隧道を出てからまだ100mくらいしか進んでいない。途中、路上の岩に腰掛けて昼飯を食べた。
歩き出してすぐに、上の短い動画を撮影した。道幅や川との落差など、全体的なスケール感を感じて欲しい。
あと、音を聞いて欲しい。この道を圧倒的に支配する音が存在する。それは利根川の奏でる音だ。
動画の中でも述べている通り、ここで利根川の本流が迫りつつあった。
これまでは広大な氾濫原があったので、崖地の圧迫感はさほどではなかったが、
いよいよ逃げ場を閉ざされることになりそうだ。
ここはこれまでで一番よく道の形を留めている。
右も左も崖だが、奇跡的に崩れることなく保っていた。
道幅は3.5mほどだろうか。川側も石垣ではなく、岩場がそのまま露出していた。
いま私は、この道の原形に近いものを見ていると思うが、その見た目だけで、特異な歴史を見抜くことはできない。これは、明治や大正の荷車や馬車が通った道ではないし、森林鉄道が通った道でもない。見慣れたそれらよりも遙かに少なく、存在自体が貴重な、戦時中の軍用道路の未成道だ。
しかし、道路に階級章が落ちている訳もなく、外形的な部分からこの道の特殊な背景を見抜くのは、至難を通り越して不可能だった。
ここでは想像力が必要だ。
この道を真っ先に走ろうとしていたのは、こんな形の自動車だったのかもしれない。
13:09 《現在地》
隧道出口から約200m。
上の写真に見える右カーブを曲がると、ちょうど真っ正面の山側斜面に、この滝が現われた。
厳しい冷気と日陰という立地のため、見事に氷結していた。
斜面に沿って落ちるナメ滝で、水量もごく少ないようだが、落差は見える部分だけでも20mくらいありそうだった。
この沢、地形図にも名前がなく名称不明だが、70mほど上の名胡桃台地上にある滝合地区から流れてきている。
我らが軍用道路との交渉はここでの一度きりで、橋さえないので重要な沢とも思われないが、レポートとしての便宜上、これを仮称「滝合沢」と名付けておく。
(滝合という地名自体が、滝となって利根川に合うこの沢の存在に由来しているかもしれない)
軍用道路は、滝の下を無造作に横断しているように見えるが、その部分の道が半分ほど陥没しており、どうやら土管が埋設されていたようだ。それが壊れたことで道が陥没したのだろう。
問題は、この仮称「滝合沢」を越えた先である。
道は、そこにある平滑な感じの斜面にぶつかると、そのまま痕跡を失っているように見える。
早くも、未成道の工事終点に、辿り着いてしまったのだろうか。
そして、軍用道路が見失われる一方、川岸には新たな出現物が……!
川岸の何かへ向かって、ズームイン!
なんだあれ?
み、道なのか?!
いや、さすがにあれは水面に近すぎるだろ!!?
今日はギリギリ大丈夫でも、増水したらあっという間に水没してしまうことが容易く想像できる位置にある。
いずれにしても、地図上では窺い知れなかった、何かの人工物なのは間違いない。
形状としては、だいぶ道っぽい……!
で、実はここから探索は少しややこしくなる。それで私も一時混乱を来たしたのだが、レポートはシンプルに結論を述べていく形としたい。
まず、この川岸に見えてきた道のようなものの正体だが――
これは、滝合用水という農業用水の水路だった。
利根川からの取入口がここにあり、川べりの水路が管理通路(車道)を兼ねる造りになっている。
滝合用水が建設された時期や経緯は不明だが、軍用道路との直接の関係はないだろう。
だが、ややこしいのはここからだ。
私がいる場所の少し下にも、平場というよりはやや凹んで溝のようになっている部分があるのが分かるだろう。
これは何かという話なのだが、その行く先には――
【隧道】が!
いや、でもこれは違うんだ。
少なくとも、このサイトが大文字にするようなものじゃない!
これは、溝になっているから分かると思うが、水路跡だ。
ここから先は文献的裏付けを持たない推測だが、滝合用水の旧水路跡だと思う。
(水路用と判断したので、この隧道は入らなかった)
ただ、この旧水路は現在の水路よりも3mくらい高いところにあり、どこから取水していたのかという疑問がある。
「滝合沢」か、もっと上流の利根川か、未解明である。
もし旧水路がもっと上流まで延びていた場合、私が軍用道路の遺構と思って探索した先ほどの隧道が、実は旧水路の隧道だったのではないかという疑念を生むことになる。
冒頭に紹介した『町史』の隧道に関する記述や、旧地形図にそれらしい水路が描かれていないこと、隧道のこちら側に明確な道路遺構が存在することなどから、“水路隧道説”の可能性は低いと思うが、旧水路の位置がはっきりしない限りは、旧水路隧道が軍用道路隧道の導坑に転用された可能性を完全には否定しがたい。 (未解決問題)
一度状況をまとめよう。
この先には、水路と旧水路がある。
そして、肝心の軍用道路は、滝を過ぎたところから行方不明である。
図中の桃色の矢印は、消える直前の道を、同じ高さのまま、斜面上に延長した線だ。
普通に考えれば、この線上が道路予定地だったと思うが、それらしい平場は全く見えない。
道がないのは、一度作られた後で崩れたのか、そもそも作られなかったのか。
この判断を決する材料は、残念ながら見当たらない。未成道探索の難しいところ。
とりあえず、このまま斜面を水平移動で突っ切ってみることにする。
ヤバイ!
