塔のへつり の廃道 (中編)

公開日 2008.8. 9
探索日 2008.7.29

 天然と人工の狭間で…

 大きな橋から始まる小径


2008/7/29 10:38 《現在地》

さて、見るからに致死的な橋である。
これは人によって感じ方が違うと思うが、個人的に私は下に水がある方が嫌な質である。
泳ぎが得意じゃないからだと思うが、どちらの方が生命に深刻な事態であるかと言うこと以前に、落ちる恐怖+溺れる恐怖というダブルが嫌なのだ。

そんなわけで、この橋はかなり嫌。怖い。
お馴染みの「渡橋難易度分析」、いってみよう。

基本難易度 長さ→かなり短い(1/3)
墜落時→致命的(3/4)
部材→完全安定(鋼鉄)(0/3)
= 4/10
増減評価梁の巾→かなり細い= +2
梁面の処理→ノーリベット= −1
梁面障害物→あり(廃材)= +1
サポート→一部あり(手すり)= −1
総合難度評価  5
(ふつこわ)

※比較 定義の大木橋=11、旧柴崎橋=10、自己最高経験=15など




骨組みだけになった細い鉄の橋。
これは明らかに遊歩道の残骸であろう。
しかし、いつ頃まで現役に使われていたのかは見当が付かない。
ものが鉄なので橋桁自体の安定感は健在だが、欄干がほとんど失われている状況というのは異様だ。
おそらくは雪の重みでここまで壊されたのだ。

そして、橋の向こうはますます怪しげな状況。
木が生えていると言うことは、そこに踏み越えていくべき土があると判断したいが、どうにも危うい。
私は、向こうに見えるセーフティーゾーンたる吊り橋まで無事に辿り着けるのか。
左右には全く逃げ場の無いシチュエーションがしばらくは確実視されるだけに、一歩ごと、ズッシリと重い緊張を強いられた。




橋を皮切りとして、塔のへつりの核心部が始まったようである。
頭上には覆い被さるような岩崖が櫛比している。
近すぎてその全体像は掴めないが、おそらく対岸の展望所やら吊り橋の上からだとよく「観光地」していることだろう。

いま私は、植物が茂る道らしからぬ場所を進んでいる。
前後のつながりと、この場所以外に一切に進めそうな場所がないためにここが道であると断定できるのだが。




普通であれば背丈を超える藪となれば廃道における憎むべき宿敵であるわけだが、今回に関してそれは全面的に私の味方をした。

だって、彼らがいなくなると、こんな状況だぜ。(左右の写真)

手掛かり無し、滑りやすし、そして、衆人環視。

そんな、大川に住まう岩魚でさえ食わないような嫌すぎるシチュエーションとなるのだ。

だから、いまだけは藪藪バンザイ!




再び路幅が広くなったが、それがどのくらい天然のもので、また人工的なものなのかは分からない。
一般的な片洞門に較べ明らかに天井は低く、一部は屈まなければ通れないほどだ。
また、全体的に水の滴りが激しく、どこを通っても濡れてしまう。

いよいよ吊り橋が近づきつつある。
いまにも橋上の観光客たちの声が聞こえそうだ。
おそらくまだ彼らのほとんど誰も私の接近に気付いていないと思うが…。




あぁ

最終関門か…。

吊り橋の手前には、どうやらもう一本廃橋が待ち受けているようだ。

しかし、さしあたってはここからの2mがもの凄い怖い。
濡れた岩場は全体的に谷側へ傾斜しており滑りそうなうえ、とにかく幅が狭い。狭すぎる!
橋の上には一応欄干があったようだが、この場所にも欲しいところ。これをもし遊歩道として使うなら。

いよいよ橋上の観光客たちにも気付かれそうだし。
つか、このまま進んで出ていく場所が嫌すぎるんですけど…、どんな顔して出ていけばいいのさ…。 これはめちゃめちゃ気疲れしそう…。




取りあえず、人目を避けられる場所に出た。

が、問題はこっからだろう。


 なんだか、凄いところに橋が架かってますが…。


これを渡る以外に、全くもって進路は無い。

引き返すにも、あの橋が待ってるわけで…。


まあ、これだって鉄橋だから…欄干もあるようだし…渡って渡れないことはないだろうか?


…でも、いままで渡ったことのない形だぞ。




昔はここを、観光客たちが背を屈めながら通ったのだろうか。


…江戸時代はどうだったのだろう?

鉄橋ではなかっただろうから、丸太の橋か、藤橋か。

どちらにしても、廃橋となったこの橋よりも遙かに恐ろしげなものだったに違いない。
そこを、米の俵とか、会津漆器の入った木箱だとか、塩袋なんかを背負って人々が行き来していたのだろうか。
ちょっと想像しがたい交通風景だが、ここが街道だったというのならば、そうだったのだろう。

さすがに参勤交代の殿様はここを迂回していたらしいが…(後述)


遠い過去に思いを馳せている場合ではないのだった。まずは自分がどう渡るかだ…。
いろいろ考えたのだが、やはり左右の主桁の部分に体重は掛けたいと思う。
梯子状の横棒は欄干とセットになっているだけで、前の橋では敢えなく破壊されていたくらいだ、さほどの強度は期待できまい。
そこに全体重を預ける気にはなれないし、そもそも間隔が広すぎて安定した渡橋フォームは維持できない。
持論として、渡橋はアスレチカルになってはいけない。地面の上でやっているのと出来るだけ近い動きで進まねば、予期せぬ事故が起きそう。




散々悩んだ末、結局、こうやって渡った。


 え?

  ぜんぜん普通のフォームじゃないやん!


