国道158号旧道 水殿ダム〜奈川渡ダム 第1回

公開日 2008. 9.18
探索日 2008. 7. 2

右図は、安曇三ダムと通称される梓川に連なる3つのダムを中心とした、松本市安曇地区(旧安曇村)のマップである。
3つのダムは、東京電力が昭和30年代以降に開発したもので、主に発電、次いで農業水利と洪水頂設に用いられている。
最も下流の稲核(いねこき)ダムから水殿ダムをへて奈川渡ダム、そしてその上流端である沢渡まで、水面高低差200mを付けながら、梓川には約15kmも湖が連続していることになる。

ダム有るところに、廃道あり。
このセオリーはこの場所でも生きている。
梓川の本流に平行する国道158号はもちろん、奈川渡で南に分かれる県道26号、そして前川渡で分かれる県道84号のいずれにも、当然のように水没を喫した廃道が存在する。
おいおい紹介していくことにもなるだろう。

だが、私にとってこの国道158号の梓川筋は、単に廃道を巡って終わりという、行きずりの場所ではない。
日本中の道の中でも、ここの現国道には殊更おおきな思い入れがある。
右の地図にも描かれているが、奈川渡ダムの周辺はとにかくもの凄いトンネル連続地帯になっていて、明かり区間よりもトンネルの占める距離の方が長いほどなのである。
そして、これらのトンネルが

 …幼かった私の心に
 …二度と治らぬ病を
 …暗くて狭い隧道への飽くなき憧憬を
 …植え付けてしまった。


旧安曇村内の国道158号関連のレポートとしては、最も松本寄りの「猿なぎ洞門(橋場地区)」を公開済である。
次は水殿ダムから奈川渡ダムまでの区間をお伝えしたいと思う。
いよいよ、我がオブ心の故郷、トンネル連続地帯にも掛かるレポートになるだろう。





これは、今回のレポート範囲のダムが出来る前の地図。

ちょうどこの地図が描かれた昭和28年に、従来は県道「松本船津線」であった梓川沿いの道が、二級国道158号「福井松本線」へ昇格したのであった。
地図を見ても分かるとおり、この区間には当時隧道はひとつも無かった。
そして、奈川渡付近では谷底を通っていた。
ここは明らかに奈川渡ダムによって水没しているであろうが、一方でその下流の水殿ダムは、必ずしも旧道に影響しなかったかも知れない。
地図を見る限り、水殿ダムから下流の稲核ダムにかけての道は、ダムが出来る以前からかなり高い山腹に付けられていたようだ。

続いて、現在の地形図を見てみよう。



今回は、予めダム工事以前の旧国道がどこをどう通っていたのかが分かっていた訳ではないので(旧地形図は持っていたが、今の地形図と比較しても今ひとつどこが分岐地点なのかが掴めなかった)、それらしい道を探しながら探索を進める必要があった。

もっとも、今回は非常に強力な仲間と一緒なので、「行き当たりばったりでもどうにかなるだろう」と、あまり心配はしていなかった。




ここは、海抜850mの水殿ダム堤体脇にある公園。

このテントの中に、史上最強の仲間が眠っている…。




松本市安曇 おはよーから始まる旧道探し


2008/7/2 6:09 《現在地》

おはにょー!

ナガジス! 「日本の廃道」の編集長であるnagajis氏だ。

彼はその独特の出で立ちがナイスで、私の中では「廃道写真に最も馴染む男」という異名を持っている。

この探索は、彼との4日間におよぶ合同調査の2日目で、目的は「水殿ダムから釜トンネルまでの国道158号旧道+αの解明」であった。
ちなみに、奥に見える水面が水殿ダムだ。




7:45

テント場で朝飯を平らげ、荷物をクルマに片付けてあーだこーだとしていたら、あっという間に1時間半が経過。
出発予定時刻を幾分遅れて、午前7時40分過ぎに2人は愛車(チャリ)に跨った。

ダム公園を発って、すぐ上を通っている国道へ出る。
ちょうどそこに道の駅「風穴の里」があった。

国道158号の旧道を探しながら走破するという旅の始まりであると同時に、私にとっては、思い出の道を骨の髄までしゃぶり尽くそうとする旅の始まりだ!




