道路レポート 林道樫山小匠線  第1回

公開日 2014.4.04
探索日 2014.3.27
所在地 和歌山県那智勝浦町〜古座川町

雨上がりの早朝に、まだ見ぬ景色を目指して出発する


この日は私の和歌山県3泊4日連続探索の最終日であり、同県の山河と道路たちにも徐々に愛着を感じられるようになってきたところだった。
探索の初日と2日目は恵まれた晴天となったものの、春の天気は変わりやすいもので、3日目は朝から南風が吹いて温い雨が降ったり止んだりの天気となり、特に夜は紀伊半島らしい猛烈な雨が車中泊の薄っぺらい屋根を叩いて眠りを妨げた。
しかし、最終日となる4日目は再び晴天を回復する予報だっただけに、私は当初の予定通り林道樫山小匠線の探索を、早朝より行う事にしたのであった。

なお、雨の直後というこのタイミングで、この林道の探索を決行した事に少しも他意はなかったが、結果的には、この探索の印象を大きく倍加させることになった。

写真は、車を出て自転車で出発した直後である。このスタート地点は小匠集落から3kmほど離れた県道45号上(那智勝浦町長井)で、旁らを流れる太田川の濁った水量の多さに漠然と不安を感じたのを憶えている。




2014/3/27 6:26 《現在地》

スタート地点から数分自転車を漕ぐと、対岸に大きな支流が合わさってきて、直後にご覧の青看を持つ分岐地点が現れた。

ここが本日の探索の舞台となる小匠川のはじまりであって、そこに架かる橋の名前は「出合橋」という直截さ。
そしてこの小匠川の源流近いところに樫山廃村は待ち受けているはずである。

後から思えば、この何の変哲もない分岐が、多くの試練と危険な罠、それに見合う褒美を秘めた魅惑の道行きの、始まりだったのである。

しかしともかく、この段階では、どこにでもありそうな普通の県道が始まっていた。
和歌山県道234号長井古座線という、私を小匠まで連れて行ってくれる道だった。




朝霧なのか、雨雲が地面に接するほど低いのか。
辺りの標高は50mにも満たないが、霧にしては濃淡が強い感じである。
今は雨こそ落ちてこないが、世界は見通せぬ水気に満ちていた。

ただし、前日の雨を運んだ生ぬるい南風は跡絶えており、この季節に相応しい冷気が頬を撫でるのは、白煙の向こうにある晴天への微かな期待を抱かせた。
早く2日ぶりの太陽が見たかった。

出合橋から小匠集落までの距離は2.3kmで、蛇行はあるが平坦な川沿いの道。
途中数軒の人家はあるが、集落と呼べるほどではない。
また、道は1.5〜2車線とほどほどに整備されているが、行き交う車とは出会わなかった。




6:36 《現在地》

出合橋から10分漕ぐと、唐突に視界が開けて、小さな集落に行き当たった。
これが小匠川の蛇行する旧流路に立地する、小匠集落だった。
「こだくみ」という地名ははじめて耳にする音で、他では聞かないが、地名辞典にもそれらしい由来は書かれていない。某女性シンガーの故郷ではなさそう。

雲が湧き上がるように垂れ込めた集落を見回してみる。
なるほど、平地の中央に旧河道と今の河道に取り囲まれた小山がひょっこり立っていて、昔話の舞台にでもなりそうな長閑さだ。

だが、そんな長閑さを前にしながら、私の気持ちは昂ぶってきた。
この小匠は小匠川沿いの“最終集落”であり、ここを出れば、後は自力に頼るよりない無人境。
樫山も無人であるとすれば、そこから引き返してくるにしても、古座川町まで走りきるとしても、連続20km近い“一人旅”になるだろう。

後は、道がどのくらい荒れているかということが大きな問題だったが、それはまだ窺い知れなかった。
私が向かうのは、「崩土により通行止」の表示があるのとは別の道である。



私が向かうのは、小匠集落の入り口にある丁字路を左折した、この奥である。

もう少しだけ先まで、県道の指定を受けているが、間もなく林道が始まるはずだ。

なお、入口にはかなり古びた放流警報板が設置されていた。
赤字の「危い!!」で始まる警報板の内容は、この上流に小匠ダムがあるから、非常放流時に水位が上昇するので注意せよというものだ。

地図を再確認すると、小匠ダムはこの道の2kmほど先にあり、道の描かれ方もそこまでは車道だが、そこからは破線に変わっている。
小匠ダムは、今回の探索における小匠集落の次の目的地である。




上の写真の丁字路から150mほど進むと、再び丁字路が現れた。

私をここまで連れてきてくれた県道234号とは、ここでお別れである。
この県道はその路線名「長井古座線」が示すとおり、この後で串本町の古座地区を目指すのであるが、あいにく町境の峠越えが未開通である。

本題からは離れるが、県道234号の行く末が気になるという人もいるだろう。
私もその一人であったから、数分間脇道に逸れて、この県道がどうなっているかを追い掛けてみたところ――

