道路レポート/廃線レポート 草木湖水没交通遺構群 第5回

公開日 2012.10.09
探索日 2012.09.15
所在地 群馬県みどり市

草木湖に水没した交通遺構群の探索、

その最後は旧国道で締めようと思う。

私はまず、この写真の中央に見える、現国道から湖畔への進入路へと向かった。


ここに沈んでいるのは、国道122号の旧道だ。
昭和48年頃までは、間違いなくこの旧道が使われていた。
皆様の中に通行人がいても不思議ではない、比較的に新しい廃道である。



湖底逍遥 旧国道編 その1 


2012/9/15 7:01 《現在地》

草木橋の100mほど南に、国道から湖畔へ下りる道が存在する。(途中に駐車場もある)
ここは本来は湖面利用のため一般に開放されている施設のようだが、たまたまこの日は「湖畔で工事がある」らしく、駐車場から先はチェーンゲートが下りていた(写真の地点)。
しかし、幸いにしてこの時間はまだ工事が始まっておらず(土曜日だったせいもあるかも)、自転車に乗り換えた私は簡単に“湖底”の旧国道へアプローチすることが出来た。

最初に掲載した写真は、現国道と同じ高さに架かっている草木橋から、旧国道を俯瞰したものである。
その高低差はおそらく30mできかないが、労せずその高低差を埋められたのは、幸いだった。



キマシタ!!

開放的〜〜! きもちぃ〜。

位置的にはこの目の前を旧国道が横断しているのだが、はっきりとした路面は確認できない。



時計を見たら、タイムリミットまでもう30分を切っていた。
残念だが、旧国道の南側区間の探索は断念せざるを得ない。
しかし、ここから目視出来る範囲だけは確認しておこう。



なんか、見ているだけでゾクゾクする。

谷の深さが半端ない。
こんなに水位が下がっていても、なお巨大な水面がそこにある。
元々の谷がどれほど深かったのか。
そして、旧国道がどれほど危なっかしい崖の縁を通行していたのか。

…よく分かる。



湖岸の崖地に旧国道の石垣が点々と見えていた。
やはり、路面自体は大量の土砂に埋もれて、斜面の一部となっている。
また、旧国道の一角が工事現場(崩落の修復)になっていたが、そこに人影は見られなかった。

仮にこの旧国道を歩けと言われたら、どうだろう。

…とても誘われている気がしたが、今日はごめんなさい。



そしてこれは、旧国道の傍らに設けられていた、船着き場。
もちろん、ダムが湛水してからの構造物だが、今日の水位には全く以てミスマッチ。
水面は全く手の届かない遠くまで減退していた。



さて、それでは参りましょうか。

今日初めて、湖底の旧国道を走行する。
いままでは見ているばかりだったからね。

これまでの「見」によって、ここからの一連の旧国道区間には、
合計3本のコンクリート橋が現存している事を把握済みだ。

そのうち、草木橋のやや下流側に架かっている1本目の橋が、すぐ間近にある。
そして、2本目の橋がある“大岩”も、ここから見える。
3本目だけは、少し離れているので、まだ見通せない。



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やっべ〜! ここ車のCMに最高だろ!

ちょっと高級な国産SUV車のCM、ここで撮ったらばっちりじゃね?!

おいらのエスクード(ワルクード)にはもったいなさ過ぎる、高潔な草原シーン。

マジ格好いいぜこの橋。惚れた。



側景はこんな感じ。

どこにでもありそうな1径間のRC単純桁橋だが、欄干や親柱の作りには随所に古さが感じられる。
それを含めてやはり、「どこにでもありそう」なのだが(笑)。
ちなみに、橋は結構な勾配で左から右に下っている。

さて、再び橋の上に戻って、“収穫”しよう。

4本の親柱に、4枚の銘板が全て揃っていることを、確認済みだ!




打出沢に架かる、内手(うちで)橋

昭和32年6月竣工

この橋が架けられた当時の路線名は、日光大間々線

日光大間々線は、昭和29年に認定された主要地方道である。
二級国道122号は、昭和28年に認定されたが、当初は前橋水戸線といって、現在とは全く異なる場所に存在していた。
これが昭和38年に一級国道50号へと格上げされたことで、二級国道122号は新たに日光東京線として現在のルートが指定されたのである。

なお、親柱は4本しかないのに、どうして銘板が5枚あるのかについてだが、「内手橋」の銘板が取り付けられた親柱のみ、側面にももう1枚銘板が取り付けられており、そこに竣工年が刻まれていたのである。
群馬県や新潟県は、伝統的に路線名を銘板に加えることが多いので、こういう変則的な銘板の存在するケースが少なくない。




ん?

内手橋を渡ってすぐのところに、湖底方向へと分かれる小径があることに気付いた。

この道は、なんだ…?



石畳… だと?


というか、この作り……

 ま さ か ……。



間違いない!
これは神社の跡だ!!

石畳と石段に加え、さらに決定的と言える遺構… 石鳥居の残骸 …が、出現してしまった!

なんか、見てはいけないものを見てしまったような気がする。
もちろん、水没前には然るべき遷座の儀式が施されたであろうから、何もやましいことはないと思うが、
それでもこの景観には、我々をドキッとさせずにおかない、ある種のインパクトが存在している。


そしてこの発見により、私は思い出す。

この場所には、白浜よりも規模の大きな集落が存在していたことを。