道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間 第3回

所在地 長野県飯田市
探索日 2011.4.21
公開日 2018.8.22

存在感が薄すぎる哀しき国道と、国道荒廃の“主犯”


2011/4/21 14:36 《現在地》

よくぞこんな急斜面にスギを植えて、育てたものだ。
感心はするが、それどころではない。私にとって最も肝心な道は、どこへ行ってしまったのだ。
斜面には幾筋もの細い踏み跡が存在しており、おそらくは獣たちの脚によるものだろうが、どれも同じように見えるので、正しく道を辿れているのか不安になる。

折り重なるように散らばった急斜面の倒木群に苛まれながら、勘を頼りに選んだ獣道を根気よく進んでいくと…。




あっ! “石仏付き”の平場を発見!

久々の石仏っ! …と思われる。
しかし、意図的な破壊に晒されたとも思えるような大きな損傷を受けていて、何を祀っていたのかは分からない。
台座があることや、舟形に形成された全体の形からして、石仏ということは間違いないと思うが。もし意図的な破壊だとしたら、明治初期の廃仏毀釈絡みだろうか。
いずれ、この道中で石仏を見たのは、市営住宅裏へ入ってすぐの“石仏銀座”以来500mぶりくらいである。ここにあるのは1体だけであるようだ。

そして私はひとまず胸をなで下ろす。今のところ、私は国道を正しく辿れているようだ。石仏に国道の証拠があるわけではないが、ここに昔からあった小川路峠の道が国道に指定されていると思われる。ゆえにここでは古道の証しが、国道の証しと、ニアリーイコールで結ばれている。



これで道が調子を取り戻すかと期待したが、そうはならず、すぐまた平場は斜面へ消えていくのだった。

なんなんだろうね〜、これ。
歩けないほど急斜面ではないし、自然に道がこんなに消えるほどの崩壊地にも見えないのだが。大人しくスギが植わってるくらいだし…。
廃道化工事をしてわざわざ国道を埋め戻したわけでもなかろうに、こうも道形が消えているのは不思議だった。

まあいい、さっきの石仏を見たことで、私の道を探す勘は間違っていなかったと証明されて、自信も出て来た。それに、多少大雑把に歩いても、崖から落ちて死ぬような地形ではなくなっている。気持ちを大きく持っていこう。
少しばかり道は見えなくても、まっすぐトラバースを続けるのだ! どんといけ!




14:40

ぐあぁーっ!

やべえぞこれは! 山が流れてるッ!

ここに至る以前から見失ったままの国道は、当然ながらここにも見いだせない。

しかし、最終的に横断する必要があるのは間違いないだろう。

どこで横断するか。上下周囲を見回してみたが………、うん…。どこでも一緒かな…。


よろしい! ならば正面突破だ!



ここは見た目どおりか、あるいはそれ以上に危険な現場であった。

この斜面崩壊が発生してから、まだ時間がさほど経っていないのだろう。
斜面に広がっている崩土の山は、目前にすると1階屋根くらいの高さがあり、覆い被さってくるような迫力だ。
それをとても複雑で横断しにくい獄壁へと変えているのは、巻き込まれて押し流された膨大なスギたちだ。
まだ枯れ葉を枝や幹に付けたままの哀れな倒木が、死なばもろともと言わんばかりの危険な罠を張り巡らせていた。

この不安定すぎる斜面の横断は、崩壊斜面に堅く銜(くわ)え込まれた太いスギ丸太が偶然に作り出した
“天然一本橋”を通路にするという、なかなかにスリリングな方法で成功させた。
不安定な斜面に出来るだけ触らずに通過するように、丸太橋を使ったのである。



うおっ! 眩しいっ!

神経を消耗する斜面横断の最中、喘ぐように見上げた崩壊の源頭部には、真白な太陽が浮かんでいた。

このとき偶然にも、緑の森を二分する崩壊地が、ちょうど光の通り道になっていたのである。

だが私の目は、眩しすぎる光源の隣に隠れる、“主犯”の姿を捉えた。

それは、私をこの苦境に至らしめた原因であり、おそらくは国道そのものの荒廃にも加担した最大の元凶。

主犯の名は――



県道251号。

70〜80m高い位置を横断しているヤツが原因じゃないのか、この状況!
ヤツも斜面崩壊の被害は受けたようで、こちらにはない真新しい土留め擁壁でさっそく繕われているのが見えたが、ヤツを起点にその下の斜面だけが崩れている状況は、その主犯性を疑わせた。
まあ、これについては崩れる瞬間を見ていたわけではないし、全くの濡れ衣かもしれないが…。

それでも、こっちの道をこんなにしたのは、あの県道だ!
これは間違いない。
厳密には、県道の前身である赤石林道(昭和43年開通)のヤロウか。
向こうが開通したこちらが廃れたというような、そんな罪のない間接的なことではなく、当時の山岳道路工事ではよくあることだったが、路肩から無造作に投げ捨てられた工事残土が、斜面下にあるこの古道を破壊した疑いが極めて大である。さっきからさほど険しくない地形でも道が埋もれすぎている状況を見て、怪しいと思ってたんだ!



