道路レポート 国道229号旧道 蝦夷親不知 第1回

所在地 北海道せたな町
探索日 2018.04.27
公開日 2020.08.05

右図は北海道のある地点の道路地図(2019年版のスーパーマップルデジタル)のスナップショットだ。
国道229号が海岸線を走っており、途中に虻羅トンネルがある。
トンネルが貫いている海岸線に、小さな文字で二つの地名が書かれていることに注目。

“クズレ”

“蝦夷親不知”

なんだこの慎みのない地名!

前者はあまりにも直情で、一秒たりとも噛みしめる余裕を与えない。「クズレ」ってなんだよ! しかも漢字は忘れたのかよ。中学生じゃねーんだぞ。
後者は今度は節操がなさ過ぎる! その地名は十中八九あの北陸道の有名な難所のパクりだよね? それに蝦夷を足しただけって……。

……この二つの地名から読み取れることは、たったひとつ。

険阻。

それ以外の印象はない。もし観光名所なら少しは地名にも風流が滲むものだが、その余裕を感じない。

また、この地図に虻羅トンネルの旧道は描かれていないが、あったことは確定している(後述)。



《周辺図(マピオン)》

ここを訪れたのは、2018年4月に行った自身初の北海道遠征の5日目(最終日)だった。
この時の探索は、5日間のほぼ全てを国道229号(小樽〜江差)の旧道群に捧げており、どの探索でも海は近くにあり、険しい崖があり、廃隧道があった。
同じような探索ばかり5日も続けるとか、端から見れば修行僧のように思えるかも知れないが、実際の印象では、それぞれにみな違っていて、とても飽きする余裕はなかった。
既に紹介済みの尾花岬藻岩岬雷電岬などのレポートを読み比べていただければ、そのことは分かるはずだ。

この探索は、藻岩岬の探索を終えて尾花岬へ移動する途中に行った。
5日を捧げても沿岸の全ての旧道を走破する時間はなく、計画段階での取捨選択があったのだが、ここは優先順位が高かった。
なんとしても、「クズレ」や「蝦夷親不知」の地名のリアルを見なければならないという思いがあった。
そのため、珍しく読者様からの情報提供によらない、完全に自己の中にきっかけを持った探索でもあった。




大正6(1917)年の地形図を見ると、虻羅トンネル開通以前の道路(府縣道の記号)が海岸線を通っている姿がはっきり描かれていた。

傍らには既に、“クズレ”の文字も。 なかなか歴史ある、“クズレ”である……。

なお、よく見ると私が“青ピン”を付けた地点の南北で道の描かれ方が変化している。
いずれも府県道であることは変わらないが、北側は片破線であるから、「荷車を通ぜざる府縣道」ということを意味している。
そのため、ここにあるのは私が一番好きな車道廃道ではなく、この図の北側にある藻岩岬旧道のような徒歩道の可能性を疑いたくなるところだが、多分ここにはちゃんと車道の旧国道があるはずだ。

なぜなら、現道の虻羅トンネル(全長1065m)の竣工年を『平成16年度道路施設現況調査』で調べると、昭和47(1972)年竣工という数字が出ているのである。
さすがにそんな遅くまで車道が通じていなかったとは思えない。
この北側には須築の他にも美谷(びや)というそこそこ大きな集落もあることだし。


チェンジ後の地図は最新の地理院地図だが、スーパーマップル同様、旧道は描かれていない。
しかし、わざわざ2列に表現された崖の記号が、それらに挟まれた位置にかつて道の記号があった名残を留めてしまっているのである。
間違いなく、古い版ではここに旧道が描かれていたと思う。(そのことは後の机上調査で確かめる)


……あと、完全に表記が消えているという点に嫌な予感は当然あった。間もなく現地の景色を見たら、みんな腰抜かすぞ……。




衝撃! 虻羅から見た“蝦夷親不知”



2018/4/27 12:40 《現在地》

これは、せたな町瀬棚区元浦の国道229号より眺めた北方の海岸風景だ。

北海道らしいゆったり幅員の国道が、北海道らしいカラフルな漁村に吸い込まれていくが、

その背景には、まったくもって北海道らしい、おそろしく北海道な垂壁の海岸線が見えてしまっている。

手前の集落は、虻羅(あぶら)。奥の断崖絶壁が、

蝦夷親不知 = クズレ である。

よく見ると、集落の端のあたりに国道の大きなトンネルも見えるな。あの先が旧道の在処ということだ。



望遠で覗いてみるぞ、その旧道の在処。





すごいという言葉しかでない。

この5日間で見た崖の中でも、垂直な部分が一番高いと思う。

際立って、高い。

高すぎる。


そこにある、旧道の残骸らしきロックシェッドがミニチュアにしか見えないが、

あれ、歩道じゃないんだよね……? つうか、あんなの有っても、あの高さじゃ気休めすぎるだろ…。





↓↓↓この画像はスクロール出来ます↓↓↓
↑↑↑この画像はスクロール出来ます↑↑↑

これは、自転車無理だな。(一秒未満で悟る私)


まあ、人体だけなら、どうにかなるだろう。

垂崖がそのまま海面に触れてはいないようだしな…。



やるぞ!






