廃線レポート 早川(野呂川)森林軌道 奥地攻略作戦 第8回

公開日 2023.07.18
探索日 2017.04.13
所在地 山梨県早川町

  ※ このレポートは長期連載記事であり、完結までに他のレポートの更新を多く挟む予定ですので、あらかじめご了承ください。


 八層沢における死闘とその結末


2017/4/13 11:56 《現在地》

既に埋没度80%を越えている北口から、開口していたことへの安堵を胸に、キノコの発芽よろしく地上へニョッキリした。

滑りやすい瓦礫の山を登頂するにしたがって、前方の切り立った岩場に横一文字のラインが見えてきた。当然そこが軌道跡の続きだ。少し低く見えるのは、坑口を埋める土砂の山が高いせいだ。

地上では、動き出す前に少しだけ待機してGPSの測位を待った。
隧道の長さはおおよそ50mで、八層沢の左岸に突出している岩尾根を抜いていた。なお、なぜかこの大きな岩尾根は地形図に描かれていない。入り組んだ地形における航空写真製図の限界を感じさせるが、周辺は人の出入りが乏しすぎて、訂正される機会もなかったのだろう。
ここに隧道があること自体、存命の人物でそれを知るのは世界で私一人だけ……、その可能性すら真面目に検討したくなるような軌道跡だった。(大抵どんなレポートでも、沢山いただく読者様コメントの中に一つ以上は、昔に歩いたという体験談が出て来るが、この軌道跡については当回までそのようなコメントはゼロである)



坑口前の瓦礫山頂上より、瓦礫を降らせている上部斜面を見上げると、縄文杉のような巨大な樹木の幹が、今にもこちらへ落ちかからんとしているような恐ろしいシルエットが見えた。
もしや未発見の記録的巨木かと内心色めき望遠レンズを向けてみると、巨大な幹と見えた部分は、岩だった。

でも、これはそれで凄い造形。あんな尖った岩の上に、沢山の樹木がバランスを保って育っている。いつかアレが落ちてくる時が、隧道埋没の日だろうな。




……。

ちょっと絶句してしまった。いや、もちろん探索中は絶句しているのが通常の状態だけど、わかるでしょ言いたいことは。やべぇってこと。

切れてるじゃないか! いままで見えなかったところが!

えええええ……、ここから下へ逃げたら、もう路盤に戻る機会は当分(ずっと?)ないんじゃないか……。そんな予感がする地形だ。正面から突破出来ればそれがベストだが、いけないか……?




11:59

濡れている……崖……雨のたび滝になる……下は乾いた滝壺…

滝を……路盤が横切っている……きっと……滝の裏だ……

すごい…… すごいとこ……

岩にへばりついていくぞ……





12:01

突破成功!

今日の正午(12:00)を、ここまででも一二を争うような集中の刻に終えていた。

写真は隧道を振り返って撮影。またしても、安心して戻れない場所を越えてしまった。

どんどん先細っている。私の生還への帰路。

ここまで来たらもう、徹底的に進んだ方が安全という可能性もありそう。時間的にも距離的にも。
1日(いや半日)で、危険を越えすぎている。きっとこうなると思ったから、6年も避けていた。
やっぱり思っていたとおりのヤバさだ。早川やばい。知っていた。知っていたのに。



同じ地点から撮影した進行方向。

なんか良さそうだ。

やったか?

