道路レポート 町道 半場神妻線(市道 浦川半場線) 後編

公開日 2015.03.17
探索日 2013.03.15
所在地 静岡県浜松市天竜区

「大月トンネル」



果たして、大月トンネル貫通の可否は?



2013/3/15 6:47 《現在地》

光が見える = 貫通!

ぃよっしゃあっ!

助かった!! これで希望は繋がった!



だが、これは明らかに尋常の状態ではない。

大月トンネルは、閉塞こそしていなかったものの、
確かに「全面通行止め」だと町が宣告するのも頷ける状況にあったといえる。

もっとも、その宣告が行われた時期や、その当時の状況は不明なのであるが。
ここまで崩れ果てる以前から、道は相当に怪しい状況になっていたはずだ。
小型自動車が最後に通ったのがいつかなんて、この隧道の状況からは想像さえ出来ない。




これは酷い。

写真でもお分かりいただけるであろう。

隧道の長さは僅か30mほどしかないのだが、その後半の半分は、洞床が次第に天井へ近付いていくという、普通ではない状況になっていた。
もちろんこれは崩落した土砂のせいだ。
しかも洞内ではない。
案外に隧道内の壁は壊れておらず、大きな亀裂も見あたらない。
そういう意味では、隧道そのものは案外に健在なのだ。
この隧道の半分を埋め尽くそうとしている膨大な土砂はみな、これから私が出ようとしている神妻側坑口の西口から雪崩れ込んで来たものなのである。

一体、外はどうなっている?

例え隧道を突破したとしても、全く予断は許されないぞ…。



隧道内部には、これと言って印象に残るようなものは無かったのだろう。
或いは、西口の先の状況が気になりすぎていて、洞内観察が些か疎かになった嫌いがないでもないのだが、しかしそれもやむを得ないと自己弁護したくなるほどの西口の恐ろしさなのだった。

幸いにして、西口を塞ごうとしている土砂はかなり締まっていて、最近に崩落したものでは無さそうだ。
しかも土ではなく岩石主体なので滑りやすいこともなく、自転車という大荷物を運び上げるという面倒事も、達成するのはさほど難しくなかった。

とはいえ、この締まった土砂の山がもう少し多く積もっていたら、隧道は完全に埋没してしまうのである。
このままでは、いつ完全閉塞に至るか分からない。少し大きめな石がひとつ落ちてきただけで、もう終わってしまう状況になっている。




外へと出たがる、私の相棒。

こいつを分解せずに通り抜けられるのも、今が限りかと。
もう少し狭くなると、自転車の通行は一気に難しくなるだろう。



…さて、 外はどうなってる?!



スポンサーリンク
ちょっとだけ!ヨッキれんの宣伝。
前作から1年、満を持して第2弾が登場!3割増しの超ビックボリュームで、ヨッキれんが認める「伝説の道」を大攻略! 「山さ行がねが」書籍化第1弾!過去の名作が完全リライトで甦る!まだ誰も読んだことの無い新ネタもあるぜ! 道路の制度や仕組みを知れば、山行がはもっと楽しい。私が書いた「道路の解説本」を、山行がのお供にどうぞ。



神妻の地上にて、終盤戦


6:50 《現在地》

まあ、こんな感じだろうなと思ってた…。
ひどい有り様である。
なんというか、山が流れたようになっていた。

道がどこにあったのかなんて、探すのも野暮なくらいだ。
洞内で土砂の山を這い上っている分だけ、ここは東口よりも数メートルほどは高いが、こんなに視界が開けているのはその高さのせいではなく、周辺の樹木が軒並み押し倒されているからだ。

しかし、最悪の状況ではない!

これならば、自転車同伴で乗り越えていけると思う。
行ける!!行けるぞ!
私の中に盛り上がっていた不安も、今よじ登った土砂の山と共にピークを越えたと感じた。



ニョロっと穴から出て来た我が相棒。

かぁいいなぁ。

隧道も、これでちゃんと自分が“車道”であるということを、再確認してくれたことと思う。これで一念発起して、大量の土砂を押しやっての“復活”に期待したいところだ。

それにしても、坑口から20mも離れるともう開口しているのが分からない有り様だった。
こちら側から探索していたら、この光景に、相当どぎまぎさせられたことだろう。その分だけ、開口に気付いた時の興奮もあっただろうが。
それでも私は、東口のあの「しん」とした姿が好きなので、それを第一印象に出来て良かったと思っている。

なお、この坑口前の崩壊斜面は、とても眺めがよい場所だった。
おそらく、原田橋を最も良く遠望できるのがここだ。




国道473号原田橋の(在りし日の)勇姿。

探索当時には、文字通りの“勇姿”であると思った。
なにせ、完成から50年あまりを経た老体である。メインケーブルの老朽化のために、 大型車の通行禁止や、片側交互通行といった不利を余儀なくされてはいたものの、 それでも替えの橋が完成するまではと、黙々と頑張りぬいている姿がそこにあった。 そして、私もそれを知っていただけに、眼を細めながら頼もしく見遣ったのが、この場面だった。

