塔のへつり の廃道 (前編)

公開日 2008.8. 2
探索日 2008.7.29

 天然と人工の狭間で…

 大きな橋から始まる小径


2008/7/29 9:57 《現在地》

ここは福島県南会津郡下郷町の一角で、大川(阿賀川)の西側にいくつかの集落を束ねる白岩地区だ。

写っている赤い橋は「塔のへつり橋」。
「えっ? つり橋? これって吊り橋じゃないよね?」

いえいえ。
“塔のへつり”で一つの地名。
この辺りではかなり名前の知れた、岩と水の織りなす景勝地である。
橋が渡る大川の500mほど上流にそれはある。
ちなみにこの道自体は下郷町の町道だ。

で、右に下っていく細い路。
気になるすべ?
分岐に何の案内も無いところを見るに、この立派な橋の旧橋にでも繋がっていそうだ。
そう思ったので、歩きで見に行ってみることにした。




あれれ?
こんなトコロに一軒家が。

道は、ちょっと無理やりなカーブを重ねながら、一気にその庭先へと下って行くではないか。


これは… 旧道とは関係ないのか?

もう少し行ってみる。




一軒家への道を無理やり右に分かち、なお小径は続いていた。

しかし、「塔のへつり橋」の下へ潜り込んだところで呆気なく未舗装に。

河床まで下りるような雰囲気である。

旧橋があるのか?
はたまた、別の旧道か??
地図にない道の出現に、私の暴れん坊な“あれ”好奇心がむくむくと起ち上がってきた。





小径は橋をくぐると、当初の予想に反して大川の縁を遡りはじめた。

傍らには、規模こそ小さいが、明らかに人為的に削り取られた岩の法面がある。
それによって存在することを許された、狭いけれど平らな路面がある。

そしてこの法面には、道の正体に繋がるかも知れない発見があった。





それは、小さな石の祠と、丸っこい自然石に「白湯山」とだけ彫られた野仏だった。

石祠には、後付けらしいトタンの粗末な屋根が乗せられている。
白湯山というのは、この場所から直線距離にして16kmほど南に離れた那須の山中にある天然の霊場で、江戸時代には盛んに参拝されていた。
しかし、現在ではほとんど忘れ去られており、登山者が稀に通るような場所であるらしい。

だが、そんな真面目な発見のすぐ上に、ビンビン気になるものが…!




  これって…

て ん ぐ

  だよね。


かつて廃道で「おかめ」を見た時点で、「もしかしたらいつかは…」と思ってはいたが、本当に遭遇しようとは。
“彫り”ではなく、墨入れだけのようだが。

ちなみに、天狗が山神として崇められるケースは全国各地で見られるが、白湯山で特に盛んであったという話は聞かない。また、「天地人」という“お題目”も、私は寡聞にして知らない。




いかつい天狗面に威嚇されながら、川縁の道へ進む。

路幅は車も通れるくらいあるが、轍は残っていない。
ただ、ごく最近に刈り払われた痕跡がある。
お陰さまで、深い笹藪とススキ藪の合間の一本道を難なく進むことが出来る。
ススキ藪の部分はどうやらかつての水田跡のようだ。




廃田を過ぎると、今度は左に桑畑、右は杉林になった。

人の営為が濃厚に残る道だが、現在進行形であるのは刈り払いの痕跡のみだ。
手入れされず雑林と化した桑畑は、いつ見ても気持ちが悪い。

どうもこの道は「橋の旧道」ではないようだ。
大川はずっと右に並行したままだ。




入口から300mほど進むと、遂に刈り払いが力尽き、「廃道」になった。

それまでの刈り払いが何であったのかを問いたくなるような、何の脈絡もない廃道化だ。
突然、一筋の踏み跡さえ無くなったのだ。
ただ、依然として幅2mほどの鮮明な道形が続いているのだった。

静かな森だった。




静かな森だが、予兆は既に始まっていた。

この後に訪れる、ある鮮烈な場面の予兆だ。


手元には地図があり、また私にはそこそこの土地勘もある。
私はここに至り、「この道がどこへ通じているのか」という当初の問について、もはや選択の余地がないことを感じ始めていた。


 塔のへつり。

どうやらこの道は、塔のへつりに繋がっているようなのだ。

私が知っている写真の中の塔のへつりに、この道を受け入れる余地はない。
だが、長い東北生活のなかで「かつて塔のへつりには道があった」というウワサを耳にしたことはあった。
もしや、これがその道なのでは……。




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 天然? 人工? 現れだした「へつりの道」


10:33

入口から約400m。
右図で示したあたりまで深く潜入している。

景勝地「塔のへつり」は、もはや目と鼻の先であると思われる。

先ほどの奇岩が現れたあたりからは、左山右谷の状況はいよいよ際立ちはじめ、路幅2mだけを残して平坦地は失われた。
今はまだ川面をブラインドしている林も、遠からず引きはがされるに違いない。
その時に、果たして私の進路は確保されているのだろうか。


観光地としての風景だけはなまじ知っているだけに、よけい不安が大きい。
というか、嫌な予感しかしない。

しかも、ここで行く手に、今までの風景とは不釣り合いな金属製の遺物が現れた。




ガードレールの支柱のような二本の金属のポール。

倒れているし、あたりに看板もナニも見当たらないが、その主張するところは痛いほど伝わってくる。

道の真ん中に、二本の金属のポールが倒れているのだ。

「封鎖」 であるに決まってる。


見なかったフリをするのには慣れているが、自分の心にまでは嘘をつけない。
いよいよ、デンジャーゾーンに入るというのか。
「塔のへつり」を知らなければ、こんなに臆病になることもなかっただろうに…。
私にとっては、苦しい展開。

ともかくこれは、この道がかつて遊歩道の一部であった可能性を示唆する発見といえる。





 NO エスケープ!