14:44

崩壊斜面を正面突破すると、再び鬱蒼としたスギ林に迎えられたが、その林床にも期待したような道形の復活はなし。

これはもはや廃道探索というか単なる山歩き……登山ですらない、マニアックすぎる“斜面トラバース大会”になりかけてないか?
こんなことを好き好んでするヤツはいないだろうよ…。
私としても、いい加減道形がないと不安だし、張合いがないんだよなぁ。

しかし、まったく見当違いの場所を歩いているわけではないと思う。
ほぼトラバースしかしていないから、大きく進路を外れることはないはずだし。
やはり、上部にある道路工事の影響で、ここにあった古道はすっかり埋没してしまったのだと思う。
それなのに、法的には今なおここには古道をなぞる国道256号が存在し続けていることになっている……。
まるで土地に縛り付けられた「道路」という名の地縛霊みたいだと思った。



14:47 《現在地》

おおっ! 久々の平場だ!

ただの踏み跡以上の道幅があるので、近代車道に由来する、私が辿るべき道の続きと見て間違いないと思う。
良かった!
周囲はスギ林だが、この一角だけスギ以外の太い木が生えているのは、どことなく聖域感があった。

そして私はこの久々に出会った平場の一角(赤矢印の地点)で、新しい発見をした。今度は石仏ではないぞ。




頂部のみが黄色で他は黒い樹脂製の四角い標柱で、上面に「国調図根」と刻まれていた。

今回は初めてだが、過去の廃道探索でも見覚えのあるアイテムだ。
どういうときにどういう基準で設置するのかとか、詳しいことは私にも分からないが、国土調査法という法律に則って行われる国土調査の際に設置される一種の基準点らしい。
公的な基準点といえば、国土地理院が管理している水準点や三角点が思い浮かぶが、それとは違うものだ。水準点は多くが幹線道路沿いに設置されるため、設置当時の幹線道路を知る手掛かりになることがあるが、国調図根にそのような決まりはないようだ。

しかし私の経験上、この標柱はしばしば、「地形図に描かれているが、ほとんど利用されていない道」で目にする。
ようするに、実態は廃道同然であっても行政上意味のある(おそらく道路法上の道路として存在し続けている)地点だからこそ、国土調査の対象になったのだと考えられる。
つまりここに標柱があることは、地理院地図からも抹消されたこの道が、依然として行政上の意味を持ち続けている(≒国道である)ことの証しではないか。
石仏に続く、この道の密かな応援者を見た気持ちだった。



ま〜たか〜〜。
またしても大規模な崩壊地というか荒廃地というか、とにかく横断に手こずりそうな斜面が現われた。奥行きが大きいことがひと目で分かり、うんざりする。前のところほど危険そうではないが…。
ひどいなー…。国道のくせに酷い道だという人気(?)の定型句があるが、ここまで道が悪くなってしまうと、有り難みがなくなってくるなぁ。

清水国道のように、代替となる新道が開通していないから、やむなく廃道状態の古道を国道に指定し続けているというのならば、分かる。そういうケースは結構ある。だが、ここまで散々見てきたように、この国道256号は特殊ケースだ。直線距離で100mも離れていない位置に、同じ長野県が管理している県道251号が自動車の通れる道路として並走している。なぜ向こうを国道にしなかった?

もちろん、国道には県道と異なる指定の要件があるから、どこでもというわけにいかないのは分かる。政令で国道ごとに定められている「重要な経由地」を外すような路線の変更は、政令を改正しなければ出来ないので、大規模な路線の付け替えは難しい。だが、ここで並走する国道と県道の間に、そのような問題があるようには思われない。ここを国道のままにして欲しいという熱心な陳情活動でもあったのだろうか。

国道256号が、県道251号と相容れなかった事情が、とても知りたい。



!! 目の前の大荒廃地を突破したら、ご褒美があるぞ!

【古民家の近くで見た】のと匹敵するくらいの、立派な石垣がある!
それも道路の両側だ。
再び、古い集落の地割の跡かもしれない。

早くあそこまで行きたいぜ!




痛て〜っ!