国道を走り始めてすぐに見つけた、赤錆びた看板。
なにやら、この道路に関する古い情報が書かれているようだが、あまりに錆びていて読み取れない。 (以下は、読者さんの解読情報を含めた内容です)

上高地方面交通混雑 のため沢渡で一時的
な車の通行止めがあ ります。  豊科警察署

上高地はまだ30km近くも先なのだが、ここで早くも渋滞云々と言う看板がでてくるというのは、それほどにかつての渋滞はひどかった証だろう。
この一時通行止め規制は、上高地への一般車進入禁止になった現在(平成7年以降)では既に解除されているはずだが、標識だけは偶然にも残ったのだ。
おそらく、文字が読み取れないほどになっていたために、豊科警察署でも撤去を忘れているのではないか。




右手下方に水殿ダムの水面を見下ろしながら、道は一生懸命登っていく。
そして、この鵬雲崎(ほううんざき)にさしかかる。
カッパのモニュメントが目印のドライブインには、水殿ダムを見下ろす展望台が併設されている。
二階部分は危険のため立入禁止になっていたようだが。

いまのところ、山腹は極めて急峻であり、旧道が湖のほうに分岐した気配もない。

それを確かめ、前進再開。




鵬雲崎に達すると勾配はかなり緩やかになるが、依然として上り坂が続く。

と、そこで初めて旧道が出現。

堂々とした姿だが、これは現道の桟橋ひとつ分だけのごく短いものだった。

スルー。




谷側に寄って細長い水殿ダム湖を目で追っていくと、カーブした谷の裏側に巨大な白い壁が現れた。
2kmほど上流に控える奈川渡(ながわど)ダムの威容である。
その堤高は155mあり、安曇三ダムのなかで最大であるばかりでなく、2008年時点でもコンクリート式アーチダムとしては日本第3位の高さを誇っている。

昭和39年に着工し44年に完成しているが、この工事のために一帯の国道は拡幅改良された。
安曇三ダムこそ、現在の国道の生みの親といえる。



さらに登り勾配は緩まり、水殿ダムのスタート地点から90mほど登った海抜940m付近で頭打ちとなった。
しばらく等高線に沿う平坦な道だが、えらく小刻みに蛇行している。
行き交う車のなかにも、対向車がいないと見れば大胆にセンターラインを跨いでいく車(特に地元車)が目立つ。
その気持ちがよく分かるようなひどい蛇行がしばらく続く。

ダム工事のため全線ダンプトラックが相互通行できるよう幅6.5mまで拡幅されたあとは、さほど新たな改良も行われず、先ほどのプチ旧道を含めた3箇所ほどの局所改良がある程度だ。

この道の利用度を考えれば意外に思える低改良度だが、一応これに平行して中部縦貫自動車道の計画はある。(計画段階)




道が下りに転じる直前、五領沢バス停の手前でまた旧道が左に逸れた。

しかし、これも現道の桟橋一本の先ですぐ合流した。

これまで見てきた旧道は、いずれもダムが出来た後にさらに改良されたもので、ダム以前のものでは無さそうだ。
まだ右手の谷側へ分岐していく旧道の姿をとらえられていないのだが、見逃しの不安も徐々に出て来た…。




8:12 《現在地》

一旦下り始めると、今度はかなりの急坂で一気に下っていく。
その途中、「シェルパ」というインド料理のお店がポツンと建っており、そのすぐ先で右に分岐があった。
右の道は1車線だが舗装されており、国道よりもさらに急な坂道となって水殿ダム湖畔へ下っているようだ。
入口には「東京電力 安曇発電所」という看板が立っている。

これがダム工事以前の旧国道であろうか。
位置的には十分考えられる。
ちょっと行ってみよう。



だが、入ってすぐの位置には重い鉄の門扉があり、一応脇をすり抜けて入れるには入れるが、相手は東京電力の持つ中でも最大級の現役発電施設。
いくら何でも堂々と正面から進入するのは躊躇う。

でも、これが旧道由来なのかどうかは確かめたい…。
結局、右図で点を打った地点までだけお邪魔した。
その結果、どうもこの道は発電所用に新規で作った道っぽいという結論に至った。古い道が当然備えている雰囲気というものを、全く醸し出していなかったのだ。




すぐに国道へ戻り、前進を再開。
旧道の入口を意識しながら進んだが、結局それらしい物を見つけることなく、道の駅から約2.5km地点、海抜920m付近にて、ひとつめの隧道が現れた。

旧道を探すという目的から考えれば、ダム工事とともに生まれたことが容易に想像の付く隧道の出現は、旧道の見逃しをほぼ確定してしまう由々しき事態だが、今の私には隧道の吸引力が強烈すぎた。
十数年ぶりの再会が、楽しみすぎる!! (これは極めて私的な事情によるもので、別に凄い廃道だというわけではない…念のため)

これより始まる、沢渡までの隧道連続地帯。
約8kmの間に11本、合計6kmもひしめいている。
まさに隧道好きにとってのワンダーランド。逆に苦手な人にとっては悪夢のような道だろう。
また、詳しくは後述するが、自転車乗りにとっても恐ろしい隧道群である。

そして、この特異な道の始まりを告げる、門型の標識柱。





この先トンネル・カーブ連続 速度注意!

