新潟県道526号 蒲池西山線 序

公開日 2013.6.24
探索日 2010.5.18
所在地 新潟県糸魚川市


【広域図(マピオン)】

3年前(平成22年)の5月に国道148号の旧道を初めて自転車で巡った。
そのときは糸魚川を朝に出発し、夕方に到着した小谷(おたり)村から並行する大糸線でスタート地点へ戻ったのであり、午後の成果はあれこれで紹介したが、午前中の糸魚川市内における探索の模様を紹介するのは、このレポートが最初だ。

なお、この日の探索は国道148号とその旧道が目的だったので、国道から枝分かれする様々な道は計画に入っておらず、地図の準備もしていなかった。
私は新しいエリアにおける最初の探索では敢えて事前の調べを最小限にして、行き当たりばったりの発見を重視することにしているのだが、その事が一度で終らぬ探索のきっかけを作った。

その道は、行きずりで攻略するには少々、キビシすぎた

今回は「序」ということで、道との出会いをご覧頂くが、市販の地図には普通に描かれている県道の恐るべき実態が、その片鱗を覗かせた…。




国道端の「通行止め」に誘われ… 



2010/5/18 7:38 《現在地》

ここは国道148号が姫川を渡る大正橋の北詰で、糸魚川市の終点から約12kmの地点である。

朝5時半に糸魚川市街を出発し、いくつかの旧道を経由してここまで来た。
その流れで、この大正橋にも旧橋が無いだろうかと、目線は自然と橋の周りを飛び回る。

それと、道路地図によるとここから県道が分岐しているはずだった。
県道526号蒲池西山線という耳慣れない路線だが、ここへ来るまでは取り立てて変った路線とは思っていなかった。

だが、ここで初めて「問題が発生している」ことに気付く。
県道は入口で封鎖されているみたいなのだ。




この1枚の写真にオブローダー的な注目が二つ写っている。
一つは大正橋手前の左側に細長く続く2車線分の余地の先にあったと想像される旧大正橋だが、こちらは橋脚や橋台を含め、橋そのものの痕跡は全く残っていない。
大正橋という名前からして、大正時代に初架設された橋であろうと想像され、現在の橋はそれに較べて明らかに新しい。

もう一つが、二重の紅白バリケードで閉ざされた“川縁の道”だ。
もし大正橋が存在しなければ道は自然とその方向へ向かうだろうと言う、これまた「旧道」を疑わせる線形であったが、これが県道526号だった。
そして、無情にも封鎖されていた。

県道の通行止めだというのに、「言い訳」が用意されていないのが奇妙だ。
ただ「通行止め」の標識1枚だけで、あとは通行止めの区間、期間、理由など、本来(道路法に則って)掲示すべき表示物が一切見られない。
まるで、県道は既に道路ではない(=法的な意味で廃道)かのような扱いだ。

…もしかして、県道526号は無かったことになってる?

何があったんだ?




県道526号終点から望む、廃感濃厚である冒頭部分。

手元の道路地図や地形図では、約7kmほどで山を越えて隣の根知川沿いに抜けるように描かれているが…。

この「説明なき封鎖」された状況からは、まともに山越え出来そうにはとても見えない。

トンデモ県道に出会ったかも?!



もぅ〜。

別にウシになったわけではない。

困ったのである。

今日は、旧国道以外で時間を使う余裕は、あまり無い。
だが、こんなものを目の前にぶら下げられて、何もせず引き下がれるか?
明後日の方向へ7kmもの山越えをしてしまったら、今日の元々の計画は半ばオジャンになる。
だが、このバリケードを超えなければ、オブが廃るというものだろう。
スルー不可だなんて、もぅ〜〜!!

7:38 明後日の方向へ山越え開始。




県道は冒頭から相当の急坂である。
これは後に控える山越えのためであると同時に、さしあたっては大糸線の線路と立体交差するため必要な高度を稼ぐものであった。

左山右谷の県道路下に始まる鉄路は、そのまま出来の良いジオラマを彷彿とさせる優美な多連ガーダー橋に連なっていた。
すなわち県道下には大糸線のトンネルがあることが分かるが、路上からは見えない。

眼下にある直近の桁から対岸まで、居並ぶ桁数を算えてみると、実に13連も続いていた。
姫川を斜めに渡りつつ、さらに対岸に控える小滝駅への進入角調整のためにカーブを描いていることが、川幅以上の多連化の原因となっている。
この区間の大糸線は、国鉄大糸北線として昭和10年に開業した区間であるが、国道(大正橋)と違ってこちらは当初の桁のようだった。

さっそく良いものを見た。
しかし、県道の前途はまだ分からない。



この日の気温は5月としては高く、朝から強烈な日射しが照っていた。
列島に南北方向の大きな割れ目を作る姫川の谷底では、東西の風の流れあまりが届かず、数日続いている晴天の熱気が籠もっている感じがあった。

ひとことで言えば、まだ暑さに慣れていない身体には、堪える上り坂であった。
法面の土留めが不完全らしく、山側の路肩が土に埋もれて湿っているが、その事も蒸し暑さに拍車をかけていた。
頭上を高々と越えていく送電線が、何だか恨めしい。

苦し紛れに地図を見ると、県道は標高130mの姫川谷底をスタートして、約3km先で480mの峠に上り詰めている。
すなわち350mの高低差がある。
1kmあたり120mの高低差である。

…え? マジか?

これではどう計算しても…

馬鹿みたいな急坂とならざるを得ない!

単純計算で平均12%勾配だと!!

