道路レポート  
雄勝峠(杉峠) 旧旧道 その1
2005.3.13

 右図には、雄勝峠とその近隣の主要な峠の位置を示した。
国道13号線の秋田山形県境部分には、連続する二つのほぼ同規模の峠があり、それぞれ雄勝峠、主寝坂峠と称される。
このうち、主寝坂峠については、以前旧道のレポートを行っているが、今回紹介する雄勝峠旧旧道は、主寝坂の旧道と同時代の道と言える。
つまりは、主寝坂の現道は、一時改良のまま現在も使われていると言うことだ。(現在新主寝坂トンネル工事中)
 また、雄勝峠とは起点を共にする松の木峠は、国道108号線上にあり、こちらの旧道は、かつて私にこの上なく濃密な死の恐怖を与えた、伝説の道である。
図中右下の有屋峠というのは、「序」で少し触れたが、雄勝峠を佐竹の殿様が開削する以前に羽州街道としても利用されていた峠だ。
しかし、こちらは標高1000m近いきわめて険難なもので、いまだ車道の開通を見ていない。
この場所にある県道の終点までのレポートは、ミニレポとして以前紹介した。

 と、このように、山行がの歴史に残る幾つもの名峠に囲まれた雄勝峠の、これまでのレポートはこちらである。
これは、旧国道を紹介したものだったが、あの段階では、その旧国道よりも以前に、車道はなかったと考えていた。漠然とだが。

私に、もう二度と行きたくないと言わしめた、主寝坂旧道と同時代の、“三島”の道。
果たしてそれは、現存したのか!?



秋田県雄勝郡雄勝町上院内 
2004.12.2 9:00


 雄勝町院内地区で国道13号線は国道108号線と別れ、一路県境を目指すようになる。
緩やかで直線的な登りを、奥羽本線と数度交差しながら6km弱進むと、眼前には稜線が迫ってくる。
これが、雄勝峠のある県境の尾根であり、最も低い位置で海抜400m強と、秋田県と山形県の県境としては、沿岸部を除いて最も低い部分である。

特に、これより目指す峠の位置は、遠目にも大変分かりやすい。
写真にも写っている、中央やや右よりのUの字に稜線が凹んでいる場所。
それこそが、雄勝峠、またの名を、杉峠である。




 現国道は、併走する鉄道が、上り線下り線と相次いでトンネルにはいると、後を追うようにしてすぐに坑口を迎える。
これが、昭和56年に開通し現在まで現役を張っている新雄勝トンネル(L=1375m)である。
歩道が片側に設置されており、非常口こそ無いが、まだまだ今後も一線に有り続けるだろう、秋田・山形を連結する最も重要なトンネルである。

ここまで山際に寄ると、今度は稜線が見えにくくなる。
実は、旧国道と、元来の羽州街道の道は、既にここから袂を分かつ。
旧国道が、現トンネルの左に分かれる舗装路である一方で、この地を通った最も古い道である羽州街道は、直接ここから先ほど見えていた鞍部に直登する。
それは、おそらく現在の奥羽本線雄勝隧道の坑口付近から、砂防ダムが築かれている小沢について真っ直ぐ上る道であったと推定されるが、その痕跡は見あたらなくなっている。
ここは、素直に旧国道へ行く。
結果的には、私が探す雄勝新道と呼ばれた“三島”の道も、旧国道に近い道筋であった。



 前回ここを訪れて以来、もう2年と半年も経っていた。
秋田県内の、比較的訪れやすい場所にありながら、その後訪れることがなかったのは、やはり通り抜けの出来ない旧道であるという事が大きい。
以前のレポートの通り、峠の旧トンネルは私企業に払い下げられ、倉庫として利用されている。

今回も、実は通り抜けをすることなどはなから期待していなかったし、旧国道よりも古い道筋が、鮮明に残されているとも考えていなかった。
なんかしらでも、その痕跡が見つけられればいいな、という程度の期待であった。

入り口の施錠ゲートを潜り、舗装された旧道へと分け入る。


 すぐに現道の喧騒は地中に飲み込まれていき、聞こえなくなる。
その代わり、辺りには廃止された旧道のもつ、うら寂しいムードが漂い始める。
しかし、この空気こそ、私にとっては媚薬にも等しい蠱惑の薫りである。

2年半ぶりともなると、そこにある景色は目新しく、胸がときめいた。
前回とは、季節も違うしな。

間もなく、右手の山肌の上部に、金属製のスノーシェードが見えてきた。
これは、旧道の一部であり、この後ヘアピンカーブであそこまで上っていくのだ。



 そして、ここから先に、今回のレポートの新発見事実が出始める。
要注目だ!!

