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道路レポート 塩原新道 桃の木峠越 第二次踏査 第8回

所在地 栃木県那須塩原市
探索日 2008.07.31
公開日 2024.12.23
このレポートは、『日本の廃道 2009年2月号』『3月号』に執筆した同名レポートのリライトです。
現在多忙のため執筆時間を十分に取れないので、神路駅の続きなど従来レポートを一旦休止してリライトをお送りすることをご了承下さい。

 塩原新道踏破をかけた、ラストクライム


2008/7/31 14:27 15.1km 《現在地》

飯場跡から目と鼻の先で、水が流れている小さな沢を渡る。
高い樹冠より薄日が射し込む、穏やかとしか言いようのないせせらぎだ。

(チェンジ後の画像)谷の対岸には、石の橋台と、そこから始まる石垣が、僅かに痕跡を留めていた。
かつて道であった路肩の下に、同じくらいの大きさの石が沢山転がっているから、そこに野積みされた橋台や石垣があったのだと察せられるだけで、構造物の体をなさない痕跡に過ぎなかった。



谷を渡る際、再び残りが減っていたペットボトルに水を十分汲んだ。この真夏の時期にたった1本の1リットルペットボトルでやりくりするハメになったのは、完全に朝のポカのせいであったが、結果的に余計な重さを背負わず行動出来た面があったかも知れない。
相変わらず粉のポカリは沢山余っていたが、もう作っている時間が惜しいので、水のまま持っていく。
この先すぐにあともう1回は沢を渡ると思うが、水の補給はこれが最後になるだろう。



さらば、塩原新道 “幻の褥(しとね)” 飯場跡。

私はもう来ることはないと思っているが、すぐ近くに良質な水場があるこの場所は、今も夜営地として有効であると思う。
特に私のように峠の北側と南側で2回に分けるのではなく、2日連続で一気に探索しようと試みる場合、塩原〜山王峠間約30kmの中間にほど近いこの場所は、最適の泊地となるだろう。
もし誰か泊ってみた人がいたらぜひ感想を聞いてみたい。三島の霊に会えたりして?


――5分後――




14:34 15.4km 《現在地》

再び沢が進路上に現れた。
またも鬱蒼とした森の谷であり、対岸はやや傾斜のキツい苔色のガレ場になっている。
そしてそこには、明らかに勾配を増して横断していく、この道の続きが見えた。

この沢を渡る地点の海抜は推定1150mであり、ここから沢伝いに高さ50m、距離にして約300m登った地点は、目指す桃の木峠の頂上である(はずだ、現在地の想定が間違っていない限り)。

これまで9時間以上も遡ってきた善知鳥沢であるが、この沢を桃の木峠直下に流れ出る河川と定義するなら、ここは善知鳥沢の2回目にして最後の横断地点である。
1度目の渡河がいつであったかなど、もはや大半の読者は忘れているだろうが、今から8時間以上前の6:15のことであった。すなわち、“大旗高橋”以来の本流横断となる。



これが8時間以上ぶりに再渡する、善知鳥沢とみられる谷だ。
水は微かに流れていたが、地肌を洗わすほどの水勢はない。まさにミズヒの一滴を思わせる矮流であった。
ここから沢伝いを無理矢理に詰めれば、おそらく最短で峠に立てるかと思う。10分くらいだろうか。

対して、塩原新道としての残距離は、なお2kmに近いものがある(推定1.9km)
最後の最後まで、勾配を極度に忌避する三島のやり方を強いている。
もちろん私もそれに殉じる。ここまで来たら、三島のやり方で、峠に立ってこそだ。



塩原新道踏破をかけた、正真正銘のラストクライムが、始まった!