まだ谷は渡っていないが、その谷底も見えるところに近づいてきている。(チェンジ後の画像)
ただ依然として谷は険しく、ここから降りることも、登ってくることも、できそうにない。




未だ渡り方の見えない無名の谷だが、対岸のほぼ目線の高さには明らかに路盤の続きが見えている。
こうやってニンジンをぶら下げてくるのは、この軌道跡の良くない癖だ。
引っ込みがつきづらくなる。何とかあそこまで辿り着きたいと思ってしまう。

だが、対岸も酷く切り立った岩山だ。
ほんと、険しい。
震える。
戻る羽目になっても怖いし、進むのも、きっと怖い。




12:03 

やってなかった。やっぱり崩れている。険しい。

かつては橋が架かっていたのか、橋台さえ見えないが、抉れた谷が行く手を阻む。
山側の斜面にお馴染みのケモノ道が見えるので、なんとか迂回は出来そうだ。
そしてこれを渡った先は、切り立った岩が両側に聳える岩の切通しだ。
隧道でもおかしくなさそうなシチュエーション。苔生す岩の切通し、かっこいい。


2分ほどで谷を渡り、切通しの中に入ったが……(↓)



12:05 《現在地》

しさがまっている!

いまいる左岸のシルエット、本当にやべえ。

確かに地形図の等高線は密だけれども、これは密で描くものじゃなく、崖記号が適材では……?

一応は道らしき“段”のシルエットが見えるが(見えるのも地味に凄い、感動!)、

途中が1メートルでも欠けていたら、通過不可能だぞこんなの……。



……異様に粘ってきたが、ついに、死んだ (=引き返すこと)か……。




で、その凶悪な大絶壁を見にいくために、まずこれを越えさせられる。

毎度おなじみ、ケモノちゃん印の幅15cm極限土道。岩じゃないから怖いんだよな足元が。
人間の体重を支えられる保証がないんだもの(まあそれは岩も一緒だけど……)。
崩れぬように祈るだけではさすがに不安すぎるので、出来るだけ両足を離して接地することや、
立ち止まらず速やかに通過するなど、リスクの低減は怠っていないつもりだ。

集中力が切れた時に、運も切れたら、そこで終わりそう。




12:10

続いては、厭らしい倒木の山に行く手を阻まれた。

タイミングが悪かったか。数ヶ月もすれば谷底に落ちる奴らが、狭い崖道を塞いで留まっている。

適当に体重を乗り越え、潜り抜けるよりないが、もしこれが急に崩れだしたら相当やばい。

万が一の際には機敏に逃げ出せるよう、周囲に敏感な意識を向けながら、速やかに過ぎる。




12:12

アリガテェーー片洞門!

鉄壁の如き岩の牙城によって、70年以上昔に廃止された道が、生き残っている!

それも奇跡的に綺麗な姿で!




八層沢の孤独なる片洞門。

ここを人が歩くのは、いったい何年ぶりだろう。

私はこの探索のあと、昭和20年代から、南アルプス林道が開通する昭和37年頃までに、
奈良田から早川を遡って鳳凰三山や南アルプス核心部を目指した登山記録を沢山見たが、
この軌道跡を利用している記録は一つも見つけられなかった。
古い登山雑誌をお持ちの読者さんがいたら、どうか探してみて欲しい……。



全天球画像。

レールを敷けば、今すぐ軌道として利用を再開出来そうなほど綺麗だ。

恐るべき片洞門は、50mほど続いた。

そしてこの安全なる通路の扶けにより、最も険しい50mを安全に前進し、

ついにこの八層沢の中心部、軌道との最終交差位置へと――




12:14 《現在地》

大接近!

前方、長蛇の如き流水が、45度の谷を天頂に上り詰めている。

完全に軌道の行く手は谷に塞がれ、いざや反転の時は来た!




が、最後の最後、おそらく橋台のあったであろう先端へ近づくことが、

困難!

かといって、直ちに谷底へ降りる術もなく――



――前進に窮するかと思われたが、

戻る方が危ないだろ?

と、冷静に判断した私は、斜面にへばり付いて前進からの下降を

(道極めて狭く慎重のため8分を費やす)成功させて――




12:22 八層沢の渡河地点へ到達!



 大逆転の芽と、不安の芽、育つ


2017/4/13 12:22 《現在地》

やってやった感が、半端なかった!