おもいっきり尻餅搗いた。

うっかり踏んだ木が、まるでコロのようによく転がる丸太だったのだ。
ガレ場に尾てい骨をしたたかに打ち付けた。
厚着をしているせいもあり負傷はしなかったが、恥ずかしい失態を見せちまった。



尻をさすりさすり立ち上がると、そこは荒廃地の真っ只中。

もとは普通の植林地だったのかも知れないが、林床全体に流れたような砕石が散らばっていて、典型的な荒廃地の状を呈している。
放っておいたらさらに大規模な土砂の流失に繋がりそうだが、専門家でないので分からない。
しかし管理者も思うところがあるようで、最近大量のスギを切り倒した痕跡がある。例によって回収はされていないようだ。もしかしたら全て切り倒してから本格的な治山工事をする準備か。

高見の見物と言ったらいかにも心証が悪いが、県道251号は本当に高いところに避難している。ヤツの建設がこの荒廃の引き金になったのではないかという疑いが残る。
ともかく、国道と県道の比高はこの辺りが最大で、推定80mを越えている。簡単にエスケープはできない。




下を見ると、裸の山に特有の景色の良さ。ゲレンデを彷彿とさせる比高感。
谷底を走る国道152号との比高は、これまた70〜80mといったところか。

地理院地図だと、この真下辺りにも1軒の家屋が描かれている。午前中に見た【ひょろ長トラス橋】は、この少し上流辺りだ。

ん? なんだあれ?!





………。

この“国道”には絶対に似つかわしくない、軽トラが……。
遙か上部の林道から、国道を貫通して転落してきたとしか考えられないが…、乗員は無事だったのか……。
とてもここから見に行くのは大変だし、下からならそう苦労せずに辿り着けそうな場所なので、仮に事件事故だとしても解決済みでしょう…。 ゾクッとした。




転倒しないよう、慎重に荒廃斜面を横断中。

何気ない風景のようだが、私が背にしている山と向こう側の山には本州を二分する大断層の谷があり、別の動きをしているという。
こちらは伊那山脈、向こうは赤石山脈という。ここから見えているのは前衛の山並みで、本当の稜線はもっとずっと奥にあるから見えないが。
それにしても…、都会暮らしの身からしたら想像しえないような山上に集落がある。廃村ではない。ガチで仙郷染みてる。




15:01 《現在地》

10分ほど掛かって、斜面を横断し終えた。
最後に【蛇籠の列】に進路を妨害されたが、越えた途端にこの平穏ぶり。一息つける。
ここは遠目にも立派な石垣が段々に連なっていた土地だが、近づいてみても当然それは健在だ。ただの道にしては豪勢だから、
やはり集落や家屋敷があった名残だろうか。あるいは何かの樹園跡? スギではない木が植えられたみたいに生えていた。

この時点で、「地形図にない国道」区間も、いよいよ後半戦へ。
途切れ途切れに痕跡を留めるばかりの悲しい廃道、果たしてどんな決着が待っているのか。
酷道ファンにはよく知られている小川路峠の有名な入口に、ちゃんと着けるのかな…?



 忘却国道をゆく


2011/4/21 15:02 

2度目の石垣地帯は長く続かず、数十メートルでまた荒れたスギ林へ逆戻り。しかし、久々に鮮明な道形が続いてくれているので、気持ちは上々だ。
やっぱり、道があるっていい!
私が山を歩く理由は、そこに道があるからだ。道さえあってくれればたいがいは満足だし、それがないと途端にゲンナリしてくる。
もちろん、山の景色自体も好きではあるけど、それもやっぱり道から見える山の景色が好きなのだ。風景は、その道を利用した人たちの共通体験であり、道の思い出の中心にあるものだと思うから。




今度は、歩いてきたところを振り返って撮影した。
前の写真を撮影してからは5分以上が経過している。この間は同じようなスギ林が続いていたので、ハイペースに歩いた。特に危険地帯はなかったと思う。

それにしても、ここは本当に見捨てられた道の感じが強い、典型的な廃道だ。
私はこれまで、“登山道国道”と呼ばれているような山道の国道を結構歩いてきたつもりだが、やはり国道ということが知られていると、それだけで興味を持って歩く人がいるのだろう。登山道としては、それなりに活用されているケースが多かった。

しかしそれも、地図に載っているからこその、ささやかな繁栄だったのだろう。
地図上で、「国道なのに点線だ」とか、「国道なのに繋がっていない」みたいな大きな違和感が目に見えるからこそ、興味を持つ人が多く出るわけで、今回のように、地形図にまるで道の表記がないうえ、並行する県道を国道として描いているために違和感もないとなると、ここまでマイナーになってしまう。