思えば、ここまで本当に長かったのであるが、こうして谷や沢を離れて峠へ登っていく感じがする場面は、今日初めてだ。
この点で、桃の木峠は表裏の景色の印象が大きく異なる峠といえる。
2ヶ月前に探索した北側には沢沿いの区間がほとんどなく、水辺に遠い山肌を九十九折りで登る区間が長かった。たまたま天気に恵まれなかったから視界のきかない雲の中を登ったが、解放的な道と言って良いと思う。
一方で、今回探索している南側は、ひたすら善知鳥沢とその支流の谷中を遡るトラバース路であり、高い場所はあっても逃げ場のない閉塞感が強かった。

そんな閉塞感を、最後の最後でぶち破れる峠への登りは、控え目に言って、最高の気分だ。
なにせ、勝利を確信している。
これはもうネタバレでもなんでもなく、純粋に確信していた。そして、最後の最後でそれが裏切られるような悲劇も起らなかった。
もし起っていたら生還が危うかったのであるから、当然だろう。
今回はそのくらい、余力の少ない、探索であった。



14:44

それから暫くは、先ほどまで歩いた善知鳥沢を右手に見下ろしながら、逆走方向に登っていく。
飯場跡がある辺りも対岸に見下ろしたが、見て分かるような周囲との違いはなかった。

沢に近いところを登る宿命で、道の状況は良くはない。倒木や笹藪といったお馴染みの障害物が順次現れ、ジリジリと消耗を重ねる。
これだけ峠に近づいたのなら、反対から峠を越えてやって来た踏み分けや、せめてピンクテープの目印なんかがあって、少しは楽に進める可能性も少しは期待して良かったのかも知れないが、実際にそんなものはない様子。まあ、2ヶ月の峠の様子を知っているので、これに関しての落胆はなかった。やはり塩原新道は最後の最後まで、スパルタだった。



14:47

善知鳥沢が足元から遠ざかっても、広い道幅全体が斜面化しているような歩きづらい場所が多く、完全に疲れ切った私の足には、斜めのガレた斜面を横断していくことが大きな負担だった。長すぎる不整地歩行のため、さほど防御力の高くない安いトレッキングシューズに守られていた私の足首は、だいぶ前から痛みで悲鳴をあげていた。ここまで来て絶対に捻挫なんてするわけにはいかないから、この足首の痛みは、太腿やヒザに感じているそれよりも遙かに恐ろしかった。

なお、この写真の場所で、左の山手を見上げたところ……



この道の続きらしき平場が、20mくらい上にくっきりと見えた。

高低差的に、おそらくあれが峠に至る最終最後の段である。
あそこに行くまでに、あともう一度だけ切り返すことになるのだろう。
笹を掴んでよじ登ったら、3分くらいで辿り着けそうな平場であったが、

いまさらショートカットなんて、
し て や る も の か!!


完璧に、俺が勝つ。

9時間も頑張ったんだ。

最後くらい、すっきりかっちり完全に勝たせて貰う。



14:49

こんな感じの場面は、いったい何度目だろう。いかにも見覚えがあるような風景だが、そのどれよりも、ここは峠に近い。
それだけで、こんなにも誇らしかった。
既に勝利を確信している現状を、繰り返しほくそ笑んでいる、なんとも厭らしい私がいた。
これまでの苦しかった場面を無駄に反芻してみたり。 どんな苦労も、今や勝利の思い出だから。


……が、しかし。

ちょっとばかり、これは浮かれすぎであった。
残り1.9kmの善知鳥沢横断地点というのは、脳内祝勝会を始めるタイミングとして、少しだけ早過ぎだった。
この最終九十九折りが、今の疲労困憊の私には、まだ長かったのだ。
普通に冷静になって考えれば、1.9kmの廃道は十分に長い。とても数分で駆け抜けられる距離ではなかった。



14:53

結局、脳内の宴は早々に終わって、後はまた先ほどまでと同じように、基本は平板の心境で黙々と歩くようになった。
能面モードの私を邪魔するのは、再び腰丈を越えるようになった笹藪の密生(with マダニ)である。
踏み出す足にかかる笹による抵抗の圧でさえ、もう下半身の至るところに痛覚を与えるほどに消耗していた。
多分明日は動けないだろう。

