廃線レポート 千頭森林鉄道 奥地攻略作戦 第2回

公開日 2017.04.09
探索日 2010.05.04
所在地 静岡県川根本町

(千頭ヨリ)28km付近から、諸之沢(30km)へ向かう


2010/5/4(火) 11:59 《現在地》

……そんなわけで、ここからは一人だ。
正確には、一人になったのは4分前。
現在はそこから100mほど、一人で先に進んだ地点にいる。

昨晩東京で集合してから、車内でもたくさんの言葉を交わし、探索の楽しみを語り合った仲間と、このようなタイミングで別れることになるのは、自分がこうも孤独に弱い人間だったかと情けなくなるほど、寂しい気分であった。

今引き返せば、帰路という探索をともに続けることが出来るだろう。一度仕切り直しをして、改めて一緒に再訪するという選択肢もあるのではないか。彼にとっても、この探索はもう乗りかかった船ではないか。二人で撤退することこそが義に篤い、より正しい選択なのではないか。そんな考えも沸いた。

だが、ここに来て妙に歩きやすい状態が続いている路盤は、私に立ち止まりづらい時間を過ごさせた。そうやって迷いを抱えながら進んでいるうちに二人の物理的な距離は広がっていき、私も、ここまで来た自分の本懐を遂げることを優先したいという思考に埋まっていった。



12:03
今回初めて足を踏み込み入れる大樽沢以奥の軌道跡がどのような状況であるかは、探索前に(普段の私以上に)真剣にウェブ上を検索し、事前情報を得ることで探索の成功を期そうとしたのであるが、全くヒットしなかった覚えがある。光岳方面の登山者が、左岸林道を柴沢の登山口まで(あるいは「から」)歩いた記録は、数年以内のものを見つけられたのだが。

(当時の)地形図には軌道跡の一部が破線で描かれており、登山者の中には、左岸林道より遙かに短距離で柴沢に至りうるその破線道を(軌道跡と知らなかったとしても)歩いたり、歩こうとした人は少なからずいたと思う。だが、彼らの足取りの記録は見当たらなかった。

今歩いているのも、そんな破線道の区間である。
そこに近年どのくらいの通行量があるかは、路面の踏み跡、ピンクテープ、存置ロープ、枝払い跡、ゴミ、たき火跡など、様々な“人跡”から推し量れるが、いまのところそうした判断材料は見当たらない。
とりあえず、今はまだ歩きやすいので良いが、古くない先行者の痕跡を見つけられたら安心できると思う。
というか、安心したい。



本日現時点における最大の懸念としては、今も脚下を轟々と音をたて流れている寸又川の水量のことがある。前回に比べても、決して少ないということはなさそうだ。同程度か、やや多いとみられた。

2週間前の下流探索では、何度か本流を渡河する羽目になったが、それが例外なく大変だった。水量も水勢も強大で、渡渉する場所を慎重に選ばないと、押し流される危険を感じた。流されたとしても、簡単に溺死することはないだろうが、デジカメという、探索における命の次に大切なアイテムを失う可能性が高かった。今回の探索に限らず、私にとって「記録」することは、目的の根幹なのだ。一応は防水機能のあるサブカメラも持っているが、サブだけに、長い探索では予備バッテリー量に不安があった。

また、前回探索した下流部は全体的に河原が広かったので、渡渉しながら河原を遡行することが出来た。
だが、あのような広い河原は、逆河内川との合流点より上流には乏しく、今も狭い谷底いっぱいに轟々と水が流れている。
このような状況では、水勢や水深といった遡行条件は、より困難であるはずだ。遡行不可能という場面も考えられる。

端的に言うなら、路盤を歩けない状況が現れるのが、とても怖いということだ。



な、なんだよう…。

ドクロマークで怖じ気づかせようとは、千頭もなかなか古典的な手に出やがる。

もちろんこんなものに動じる私ではないが、この少し先では、まだフレッシュな感じのシカの死骸が路上に横たわっていて、ちょっとげんなりした。
地形的にも、大きく回避できないからね…。
まあ、周辺の地形の険しさからして単純な転落死はあるだろうし、死期が近づき脚力の衰えた野生動物が自然と谷を下り、例外的な平坦地である路盤を終の地に選ぶことが多いのかもしれない。(そんな論理的理由を考えたくなる程度には、この後も繰り返し路盤上でシカの死骸を見た)




