凹凸を描いているから、事前には、この区間と、次のミヤタ沢がある区間が初日の山場になるものと考えていた。

まあ、ぶっちゃけ、この直前の“地獄”区間より難しい所が続くようなら、いい加減諦めるけどな。ヤケクソに突っ込んで死ぬつもりはもちろんない。ここまでに得た成果は必ず持ち帰りたい。



11:40 

「尾根D」を出発して5分経過。 いいぞ!

調子いい! この区間、久々に“歩ける”ぞ! 

ここまでも確かに歩いては来たけれど、本当に無理矢理だったから。軌道跡を歩いているのか、崖や斜面をトラバースしているのか、よく分からない場面がとにかく多かった。だが、この区間の序盤は今のところすこぶる調子がいい。
いよいよ、早川本流との比高が大きくなってきた(=侵食の影響が軽減されてきた)ことの効果が出て来たような気がする。なにせこの辺りまで来ると、その数字は150mにも達している。

チェンジ後の画像は、振り返って撮影した。
左岸の高いところにある軌道跡と、対岸の低い所にある県道の両方を同時に見れるのは嬉しい。これらは早川奥地を開発しようとした道としての新旧線の関係にある。あまりに短命だった前者と、未だ一般車両を容れない後者。どちらも美しい。



11:46 

良いペースでさらに6分ほど進んだところで、眼下50mほどのところに水の流れを見た。
これは早川の本流ではない地形図上では無名の支谷だ。この区間(D-E)の前半部分は、この支谷を横断することが仕事である。
昭和6(1931)年に発行された『南アルプスと其渓谷 時間記録と費用概算』という古い文献に、この沢の名前を見つけた。当時は八層沢と呼ばれていたようなので、本編でも以後この名称を使う。

この先、八層沢と軌道跡が交差するとみられる辺りの地形は、地形図を見る限り相当険しそうであり、難所が予想されていた。
支谷といえば、ずいぶん前のドノコヤ沢も横断に手こずったので、今回も不安が大きい。ドノコヤ沢、八層沢、そしてミヤタ沢が、今日の3大支谷である。

が、とりあえず今のところは、ここから直接谷底へ下って対岸によじ登ることも可能そうな傾斜である。険しくないわけではないが、まだマシな感じ。これは選択肢として記憶しておこう。




11:47 《現在地》

どうなっているんだ、この先…?

八層沢の奥が次第に見えてきたが、どういう地形なんだろうか。
足元から伸びる軌道跡は50mくらい先で見えなくなっている。とりあえずは曲がっているだけだと思うが…。
しかし、そこからさらに50mくらい向こうは、針葉樹の緑がいやに目立つ、いかにも岩稜線を思わせる険しい稜線が落ちている。
谷を横断する前に、必ずあの稜線を横断しなければならないようだ。

正直……、悪い予感がする。
八層谷は、名前もなんだか恐ろしげだったが、やはり一筋縄では行かないようだ。せっかくここまで調子が良くて、前の区間で受けた大きなダメージから立ち直れそうな感じだったのだが…。




11:48

この地形は、もしやっ!

あの稜線の鋭さと、その直前から路盤が急に見えなくなっている状況……、

これは久々となる“アレ”の出現を、私に強く期待させるものだったが…… が!



肝心の部分に大きな土砂崩れが見えるー(涙)。

これはキツイな……。

とりあえず近づいてはみるが…………。




11:49

来たぞ……。

あとは、この瓦礫の斜面を登ってみて、先がどうなっているかだが……。

………………よし。



乾いた音を立てて崩れる瓦礫の山を諸手でよじ登った。

これで、先が見えるぞ……。





隧道発見!!!

本日としては、6:22以来となる約半日ぶりの隧道発見!

そして6年前の偵察探索の成果と合わせると、奈良田以奥で発見された4本目の隧道となる。

ようやく読者たちを喜ばせ、あるいは同業者に少しは羨ましく思って貰えそうな成果にありつけた。
発見の感想が俗っぽくて恐縮だが、こんな命がけで歩いてるんだから少しくらいは誉められたいよね!
やったやった! ドノコヤ沢辺りからここまで、危険なばかりで遺構発見の成果が乏しい探索が続いていたが、
隧道発見は、本当に嬉しい成果だ。 成果ヨシッ!




