道路レポート 岡山県道417号和気吉井線 稲蒔不通区 第3回

公開日 2022.03.13
探索日 2022.02.20
所在地 岡山県赤磐市〜和気町

 和気町よ、私を受け入れてくれるか?


2022/2/20 10:07 《現在地》

県道の終点からスタートしたこの探索、途中いろいろな状況の変化はありつつも、特に封鎖らしい封鎖もないまま進んで来た3.2kmの地点。
ちょうど赤磐市から和気町に移る境界上の地点で、道は、唐突に行き止りになった。
廃道になったとかではなく、道自体がなくなったように見えた。

行き止りの直前、ラスト100mほどの区間だけは、路上に打ち込まれた工事用の木杭が朽ちてしまわないくらい最近に建設された道のように思われ、やはりこの唐突過ぎる末端は、未成道の力尽きた地点なのではないかという印象を受けた。
稲蒔集落の【案内板】に書かれていた「予定線」という文字と同じ頃に、この末端の工事が行われたのではないかという印象である。




ところで、このレポートを書くために地図を見直していて気付いたのだが、最新の地理院地図には描かれていないこの末端部分の道が、少し古い平成8(1996)年版にちゃんと描かれていることが分かった。

このことからも、平成8年頃には現在の末端まで道路が建設されていて、そのまま20年以上経過していることが窺えた。これは現地の景色の印象と矛盾かないと思う。

しかし、今回出発前から気になっていた、「なぜ最新の地理院地図で、一部の区間が「庭園路」の記号で描かれているか」については、全然分からない。
現地を見る限り、庭園路として表現されることが多い施設内道路や私道のようには見えず、なぜ敢えてこの珍しい表記を使ったのか、地図編纂者に問い合わせたいくらいだ。




私は諦めの悪い男だぞ。

本当に、この先に道はないのか?

自動車が通れるのはここまでだろうが、歩いて行ける道もないのだろうか?

和気町よ、私を迎え入れる用意はないか? 

市町境になっている小さな谷の向こう側を観察すべく、道の端の端まで前進する。

そして、観察。




道がある!

あるではないか、小さな道が!

地理院地図を見る限り、和気町側の県道色に塗られた道までの距離は、わずかに400m。

たとえそれが廃道であっても、道さえあれば、突破出来る公算は大といえる!



喜び勇み、即座に前進継続を決定!
ただし、自転車とリュックはここに置いていくことにする。
そうすると探索後に戻ってくるしかなくなるが、ここから見える和気町側の道は最初から車道とは思えない幅しかなく、しかも相当の急斜面に入っていく。そして、間違いなく廃道だろう。

たとえ400m程度だとしても自転車が足手まといになる可能性は高く、頑張って400m進んだ先がどうなっているかも分からない以上、最終的に自転車を引きずって長距離を戻る羽目になるリスクも考えたら、ここは身軽な状態で400mを往復することが無難と判断した。(昨年末のある探索で自転車を深入りさせて酷い目にあった……未執筆……ので、その二の舞いを恐れたというのもある)

リュックについても置いていくことでより身軽に行動出来るだろう。
どうせ自転車を残していくなら戻ってこなければならないので、リュックも不要だ。

チェンジ後の写真は、赤磐市側の末端を振り返って撮影した。
幅4mほどの荒削りな車道が、市町境の小谷に突き当たったところでぷつりと終わっている。
小谷の対岸、和気町側に幅1.5mほどの道を見つけたが、谷に橋がないために路面は繋がっていない。




さっそく太い倒木が行く手を幾重にも阻んでおり、自転車を置いてきて良かったと思った。
まだ入ったばかりだが、身体一つで進むならあまりストレスの楽しい廃道である。
視界が開けていないが、太い樹木が茂る自然林を歩くのだから気持ちが良い。
町が変わった途端、あんなに生えていた女竹が全然なくなったのも興味深い。

おそらくだが、この道はかなり古そうである。
人工物としての角が完全に抜けきった道だと感じる。
大正、あるいは明治以前にまで遡れるのかも知れない。

そして、重機で作った車道の行き止りから、小谷を挟んでこの“古道”が延びていた以上、
車道は古道をベースとして、それを拡幅しながら建設されていた可能性が高いだろう。
もし工事の始まりが稲蒔集落だとしたら、1.5kmくらい車道化が進んでいたことになる。



和気町に入って100mほど進んで来た。

道は狭いがここまではほぼ水平であり、斜面のそこかしこに苔生した岩が露出している急な川崖の森の中腹を渡っている。
所々決壊している場所があり、もともとの道が狭いので、だいたいそういうところは道幅が全損している。
でも今は身軽なので、あまり困難を感じることなく、ひょいひょいと通り抜けていける。

この写真の場面も全損の欠壊だが、同時に邪魔をしている太い樹木の存在と相まって、自転車を通過させるとしたら面倒そうな場面だった。
まあ、逆に道が思いのほか“荒れてなかった”としたら、自転車を置いてきたことを後悔したと思うので、このくらいが一番良い。




おおっ! 石垣発見だ!

