道路レポート 塩那道路工事用道路 第2回

公開日 2015.5.30
探索日 2011.9.28
所在地 栃木県日光市〜那須塩原市

男鹿川林道白滝沢支線をゆく


2011/9/28 6:48

出発から1時間13分で6.3kmを前進し、早くも横川と塩那道路の間の中間地点に迫ろうとしている。

この調子だったら、もう2時間後には塩那道路に辿りついていたりして?
そうしたら、もう塩那道路に対する遙かな遠地という印象は根底から覆りそうだ。

でも、多分だけど、そんなに甘くは無い気がする。
この先の道がどうなっているかの情報は無いけれど、一つだけ確かなのは、既に道のりの半分近くを来ている現在地の標高が920m程度だということ。まだスタート地点から見て70mくらいしか上れていないから、塩那道路との高低差は800mも残っている。

ここって実はまだ、スタート地点なんじゃねーか? という気が…。



そして、今から私が進むべき道、
男鹿山林道白滝沢支線の入口がこれ↑。



今までの道とは、まるっきりオーラが違う気がした。



この風景は、きっと今日の探索の中でも重要なものだろうと思う。

なにせ地図を見る限り、もうこの先に分岐する道は無く、ひたすら一本道で塩那道路に達するようである。
ここはまだ工事用道路として建設された区間ではなく、それ以前から存在していた林道のようだけれど、工事用道路を利用して塩那道路へ出入りした全ての車両が、この入口を通ったに違いないのだ。それは今から40〜50年も昔だが、間違いないはずなのだ。

施錠されたチェーンゲートには、「関係者以外立入禁止」のフラッグが取り付けられていた。しかしこれも塩那道路絡みではないだろう。ここはまだ林道だし。左にも錆び付いた看板が立っているが、単に山火事注意とか書いてあるだけだった。

これまでの全ての行程を振り返って見ても、塩那道路に結び付くようなものは何も見あたらない。
そのことは、やはり不気味だった。
単純ではあるが、本当に繋がっているのかという不安を抱かせるには、これが一番効果的な手だと思った。策士だな。



ロープゲートの脇を自転車を押しながら突破すると、目の前には今までの道とはまるで別次元の上り坂。

ようやく始まったんだな。

そんな感慨をもった。

でも、この登りは勇気の湧いてくる登りだ。
こうして1メートル、1メートルを目に見えるような勢いで上っていけば、800mにもいずれ辿り着けるはず。
どうせ避けられない登りなら、目にはしっかり見えていた方がいい。元気なうちは、特にそうだと思う。




胸一杯に朝の空気を吸い込んで、いよいよ私のエンジンが本格始動を始めた事を感じていた。

6年前のあの日にも、やはり日が昇る前から走っていた。
ゆーじさんという心強い味方と一緒に、塩那絶頂1700mの世界を目指していた。

今日は一人きりというのは少しばかり淋しいが、この坂道の先に待ち受ける世界の輝かしさを夢見ながら、積極的に汗を掻きに行くペースでガツガツ上る。

そして、初めて目の前に降り注いだ今日の日光。
目に映る全てが私のチャレンジを祝福している。
間違いなくそんな気分だった。




そして明るい光の元へ出ると、当分は見る事が無いだろうと思っていた塩那道路の通る稜線を、路肩ぎりぎりからの極めて限られたアングルではあったが、再び見る事が出来た。

逆光が極めて強く、仮に道形があってもまず見えなかったろうし、厳密に言えば同じ稜線ではあっても、今見えている辺りは塩那道路が稜線の向こう側を通っているので、やはり見えるはずがなかったのだが、それでも目指すべき高みを実見していることに興奮した。

見えている高みのほぼ全てが下になるまで、私の登りは終わらない。

それは脅迫的な事実ではあったが、同時に、とてもスッキリとした気持ちの良い目標でもあった。登山者の気持ちに近いかも知れない。

……な〜んて、良い気持ちになっているところ、申し訳ありませんが……



↓↓


道が怖いッス!

元々はちゃんとした路肩に擁壁のある道だった痕跡があるのだが、
度重なる土砂崩れを前に、何を思ったか、本来の道形を復旧させることなく、
雪崩のような土砂の斜面に、無理矢理軽トラ1台分だけの轍が切り開かれていた。

そこまでしてここを通りたい軽トラユーザーの目標は、なんだ?!
ここに轍を刻んだ軽トラは、マジで命知らずだぜぇ〜!