語彙力低下しそう!
斜面トラバースの先に、大変なものを見つけた模様!
泣ける!
俺はいま泣いている。
これを見たら、きっと全員泣くぞ……。
掘りかけの切り通し。
見つけて数秒、これがなんなのか理解した瞬間、マジでゾクッとした。
隧道を見つけたときよりも興奮している。
だってこれは……、これこそは…、
未成道であることの証明だ。
未成道探索に最大のカタルシスをもたらす、
未成道にしかあり得ない風景が、
一切の事前通知なく、現われた……!
この衝撃的な“掘りかけの切り通し”の出現は、ここが未成道だったという史実を強く象徴・証明する存在であるのみならず、工事がどのような状況で中止されたかという、極めて現場感が強い内容をも示唆する存在だった。
切り通しのような道路全体から見れば小さな構造物の完成さえ待たずに工事が中止されたというのは、それが計画的な未成ではなかったことを示していると思う。
計画的な未成というのは、議会で次年度の工事予算が凍結されたために工事が中止されるようなケースだ。
こうした状況では、工事の発注や予算の執行に対して中止が唐突ではないために、ある程度きりのいいところで工事を終えることが普通である。
トンネルや橋や切り通しのような、工事途中で放置すると全く無駄になる構造物については、着工前であれば着工自体を中止するだろうし、着工後だとしても出来るだけきりの良いところまでは作って終えようとする。
未成道は数あれど、その多くがこうした穏便な経過を踏んで未成になっているので、いかにもな作りかけの橋や掘りかけのトンネルを目にすることは、極めて稀なのだ。
切り通しが、このような掘りかけの状況で終わっているというのは、工事中止が全く現場の予期しない極めて唐突な出来事であった可能性を強く示唆している。
すなわち、『月夜野町史』が語る、「敗戦によって工事は中止され
」たという状況を裏付ける光景と言えるだろう。
このような推測が働いたことも、未成の構造物が存在していたことに強く感銘を憶えた理由である。
大袈裟でなく、咆哮を上げるほど興奮した。
これは望遠でなく、現在地から肉視で眺めた切り通しの全体像だ。
注目すべきは、切り通しの直前まで全く道形が見えないことだろう。
そこには、切り取りと盛り土を同時に行わなければならない急傾斜の土斜面が広がっている。斜面を斜めに登る細い道形が見えるが、獣道っぽい。
工事を片押し(一方の端から順次奥へ進めていく)で行う場合、その途中に繋がっていない部分があったら不自然だと思うかも知れないが、実はそうとも限らない。
当時の切り通しの作り方は、現代のように重機によるベンチカットではなく、人海戦術がメインだったので、途中の道が繋がっていなくても、人さえ通れれば先の工事が可能なのである。
ましてや、この川べりの道全体の鶏口を成す竜ヶ渕の隧道が、【あのような小断面】のままだったことを考えれば、人海戦術以外の工法はほぼあり得ないことになる。
工事跡が一続きではないとしても、不思議ではないのだ。
ううううーっ。
(↑キテる)
なんという、奇妙な光景だ!