マジで気持ちいい!
片洞門の終わりから、ヒリつく崖をへつり越え、八層沢の谷底へ降り立ったこの瞬間は、今日ここまでで一番気持ちよかったかもしれない。
辿り着いた谷底は、久々に空の開けた、なんとなくどこへでも行けそうな気持ちにさせる場所だった。

この位置は、早川の谷底から約400m離れており、八層沢はこの間をほぼ直線に、160mの高低差を流れ落ちている。
実際に確認はしていないが、地形図や、ここまで時折谷底を覗いてきた印象からして、この谷は上り下りが出来そうな気がする。
これにより、生還への貴重な切り札を手に入れた気がした。この谷底まで辿り着けなければ得られなかった切り札である。

そしてまた、久々に両足で感じる、地面に立っているときの安定感が堪らなかった。
滑落の恐怖に怯える必要がない、谷底ゆえの安心感。
足元で勢いよく爆ぜ散る水のせわしなさも、今の私には喝采にしか聞こえなかった。
針の穴を通すような長い崖道を、私の技術と精神力の限界に近いところで辛くもすり抜け、この開放感と安心感に満たされた谷底に到達したのである。本当に、やってやった!



谷底へ突入するか、引き返すか、最後に悩んで突入を選んだ難場を振り返る。

画像の点線の位置に途中までは片洞門のしっかりとした路盤があったが、最後は橋台の痕跡もないまま途絶えていて、そこから谷底まで落ちずに緩く下降してくるのが難しかった。おそらくここは戻るよりも来る方が難しかったと思う。まあ今さら、戻るなんて死んでも試したくないと思っているが。

チェンジ後の画像は、同じ場所を少しアングルを変えて撮影したもので、矢印の位置で【この写真】を撮ったのだ。
皆さまにどう見えていたか分からないが、現地の私は、この写真に見えるような“高さ”を肌に感じて、行くか戻るかを悩んだのだった。
本当に、気の抜けない谷だった。




しかし、私がこの谷底で、おそらく多くの皆さまが想像される以上に無邪気な喜びを表わしているのは、この場所が“行き止まり”では無さそうだということがすぐに見て取れたからだ。この写真の風景に対し、すぐに、「行けそうだ」と感じることができたのである。

この谷底へ入ってくる左岸の道は本当に厳しかったが、一方で、右岸へ出ていく道は、マシなものに見えた。
相変わらず厳しい斜度ではあるが、左岸のような絶壁とまではいえないし、岩よりも土の露出している部分が目立っていることが、何とかなりそうだという気にさせた。また単純に日の射し方のおかげで明るく見えることや、ここに至るまでに数度、この先の路盤を対岸に垣間見ていたことも、恐怖感を和らげていた。



12:24 

長居はせず谷底を出発。写真は最後に渡河地点を振り返って撮影した。

この場所のすぐ手前には、あんなに見事な片洞門が悠久の造形物のように残っていたのに、
谷を横断するために軌道が何を用いていたかを知る手掛かりは、ここには全く残っていない。
橋ではあったろうが、橋台も橋脚もなく、どのような規模のものであったか、想像しかできない。

はっきりしていることがあるとすれば、谷の傾斜が早瀬から連瀑へ変化する、
その境目の位置を狙い澄ませたように、ここで渡っていたということだ。
こんな土地での施工は無論、最初の測量の段階でも、どれほどの犠牲があったものか。
なにも記録がないことで、いくらでも恐ろしい想像を膨らませることが出来てしまう。



よし! 思った通りだ!

これは歩ける! 左岸よりも全然ラクに進めそうだ!

路盤から逃げ出さず、あくまで軌道跡を辿った直近の苦闘が、報われたっぽい!




12:26

怖そうに見える?