…というような、ちょっとしたアトラクションがありはしたが…

危険箇所はそこだけで、またしっとりとした森の中へ道は帰った。

とはいえ、相変わらず顎が上がる急坂が続いている。
同じ男鹿山林道の名前を冠しているのに、支線と本線とでは全く違った様相だ。
支線は工事用道路だからと結論付けられれば楽なのだが、前にも書いたとおり、この辺りは昭和33年の地形図にだって既に車道として描かれているから、そんなことはないはずだ。

ただ急坂だというだけでなく、つづら折りのような良い意味で気分を紛らわせてくれるカーブがなく、この写真が最たるものなのだが、ずっと先の方まで登りが見通せるのが地味にきつかった。あと、決して路面状況がよろしくはなく、砂利に混じって落石らしき少し大きめの石がちょくちょく転がっている。頑張って自転車の後輪を漕ぎ進めても、そのうちの何分の1かは空転に費やされるのが、これまたきつかった。



そんな息の上がる長い急坂道の途中で、路面に埋め込まれた木材の列を発見した。

…枕木?

ほとんど条件反射的にそう考えてしまうが、林鉄の枕木とは少し様相が異なるようだ。
感覚が少し広いような気がするのと、上面が平でないように見える。それこそ丸太をそのまま埋め込んだような感じだ。

掘り返してちゃんと確認したわけではないので断定はしないが、この道の勾配と照らしてもこれは林鉄の枕木ではなく、レールの敷かれていない枕木の道…いわゆる木馬道(きんまみち)の名残ではないか。或いは単に林道の路盤を補強するために木材を埋めた可能性もある(こうした事は一般の林道よりも低規格で短期間利用の「作業道」等は良く見られる)。雰囲気としては、後者の可能性が高いかなーという感じ。




7:00 (出発から1時間38分) 《現在地》

10分ほど急坂を上っていくと、少しだけ勾配が緩まり、そこに道を二手に分ける広場があった。
地図には無い分岐だが、正面の道が白滝沢支線の続きである。
左は、入口に立って先を覗いたら、すぐに行き先が分かった。
そこにあったのはワサビ田だった。
ちゃんと現役で収穫されているワサビ田で、ここへ至る道の崩落が直されていたのも頷ける。
あの無理矢理な修繕に関わったと思しき重機も見えた。

脇道の正体がわかったところで、3分ほど立ち止まってクールダウン。
現在地の標高は970mほどで、やっと大台が近付いてきた。はっきり言って、息切れするにはまだ早いのだが、肉体は精神だけで稼動するものではない、肉体には肉体の化学的作用があるので、この息切れはどうしょうもないのである。 



その後、矢継ぎ早に何度かワサビ田へ降りる分岐を見送って行くと、ワサビ田を潤しているその沢を、林道が跨いでいた。
地図を見ると、この沢というのは塩那道路の最高地点である鹿又岳(1817m)の山頂付近から駆け下っているもので、まさに塩那道路の路肩を源流とする流れであった。
この沢をどこまでもよじ登っていっても、塩那道路には辿り着けるのであろう。

そしてここに架かっていたのが、時代錯誤の木橋だった。
しかも、木橋とそれに続く短い築堤部分の道幅が、異常に狭い。

理由ははっきりしていて、元々は築堤の両側にコンクリート擁壁があったようなのだが、その片側が崩れ落ちてしまっていた。
そのため軽トラぎりぎりの幅に道が狭まったところで、築堤に連なる木橋も、「だったら軽トラ幅で良いよね」という感じに、幅を切り詰められた気配だった。

木橋であること&あまりの狭さで、慣れた軽トラドライバーでさえあまり通りたくないのか、すぐ上流を渡渉する洗い越しが別に設けられていたのだが、そちらはそちらで流木の巣と化しており、通行不可能。
写真にも写っているが、ここ数日以内に付けられたと思しき軽トラのタイヤ痕が路肩すれすれに刻まれていて、怖かった。



振り返り見る木橋部分。
下に見えるコンクリート製の橋台よりも、現在架かっている木造桁の幅が少し狭い。

おそらくだが、年代的にはここへ来る途中の尾ヶ倉沢で見た廃木橋と同じであろう。
尾ヶ倉橋の現在のコンクリート橋が昭和45年の竣工だったので、それよりも一世代は古いと考えられる。

しかし尾ヶ倉沢でも思ったことだが、塩那道路の工事が盛んに行われていた昭和39年から昭和46年頃までに、この道が工事用道路として本当に活躍していたとしたら、このような木橋がその任務に当たっていたのであろうか。
工事用道路と言えば、巨大な重機などが通行するイメージがあるのだが…。

この謎の解明は、どうやら帰宅後の宿題になりそうだった。



木橋を渡ると、間もなく掘り割りが現れた。
カーブした短い掘り割りだが、通りぬけた後で振り返ってみると、私が通った掘り割りのすぐ横に、もう一つ別の掘り割りがあることに気付いた。

