道路レポート 塩那道路工事用道路 第3回

公開日 2015.5.31
探索日 2011.9.28
所在地 栃木県日光市〜那須塩原市

工事用道路区間への突入!


2011/9/28 7:36

現在地は標高1050m付近である。
塩那道路との残る高低差は650mほど。
まだ工事用道路として建設された区間ではなく、男鹿山林道白滝沢支線の途中だが、地図上での終点はもう間近に迫っている。
いよいよ、6年前に塩那道路側からわずか100mほど辿ってみたきりであった“工事用道路”に、本格的な踏破の機会が訪れようとしている…!

ただそれだけのことなのに、私の中では大きな興奮が湧き上がってくるのだった。



自転車による工事用道路踏破という望みを繋げたかった私による、ワサビ田への些か無計画な迂回は、直線距離にして150mほど塩那道路側に自転車を押し進めはしたものの、それ以上の成果を上げ得なかった。

私は谷底のワサビ田の端に自転車を置き去る決断を下しし、そこから道無き斜面をよじ登って本来の林道へ復帰した。
この迂回により林道の途中区間300mほどをショートカットしてしまったから、そこは帰り道に確かめる事にしようと思う。
今は引き返してのチェックはしない。先へ進む時間が惜しい。

そんなわけで約15分ぶりに立つ白滝沢支線の路盤であったが、そこは完全なる廃道であった。
整然とした玉石の石垣は美しかったが、大量の瓦礫が満遍なく降り積もった路面は、廃道として過ごした時間の長さを物語っていた。

地形図には現在も車道として描かれている道が、これほど荒れているとは思わなかった。
工事用道路に入る前から、廃道を歩かねばならないことになった。
その距離自体は大したものではないと思うが、この時点で、工事用道路がスタートから廃道であることが確定したのである。
それこそが私に突きつけられた厳しい現実だった。



立派な石垣に導かれるようにして、今日はじめての廃道歩きを新鮮な気分で開始すると、幾らも行かないうちに石垣は跡絶えていた。
しかし道は鮮明に続いており、道を見失うおそれはまるでなかった。

そんななか、私は遂に見つけるのだった。

それは、私が今まで見た憶えのないものだった。

或いは、見ていても印象に残らなかっただけなのかも知れないが……、

それでも、この場所にあることの不自然さだけは、納得して貰えると思う。

ソレハナニカ?

矢印の部分に、あった。



これ、分かります?

見慣れないものなんで、正式名とかは分からないのだが、機能としては石垣代わりの土留めである。
斜面を45度くらいの角度に均して、そこに格子状に組んだ金属板を埋め込み、さらに粒の揃った石材(現地調達だろう)で埋め立てたような形をしている。
直前の石垣とは明らかに年代が違うものに見えるし、道路の法面の施工法としても見慣れないものだった。

そしてこの、「林道とは年代が違う」と「見慣れない」という2つの違和感の根拠を、自衛隊の施工によるものだからではないか
というところに求めようとした。
自衛隊が行う法面の施工法なんて、私も詳しくないので分からないが、この見慣れない構造物の作り手はいったい誰なんだろう…。

これは、単なる林道とは違う工事用道路との関わりを強く疑わせる、最初の発見であった。



見慣れぬものとの遭遇を、歩き慣れない工事用道路と即座に結びつけようとする私は、些か先走りすぎていたかも知れない。

しかし私の暴走とも言えるような興奮は、これでますます大きくなった。

ぶっちゃけ冷静になって考えれば、この白滝沢支線という林道自体がそんな特別に面白いすごい廃道だとは思わない。
思わないのだが、しかしその先に待ち受けているものが、私の中で別格過ぎる。
それゆえ、この廃道を突き進む一歩ごとに得られる興奮は、行き止まりの廃林道などとは全く違うことをご理解いただきたい。

法面を観察しながら進んでいくと、久々に大陽の光が気持ちよく射し込んでいる場所が現れた。
左には白滝沢の支流が、間もなく林道に追いつく勢いで迫ってきた。

そして、最新の地形図における道の“終点”が、遂に迫ってきた!



とうに役目を終えていた道であったとはいえ、私の訪問を待たず、最近10年の間に地形図から抹消されてしまった工事用道路。

間もなく現れるだろう白滝沢の支流を渡るところから、その抹消区間が始まるのだ。

“抹消区間”と、“工事用道路”が、ぴったり一致していたという根拠は無いが、

大きく離れてはいなかっただろう。ちなみに昭和33年地形図での終点もこの辺だ。




さあ、いよいよ運命の“終点”だ。

廃道という心眼を有する私にとっては通過地点でしかない、塩那を隠す“偽りの終点”。



あれは!!




7:52 (出発から2時間30分) 《現在地》

木橋っ!!

架かったままの車道用廃木橋を発見!!