この日の探索を今(探索から18年後の2024年)から振り返ってみると、自分の限界を知り、それを拡張していく過程の重要な探索であったと思う。
この前年に行った清水峠初戦の敗北から、本探索2ヶ月後の清水峠リベンジ、翌年1月の大嵐佐久間線などは、いずれも終日を要し、体力の限界に触れた気がした大探索であったが、これらの経験を積み、2010年春の千頭林鉄奥地探索という山中連泊探索への結実へ、私の体力面における充実は、30才代前半にあったこの時期からの数年に、雄大なピークがあったものと思う。



14:54 16.3km 《現在地》

善知鳥沢を渡って20分後、尾根の上に設定された最後の折り返しに到達した。
尾根なのに薄暗い、道が鍋底のような掘り割りになっているカーブで、本日最悪レベルで濃い笹藪が密生していた。
あまりの藪で、ちょっとだけショートカットしてしまいたくなったが、これも最後の矜恃で踏ん張った。ちゃんとカーブまで行ってから、そのインベタを折り返す。

これで峠まで 推定残り1000m!



この場所で撮影した動画

ここで再び、空模様の不安を訴えている。
もうなるようになれとしか言い様がない。



この場所からは、眼下の善知鳥沢の谷を通じる展望が開けていた。

本来の快晴であれば、ここは9時間分の死闘を振り返り、勝利の前祝いに酔う一大展望台となったかもしれない。
だが、今の善知鳥沢に宴の色は皆無であった。間近な日暮れに色を失い、まるで能面のよう。
私が123年ぶりの通行人として賦活してきた道のりも、すでにもとの死体へ戻ってしまったようである。

いつもなら、越えてきた山はたいてい親しく思うのに、今日の私は未だこの山の大きすぎる物量に圧せられ、早く峠の向こうの我知る世界へ逃げ出したいと思わされていた。
どうにも強気になれない。ただ一度通ったくらいでは全然征服できた気がしなかった。(普段の方が強気すぎるのか)

14:55 白雲に閉ざされていく善知鳥沢に背を向けて、休憩せずにすぐ出発。



14:56

折り返すとすぐに、どこから現れたのか全く謎な大岩が、ポツンと笹の海から生え出ていた。
辺りは緩やかな尾根で、低い木が多くて薄暗い。笹の深さも最高潮で、足の踏み場もなかった。
万が一、この“海”で道を失えば、再び道を見出すことは容易ではないかも知れない。
しつこいようだが、当時の私は命を繋ぐGPSがなかった。道を見失ったときの事故リスクは今日の比でなかった。



15:00

何の変哲もない笹藪道である。
ここで出発から10時間を経過、峠までは残り1kmを切っている。
ラストスパートに燃えるような熱はとうに燃え尽き、ただ両足の痛みに堪えながら歩くばかりだ。



15:04

少し前に歩いた下段の道を逆再生したように、同じような谷と尾根が順繰りに現れた。
進んでいる感に乏しい。



15:10

もう、峠が現れても不思議はない感じの地形になってきた。
進路上の明るさが、背後が空である空間の広いことを感じさせる。
しばらく感じていなかった山越えの逆風が、またさらさらと顔にかかりはじめている。
そんな風に絆されて笹が大人しくなってきた。逆に道幅は尊大に振る舞うように。

駆け出す元気はないけれど、これはもう、ウィニングランの雰囲気である。



15:17

三島通庸最後の道、塩原新道踏破を前にした、最後の歩行動画



15:21

脚下の善知鳥沢源頭へ集まる水のきっかけが、ガリーとなって道を断っていた。
そしてその対岸に、見覚えのある景色があった。


……まだ峠そのものではない。


この背丈を超えるほどの笹の深さに、見覚えがあった。




15:22

ガサガサガサガサガサガサガサガサガサ    ガサガサアシガトレソウガサガサガサガサ       ガサガサカラダモシニソウガサガサガサガサ

これを最後と信じ、全身全霊をかけた藪漕ぎ。


―― 耐えること、8分間 ――





―― やわく右へ曲がる先で、遂に登り止む ――




15:30 17.3km 《現在地》

桃の木峠、再着。

所要時間は10時間30分。



塩原新道の踏破が、成ってしまった。  


万世大路との出会いより、三島に導き育てられたオブローダーに、いま、八点鐘の音が響く。



桃の木峠まで あと.0km






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