……間違いなく、そう思っただろうね。

普段の私ならば。

でも、この日の私はもう“3皮”くらいムケてしまって、生半可な難所には心揺るがなくなっている。「これまでと比較して難しいか?」、という判断基準が前面に出るようになっている。この状態になると、写真の難所くらいなら、全く足を止めることがなかった。そしてこれは油断とも違うとものだと思っている。

この精神状態を最大限好意的に評価するなら、人間的な理性や恐怖心を原因とする非効率的な逡巡を省略し、より野生動物に近い効率的な行動を自然に起こせるメンタルだ。



12:28

デカキノコ(こしかけ)に触って微量に体力を回復しつつ進んでいくと、谷底を出てからほんの4分ほどで、八層沢の浸食圏を離れ、早川本流の浸食圏内へと戻ったことを察知した。景色の明るさや高さ、遠くの空と山並みの見え方などが、1時間くらい前までずっと見ていた本流沿いのそれに戻った。

八層沢を、この身体ひとつだけで克服できた。




あっ! あれはッ!

超絶久しぶりに見つけた、いわゆるひとつの、ピンクテープ!

山中で出会うこいつの意味はさまざまだが、間違いなく言えることが一つだけある。

遠くない過去に、私ではない誰かが、ここを訪れている!



12:34〜12:39(5分休憩) 《現在地》

特に難しい廃道探索では、この“ピンクテープがあるという事実”に救われた気持ちになることが、よくある。(まあ、状況によっては逆に興ざめすることもあるが)
今回などはその最たる例だ。

今日これまでを振り返って、ピンクテープやそれと類する人間の痕跡を最後に目にしたのは、ドノコヤ沢を渡り終えた直後(8:12頃)から少しの間だった。
したがってここではおおよそ4時間ぶりに、軌道跡に先行者の痕跡を見つけたことになる。

このピンクテープを発見した場所は、「尾根D」から八層沢を越えて、再び本流沿いへ戻ったところにある、あまり目立たない尾根の上だ。距離的には奈良田橋から約7.0kmでキリが良く、「尾根D」からは0.9km前後。ここは予め想定した「尾根E」ではないものの、それはたまたま名付けなかっただけで、現地にこのような目立つ特徴があるなら名付けた方が良かったかも知れない。
今後、「ピンクの尾根」という言葉をもし使うことがあったら、ここのことだと振り返って欲しい。

改めて、ここにピンクテープを残した何者かの目的やその時期は不明だが、急に現れたところを見る限り、私と反対の上流側から軌道跡を辿ってきたか、あるいは軌道跡とは関係なく尾根伝いに昇降する途中で通ったかのどちらかだと思う。より望ましいのは前者である。この先の軌道跡の状況が今までよりマシである期待度がグンと上がるから。
また後者であっても、尾根伝いに早川の谷底や対岸県道に到達出来る期待が高まるので、エスケープルートの確保という点でやはり嬉しい。

この先、軌道跡を進んだ先に次のテープを見つけられることを期待しつつ、5分の休憩の後に前進を再開する。

なんか、八層沢を越えてから、流れが変わってきた気が、しないか?

もちろん、良い方にだ。

前進再開!




12:40

アハハハハハハ…

気のせいだったか……。ムードの変化は…。

「ピンクの尾根」を越えて10mで、いきなり難所を越える羽目になった。越えて振り返った。

そこにピンクテープは、当然のように、出現しなかった。




12:43

続いてこれ。

ピンクうんぬん以前に、どんなときにも一番に頼りにしてきたケモノの足跡がとても薄い“新鮮な崩落斜面”だ。

斜面の土が柔らかければ容易な傾斜だが、この見た感じ、あまり爪先が刺さらなそうで、少し怖いな。

でも、渡った先にある、ほとんど埋れた切通しのシルエットは格好いい。それを励みに頑張って横断だ。



12:45

(……振り返って撮影してるな……)

(…こんなところ、越えたんだな俺…2分足らずで…)

…………

あとで写真を振り返っても、どうやって越えたか分からない場面が散見し始めるのも、
先ほど述べた“野生動物的行動基準モード”で行動した時の良くある特徴だな。
ともかく、写真に私の足跡がついているし、ここを越えてきたのは間違いない。



――6分後、




12:51 《現在地》

見よ!見よ! この安定感!!