これは思わぬ収穫だった。

確かにここまでにも何か所か木橋の残骸を見ており、この道の旧道世代が木橋を用いていたことを理解していた。
だから、先ほどから旧道世代の構造物と見られていた石垣が大々的に現れ、現道世代のコンクリート擁壁が見えなくなったことで、もし今後また橋が現れるならば、それはコンクリート橋ではなく、木橋ではないだろうかという予測はあった。
しかし、架かったまま残っていることまでは予想しなかった。

昭和40年頃までは、林道と言えば日本中どこでも木橋が標準であったらしいが、今ではほとんどの林道で架け替えられ、或いは流失してしまった。

そんな中、白滝沢の支流を跨ぐこの木橋はほぼ完全な形を今も留め、規模こそ2径間とさほどではないが、周辺の風景との調和がとかく素晴らしかった。



白滝沢支流の清冽な流れが常時洗い続ける木造橋脚が奇蹟的にも洪水や流木によって壊されていないために、橋はまだ立派に架かっている。
踏み板もだいぶ腐朽しているようだが、まだ保ちそうだった。

しかし、橋そのものの頑張りに対し、左岸側橋頭部の路盤は敢えなく流失しており、本来は橋台の前面として川に接していた木造の壁が、まるでもう1本の橋脚のように橋の端部を支えている。
この部分の強度が将来的には大いに心配であるが、心配してどうにかなるものではないのも承知している。

それにしても、ここに木橋だけが架かっていたことは、この工事用道路の性格を考える上で、重要なヒントかも知れない。
この木橋はあくまで林道用のもので、塩那道路の工事期間中は自衛隊が別に頑丈な仮設橋を用いていたという可能性もゼロではないが、そうでない限りは、工事用道路とは、この木橋を通行できる車だけが往来するものであったことになる。

そういえば塩那道路には、塩原側から20km(板室側から30km)という中枢部の一角に、「ヘリポート入口」と呼ばれる地点があった。
このことからも、塩那道路では重機など大型の建設機械についても、自衛隊が空輸によって持ち込んでいた可能性があり、工事用道路は人員輸送などの軽輸送に目的を限定したものであった可能性が高いと私は考えている。



木橋を渡り、現行地形図の表記抹消区間に立ち入ると、これまでの区間と廃止された時期が異なっているかは定かでないが、路上の緑がさらに濃くなった気がした。
そして、いくらかだが、空が近くなったようにも感じる。
もう、今までの谷底ではない雰囲気だ。
かといって高所のような見晴らしは皆無だし、尾根筋でも全然無いのだが、標高1100mという数字に応じた空の近さと言うべきか。
気分的なものもあろうが。

それはさておき、肝心なことはやはり道路である。
ここで道が消えていたら一大事だったが、大丈夫そうだ。
平成17年までの地形図には描かれていた“破線の道”をなぞるように、ちゃんと続いていた。

この辺りは、もしかしたら工事用道路の起点だったかもしれない場所でもあるだけに、広場や分岐の存在などに注意しながら慎重に緑を踏みしめた。



う〜〜ん。

この辺の広場っぽいところなんて、工事用絡みの飯場とか、そういう施設が置かれていたかも知れないな…。

しかし、どんな民間の事業者よりも「立つ鳥跡を“徹底的に”濁さずな」自衛隊の工事部隊であるから、何かが残っている期待は持てないであろう。
それこそ道路の土留めとか、そういう道の構造と関わりがあるものならばいざ知らず、飯場の建物であるとか、廃材であるとか、そんなものを国有林に置き捨てていくはずがなかった。
それは私が今まで、ほかの場所で自衛隊が工事した道を見てきた中でも感じてきたことであった。彼らが跡に残していくのは、いつだって注文通りに作り上げられた見事な道路だけだったから。
(良く見られる記念碑とかも、彼らが自らの「訓練」を顕彰するために残すはずがないことは明らかだ。彼らにとって自治体から依頼を受けて行う土木工事全般は「受託土木工事」といい、施設科部隊などの訓練の一環でしかないのだから。)





そして、「本当に」始まったようだ。


この日、塩那道路工事用道路で撮影した多くの動画の1番目を、ご覧下さい。

↓↓↓


まさに塩那の水湧きいずるところといった感じの場所だ。山全体から水が湧き出していた。
稜線を独り占めする塩那道路からは決して見えない、その根本を支える山脚に私は立っている。
そしてこれから、この膨大な湧水の最初の一滴を極める登攀が始まるのである。

ちなみに、今回の探索は行程の特性上、水不足には特に要警戒だった。
沢筋を離れるこれ以降は、もう次にどこで水を補給できるか分からないのである。
少なくとも、塩那道路の稜線上の区間には水を補給できそうな場所は無かった。
そのため、9月という暑い時期であることも踏まえ、私は少々過剰とも思える
4リットルもの飲用水を予め準備していたのである(これはキツイ重さだった)。
しかも、ここまでの僅かな減少分をこの湧き水で補うという用心深さまで見せたのだった。



それにしても、ここはもう本当に工事用道路の区間に入っているのだろうか。
目の前の斜面になっている部分は、元々こんなになだらかでも広くもなかったと思う。
本来の道はといえば、左のもの凄い笹藪になっている部分だったと思われるのだが、

……そこは見るからに、きつい状況……。


あの猛烈な笹藪が、やがては私の前にも迂回不能な状況で現れるのだろうか。

その可能性は高いだろうと思う。もちろん、ある程度は覚悟しているから乗り越えるだろう。

でも、もしずっとだったら……。 それは、あまり考えたくないことだった。




8:00 (出発から2時間38分) 《現在地》

本日最初の九十九折りのカーブに到着。

この豪快に掘り穿たれたカーブは、工事用道路という言葉のイメージに相応しいものだった。

これから先いくつも重ねながら高度を稼ぎ出す九十九折り、その最初のカーブだ。


ここまで来たら、あとは

ひたすら上るだけ!


塩那道路まで あと6km