しかも、その掘り割りへ通じる、苔生した石垣がある。
自転車を止めて、ちょっと寄り道。




う〜〜ん、だいぶ古そうな掘り割り跡ですね〜。
でも、正体は分かりませ〜ん。
掘り割り見ただけで正体分かるなら、エスパーでしょ。

しかし、ほとんど両側の斜面が安息角に落ち着いていることからみて、放置されてから半世紀は経っている気がする。
そしてこの掘り割りとセットで石垣があるというのもポイントで、ただの木こり道ではあり得ないと思う。
また、現在の道がわざわざカーブの内側に掘り割りをつくり直しているというのも気になる。
「木橋と石垣と古い掘り割り」からなる旧道世代と、「コンクリート橋とコンクリート擁壁と新しい掘り割り」からなる新道世代とが、混在していることを感じる。



7:18 (出発から1時間56分) 《現在地》

来たかも…。

出発から2時間で8kmを前進し、支線の入口から1.3kmばかり来た地点の標高1020m付近。

ここで今日はじめて、先行きに現実的な不安を感じる光景に遭遇。
現れたのは、地形図には無い広場と分岐。
先ほども見た光景に似ていたが、林道の続きと見られる直進の道は、見るからに…廃道だった。

もとより、塩那道路まで自転車に乗っていけるとは思っていなかった。どこかで廃道が始まり、自転車から引きずり降ろされるつもりだった。
だが、現在地はまだ少しだけ「早い」。ここは現在の地形図にも普通に車道として描かれている区間であり、その末端には700mばかり足りない。ここまでがとても順調であっただけに、急な変化に面を食らった気分だ。



どよーーん…

そんな薄暗い擬音を付けたくなる、これはかなり心掻き乱す光景だった。

地形図では平然と描かれている直進の道は、もう10年どころではない以前から、

完全に車両の往来を跡絶えさせているに違いないと思われた。

そして、少し前に古ぼけた掘り割りで見かけた石垣が ここにも…

………。



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私はここでしばし悩んだ。
時間としては5分くらいだが、悩んでいた。

そして結局、目の前にある廃道には向かわず、今も轍が続いている左の道を選んだ。
その行き先には、おそらくまたワサビ田があるのだろう。
別にワサビに用はないが、少しでも奥まで自転車で進める可能性に賭けた。

一度自転車を置き去りにしてしまったら、その後でどれだけ自転車が恋しくなる道に出会っても、もうお仕舞いだ。
それに、ほんの1%の可能性だとしても、工事用道路を自転車で走破する可能性を、まだ投げ捨てたくなかった。
また、浪漫だけでなく現実的な意義もあった。帰路も同じ道を通る以上、自転車を少しでも奥へ進めた方が、下り坂の帰路が楽になるのだ。

そういった事を考えた末、白滝沢支線を一旦見棄て、ワサビ田の作業道に活路を見出すことにした。


実質的にワサビ田の門戸として機能している、豪快な白滝沢の洗い越し。

今は平時の水量だと思うが、美味しいワサビを育てる鮮烈な水が、自転車の車輪の半径を沈めるほどの深さで流れていた。

うっかり途中で漕ぎ足を止めたら、両足を水に濡らす畏れが高いから、真剣に、かつ慎重にここを乗り切った。
(私の足回りは、履き慣れたゴム長靴だったけどね)

沢を渡るとワサビ田が広がっており、今日は人の気配はなかったが、軽トラや作業機械なんかも置かれていた。
私はGPSで現在地と進行方向を確かめながら、白滝沢を遡る作業路に期待を託して進んでいく。

そして…




道、ついに跡絶える。

どうやら私の“ワサビ田作戦”は、大して意味のない足掻きに終わってしまったようだ。
現在地は白滝沢の谷底で、ワサビ田が尽きたこれより上流に、道は通じていない。

地形的には険しくないので歩いて進む事は出来るが、そこに自転車を持ち込むのは無謀だろう。

…どうやら、もう引き延ばせないな。
覚悟を決めて、塩那道路工事用道路との自転車抜きでの一対一のバトルに、望まねばならないようだ。





地形図を見る限り、この斜面の上部にあるはずの、先ほど一度見送った廃道の続きへ行ってみよう。

私がワサビ田でサボっている間に、だいぶ林道との高低差が出てしまったようで、ここからは道形が見えないが、しばらく上っていけば出会えるに違いない。

どうせ自転車を使えないのなら、なんの脈絡もない谷を歩いていくより、ちゃんと道を辿って行きたいと思う。




さらばだ、我が相棒!

な〜に心配するな。
無事に目的を果たして、今から半日後くらいには、また跨がってやるぜぇえええ!


……それじゃ、手近な斜面に取り付いて……

行ってきます!!





――6分後――









廃道バトル、開幕。

塩那道路まで あと2km