坑口前は、谷底から、路盤の遙か上まで続く巨大な崩壊斜面になっていて、常に飛石の危険に晒されている。

隧道がある尾根も果てしなく高く、隧道が通り抜けられなかった場合の迂回路は下にしかないと判断した。



ガレた斜面を横断し、この写真を撮った坑口を見下ろす位置から、慎重に坑口前に下降した。

坑口は崩壊地に面しているが、たまたま坑口前の崖が漏斗の口のように切れているために、
上手い具合に瓦礫が堆積することを回避しているようだ。このような偶然がなければ、
こんな小さな坑口など、とっくに土砂の下だったろう。険しさも、たまには役に立つのだ。

ただ、問題は隧道の内部が貫通しているか。
さらに、出口の坑口が続きの路盤にちゃんと繋がっているかだ。
隧道がある場所は基本的に険しさの核心部だから、完全に過ぎるまで気は抜けない。



11:52 《現在地》

隧道内部に突入開始!

……ぜんぜん、風ないな……。

それに、出口の光も見通せない。

不安な立ち上がりだが、ともかくこれまでの4本では一番長そうだ……。
いま見える部分だけで30mはある。仮にそこで閉塞していても、過去最長だろう。
奥に落盤がないことを祈りたいが……、この狭さは不安すぎるな。

相も変わらぬ激狭断面。頭がついてしまいそうな天井の低さに、
両手で同時に左右の壁を触れてしまう幅の狭さ。これまでの3本と同じだ。
人を通すだけならばまだしも、材木をトロッコに乗せて運ぶにはあまりに狭い。
こんなに狭い林鉄隧道は、この地の4本を除けば見たことがない。



11:53 (入洞1分後)

えっ?!

なんだこの見え方?!

カーブしているというよりも、行き止まりの角のようなものが見える……?

まさか、この奥は行き止まりの小部屋か?!

どういうことだこれ?! 意味が分からないぞ!




いや、貫通してるッ!

とても嬉しいが、それにしても断面が異常だ!

上手く言葉では言い表せない、奇妙すぎる断面であり、線形をしている。



全天球画像をどうぞ。ぐるぐるすれば両側の坑口を見られるし、
この“小部屋”のような奇妙すぎる洞内空間の広さも把握出来るだろう。

この隧道の大雑把な平面形を、写真と記憶を元に図にしてみた(↓)。



こんな形をしているぞ! 大袈裟や強調ではなく、マジで!

南口から30mくらいまでは、狭いだけの普通の素掘り隧道だが、
その先で突如カクッと右へ折れ曲がってから、すぐ出口になっている。

普通に南口と北口を結ぶだけなら、このような線形にする必要は絶対になく、
これはおそらく、やらかしているな! 掘りミスしただろこれ、工事中。

きっと南口から掘り進めたと思うが、何が拙かったのか、掘り進む先を誤った。
工事も終盤に差し掛かった頃、ようやくミスに気付いたのは、画像の矢印の位置で――



――地表に貫通してしまったから。

○印の位置から、洞内に外の光が漏れ入っている。そこには小さな貫通孔が存在する。

このことでミスに気付き、慌てて進路を右に曲げて本来計画していた北口へ繋げたというのが、
私が想像する異常線形の理由だ。戦時中にここを施工した誰かに聞かねば真相は分からないが、
奇妙な位置に口を開けた小さな小さな貫通孔と、そこを頂点に突然右へ折れ曲がる坑道は、
尋常の理由によるものとは考えづらく、ただでさえ落盤し易そうな地質の洞内に、
こんな小部屋の如き無駄な空洞を掘る積極的理由もないだろうから、

工事ミスが原因だという結論だ。



奇妙な貫通孔は、直径わずか30cmほどで、天井に近いところにある。
周囲は極めて脆く、触れるだけでもボロボロと崩れてくる。ここに身体を捻じ込むことは危険だ。
そもそも、ここから無理矢理外へ出ても、道があるはずはない。
こんなものは、出入りのための孔ではない。未成というのとも違う。


……思うに、この林鉄の工事は、

機材も人員も満足でない中で、戦時増産の叫びに横っ面を叩かれて、

採算度外視、関係者全員が意識不明瞭になりながら作ったもんだと勝手に思っているが、

こういう酷いミスをみると、ますます想像は確信に近づくな…。



11:56 (入洞4分後)

驚きと(私の勝手な)呆れに満ちた洞内だったが、

辛うじてとはいえ、こうして出口が開いているのは本当にありがたい。

これがなければ、またも路頭に迷う畏れが多分にあった。

さあ、どんなところへ出る?




……




(本日最終目的地)
夜叉神隧道西口直下まで(推定).9 km

(明日最終目的地)
軌道終点深沢の尾根まで(推定)11.3 km