まずは、旧道法面の施工なのだが、一部に非常に古そうな施工が紛れていることに気が付いた。
この旧道は、昭和30年に開通した道なのだが、写真に写っている石垣など、とてもその際に建築されたものとは思えない。
しかも、半ば以上まで土砂に埋もれているし…。

ずばり、法面の石垣で思い出されるものは… 三島道だ。
これまで幾多の三島との戦いの中で、私は度々、巨大な石垣を目撃している。
ここにあるものは、少し施工法は違うようだが、古そうな石垣に、早くも旧国道以外の道の存在を、予感した。


 謎の石垣に興味を惹かれながらも、決定的な発見のないままに、一つ目のスノーシェード(以下“SS”と略します)に着いた。

この旧道の雄勝町側の特徴といえば、なんと言ってもこのSS群であり、峠の隧道までの僅か2.5kmに、6つのSSが犇めいている。
これぞ、冬季は数メートルの積雪に覆われる県境山中の、通年交通確保に向けられた、道路マンたちの執念の結晶である。
雄勝側は雪崩の巣となるだろう急斜面をヘアピンで上っていく展開であり、冬季の危険性は想像するにあまりあるものがある。

 短い一つ目のSSを抜けた先は、突然のヘアピンカーブである。
ここは、道幅がとても広くなっており、カーブのアウト側に、腰丈ほどの高さを持つ分厚いコンクリの擁壁が設置されている。
やはり、オーバーランして路肩へ落ちる車が多い難所だったのだろうか?

というか、近代的な道には決してあり得ない展開だよな。
SSを出たその場所がヘアピンだなんてな。



 私の大のお気に入りである、雄勝峠旧道雄勝側第一ヘアピン。

ヘアピンの終わりは、そのまま次のSSである。
このSSは、本旧道内最大規模のもので、立派な扁額まである。



旧国道 ヘアピンからヘアピンへ
9:07

 「雄勝第二なだれ覆」
それが、このSSの名前である。
側壁柱には竣工年度の分かる銘板があり、昭和四十年十一月とあるから、実はこの旧道が開通した当時には存在しなかったものであることが分かる。
しかし、これら立派な雪崩覆も、耐用年数を大幅に下回るだろう、僅か16年ほどしか、利用されなかった。




 この辺りの景色も前回と変化はなかった。(季節の違いと言うことを除いては)

やはり、このSSの入り口には、金網のフェンスでゲートが作られた痕跡があり、また、SS内部にはプレハブ小屋が健在だった。
なんとなく、生活の痕跡を感じさせる旧道なのだ。



 これが初公開(オイオイ…)、プレハブ小屋の中だ。
鍵が掛かっており侵入できないが、ガラス窓がSS内に向けられており、覗くことが出来る。

てっきり廃屋かと思っていたが、実は内部は小綺麗に片づいており、定期的に利用されているのかも知れない。

なんか、素敵だな。
あのストーブとか…・。
こんな所に暮らしながら、のんびり更新したいゼ…。



 ほぼ直線で、緩やかに上っていく。
確かにヘアピンカーブは厳しいが、グネグネと何度も小さなカーブを繰り返すよりは、走りやすい道だったろうと思う。
むしろ、これだけ険しい山中に、よくぞこれだけ単純な線形の道を築けたものと、感心してしまう。
一級国道の新道として、大きな期待を背負ってスタートした道なのだと言うことが、感じられはしまいか。

昔のレポでも書いたかも知れないが、もしここが国道13号線の主要な峠でなければ、まだまだ現役で通用する道だと思う。
ちゃんと2車線だし。



 3号、4号、5号と、相次いでSSをくぐり抜ける。

写真は、振り返って撮影。
2〜5号までが、一本の直線上に連なる様子がよく分かる。

ちょうどこの左の斜面の下が、旧道の入り口のゲート付近だ。





 5号SSの先は、二つ目のヘアピンカーブである。
そして、このカーブを曲がれば、もう間もなく峠のトンネル、雄勝隧道である。
大した距離のない旧道ではあるが、いいムードを保ってくれていた。


で、 ここからが、本題なのだ。

この、二つ目のヘアピンカーブ。

ここが、三島道との邂逅の地となった




 現在地は図中に記してはいないが、これまでの本文をお読み頂ければお分かりだろう。

この後、三島道の全容を解明せんとする戦いが始まるのであるが、
解明された道筋は、左図に随時、青い線で書き足して公開していく予定である。
果たして、私の描く青い線は、県境を越えることが出来るのだろうか?!







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