12:09
一人になって15分進んだところで、15分ぶりの廃橋に遭遇した。

とはいえ、ほとんど土砂に埋没してしまった“それ”は、「橋梁」と呼ぶべきなのか、「開渠」とすべきなのか、判断の難しいサイズだった。(林鉄と同年代に存在した旧国鉄では、径間5m以上の鉄道橋を「橋梁」、1〜5mを「溝渠」、1m未満を「開渠」と分類していた。林鉄にはそのような全国画一のルールはなかったが、極端に短い橋を「橋梁」と呼ぶことには違和感もある。)
本橋は、構造としては普通の橋と何ら変わらない、橋台と橋台の間に木造桁を乗せた、いわゆる単純木桁橋だ。
路盤を横断する排水路をレールや枕木が何気なく跨ぐだけの、橋ならざるものとは一線を画している。
ただ、橋台と橋台の間の距離、つまり径間は50cm程度しかない。旧国鉄なら、間違いなく「開渠」と呼んだサイズだ。

なお、この橋の前後にも短くレールが残っており、少なくとも林鉄の撤去関係者は、これを橋と扱ったことがわかる。



おおー。
これはなかなかに立派な土留め擁壁だ。
石垣では実現できないこの高さと垂直さは、一体構造であるコンクリートの強みを生かしたものであり、もしも石垣しか使えなかったなら、現状より遙か下の水面近くまで法高(のりだか、法面の長さのこと)とせざるを得ず、工費・工期の両面から桟橋が選ばれたと予想する。
もし、その桟橋が崩れでもしていたらと思うとゾッとする、そんな極めて険阻な地形だ。

石垣か、コンクリート擁壁か。こんな些細な推論からも、あらゆる点で模範的であることが求められていた帝室林野局や、その後継である東京営林局が、全国屈指の難しい地形条件に林鉄を建設するにあたって、技術や資金をふんだんに投入したことがうかがえる。
もちろんここだけでなく、これまで見てきた大規模なトラス橋やPG(プレートガーダー)橋、隧道の坑門工など、全体を通して“高規格”だと評価できる。

ちなみに、千頭林鉄のうち千頭堰堤付近から大根沢までは、戦前の1939(昭和14)年に、帝室林野局が開設したとされる。だが、戦後に東京営林局となってからも大規模な改築が行われており、銘板などで竣工年が分かっているもの以外の構造物は、どちらの時代に生まれたのか分からない。



12:12 《現在地》

うわ〜、やだなー……。

地形の険しさを意識した途端に、いや〜な景色を見てしまった。
100mくらい先に、谷幅が極端に狭まったゴルジュが現れたのである。

こういうのが、怖いんだ……。
もしも、この谷の真上にある路盤が通行できないほどに決壊していたら、どうなると思う?
通常なら、高巻きと下巻き(河床ルート)という二通りの迂回が考えられるのに、ここでの選択肢は半分だけだ。
行動の選択肢を露骨に制約するゴルジュの出現は、滝や砂防ダムと並んで、谷沿いの林鉄探索での大きなリスク要因であることを私はよく知っている。

ああ! 緊張するッ!
無事に通り抜けれることが確認できるまで、この早鐘のような胸の高鳴りは抑えられないだろう。怖さで心がすり減りそうだよ…。



ドドドドドドド…

良かった〜!

問題のゴルジュ上部の路盤だが、特に何の問題もなく、通過することが出来た。

しかし、今回は杞憂に終わったとはいえ、こういう地形が頻出するようなことになると、本当に怖いぞ……。
今回たまたま問題なく路盤が残っていたが、ゴルジュのような険しい地形は、近隣の路盤にも無理を強いているケースが多く、劣化が現れやすいと思う。

…願おう!
ゴルジュがもう現れないことを。
あるいはせめて、まともな路盤のないところには現れないということを、心から願う。
情けないが、それくらいしか私に出来ることはないと思う。(=何も出来ない)