いま越えてきた欠壊地を振り返ったときに見つけた。
とはいえ、疑って見なければ人工物とは気付かなそうな、原形をほとんど失った石垣だった。大きめの自然石を粗く積み上げたいわゆる乱れ積みで古さを感じる。むしろ古さしか感じないとも言える。

この忘れられたような廃道が、法的には現役の(=供用済の)県道なんだろうか。
私にとっては見慣れた状況だが、ぜんぜん退屈はしない。




また少し進んで、ここも全損箇所だ。
岩と土と落葉が絡み合った侮りがたい急傾斜の横断を要求される。
やはり自転車を置いてきて正解だった。
自転車を連れてこなかったことをしつこく言及しているのは、葛藤のすえ置き去りにしてきた私の負い目によるものだ。正直ウザいと思うし、皆様はあまり気にしなくて良い(苦笑)。

チェンジ後の画像は、同地点から見下ろした吉井川の流れだ。
水面は20mほど下にあるが、上り下りの難しい急斜面となっている。




また少し進んだ。
これで地図がとんでもなく間違っていない限り、和気町側の道路の末端までは、もう200mくらいしかないと思う。
この距離なら、着実に進む一歩一歩が大きな意味を持っている。

未知の廃道を楽しみながら前進する私に、新たな喜びの発見がもたらされる時が、秘かに近づいていた。
この写真奥のちょっとした地形の出っ張りの先端に……



10:13 《現在地》

これ。→→→

例の石標じゃね?

さっき、赤磐市側の【路傍に転がっていた石標】と同じものじゃない?

ちょっと土に埋れすぎて側面が確認困難だが、「岡山縣」の文字が刻まれていたら間違いないといえるはず。
面倒だが少し掘り返して文字を読むか?

いやいやいやいや、熱いヨこれは熱い。
もしこれが同じ石標なら、この小径が県道だった証拠になるだろう。
前回は地面から抜かれていたし、1本だけだったから、県道の証しとしては少し弱かったが、2本目だし、植わっているしとなれば、いよいよ!



まてまてww 奥にもう1本あるぞ!!

向こうのヤツなら、わざわざ掘らなくても文字が読めそうだ。

見にいこう!



はははははっwww

岡山県道、やるなぁー。

県道の証しが、こんな道にも設置されているんだ。岡山やる。




 徒歩わずか10分!


いやー、笑ってます今。
笑ってますよ私はw
こんなに狭い、たぶん誰も通っていない忘れられたような道に、県道を示唆する石標が律儀に何本も打ち込まれているなんて。岡山県は随分と県道に対して誠実だ。
もちろん、これは道路マニア的には本当に素晴らしいことだ!

まあ、今のこの感想、ちょっとばかり前のめりではある。
岡山県でこの手のいわゆる“登山道県道”を探索するのはこれが初めてであり、もちろんこの道だけが特例的に沢山の石標を置いていた可能性はある。
今後もこういう道を県内で探索してみないと、これが岡山県の県道に対する基本姿勢だと判断するには尚早であろう。
そんなことは分かっている。でも一発目でこれというのは、インパクトが大きくて、たまらんwww

こんな石標なんて、橋とかトンネルみたいなものに比べれば地味で取るに足らない、何が面白いのか分からないという感想もあるかとは思う。こればかりは私の性癖に近いものなのだろうが、道路管理者が秘かにその道路を他と区別するために設置したアイテムに、私はとても興奮する。その最たる例が“おにぎり”とか“ヘキサ”なのだが、キロポストとかこうした用地標なんかもそれらに準じて好きである。

あまりにも道が狭いので、手前の石標なんて普通に道の中央にあって、通行の邪魔なんだよなw 道路中央に突っ立ってるじゃんww
設置当時は、もう少し幅が広かったのかも知れないが…。