これから、相当の危険が予想される場面へ踏み込むとき、私の脳内に発令される、仮想のアラーム(警報)が鳴り響いた。





間違いない。

そこにあるのは、塔のへつり。

夏休みの観光客たちが、いままさにお楽しみの最中だった。
そこにこれから、私はどんな方法で、どんな顔をして巡り逢うのだろう。

現在地は、見えている吊り橋とほぼ同じ高さであり、もはや高巻きによる迂回は考えにくい。
そう遠くなく、あの橋のこちら側の袂に辿り着けるだろう。


…そこに道があるならば!




へつりはじめた!

塔のへつりの特徴的な景色とは、さきほど杉林の中に見た天然の岩と、このような岩盤を刳り抜いたようなへつりの道である。

そもそも「へつり」という言葉は会津の方言で、「狭い岩場の道」や「そのような道を岩場に張り付いて移動すること」だと言われるが、「へつり」の名の付く似たような風景は全国各地にあるようだ。
その中でも最も良く知られていて、唯一全国区の観光地ともなっているのが、この下郷町の塔のへつりである。

「国の天然記念物」に指定されてもいることからも分かるとおり、これは自然の地形である。

人工的な「片洞門」に酷似しているが、崖下の大川が、おおよそ100万年をかけて岩盤の弱い部分を選択的に浸蝕して出来た地形だと言うことになっている。




しかし、多くの人が「道っぽい」と思うくらいだから、この天然の地形を繋ぎ合わせ足りないところは人工的に岩場を削るなどもして、れっきとした道として使ってきた歴史がある。
人は厳しい自然に対して、いつでもしたたかだったのだ。

隣接する阿久津集落の古老の証言によると、この道はかつての県道であったという。
そう言われてみれば、現在もこの塔のへつりの山上には、これを迂回するような県道347号「高陦たかしま田島線」が通じている。

もっとも、この「旧県道」を自動車の通ったことはなかったと言うが、一時期遊歩道として使っていたというような、なまっちょろい「道格」ではなかった。

…しかも、県道だけでは済まないようだ。

よくよく調べてみると、この道は江戸時代に会津藩が公式な街道としていた、「会津中街道(宇都宮街道)」だというではないか!

参考サイト:会津中街道倶楽部さま


会津中街道─。

会津藩の城下である会津若松から大川に沿って南下し、下郷町の野際新田宿から大峠で那須連山を乗り越すと三斗小屋宿(白湯山近傍)に下る。さらに那須野ヶ原を縦断して、矢板付近を経て氏家(さくら市)にて五街道のひとつ「奥州街道」に合流する、全長123km余りの街道だ。
短期間であるが会津藩の参勤交代路として使われたこともあり、幕末まで会津地方から米を中心とする物資が盛んに輸送されたという。

(← そういえば、この凹みなんか野仏を安置していた痕っぽいような…)


 まぢかよ…。

塔のへつりって、実は道だったのかよ…。

裏のウラをかきにきやがったぜ…。




ますます道路状況は悪化。

いつ頃まで県道として、或いは遊歩道として使われていたのか分からないが、これだけの岩棚で頭上が無防備であったとなれば、廃止後は比較的短期間で崩土に埋もれ緑に支配されるというのは予想できる。

直接水面に接する路肩にもガードレールなど転落防止柵は見えず、近年の遊歩道とするにはいくら何でもアグレッシブすぎる。

予感として、次の藪を抜ければ視界が開けそうだ。
それはすなわち、塔のへつり核心部に出るということだ。





 塔のへつり のレアアングル






で た。

岩場にでた。

視界が開けた。





塔のへつり

このアングルからの撮影は、おそらくレアだろう。

観光客の姿の見える吊り橋が現在の遊歩道であり、そのほとんど全てでもある。

だが、向かって左の岸辺には、引き続き緑の茂るラインが見える。
吊り橋のたもとまで100mほどであるが、そこに

会津中街道/県道/遊歩道

が通っていたというのか。




しかし、それは余りにも……。










この橋を渡るほかに道がない!

はっきり言って、 嫌すぎる…


もし万が一、しくじって落ちたら、底の見えない抹茶色の淵行きだ。

流される心配は無さそうだが、陸に上がる場所もない。

ライフジャケットを持ってくれば良かったなぁ…。


それに、もし渡るとなると、観光客の目がかなり気になる…。
対岸にはお土産物屋の建物も見えている。
まさか、通報なんてことはないと思うが…、通行止めをやぶっているわけではないしね…。







見渡す限り、少なくとも吊り橋までではここが最大の難所である可能性が高い。


廃道突破の大願を成就するべく、この渡橋を決心した。


当初から他の選択肢があったのか無かったのか、それは少し疑問だったが…。





濡れた鉄の一本橋状態。

細い上に、障害物あり。

そのコンディションは、かなり悪い。


しかし、鉄だから崩れることはないと判断。

もちろん、この幅があれば落ちるつもりはない。 


大丈夫。   行けるはず。



行ける!