これは、今度こそ、本当に、

変わって来てる気がする!

地形に、恵まれ始めているッ!!!



高所感があるけれど、でも地形に余裕があるこのカンジ……、

いままでだったら、尾根だけに特有のものだったと思う。

それが、尾根ではない途中の区間に、こういう“緩み”が現れてきたのは、本当に大きな変化だ。

今朝の出発から歩行8時間にしてようやく辿り着いた、新境地を感じるぞ!

これはマジで、あの八層沢の横断が本日最大の難所だったという可能性、あるぞ!

(そうあってくれ!!)



――11分後、




13:02 《現在地》

久々に、ちょっと怖いと思える難所が現れたが、

手持ちカメラの動画を回しながら歩いてみようと思う程度には、余裕があった。

(感覚麻痺の影響が大きい。平常な心理状態で急にここに連れ出されたら、
私を含めて、こんなに躊躇いなく歩ける人はほとんどいないだろう……。)

で、この動画撮影中に、リアルタイムで驚いている。



早朝以来、めっちゃ久々にレールを見つけたから!

最後に見たのは、7:46のドノコヤ沢手前、複線区間らしき場所で見た、短い切れ端だ。
ただ、あのときのレールは敷かれていたものにしては短尺に過ぎて、別用途に転用されたもののような気もしていた。

そして今回、おおよそ5時間ぶりに遭遇したレールは、同じく6kg/mレールだが、一端は土に埋れていて長さが不明だ。
あと、立位が90度転倒している。固定する枕木のようなものも見当らない。とはいえ路盤の高さに発見された以上、
敷かれたままのレールの一部であるという想像も、完全な的外れではないと思う。


……おいおい……。

少しだけ、期待、したくなっちゃうじゃん……。



――ふたたび、6分後、




13:08

レールが敷かれたまま残っていたりはしなかったが……

難所はさっきの一つだけで、その後も嘘みたいに歩き易い道が続いている!

あまりに嬉しくて気が大きくなったのだろう。動画の中の私の口ぶりは、もう(今日の)ゴールは近いように聞こえる。

でも確かに、このペースが維持されるならば、見えるぞ……本日の最高形の終わり方が!!

すなわち、南アルプス林道夜叉神トンネルへの到達だ!


現時点で、私が事前に想定していた地図上の残距離が――(↓)


(本日最終目的地)
夜叉神隧道西口直下まで(推定).3 km


――程度と推定されていた。


現在時刻(13:08)を踏まえても、これはイケルのでは?!




13:12 《現在地》

第5番目の橋頭堡、「尾根E」に到達!

「尾根D」を出発したのが11:35だったから、1時間40分弱を要して、これまででは最長の区間(1.7km)を突破した
相変わらず遅速のようだが、「ピンクの尾根」からここまでの約0.7kmには30分しか要していない。
ここだけを時速に直せば2km弱は出ていて、林鉄探索としては十分なペースを回復している。

苦しかった区間を、どうにかこうにか耐え続けた結果、ほんとうに最高形の終わり方が見えてきた。
ただ、実というと一つだけ、ここ2時間くらいずっと、私の中に“ある不安”が生じていた。
それは、出発時点ではほとんど想定をしていなかった種類の“不安”だ。

ここで言い当てる人がいたら、レポートの隅々をよく見ているなぁと感心しますが…。



この“不安”の結末は、杞憂か、的中か。

次の区間が、いよいよ今日の最後の区間となる。

いつの間にか湧き上がってしまった“不安”との決着は、必然、避けがたいものとなった。



(本日最終目的地)
夜叉神隧道西口直下まで(推定).2 km

(明日最終目的地)
軌道終点深沢の尾根まで(推定).6 km