まだ少し半笑いだが、先へ進むとしよう。

連続して立っていた2本目の石標(「岡山縣」の刻字を確認)は、ちょっとした岩尾根を回り込むカーブに立っており、ここに立つことで初めてカーブの先の道が見えるようになった。

そしてこのカーブの先は、転げ落ちそうなほど急な下り坂になっていた!
市町境からここまで250mほど進んでくる間は、道はとても狭く、車道には明らかに不足であったが、アップダウンはほとんどなくトラバースに終始していたのが、ここに来て一転、急に下りはじめたので驚いた。
まあ、高い所にいるよりは低い所にいる方が、探索全般の安全度が上がるから嬉しいけれど。



石標のところから、急に下りはじめる。

写真はそこを振り返って撮影した。

ここまでの水平移動が嘘みたいに、急に下りはじめるのである。




こんな風に一気に、グワーッと!

ここだけ急にジェットコースターのような展開なのだが、かつてこの道を設計した人は、何か心変わりでもしたのだろうか。いずれにしても、車道とは考えてなかったのだろう。

対して、赤磐市側の道は最後まで車道であった。
はじめはこのような急坂もあったのかも知れないが、車道化に際して改築されたのではないか。そしてその過程で路面に埋め込まれていた用地杭が引き抜かれ、しかし処分はされないまま道端に置かれていたのが、【最初の石標】だったのではないかと想像した。



階段にした方が良さそうな急坂により、あっという間に川の近くの高さまで下った。
川のまわりには笹が密に生えており、歩きにくそうなので近寄りたくなかったのだが、道は気にせず突入するつもりっぽい。
また、さっきから石標を探しながら歩いているが、新たな発見は今のところない。




川が運んできた肥沃な土砂に育てられたらしき、密な笹藪。
しかし、大水害の影響が残っているのか、いまひとつ生気がない気がする。
おかげで心配したほど前進は困難でなく、道なのかそうでないのかよく分からない川べりの平坦な土地を真っ直ぐ南へ前進した。
地図上ではもう和気側の車道(と思われる地図上の道)の末端に迫っている。



10:17 《現在地》

ヨシ! キタ!

平らすぎてどこが道か分からないが、そのまま真っ直ぐ進んだら、間もなく小さな川の対岸にはっきりとした道形が現われた。
地理院地図だと、あの道が県道の色で塗られている。
この辺りで小川を渡り、合流するように表現されている。

この時点で、地図に道が描かれていなかった区間の突破は確定的となった。
もし自転車を連れてこられたなら、このまま小川の向こうへ進んで探索を続けられたのだが、置いてきてしまったので、ここは戻るしかない。
とはいえ、無駄な動きにはなっていないはずだ。ここからすぐに戻り、この先の道については反対側から改めて探索すれば良いのだ。




右図は、冒頭でも紹介した、最新版のスーパーマップルデジタルで見る現在地だ。
この地図だと全く平然と県道が開通している。
これに対するクレームが多ければ次の番で修正されていそうだが、多分そうはならないだろうと私は予言しておこう…。

なお、市町境の車道終点からここまで、写真をゆっくり撮影しながらでもわずか10分の踏破となった。
私もこれまでいろいろな“不通県道”を探索してきたが、こんなに短い不通区間は珍しい。
踏破時間からも分かると思うが、400mほどでしかない。

この距離ならば、地形的が少し険しいとはいっても、本気で道路を開通させる気になったら実現は難しくないはずである。
だがそうなっていないところに、この道……整備された国道の対岸にある並行路線に過ぎない県道……の悲哀を感じる。
それでも赤磐側の車道末端の状況を見る限り、開通へ向けた工事は、確かに行われたようなのだが……。



これは、小川の様子。
左上に、右岸を通る道の路肩がわずかに見える。
そこもあまり整備された道ではなさそうで、もしかしたら廃道状態かも知れない。

小川を渡るための橋は用意されておらず、橋台などの橋の跡も残っていなかった。
まあ歩きの道であれば、橋台のない小さな橋だったかもしれない。
斜面を上り下りすれば、強引に対岸の道に辿り着けたに違いないが、それはしなかった。
この後で行う反対側からの探索で、ここを目的地とすれば良い。

赤磐側からの踏破は、ここで撤収する。

帰り道はさらに早く、撤収開始から26分後の10:43に県道の終点へ戻ることができた。
それからすぐに車を走らせ、和気町側の探索のスタート地点へ向かった。