まず、左折直後は狭い道が(写真)、小匠集落の外れにある数軒の民家へ続いている。
そして民家を過ぎるとすぐに小匠川を橋で渡るのだが、この橋が軽トラ専用といった感じの狭さであった(写真)。
橋を渡ると未舗装になり、畦道然とした道が小匠川の右岸に伸びているが、県道はこの道ではなく、橋を渡った直後に右の山の中へ入る。
ただしそれは図面上のことであって、実際には道らしいものが見あたらなかったので、結局、小匠側の県道が辿れるのは、この名前も分からない橋までという事になるだろう。以上である。

数分の寄り道を終えて、本題の「直進路」へ進む。
特に何の案内も無いが、おそらくここからが現在における林道樫山小匠線である。



県道から林道に道が変わっても、いきなり荒れているということはなく、むしろ、「林道」として見れば、鋪装もされているし、悪くない道である。

まあ、自分が車だったとしたら、対向車の出現にドキドキしながら走る事になっただろうが、自転車なので気楽だ。
そもそも、対向車なんて滅多に現れそうにもなかったが。

また、相変わらず勾配が緩やかなので、川を遡る方向に進んでいるが、平坦路と変わらないペースで行くことが出来た。




小匠集落から800mほど進んだ所にある、顕著な川の蛇行部。
道と川の間には冬枯れ色の水田が広がっていたが、これがこの川沿いで最後に見た水田だった。

なお、ここから眺める川向かいの山々は、まるで色を失った水墨画のような風情があり、しばし見とれてしまった。
既に時刻的には空に陽が昇っているはずで、空を覆う白い靄も明るさを強く含み始めていた。
遠からず破れて、眩しい光線が飛び込んできそうに見えた。




明け行く森。

昨日の探索は、一日中雨空を気にしながらの少々鬱屈としたものだったが、

今日はその鬱憤を晴らす展開が期待出来そうだった。

こういう雨上がりの早朝の山にいるのは、とても幸せなことだと思う。

この変化は、山のもっとも美しい変化だと思うから。




水田を過ぎて間もなく、路傍に朽ちた標柱が立っていた。

白いペンキに塗り込められたその姿は、各地で見覚えがあるものだ。
林道標(林道の路線名や緒元を記した、主に起点や終点に設置される標柱)である。

しかし、肝心の文字は腐朽のために判読が困難になっており、なんとか「事業主体 那智勝浦町」「着工昭和63年度 完成」「(改?)修延長八九〇」といった事を読み取った。




冒頭に登場した太田川の水量も凄かったが、この小匠川も半端無い水量である。
川幅にいっぱいの水が賑やかにさんざめきながら、ガードレールのない路肩を擦っていた。

今日はこの川の流れが小さな渓流に変わるくらい上流を目指す計画だが、それまでの道は全部この川沿いにある。
空は晴れ行くとしても、前夜までの雨に支配されたこの水流が、不幸にも私の進路を壊していないことを願いたい。

まあ、多雨で名高い紀伊半島においては、昨日くらいの雨など珍しいことではなかろうし、問題は無いと思われるが…。




6:56 《現在地》

小匠集落から20分後、川沿いに約2kmを漕ぎ進むと、突然行く手に桜の広場が見えてきた。

どうやら、小匠ダムの直前まで来たようだ。

そして、この小匠ダムこそは、今回一番の目的地であった。

この道のゴールとなる樫山よりも、この場所へ来るのが一番楽しみだったことを告白する。
そこへ早くも到達してしまった。
すなわち、この場所こそ、例のモザイク画像の在処であり、14年目の初体験風景であり、初体験道路なのであった。


果たして何ほどのものがここにあるのか、これからご覧頂くことにしよう。



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前代未聞の構造を有する、小匠ダム


三分咲きの桜の向こうに、谷を塞ぐ小匠ダムの勇姿が現れた。

その姿はまるで、白雲纏う難攻不落の城塞。

辺りは砲撃のような放水の瀑音に包まれている。

路傍には唐突に「通行止」とあるが、その理由は述べられておらず、バリケードも無かった。

まさか、この道……。




小匠ダムには、見たところ、下部と上部に2つずつの放水口があった。
いま放水しているのは下部の放水口だけであったが、その水量から来る迫力は凄まじかった。
これまで私を恐れさせた膨大な水が、川幅に較べれば遙かに小さな2つの放水口に収斂していた。


そして、初・体・験。


そこを通るのかよ!www


このダムって、貯水する能力あるの??

なんのために、ここにあるの???