12:20 《現在地》

大樽沢宿舎から1.2km(トラス橋から1.1km、一人になって0.8km)で、尾根の先端を巻き込むような場所に着いた。

距離的に、大樽沢停車場と諸之沢停車場の中間地点まで来たが、ここまでは特に問題もなく進んでいる。

だが、ここでついに、大掛かりな崩壊に行く手を阻まれた。



谷に張り出した尾根の突端部を、軌道は深い切通しでもって、通過していたのだと思う。
だが、どこからこれほどの土石の量がもたらされたのかと不思議に思えるほどの大量の瓦礫が、切通し全体を埋めていた。

あるいはもしかしたらこの切通し、建設当初は隧道であったかもしれない。
切り残された谷側の岩山の高さが路盤から見ても15mくらいあり、“元隧道説”がよぎるが、現状では路盤から10mくらいの高さまで瓦礫が積もっており、真相を確かめる余地はない。
ただ、この瓦礫の山を強引に乗り越えて向こう側へ進むだけが、出来ることだ。

切通しを埋める瓦礫山のてっぺんに着いてみると、手が届く位置に、枕木を組み合わせて作ったような架線柱の残骸らしいものが転がっていた。近くには被覆された電線も落ちており、軌道沿いに設置されていた電信線の名残と分かる。この電線でもって、【大樽沢宿舎の電話機】が機能していたのだろう。

瓦礫の山を乗り越えると、切通しの反対側へ到達。(チェンジ後の画像は振り返って撮影)
こうして見ると、本当にピンポイントに切通しの部分だけが、崩れていることが分かる。
果たしてここに隧道があった時代があるのかどうか。千頭林鉄には、初期は隧道だったらしい場所がいくつかある()から、可能性は低くない。



12:37
切通しを抜けると、急に谷が明るくなったという印象を受けた。
それもそのはず、この先600mほどの間は珍しく寸又川が蛇行をやめて、ほぼまっすぐに北上する。そのために見通しが良くなったのだ。
そして対岸には、巨大なピラミッドのような三角錐形の山がそびえ立っている。諸沢山(1750m)である。

寸又川はこれから先、この諸沢山の縁を半周するようにして源流部へ続いている。
したがって、私にとっても今日から明日の前半にかけて、ずっと離れられない山ということになる。
明るい山腹には、花を散らしかけたヤマザクラの薄桃が点綴しており、緊張の中にも心和む景色であった。




12:40
直線区間の最初は路盤の状況がよく順調に進んだが、1枚上の写真を撮影した12:37頃(切通しから200m前後)から地形が険しくなり、上下両方から痛めつけられる展開が始まった。

崖に囲まれて、山側にも谷側にも逃げ場のない路盤が続く。
しかも、狭い路盤の全体に崩土が満載されており、全体が緩急織り交ぜながら傾斜をしている。転落したらただではすまないのは当然だが、先ほどのゴルジュのシーンでも恐れたように、行動の選択肢が狭められた状況になっている。
そのことが、非常に懸念される。

こういうときは、緊張から自然と視野狭窄に陥りやすいが、それはとても危険だ。
こんなときこそ、慎重に周囲を見回し、もとより少ない行動の選択肢を出来るだけ多く意識的に探しておくのが、肝要である。
そうすることで、この先に直進のできない場面が現れたとしても、必要以上に焦ったり絶望したりせず、より泰然とした態度で迂回ルートが検討出来る。
安全的にも、時間的にも、精神的にも、あらかじめ迂回可能性を知っておくことが大切である。




12:43 《現在地》

あっ!
やばそう……。



アーッ!逝ったー。

これは……駄目なやつだ……。

見えている範囲では迂回が不可能なやつだ。

恐れていた事態が、ついに起きちまったかー。



千頭営林署さんよぉ…、

どうしてここはPGにしてくんなかったんだよぉ……。

木橋じゃ、こうなるだろうよそりゃあ……。レールだけあっても、ねぇ…。

右側のレールに足を乗せ、山に手をつけてバランスをとりながら渡る。
そんな馬鹿げたプランも一瞬頭をよぎったが、さすがにそれは正気じゃないと我にかえる。
さっきからの脳内でこねくり回していた可能性の迂回プランを、現実化させる必要があるようだ。
きついが、いったん撤収しての迂回を開始する。地形的に高巻きはほぼ無理だから、下巻きになるだろう。



