国道148号旧道 外沢地区 番外編

公開日 2010.12. 5
探索日 2010. 5.18

前回の衝撃的かつ無念の撤退劇、ご覧頂いただろうか。

今回は「番外編」と銘打って、現場での未練がましい行動をご覧頂くことにする。
実質的な探索は進展しないが、いつかの再訪へと繋がる内容だ。
見守って欲しい。

この日の探索の流れとしては、前回の敗退後すぐに現道へ戻り、続いて南接する平倉地区の旧道探索へ向かった(次回からお伝えする)のであるが、平倉の探索終了後にそれ以上南下せず引き返した私は、輪行をするため北小谷駅へと向かう時限付きの移動時に、外沢の未踏区間の偵察を行った。それが今回の内容だ。

ここでようやく右の地図の話になるが、外沢旧道の対岸、来馬河原(くるまがわら)と呼ばれる広大な空き地には、地形図に描かれていない道が存在する。
この道はおそらく、来馬河原の護岸工事や、浦川の砂防工事のために建設された工事専用道路であり、私が探索した時点においては一般道として供用されていない。
しかし実際に道は存在し、いつか工事が終わって開放されれば、サイクリストにとって現国道の(危険な)外沢トンネルを迂回しうる福音的ルートになる可能性がある。

現国道からは全く見えない道に気付いたのは、旧道探索時にそこを工事車両が行き来しているのを見ていたからだが、幸いにしてこの夕暮れ時、私は誰に咎められることもなく通行することが出来て、とても楽をした。
しかし何より重要なことは、このルートから旧国道の未踏区間(約400m)を目視で偵察出来たということだ。
というか、それが目的の行動だったのだが…。


それでは、工事用道路に連なる「姫川橋」(右図の下端付近)より、北上しつつ偵察を開始する!
あの路盤途絶の最後の風景を頭に浮かべながら、読み進めて欲しい。



“工事用道路”より、踏を臨む


2010/5/18 18:10 

タイトルには“工事用道路”と書いたが、まだここは小谷村の村道と思われる舗装されたエリア。
姫川を渡る地点には、その名も姫川橋というまだ新しい橋が架かっていて、これはそのあたりから姫川の下流方向を撮影したもの。

雪解け水で増水して白く濁った姫川が、広い川幅いっぱいに奔っている。
そしてその幅をほとんど変えずに、峡谷に入っていく。
特に右岸側の山が高く険しいが、先ほどまで戦った旧道もそこにある。
また左岸には建物などが見えるが、旧道からも見えたセメント工場だ。

明治44年の稗田山大崩壊では、ほんの3日間であるが、このあたりに水深50mを越える(!)巨大な“天然ダム”が出来た記録がある。
現在地などは完全に水中にあったことになる。大体旧道のラインが汀線だったはずだ。




旧道を確認するために、上の画像を拡大してみた。

蛇行する姫川が山脚に隠れて見えなくなる手前の、右上の山を見て欲しい。
見覚えのある破れた落石防止ネットが、緑に覆い隠されそうになっているではないか。

外沢隧道はあのネットの真下に口を開けていた。
ということは、それよりも奥に見える“平場”は、すべて未踏区間ということになる。

……うぬぬっ…。
…見えると、余計に悔しいな。
でも、こうして対岸からは本当に“見るだけ”で、どうしてもアプローチは出来ないと思う。
姫川の水量が多すぎる。
よほど減水しないと、無理だろう。




セメント工場。

村道はこの構内のまっただ中を横切っており、部外者は通って良いのか不安になる。(私はなった)。
こうして写真を撮っている最中にも大型ダンプの出入りが頻繁で、落ち着かない。
でも、この道は歴とした一般道で、この先に石坂という集落もある。
ここまでは問題なく通れる。

しかしこの工場を過ぎてまもなく未舗装になると、道は2本、3本と分岐する。
いずれも地形図にはない分岐で、左、左と進む道だけが村道。
残りは工事用道路らしい。
入口には、「北小谷方面には通り抜けが出来ない」旨がわざわざ書かれているが、道自体は繋がっていることを今回確認。




【現在地】

ここは姫川本流と浦川が合流する地点に出っ張った岬の突端。
海抜470mで、河床からは約30mの高さがある。
工事用道路の最高地点だ。

写真正面は本流の下流方向で、広い谷が伺える。
そして次の写真は、この場所から対岸を撮影したもの。




この写真には敢えて指示線は必要ないだろう。
2箇所ほど、木の生えていない山腹に非常に鮮明に平場が写っている。
この範囲は全て探索済みのエリアで、左の谷は“難所”として印象深い。

この景色を後に、いよいよ工事用道路の核心部、浦川河口エリアに入る。




スポンサード リンク
ちょっとだけ!ヨッキれんの宣伝。
遂に「山さ行がねが」が書籍化します!過去の名作が完全リライトで甦る!まだ誰も読んだことの無い新ネタもあるぜ! 道路の制度や仕組みを知れば、山行がはもっと楽しい。私が書いた「道路の解説本」を、山行がのお供にどうぞ。 ヨッキれんやトリさんの廃道探索シーンを一流のスタッフが命がけで撮影した、日活の廃道ドキュメンタリーシリーズ第1弾