事情を知らない私は、この道が普通にダムの堤体を貫いている光景を前にして、
まっことたくさんのハテナを脳内にぐるぐるさせた。




やっぱ、通るんだ…。

…それにしてもだ……

毎度毎度、本当に奇遇な事だと思う。

私が変な道路を前に“固まって”いると、毎回のように颯爽と現れる白い軽トラがいるんだよ。
これまで何度こういう軽トラが現れ、私に“通り方”の手本を見せつけただろうか。
毎度ありがとうございます……。

え? エキストラ??
そんなものはいないぞ(笑)。




坑口には、立派な鉄の扁額が取り付けられていた。

そこにトンネルの名前が書かれているのかと思いきや、そうではなく、ダムの正式な名称が刻まれていた。曰わく、

小匠防災堰堤。


「防災堰堤」というカテゴリ自体、あまり馴染みがないのだが、それこそが前代未聞の“穴あきダム”をこの形たらしめている核心であろう。

これがどういう目的で建設されたダムであるかは、この名前から十分想像出来る。
すなわち、普段は水を蓄えて利用(例えば発電や用水に)するというような仕事を一切せずにのんべんだらりと開門しているが、上流で洪水を誘発するほどの出水が起きたときにだけは「キリリ!」と水門を閉じて貯水し、それをゆるやかに放水することで、下流での洪水の発生を抑制しようとする施設なのだろうと想像される。




だが、そうは言っても、防災堰堤や治水ダムと呼ばれるこの種の防災ダムが、全てこういう穴あきダムであるわけではない。
相当にレアなものであるのは間違いない。

私は、新潟県の加治川治水ダムなど、他にもいくつか同種のダムを知っているが、それらはちゃんと満水位よりも上に道路が付け替えられていて、ダムが貯水を行う度に道が水没したり、通行止めになるなどというのは、ここ以外知らないのである。

それにしても、この道路は長い間、樫山集落へと至る唯一の車道だったが、ダムが貯水を行う度に同集落は孤立を余儀なくされていたのであろうか。
調べたところ、どうもその通りであったようだ。

「角川日本地名大辞典 和歌山県」によると、小匠防災堰堤の着工は昭和25年で、完成は昭和33年だという。
この道路が樫山まで完成した時期はそれよりも後と考えられるし、樫山にここを通らず行ける2本目の道路(樫山林道)が通じたのは、ずうっと後(おそらく平成に入ってから)のことである。




堰堤の下部放水口から迸る水流を横に見ながら、その堰堤そのものをくぐるという行為には、何ともいえない不思議な感覚があった。

このダムが建設された戦後間もない時期は、まだダムによる水没補償であるとか、道路の付替といった事は、今ほど口やかましく言われなかったのだろうか。
それもあるかもしれないが、これが極めて緊急性の高い防災事業であった事も関係していそうだ。
「角川日本地名大辞典 和歌山県」によると、このダムの建設の経緯は、だいたい次のような事情による。

元来紀伊半島南部地域はわが国でも最も降水量が多いうえに、急峻な地勢はその流出を早める。/流域の山地は第2次大戦語の復興用材の需要増加のため過伐となり、山林の荒廃を招いて災害の原因となり、昭和14・22・23・24年と大洪水が続いた。/この洪水災害を防ぐため、ダムを築造し、(中略)当ダムの完成により毎年のように被っていた水害から耕地399ha、宅地80haが守られ、流域住民の福祉が向上した。

そもそも、従来立派な道路があったならば補償という話しもあるだろうが、そういうものはなかった可能性が高い。



当ダムは、堤高35.9m、堤長137mの直線式コンクリート重力式ダムで、満水面積5300ha、有効貯水量約660万立方mという規模であるが、近年では滅多に貯水されることがないようだ。
情報提供者であるおこぜ氏が、地元の住民から聞き取った話によると、紀伊半島一円に甚大な豪雨災害をもたらした平成23年台風12号時においても、ダムは解放されたままであったという。【訂正】このとき、実際は湛水が行われていたようです。(当サイト掲示板への「三鷹のきつね」氏の証拠資料を伴う書き込みを受けて追記しました。)

非対称台形の断面を有する堰堤の土手っ腹に、道路用のトンネルが穿たれている。
トンネルの緒元についての記録は手許に無いが、入口前に高さ2.0m制限標識があり、幅も高さと同程度に見える。大型車は通れない小さな断面である。
長さについても目測であるが、おおよそ15mほどと見えた。

そして、この短く狭いトンネルの向こうは、非常時に容赦なく水没させられる“湖底”のエリアである。 前代未聞の現役ダム貫通を達成!!




普通のダムなら、異常に水位が下がらなければ見る事が出来なさそうなアングルからの眺めである。
いや、本当に普通のダムなら、幾ら水位が下がっても、こんな場所に一般人が立つことが困難だろう。

しかし、事前情報の通り、このダムが幸か不幸か余り活動的でないことは、
堤体のこちら側にも向こう側と同じようにびっしりとこびり付いた苔が語っていた。




そしてこの、巨大ギロチンである。

おそらくこのダムは無人監視で稼動しているのだと思うが、
私がここにいるときに突然水門が降ろされ、続いてギロチンが振り落とされたら、
どんなにか絶体絶命になるだろう。思考実験だけでもプルプルする。
あと、満水時にこの壁の向こう側に立つことを想像しても、やはりプルプルする。

…この標識とか、身動きもせず水没するんだろうな…。深い泥水の底に。




“ 小匠のギロチン・トンネル ”


そう簡単に見慣れることが出来なさそうな異様な道路風景は、樫山への“第一関門”だった。


次回からは、先行した軽トラを追い掛けて“湖底エリア”を進むが、そこには第二の関門が……。


俺が思う以上に、トンデモナイことになっていた…。