これは、30mほど戻った地点。

もちろん、全然駄目。

こんなところでは、到底迂回出来ようはずもない。高過ぎ、険し過ぎ、無理過ぎ。

もっと戻らないといけない。

こういう探索中の手戻りがあるから、記録上の「何キロメートル」なんていう距離は、案外当てにならないことになるんだよな…。




12:51
結局、5分ぶんも戻らされた地点で、ようやく谷底へ降りられそうな斜面があった。
これは、【12:37に通過した】辺りである。
まさに、険しくなり始めた時点で恐れた通りの展開になってしまったのである…。

……まあ、あまり何事もなく順調に進むのも拍子抜け……
するのかなぁ。
別にそれでもいいんだよなぁ、楽しめる遺構さえあってくれれば、探索の成否を脅かすような難所は、別に現れてもらわなくて結構です。

そんな軽口(陰口?)をたたきながら、ザアザアと渓声を鳴らす谷底へ滑り降りていった。



12:53
ザーーーー

さあ、快適な乾き足とも、これでお別れか。
まあ、だいたい予想していたとおりの展開ではあるか。
初日のどっかで渡渉する羽目になるだろうとは、思っていた。

とりあえず水量の多さが不安だったが、いざ目の前にしてみると、覚悟が決まって度胸が出たのか、さほどの怖さは感じなかった。
ここはまだ少なからず河原がある状況なので、水勢や水深が分散していて、比較的与しやすそうだ。
ザバッと、行くぞー!!




12:56
川を一度渡って、対岸の水際を遡行中。
ちょうど、見上げるといい位置に、さっきまで歩いていた路盤が見えた。
この写真に写っているのは、【12:40に通過した】場所であろう。
下から見ると、立派な石垣がきれいだ。

そして、この景色を過ぎれば、次は当然――




――問題の迂回地点が現れるわけだが、

端から見てもゾクッとくるくらい、怖い!

あの崖の中腹に、【少し前までいた】のである。
そこにいるときには少し分かりづらいが、本当に恐ろしい場所。

今更ながら、よくぞこんなところに軌道を通したものだと思う。そして、毎日大量の木材を乗せた列車を走らせたものだと思う。

さあ、いよいよ迂回の核心部だ!



12:59 《現在地》

怖ぇ!!

迂回しているのに怖さが持続してるって、どういうことだよ!(笑)

左の写真が遠景で、右の写真は望遠だ。
橋の袂からのぞき込んだ印象よりも、かなり高く感じられる。橋脚もこんな大きいとは思わなかった。文句なく、ここにあったものは大型の桟橋である。

狭い谷の中でひときわ存在感を放っているコンクリート製の橋脚は、厳密には橋脚の一部、あるいはそれを支える土台であり、その上にこれまたかなりの高さを持った木造橋脚を立て、橋を支えていたのだ。PGにしてくれていたら残っていただろうに、この橋の優先順位はあまり高くなかったのだろうか。
まあ、こうして迂回をしなければ、この橋の凄みは伝わらなかったかもしれない。



迂回した橋跡を真横に見る位置から前方を見ると、幸いにして恐ろしい険しさはなりを潜めていて、路盤へ上っていけそうな斜面があった。
迂回を始めるときには、やや大きな手戻りを強いられて辛かったが、終了はすんなり行けそうだ。

ただし、その前に渡る川が、逃げ場のない位置でかなりの水勢を保っており、慎重な渡渉を要求された。
水深自体は膝上くらいだが、勢いの強い流れが股間までせり上がってきて、結局この一連の渡渉で下半身全体を水に浸すことになった。
まあ、これも覚悟を決めるための儀式であったと思うことにしよう。
今日の気温は十分高いし、天候も申し分ないから、日中ならズボンくらいはすぐ乾くだろう。靴は、無理だけど。




13:12
地味にきつい、ほとんど手がかりになるようなもののない土斜面をよじ登り、10分ぶりに路盤へ復帰。
この一連の迂回によって15分程度のロスが発生しており、気づけば時刻は13時を回っていた。
日没は18時過ぎだが、谷底にいる以上はもっと早く暗くなるだろうし、夜をやり過ごす準備を周到にするならば、遅くとも17時には予定している今夜の寝場所、大根沢へ到着したかった。
あと4時間で、残り約4kmだが、大丈夫だろうか?
順調にいけば何の心配もないだろうが、今みたいな迂回があると、案外ギリギリかもしれない。

前 進 再 開 !