この2年足らずの後に橋は不幸な最期を迎えてしまうのだが、 橋を巻き込んだ大崩落の現場は、当時から高い落石ネットに覆われていた事が分かる。
また、橋の奥の天竜川岸にも、相当大規模な崩壊地が荒れるに任されているのが見える。
原田橋の周辺は、町民の多くがそれを意識していたと報道もされているとおり、当初から崩落の危険地帯だったようだ。
しかしその事をして、「今回の災害が人災だ」とはまた言えないほどに、原田橋は長く危険地帯の中で活躍をし続けてきた。



大月トンネルから50m以上離れた。

この辺りまで完全に道を呑み込んだ崩壊地が続いていたが、さほどの斜度ではないので、自転車同伴での横断も案外に難しくなかった。
なおこれ以下は、探索当時ではなくて今の感想である。

さすがにこの道をもとの軽車道レベルまで復旧させるのは困難だと思うが、登山道程度の徒歩連絡路(原田橋の徒歩のための迂回路)としては多少の整備で使えそうだ。隧道内に落盤がないのは好材料だ。
もっとも、いつ新たな崩落が発生するかは分からないので、登山のような自己責任状況でない限り、道路管理者としても気軽に解放はできないだろう。

原田橋の現状使われている迂回路は、天竜川の干上がった河床を横断するものであり、歩行者や二輪車、それに大型車の通行が禁止されているほか、上流の佐久間ダムが放流される度に長期間水没して通行止めとなる見込みだという。せめて歩行者や自転車といった交通弱者の迂回路が欲しいわけだが、この町道をそのレベルまで整備するよりは、並行する飯田線に中部天竜〜下川合間の区間運転列車を増発する(もちろん自転車やバイクも載せる)方が遙かに現実的なのではないかと思ったりもする。これにはJRの対応が必須だし、頻繁運転するほどの需要があるのかも私には分からないが…。



大崩落地を越えて50mほど進むと、おびただしい量の倒木が狭い道を塞いでいた。

私の自転車にとっては、生半可な崩落よりもこの方が煩わしいと感じたが、総じて見れば着実に路盤の状況は回復しつつあると感じた。
最大の懸案であった大月トンネルを突破し、現在地は既にゴールの下川合駅の方へかなり寄っている。
傍らを流れる大河も、既に天竜川でなく、大千瀬川となった。
相変わらず地名は半場のままだったが、ゴールはもう近いはず。




木々の向こうに見えてきた白いもの。
その正体が民家の屋根であると気付いた私は、ほっと胸をなで下ろす。
無事に私はやり遂げることが出来たようだ。

その安堵を後押しするように、後ろ向きになった1枚の看板が立っていた。
表に回り込んで見ると、それは見覚えのある内容。
前に見たものとの違いは、「この先 一五〇m 地点」の部分の数字だけだった。

…終わった! 私の勝ちだ。



6:58 《現在地》

久々に見る気がする、またこのサイズの人道鉄橋だ。
下を流れているのは神妻沢で、これまであった2本の人道鉄橋よりも遙かに大きな沢である。
橋も長くて、もしこの橋が廃道状態で放置されていたとしたら、横断には結構手こずったろうと思う。

この橋を渡ると、最後の驚きが待っていた。
こいつは紛れもない、ビニールシート鋪装!

ふにゃふにゃした走行感触が忘れられない。
あれは、一度味わうと病み付きになりかねない気持ちよさだった。
ここが町道…いや、今はおそらく浜松市道なのだと思うが、ビニールシート舗装とは楽しい。
そしてこの黒い絨毯のような道を最後に、約1.5km続いた自動車通行不能な道は終わる。



神妻沢の左岸に、神妻集落と思われる数軒の民家がある。
ただし昔の地形図を見ると、現在の集落は元々の位置ではないようだ。

そしてここには、どのような由来がある邸宅かは存じないものの、洋風とも和風ともつかないお外観を持った建物が存在感を誇示していた。
道はこの家の下の舗装路を通って下川合へ通じる。




神妻から下川合駅までは大千瀬川沿いの快走路で、自転車を連れてきたことを心底良かったと思える道だ。

このあと私は下川合駅から国道へ出て、あの原田橋を渡ってスタート地点へ戻った。 これにて一件落着だ。



歴史考察編  〜大月トンネルの由緒は未解明〜


今回探索した町道半場神妻線は、いかなる歴史を持った道だったのだろうか。
以前目を通したことがある「佐久間町史(上・下巻)」には、関連する記述はなかったように思う。
そこで今一番頼りにすべきは、地元にお住まいの方々の記憶ではないかと思うわけだが、残念ながら、探索当日にはお話しを聞く機会が無かった。
これをお読みの皆さまの中に、何かご存じの方がいたら教えて欲しい。