今までどれほど道を見たか分からないが、この景色は初めてだ。
掘りかけの切り通し。
それも、いかにもこんな「中止だ!」と分かる形で工事を終えているというのは、ほんとうに驚きだ。
完成した切り通しなら、普段から飽きるほど見ているが、隧道ほどは工期が掛らない切り通しだけに、“掘りかけの隧道”以上にこれは珍しいものかも知れない。(現に、見つけた数も遙かに少ない)
いざ、真っ正面にて相対峙。
当時の切り通しが、どういう手順で掘られていたかという工法的な部分についても、私は今まで文献などで見た覚えがない。
それは私が注目しなかっただけかも知れないが、隧道の工法については様々な文献があって目を通してきたこととは対称的に、不知だ。
おそらく、切り通しの掘削というのは、技術的にはそう高度ではなく、労力ばかり強調される仕事であったと思われる。
最初に地表の表土を掘り返し、それから地下の岩盤を、必要な深さまで力技で掘っていくだけの仕事だ。
このとき、隧道のように掘り方に「工法」と呼べるような手順があったかも知れないが、それを私は知らない。
少なくとも、この目前の切り通しについては、さながら昆虫が果実の表面を囓るように、全断面を同時進行的に掘っていたことが窺える切羽(切り口)だ。
想像するに、人海戦術による最速手順がこれなのだ。同時に大勢が切羽に取り付いてツルハシを振うのには、上から水平に掘り下げたりするよりも、効率的だと思う。
汗。
その匂いが染みついたような風景だった。
私は夢中でよじ登った。
先へ進むためには、これを越えるか、利根川べりまで降りて迂回する方法があるが、これほどのものを見せて歓迎してくれたのならば、出来るだけ積極策で攻略したいと思った。
だが、削り出された切り通し内の切羽は岩盤の斜度が45度くらいもあり、表面に75年分の落葉が作り出した薄く硬い表土が乗っていた。
手掛かりがほとんどないので登ることは難しいと判断し、ツタや立ち木といった手掛かりのある切り通し左側の地山をよじ登った。
写真は、切り通しになるはずだった部分の頂上に立って、上ってきた側を見下ろしている。
切り通し両側の法面は相当垂直に近い急傾斜にするつもりだったようで、下の路面部分の幅4mに対して、頂点部分も幅は5mくらいしかなかった。
13:20 《現在地》
これが切り通しの頂上部分だ。
本来の地表から1mほど無造作に掘り下げられた、岩盤の分水嶺になっていた。
落葉が溜まりづらい場所なので、固い岩盤が露出していた。
いかにも硬そうな青みがかった岩盤を、ツルハシのような道具で力任せに、時間をつかって掘り下げていったのだろう。
爆薬を使えば早そうだが、戦場にこそ必要な爆薬を、肉体労働で代替できる用途には、そうそう使えなかったと思う。
この工事の中止が、具体的に終戦前後の何日のことであったかは、記録がなく分からない。
しかし、その命令が下されたときから完全に、唐突に、昨日の仕事の続きは行われなくなったのだ。
そうした突然さを窺わせる、いかなる整地の気配もない投げっぱなしの切羽であった。
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これは“切り通しの頂上”という、普通は立てない地点からの全天球画像だ。
この辺りで最も低い地点である利根川の水面と較べると、高さは25mくらいありそうだ。
切り通し自体の高さ(=深さ)は7〜8mくらいかな。細い岩尾根なので、高度感があった。
また、ここから尾根伝いに植林地を上っていけば、滝合集落がある
台地上に抜け出せそうな感じがした。エスケープルートとして記憶に留めておこう。
そして、皆様もいま、ここへよじ登った時の私と同じことが、気になっているはず。
この未成の切り通しの先がどうなっているのか?
ここが、未成道の終点なのか。
気になる、下流方向に目を向けてみよう!
深い谷!
ほとんど取り付く島がないくらいの急斜面が、
一気に本来の道の高さの倍くらい下まで落ち込んでいた。
その底には極めて細い谷があり、対岸は遠くないが、とにかく鋭い。
当然、橋を架けなければ先へは進めない地形だが、
その基礎となる橋台を含め、構造物の痕跡はない。
そもそも、こちら側には切り通しの切羽のような掘削跡もなく…、
ここが工事の終点というに相応しい地形だ!
?!
嘘だろ…。
なんということだ!
谷の先に、また道形が見える!
道は、まだ終わってはいないようだ。
未成の切り通し、さらに橋のない深い谷を越えた先に、忽然と次なる道形が……!
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13:22 《現在地》
下の水路沿いの道への迂回も考えたが、積極的ルートを求める熱が強く、
「ぬおー!ぬおー!」言いながら強引に谷へ下った。
写真は、小さなV字谷をなす谷底から撮影した全天球画像で、
破線の位置が橋の予定位置と考えられる。背側には細い滝が落ちていた。
下ることさえ出来れば、対岸の登り返しは
落差が半分程度なので、遙かに楽だった。
そして……
切り通しを挟んで約100mにわたって道を失っていたが、久々の再会。
呆気ない終わりなど、許されないと言いたげだ。
だが、過酷な戦争を戦う道の矜持だなどと飾り立てはすまい。
命令に従って、最後まで手足を動かし続けた人たちの仕事の跡が、ただあるばかり。
苛政は虎よりも猛し。人は命じられて、この険に挑んだ。
岩を越え、谷を越え、地下工場へと道は延びていった。
これまで以上に荒れ果てているが、垂直の法面には人造の気配が強い。確かにこれは道だ。
ふとGPSの画面を見れば、既に竜ヶ渕から始まる利根川べりの崖地の7割を踏み越えていた。残り3割。
未成の切り通しによって確実に一度は途絶えた道が、まだ続いているということは……、
もしかして、このまま崖地の突破まで行けるかもしれない!
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