気合いを入れて歩き出したが、1分も経たないうちに、足を止めたくなるものが現れた。

朽ち果てた吊橋があった。

路盤よりも低い位置から、対岸へ渡っていたようだ。
人道用の簡易な吊橋で、廃止からどれくらい放置され続けているのか分からないが、メインケーブルの緊張が失われ、踏み板を直接支えていた簀の子のような“そろばん板”が、だらしなくぶら下がっていた。それでもまだ辛うじて中空にある。

橋があるということは、当然ここから対岸への往来があったということだ。
林鉄がなければこの土地への往来は容易ではない。ゆえに、林鉄時代の作業道とみて良いだろう。




13:15 《現在地》

吊橋があった場所から始まって、その先100m以上にもわたり、路盤は複線の幅を持っていた。周辺の地形も、おおらかだ。
ここが林鉄の一通過地点ではなく、木材の集積や積み込みが行われた地点だった可能性は高い。

それゆえ半ば反射的に、大樽沢停車場から1.8km付近に位置するこの場所こそが、大樽沢の次の諸之沢停車場ではないかと考えた。
しかしそれは誤りだった。
少なくとも昭和30年頃に描かれた「キロ程図」では、諸之沢は大樽沢の2.4km先とされており、現在地からはだいぶずれている。




吊橋跡があることと、複線であることのほかにも、小さな発見があった。
それは、頂部が黄色く塗装された、見慣れたサイズ感のコンクリート杭だ。(奥にあるのは枕木)
標柱の4面には、それぞれ次のような文字が刻まれていた。

空図 / 公 / 頭130 / 山

おそらくこれは、昭和27(1952)年から林野庁が中心となって全国で行った、航空写真を用いた山林の測量(森林資源調査が主な目的だった)に使われた、空中図根点の標柱と思われる。
「頭130」の「頭」は、千頭営林署を意味するのだろう。



13:17 “ニセ”諸之沢停車場ではさすがに可哀想だと思うので、(仮称)南諸之沢停車場と名付けた地を後にする。
おおよそ600m続いたこの一連の直線的区間(実態は、直線と思えないほど面倒な迂回をさせられたりした)も、
まもなく終わりと思われる。地図上の谷は、これからまた大きな蛇行の流れに入っていく。
路盤を取り巻く地形もみるみるうちに普段の険しさを取り戻し、路盤を単線にさせた。



おおっ!

ここ、きれいだなー。

この路盤と外のメリハリの付き方は、天然としては、奇跡的なんじゃないか?

心が洗われる。



13:22 《現在地》

……なんか急に、いやな予感 が…。

すぐ先に見えている斜面は、まあ多分、問題ないヤツだろう。

それじゃなくて、その先……

なんか白くね?

あれは蛇行する川の先なんだけど、対岸ではないよ。此岸だ。この路盤の先。

探索経験者や読者歴が長い人なら、もうみんな知ってるだろうけど、


……白いのは、だいたいやばいんだって……。




あ〜…

この先、かなり荒れてるなぁ。

幸い、河床には広めの河原が見えるから、降りられれば、進めそうではあるけれど…。

どうしようかな〜。降りるなら早いほうが良さそうだけど、このまま突破できるなら、その方が早いしなぁ。

私はジレンマを抱えながら、踏むたびにカラカラと音を立てて崩れる真新しい崩壊斜面を進んでいた。

なお、そろそろ“アレ”が近いだろうことは、一応頭の中にあった。





アレキターー!


諸之沢停車場手前の本流に架かる橋梁の
健在を確認!!!

伝統美際立つ、大型プレートガーダー(PG)だ!!

はじめさん、やったぞー。




橋は健在!

でも、

直前が、ゲロ そう……。




栃沢(軌道終点)まで あと.2km

柴沢(牛馬道終点)まで あと14.6km