今回はとりあえず、いつも通りに歴代の旧版地形図を見ておこう。

← 新しい            (歴代地形図)              → 古い
昭和35(1960)年
発行
昭和23(1948)年
修正
明治41(1908)年
測図




1枚目は、レポートの冒頭でも紹介した、昭和35(1960)年発行版だ。
この道は小型自動車道(幅1.6m以上)として描かれている。
当時はちょうど佐久間ダムが完成し、それに伴う飯田線の付替や佐久間湖畔に沿って長野県へ通じる県道(現県道1号)の建設など、佐久間が町としての独自の繁栄を最後に謳歌していた時代と言えるだろう。
しかしその“熱”が数年で醒めると、長年ここを優先的に潤してきた天竜川の恵みが失われた現実を前に、周辺の他の町や村と同じ悩みを抱えることになるのだった。過疎である。

昭和23(1948)年修正版は、佐久間ダム以前の風景である。
この図でも既に、大月トンネルをはじめとする一連の道が存在している。
沿道で目立った違いといえば、神妻沢の合流地点付近に発電所の記号が描かれていることくらいだろうか。
また、原田橋は現在の橋ではない旧橋の時代であるが、この橋を使わずに天竜川を渡る破線の道が描かれている事にも着目したい。その渡河部分には渡し船の記号がある。

明治41(1908)年測図版は、ここを描いた一番古い版である。
なんと、この当時から既に半場と下川合を結ぶ川縁の道が二重破線の「間路」(これは当時の図式で3種類ある「里道」のうちで一番低い格付け)で描かれているのである。大月トンネルは見あたらないものの、道がほぼ同じ位置に描かれていることと、現場の地形的に迂回が難しいと思えることから、隧道は既に存在していた可能性がある。その場合は、文句なく明治隧道ということになる。
なお、最初の原田橋が架設されたのは大正4(1915)年であったから、当時はまだ存在していない。その代わり天竜川を渡る通船が描かれている。(この図では川の上に橋のようなモヤモヤしたものが描かれているが、これは正体不明の記号である)

このように、天竜川と大千瀬川の合流地点の東西を、両川の南岸沿いに連絡する道は、相当古くから存在していた事が分かる。
飯田線(三信鉄道)よりも古いらしいのである。




ところで話は変わるが、平成25(2013)年の探索で撮影した写真に、原田橋の下流で天竜川を渡渉連絡するような道が見えていることに気が付いた。

そして実はこの道、平成27(2015)年の原田橋落橋に際していち早く整備され、乗用車のみではあるが、原田橋の迂回路として利用されるようになるのだった。

なぜ2年前に撮影された写真に原田橋の迂回路が見えているのか不思議に思って調べたところ、これは探索前年の平成24(2012)年4月24日に原田橋のメインケーブルに深刻な劣化が見つかって全面通行止めとなり、調査の結果8トン以下の自動車の片側交互交通が再開される6月25日までの期間、具体的には5月2日頃から6月25日までの間に使われていた「緊急仮設通路」であったらしい。
さらにこの同じ仮設通路は、昭和60(1985)年にも一度使われたことがあるらしいことが判明した。

昭和60年、平成24年、そして平成27年と、3度にわたって原田橋の代わりを務めてきた仮設通路が渡っている場所は、昭和28年や明治41年の地形図に見えていた天竜川の渡船地点である。
佐久間ダムが完成する以前は天竜川の水量は年間を通じて多く、渡渉はほとんど不可能だった。しかしそれでも渡りやすい流れの穏やかな場所が渡船に選ばれたのだろう。

そして、その「渡りやすい」場所を地域の人々は何十年後でもちゃんと記憶していて、原田橋の危急の際に利用することを行政へ助言したものと思う。
そう考えれば、ただの河川敷の仮設道路でさえも愛おしい気がするのである。残念ながら、私の相棒は通して貰えないが…。


佐久間ダムが放流を行う度に通行止めとなる今の仮設道路は、現代人が当然のものとして甘受している橋の有り難さを問いかける存在といえる。
願わくは、この古橋が最後に残した教訓が広く私たちに共有され、さらに安全で立派な橋へと姿を変えて、早い日に蘇らんことを。


以下、追記。
町道半場神妻線は、私などが考えつくよりも早くから、原田橋の迂回路としての可能性を地元の人々によって、当然見抜かれていた。
地域情報ブログ「浜松・佐久間Atti-koti」の平成27年2月14日のエントリ「橋崩落の説明会に70人」によると、原田橋西側の浦川地区の住民に対する浜松市開催の説明会で、住民側からの質疑の中に、「う回路の整備を (林道佐久間線、市道浦川半場線の神妻・半場間」という項目があったという。
この市道浦川半場線とは、かつての佐久間町道半場神妻線が浜松市道となって新たに得た名前と思われる。
果たして今後どのような仮復旧と本復旧が進められるのか、注目していきたい。