浦川の谷。

ここにもまた、白く渦巻く滝のような流れがあった。
しかし、それは人の手で制御された河道を、窮屈そうに流れていた。
広すぎる谷幅はこの川の持てる真の力を伝えていたが、今は人の力に従している。
しかし油断は出来ない。川原には多数の重機が集い、いままさに新たな砂防堰堤を建設しつつあった。

まだ新しいコンクリート舗装がされた工事用道路は、河床勾配そのままの急坂で河口へと下り、そこに土堤と組み合わせた短い仮橋を架している。
あの橋こそ、未踏の旧道を仰観するベストポジションであった。




【現在地】

浦川河口に架かる仮橋は銘板もなく、名前は分からないが、とりあえずは浦川橋と呼んでおく。

地形図を見ると、この浦川の上流には稗田山に至るまで、数え切れないほどの砂防ダムが連なっている。
事情を知らなければステレオタイプに「無駄な公共事業」と言いたくなりそうな景色だと思う。
だが、稗田山には悪しき“実績”がある。
その山腹は、今も新たな崩壊エネルギーを蓄積していないとも限らず、明治のような崩壊が再び起きたとき、下流の人々が再び災禍に晒されることはなんとしても防がねばならないだろう。

そんなわけで、ここでは今も国交省の大規模事業「浦川スーパー暗渠砂防堰堤」の建設が進められている。
こうして“制御された”流れを見ていても何かの焦燥感を覚えるのは、土地の持つ怒りのオーラか。





↓↓ そしてこれが、同地点から眺めた姫川対岸の景 ↓↓


外沢隧道が掘られている鋭い岩尾根の向かって左側。

スカイラインをV字に削る、不踏の谷が見えている。

その左側は、すべて未踏領域だ…。


谷の内部を望遠で覗いてみよう。




首筋のあたりがゾクゾクする。

げろ。吐き気もする。

でも、こうやって谷の全体を見ると、“撤退”という判断が正しかったと励まされる。

ぱっと見では、どこに隧道があるのが見えないと思う。

しかし、見覚えのあるものがある。


…砂防ダムだ。



ズームイン。




橋台があったことが判明!


現地では全然気付かなかったが、実は【このとき】足元に橋台が埋もれていたのだ!

もう、訳が分からん!

この谷はやばい。やばすぎる!

とんでもない谷に道があり、とんでもない破壊の洗礼を受けている…!

何か鉄材のようなものが谷の中に挟まっているのも見えるが、近付けない。
さらに残念ながら、光量不足のためこれ以上望遠も出来なかった。




↓↓ 続いて未踏区間の全景を仰ぐ ↓↓


浦川合流の前後で、姫川河岸の様相が一変しているのにお気づきだろうか。

浦川の泥流が正面の岩盤にぶつかって立ち上がり、津波のように表土を奪い取った結果であろう。

ここに、私が今回辿り着けなかった旧国道が、約400mも続いている。


しかもそこには……!!




橋 1


…おえっ

きつすぎる…。

流石に、きつすぎる…。


ここに見えているのは2連のコンクリート桟橋だが、左半分は橋桁が存在しない。
ここでも落橋…。

残る右半分も橋上に数メートルの土砂と大木が積み重なり、薄っぺらな橋桁が悲鳴を上げている。
背景は全体的に崩壊しており、果たしてあそこに辿り着いても

…踏破できるか…?




橋 2


…おえっ


無理ぽ。

踏破、無理っぽい……。

あの斜面に挑んだら、命を落とすかもしれない。

でも、可能ならあの橋を間近に見てみたい!



…再訪せねばな。




そして次回の再訪時に攻略せねばならない“最初の難関”が、あそこ。
今回最初に敗退した【あれ】だ。


でも、ここについては時間さえかければ何とかなると思う。

崩壊斜面を正面突破出来ればそれでもいいし、最悪下のテトラポット地帯まで降りてもいいかもしれない。
あとは、高巻き。
この上にはかつて外沢という集落があり(いまもある?)、植林された杉林も見える。
あそこに行けば、崩壊地を迂回するルートを見出せるかも知れない。


大変そうだが、何とかしないと未踏は永遠に未踏のまま。






工事用道路は、浦川合流地点の先で広大な来馬河原に入り、
姫川を右に見ながらほぼ真っ直ぐ来馬集落に向かう。
それから村道となり、寺沢の旧国道と小谷橋の袂で合流する。

来馬河原はかつて北小谷村役場や来馬の宿駅があった場所だが、現在は無住の地である。
そしてこの工事用道路のルートは明治当初の糸魚川街道(馬車新道)にも近いと思われるが、
災害跡地のため遺構は見あたらなかった。


今回の偵察は、以上である。

未踏区間にも、さらに2本の橋があったのは予想外だった。

そしてそのおぞましい姿は、敗北の念と共に忘れがたい衝撃を私に与えた。