誤りかと思って等高線を算え直したが、マジだ。
まさか、急坂過ぎて廃止されたってワケじゃないだろうけど…。
これはますます、寄り道に本命を喰われかねない展開では…。




ぐんぐん、登ってます!

振り返ると、既に冒頭の国道や鉄道は遙か下になっており、姫川谷を見下ろす視座を獲得しつつあるのが分かる。
そして国道からは前衛の山に阻まれて下の方が見えなかった明星山の厳つい山容が、大変な存在感を醸し出していた。

なんでこの山だけ、これほど孤立して、そそり立っているのだろう。
地学者ならば明瞭な正解を教えてくれるだろうが、そのような知恵を持たない大昔の人々は、そこに神の宿りを感じたのであろう。
一方の私はといえば、この山の中腹に刻まれた稜線と平行するような斜線が、どうにも道に見えて困るという“職業病”に苛まれていた。
しかしどう考えても、これまた天に与る地形の妙というべきだろう。




7:45 《現在地》

出発=ゲート・インから7分後。

ここまでの前進距離は推定350mといった所だが、既に30mくらいは高いところまで来ている。

問題は、この先である。

なんか、草が路上に生い茂り始めたのだ。

一応舗装されているはずなのだが、そこに草があるということは、土が舗装の上に乗っているか、路面そのものが無くなっている可能性が高い。

嫌な予感がする。

まさか、こんなに早く大規模な決壊が…。




草むらに突入した私は、それから1分も経たないうちに自転車を降り、そして来た道を振り返っていた。


私はいったい、何を見たのか!




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道がねぇッ!

何があった!何があった!何があったんだ!!

普通に前方の景色だけを見れば、

「行キ止マリデスヨ。」

って、この道はここまでしか建設されなかったようにしか見えない。



でも、でもっ

道が消える末端に残された、このコンクリートの残骸(=路肩擁壁)が、

真実は他にあることを物語っていた。


ここは終点などではないのである。

この道は、まだ、始まったばかり…。


されど、 さりとて……




この場所に、どうやって進路を見出せと?!

ぶっちゃけ、今まで1000回を超える道路の決壊を見てきたと思うが、
まるっきり進路なり、次のステップなりが見出せないという場所は、珍しい。
どこを目指して歩けばいいのかがまるで分からないし、
仮に自転車を置き去りにしたとしても、正面突破出来る気がしない。




幾ら前方の斜面を眺めていても、進むべき道は皆目見出せなかった。
だが、何が起きたのかは見えてきた。

“悪さ”をしたのは、眼下を流れる姫川だろう。

土地勘のない私だが、数年前に流域を襲った集中豪雨災害のニュースは微かに憶えている。
確か大糸線などは相当長期間も不通になり、廃止も議論されていた気がする。
そして今日これまでの短い行程の中でも、姫川の両岸を固める護岸には、新しいものが妙に多いことに気付いていた。(そのため水害のニュースを思い出した)

今、眼前に見る光景も、まさにそれだ。
姫川の両岸は、場違いな都市河川のようにガチガチに固められており、右岸の山容は多段の治山工事によって完全に原形を失っていた。
しかもその変容した地帯は、鋭い岩尾根を一つ隔てて県道を呑み込んだ崩壊地に隣接しているから、これらの斜面で何が起きたのかを想像するのは容易かった。
姫川を跨ぐ大糸線の「第4下姫川橋梁」も、先ほどの多連ガーダー橋とは全く時代錯誤な曲線形のワーレントラスであり、橋脚を全て流出した橋の後釜らしいことがすぐ分かった。

問題は、治山工事が行われたのに、県道は未だ復旧されていないということだ。

私の記憶が定かならば、水害があったのは10年以上前だと思ったが……ずっと放置……?

※姫川大水害は(探索から)15年前の平成7年(7.11水害)に発生している。




手元の地形図にはちゃんと道が描かれているし、斜面が崩壊した山容は反映されていないようだ。

当時はGPSも持っていなかったので、現地にいて正確な現在地を知る術も無かったのだが、少し前に送電線を潜っているので、右図の「現在地」から大きくずれてはいないだろう。

そして地図と現地の風景の照合から何が分かったか。

重大な事実が判明した。

行く手を総ナメしている大崩壊斜面の対岸に道は行っておらず、そのどこかで折り返して、九十九折りの要領で上方へ抜けている可能性が激高なのである。

すなわち、正面突破を試みる必要はなく、現在地の上方へ登ることが出来れば、崩壊の先の道に出ることが出来るかも?!




現在地の上!

……これを登れば……


れば……



れば








無理ニャー!!

…でした。

申し訳ないが、寄り道でチロチロ攻略するには荷が重すぎる。
あの草付き斜面は空手で登るのさえ難しそうだったから、さらに自転車を担ぎ上げるなんて考えたくもない!
反対側の状況が分からないのも、リスクが高すぎる。

そのため、この県道は次の機会へ先送るという苦渋の(そして同時にホッともする)決断を下した私は、すぐに来た道を戻って国道へ出て、さらに大正橋を渡って対岸の小滝へと向かった。

そして先ほどの現場を見上げがちに眺めて見ると…。

やはり、先ほど現地で地図から推測した「現在地」は、正しかったようだ。
崩壊地の上部にも杉林や鉄塔が見えるから、何らかの人の出入りがある(あった)はずだ!



次のチャレンジでは、ぜひ反対側からアプローチしてみたい!




平成24年6月1日の決戦が

いま、幕を開ける。