12:47 《現在地》

虻羅集落にある漁港の駐車場に車を止め、自転車に跨がって出発した。
今回の探索対象は自転車ごと攻略出来ないと確信したので、あくまでも旧道突入までの移動で楽をするための自転車だ。

出発から間もなく虻羅トンネルの南口に着いた。
絵に描いたような“旧道分岐”があって私を誘ったが、ここは頑としてスルー。
反対側から攻略したい所存である(そうすると脱出直後に車に着けて楽)。

入口から見る旧道は平凡で、通行止めとも書かれていない。
それに、都会で見るような道路通称名の標識があって、「虻羅港線」と書かれている。
だが、奥の方は建物で遮られている予感がする。
もしや…、通行止め云々が全くない、その代わりに道自体がなかったことにされているパターンか。(いちばんこえーやつだ)

そして相変わらず背後の“クズレ”の崖の鋭さが、異様だった。
手前の平凡な風景との整合が脳内で阻害されている。へんな気持ち。



これは思い込みかもしれないが、なんかこのトンネルまで禍々しく見えてくる。

いや、特に変わったデザインではないよ。ある時期の北海道開発局の典型的なデザインをしている。
ただ、昭和40年代のトンネルなんだから不自然ではないんだけど、そのデザインも、微妙に小さな断面も、やはり古ぼけていて…、この古ぼけたトンネルの旧道というだけで死臭がするんだよな。

ぶっちゃけ、アレを思い出したんだよな…。長野県の国道148号外沢トンネル旧道を…。あそこも昭和40年代に1kmオーバーのトンネルが整備されたところで、その旧道探索は、「旧国道」とは思えないほど熾烈を極めたんだ…、一部断念しているしな。

トラウマは言い過ぎだけど、過去の困難な探索を彷彿とさせた虻羅トンネル南口だった。




トンネル銘板をチェック。

虻羅トンネル、昭和47(1972)年12月竣工、全長1065m、幅員6.5m。

道内では、この時期のトンネルは既に半分以上が旧道化し、さらに廃止されて封鎖されていると思われる。
理由は再び述べないが、これまでの北海道関係のレポートの大半に関わっている安全上の理由がある。
虻羅トンネルも厳しい検査を受けているはずで、それを無事に潜り抜けたから存命しているのだろう。




入って1mも行かないところに非常電話があった。
別にそれは変なことではないが、そこにあった表示板の内容を少し面白く感じた。

「あなたが使用している電話の位置は」
「島牧側入口から1063mの位置です。」

万が一の事故を通報する際の便利を考えて、わざわざこうやって書いてくれているのはとても親切だが、この位置だったら「せたな側坑口です」で済みそうな気がするのは私だけではないだろう。




トンネル内にはこれといって古さを感じる要素もなく、安心して通行出来た。
微妙にカーブしていて中ほどに来るまで出口を見通せなかったが、勾配はほとんどなく、自転車にも優しい。
1065mという長さが最大の懸念点だ。
トンネルの通過は全く問題ないが、この長さに対応する廃道となると、200mや500mのトンネルに対応する廃道よりも単純に恐ろしさは倍増する。途中に逃げ場がないのだから。

中央付近だったと思うが、鉄道トンネルの大型待避坑みたいな横坑があった。
奥行きは僅かだったが、なんのためにあるのか謎だ。
もっと大きければ車両転回所と考えるが、車が入るには少し小さいし、しかも縁石があって車道とは繋がっていない。
埋め戻された横坑だったりしたらアチいが、果たして。





12:54 《現在地》

自転車での虻羅トンネル通過に約5分を要し、もう着いちゃった。北側坑口。

やはり海っぺりに口を開けているようだが、旧道分岐はどうなっている?

それだけが気になる。





美しいと思った。

可愛らしい隧道が、少しの険しさの向こう側に貫通しているのが見えて、やはり私を誘っていた。

ふらふらっと…

足を踏み入れそうな風景だった。



この誘いが“クズレ”の罠であることは百パーセント承知しているが、

それでも心から望んで突入すると何を見ることが出来るのかを、

次回から、どうぞ。