確かに…。

いま思うと、両側の梁に均等に体重を掛けるように渡るべきだったかも知れない。
根はチキンなので、どうしても岸寄りを進みたいと思ってしまったのだよね。
実際には左の岩肌に手を添えることは出来ても、決して体を支えられるわけではないのだが…。

しかも、この渡り方(ルート)には、中盤で重大な欠陥が…。




中程まで来ると、出っ張った岩盤が邪魔をして、これ以上左側の梁を進めなくなったのだ。

ゆえに、引き返して右側の梁を渡り直すか、いまここで右の梁へ移動しなければならなくなった。


実はこのとき、5m先の遊歩道との合流地点では、次第に人垣が出来つつあった。
声をあげて私のことを語る者はなかったが、数名は確実に私の一挙手一投足に注目しているのが分かった。
最悪である。
叱られかねないし、見られているというのは、とにかく私というオブローダーにとって苦手なことなのだ。

ことは急を要した。




意を決し、向こう側の梁に移動。


以後、写真を撮ることもせず、一心不乱に渡りきったのは言うまでもない。

股間に欄干を挟み込んだ情けない渡橋フォームながら、あくまで平静を装うことは忘れなかった。

通報されないオブローダーとは、不審な素振りの少ない、堂々と我が道を行く者なのだ(笑)。

オドオドはダメ。
あくまでも、そこが自分にとっては普段の道であるかのような素振りが重要なのだ。
焦るのは、墜落した後でも十分なのだ。←遅すぎるだろ
「なのだ」ばかりのときは、大体自分の思考に自身が無いときなのだが。




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 生還!  いや、まだ中間地点です…


10:44

最初の廃橋に逢着してから7分後。
私はおおよそ100mの“へつり”に耐え、安全無比なる遊歩廊に辿り着いた。
余りにも私の動きが怪しかったのか、顔面いっぱいに張り付いたコンビニ譲りの笑顔が気持ち悪かったのか、幸いにして誰何の声は飛ばなかった。

つうか、これだけ人がいて誰も声を掛けない時点で、よほど俺。 少しショック(笑)

ショックと言えば、この橋ってずいぶん歪んでた…。
渡っている最中は、気付かなかったけど。  
気付いていても渡ったかどうか……  

まぁ、いろいろと駄目な渡橋ですた。




振り返る踏破部分。

とてもここに会津中街道/旧県道/遊歩道があったとは思えない。

実際に、10回往復すれば一度は落ちるのではないかと思えるくらい危険な道のりであった。


本道は以後、
  封印 したい。




遊歩道に脱出したその地点で、道は二手に分かれていた。

直進が会津中街道/旧県道/遊歩道であり、左は吊り橋経由で対岸へ至る遊歩道だ。

当然オブ的には直進すべきなのだが、まずは橋の上からこの先の道を観察しよう。



 藤見吊橋からの眺め


10:44 

大川に架かる藤見橋である。
銘板によれば昭和62年に竣工であり、渡ればそれなりに揺れはするものの、観光地のアクセントとして敢えて揺れている…なんて考えるのは意地悪かな。
ともかく、今日のように一気に数十人の観光客が乗っても、へーきへーきである。





これが、次なるステージだ ⇒

  って、 短っ!



…いやいや、まだ先があるのだよ。

カメラを 右にずいーっ と。




これこれ。

この岩肌に刻まれた凹みの部分が、すなわち「へつり道」で、かつての県道/街道であった。


実際、遊歩道として数年前まではあの辺りも歩けたらしいが、今は崩壊のため通行禁止となっている。
上の写真の右端のあたりに、木製の柵が小さく写っている。
また、その先の道はスラブ(一枚岩)の斜面と一体化してしまっているようだ。


残念ながらこの前方偵察で、旧県道の完全踏破が無理だと判ってしまった…。


以前の遊歩道の終点であったという「石舞台」の右は…。

最後に待ち受けるあのスラブだけは、どーにも横断できそうもない。

道は消えていた。

この区間は完全踏破が難しいということと、通行止めが現役遊歩道の奥で人目に付きすぎる場所であるから、レポートの公開は差し控えたい。





藤見橋から下流方向を眺めると、500mほど先に私のスタート地点である「塔のへつり橋」が見えていた。

ちなみに、この左岸の高いところを通る国道121号にも「へつり橋」という名の橋がある。

国道121号は、明治時代に三島通庸が作った「会津三方道路」を元にした道であるが、さすがの鬼県令も、「塔のへつり」の景勝にお得意の隧道を貫こうとは思わなかったようだ。







吊り橋を渡り、階段を上り、塔のへつりの全景を一望できる場所へ出る。
傍にはお土産物やと駐車場があって、普通はここから塔のへつりへ入ることになるわけだ。

お土産屋に陳列されていた、キノコの密生したこの置物。
スゲー欲しい。

もしいつか私がビッグになったら、絶対手に入れてやる。

それまで、残っていてくれよ…。






通り抜けられない遊歩道を迂回して、ズルッと反対側へやって来た。

果たして、そこにも怪しげな小径が存在していたのであって、これで一連の旧県道/旧街道の存在は確定した。

ちなみに、これまで紹介した「へつり道」であるが、会津中街道であったのならば参勤交代時には会津藩の殿様も通ったのかと思ったが、実際は右図で示した「馬道」という迂回路もあって(これは現在の県道に近い)、どうもそっちを通っていたと考えられているようだ。

…そりゃそうだろうな。




小径は、やはり河岸の岩壁にぶつかって終わった。

そこからは、ご覧のように観光客たちが歩く塔のへつりの風景を見晴らすことも出来た。

これにて、一連の探索は終わりを告げたのである。



道なのか自然地形なのか、微妙なハイブリッドぶりであった…。