まさに現道萌えの権化!

ビックリマークの標識も、私の気持ちを余計に高めてくれる。




警告の後に現れた、この汚い隧道(←褒め言葉)。

昭和42年に竣工したらしいが、坑門の傷み方はひどい有様。
年間数百万台の車が往来するトンネルに、休息の時はひとときもないことが窺える。

こういうくたびれた坑門に、新旧織り交ぜた様々な装置や標識が取り付けられている姿が、またタマラナイ萌えツボだ。
この隧道で言えば、新しいのは「ラジオ放送の案内標識」「非常装置の案内標識」などで、古いものは照明装置や銘板、そしてこの梓川筋の隧道群特有である「隧道の通し番号を表示したプレート」(ナンバープレート)だ。

この隧道は、小雪なぎ隧道。(漢字表記は小雪薙)
決して、女性の名ではない。(このギャグ?でnagajis氏がウケたので、臆目もなくここで再披露だぜ!)
通し番号は「1」全長269.9mだ。




そしてこの隧道群、ただ数が多いだけではないぞ。

揃いも揃って、一癖も二癖もある奴らだ。

小学生だった私が親父の運転する車の助手席でこれらの隧道を体験し、そこで芽生えてしまったんだな。

暗くて狭い隧道の魅力に。

「僕はトンネルじゃない隧道が良いんだッ!」 なんて思った。


小雪なぎ隧道… ご開帳。




狭い、 暗い、 そして、曲がってる。

危険な隧道の三要素をものの見事に兼ね備えている。
それが、一連の隧道群ほぼ全ての共通項だ。

我々自転車乗りにとって特に深刻なのは、この狭さだ。
歩道が無いのに路肩は狭く、しかもそこにはゴミや泥が多い。さらに最悪なのが、路肩を示す白線の外側に有る側溝だ。
この側溝の蓋は鉄製で、2輪のタイヤはこの上ですごく滑りやすい。
さらに、路面のコンクリート舗装は摩耗していて、そのうえびしょ濡れで、これまた滑りやすい。

それだけに留まらず、車道の1車線が大型車1台分の幅しかないので、大型同士のすれ違い時には必ず路肩にはみ出してくる。
通行量が非常に多いということも考えれば、チャリにとっては考え得る限り最悪に近い事故危険度の隧道。

それが…11本も連続しているのだ。

ほんと怖い。




ふーーひーー  ヒーー。


後続の車列に追い出されるようにして、なんとか「小雪なぎ」を脱出。

振り返ると、nagajis氏もヒーヒー言いながら隧道から飛び出してきた。

その後ろからは、詰まった車が出るわ出るわ。


やべぇよこれ。
全然楽しくないぞ。 何かを楽しめるような状況じゃないよー。


しかも、前に向き直るとそこには…




8:23 《現在地》

さも当然そうに2本目の「ずみの窪隧道」(←またしても入口からぐーねぐね)があった。
地図を見る限り、今度はさらに長いっぽい。


それはさておき、今度こそ遂に見つけたっぽいか?

隧道前で右に折れる草むらの空き地は、旧道では?

セオリー的には、それ以外考えにくいシチュエーションだぞ。




右の草むらに、国道から5mかそこら入ってみた。

うーん…。 怪しいような違うような…。


それより、坑門から横に伸びているこのコンクリートの擁壁。
一部分が崩れているんだが、ちょっと妙じゃないか?

次の写真を見てくれ。




なんだこれは?

崩れた… というか、この四角い形は坑門のよう?

いや。 それにしてはあまりにも殺風景か…。

なんだこれは?

この四角い穴から溢れてきたらしい土砂と瓦礫の山が、穴の前に出来上がっている。


さらに穴に近づいてみる。

ウッ、 なんかカビ臭い、土臭い。




あわわ!

穴の中から、さらに土砂に埋もれかけた空洞の入口を発見してしまったぞ!

しかも、今度はガッチリしたコンクリートの壁に穴がある。

まさか、旧隧道?!

そんな物があったという話は聞かないし、昭和40年代以前の地形図に隧道が無いことは冒頭でも確認済だ。




やべぇ。 単純な旧道探しをさらに面白くする、何かイレギュラーな発見かも?!