15:16 

さらに5分以上黙々と進むと、スギ林の終わりが見えて来たようである。
目の前にある崩れかけた小さな石垣の向こう側は、雑木林だ。

序盤の難所を過ぎて【古民家を見下ろした】辺りから、途中大きな崩壊地や荒廃地を挟みながら、時間にしておおよそ1時間、約600m以上も続いたスギ林だった。総じて荒廃していて林業地としての先行きの不安視されるような森だった。おそらく林業だけが、この国道の未来に生きる意味を与えてくれる唯一のものだろうに…。




ここで重大な事実に気付く。

現在地を確かめようとGPSを見ると、“事前に予想していた国道のルート”(右図の赤線)より20〜30mくらい高い位置に来ているようだった。
それだけならば誤差の範囲とも思えるが、予想ルートにあった小さな“九十九折り”も、通過した記憶がないのに過ぎていた。この違いは見過ごせない。

そもそもこの“予想ルート”なるものは、前説でも述べたとおり、私が探索前にある人から見せてもらった秘密の資料で、道路管理者が作った道路台帳ではないから100%正確ではないかもしれないが、国道や県道の位置についての信頼度はかなり高いものだ。(最新のgoogleマップにも、“予想ルート”と同じか相当近い位置に、国道を示すオレンジ色の道が描かれている。)

この状況を解釈する考え方は、いくつかある。

  1. 私が単純に正しい道を見逃している可能性。
  2. 国道が指定されている位置には、実際には目に見えるような道が存在しない可能性。
  3. “予想ルート”自体が間違っている可能性。

個人的には 2 を最も疑っている。
これまで国道でそうしたケースを見たことはなかったが、都道府県道のレベルでは、道路台帳には道があることになっていても、現地に目に見える道はないというケースを経験している。道路台帳は、幅員30cm以下の超急勾配路なんてものがまかり通る修羅の世界だから、法的には供用中の道路であっても、実際に人が通っていなければ、目には見えない道路となりうる。
いずれ道路台帳も確認してみたいと思うが、とりあえず、ここにはいま私が辿っている廃道の他に、道形らしいものはなかったと思う。
“廃道探索”としては、唯一のルートを辿っていると思うのだ。



「九十九折りがない!」なんて思っていたら、スギ林を出た途端に出て来た、初めての九十九折り! …かな?

斜度40度を超えそうな急斜面は、道を早々に風化させてしまったようで、断片的に道形らしいものがいくつか見えるものの、1本の道にするには想像力を働かせなければならなかった。

私がここで危険を冒しながら約10分かけて探偵的に調べた成果を述べると、この先明確な道形が再開するのは、“★印”の地点からだった。
ここには九十九折りがあったのだろう。

(→)九十九折りをごっそりと抉っている急斜面の下を覗くと、高度感が物凄かった。
100mも低い谷村川の谷底までまっすぐ視線が通った。対岸にある国道152号や民家まで丸見えだった。いわゆる雨裂(ガリー)地形か。怖い。



15:29

壊された九十九折りの出口、さきほどの写真の“★印”の地点に辿り着いた。
写真は振り返って崩壊地を撮影している。
この道が国道に指定されてから、どれだけの人がここを歩いたのだろう。
決して多くはないだろう。
まして、国道だという認識を持って歩いたのは、もしかしたら自分が初めてかも知れない……なんてことまで思った。

さて、この辺りに来て国道もいよいよ登り方が本格的になってきたかも知れない。
序盤はほとんど緩やかなトラバース(巻き道)で、道さえ壊れてなければ荷車を押して通るのにも良さそうだったが、この九十九折りは峠へ向けた本格的な登坂の始まりを感じさせた。
実際、“予想ルート”もこの辺りから急に勾配を増し、等高線を無視する勢いで上り始める。




同地点から進行方向を撮影。
植林されたスギ林を脱したせいで、急に景色が山奥染みて見える。

……のだが、大きな人工物が見えてるぞ。
砂防ダムだ。
沢なんてなさそうなところなのに、なんだかずいぶん突然現われた感じだ。
国道は再び巻き道となって、この砂防ダムを目指していた。




15:30 《現在地》

うお〜! 砂防ダムの上に県道いるじゃねーかッ!

改めて、“予想ルート”よりだいぶ上に来ていることが風景からも実感された。県道はいま標高750m付近にあるが、国道も720mくらいまでは上ってきていることになる。前回県道を目撃した【荒廃斜面での見え方】に比べると、本当に一気に追いついてきた感じだ。

なんだか、判官贔屓の心境がいよいよ高まってきた。
地理院地図がしれっと国道として描いている県道を、本当の国道が追い詰めていく!
探索中に出会った様々な道を勝手に擬人化して自分の脳内妄想ストーリーの登場人物にしてしまうのは私の密かな楽しみだが、今回の国道は本当に“苦労人”であると思う。
道にとっては使われないことが最大の不幸であり、地図に描かれないことは次点の不幸であろう。国道という道路界カーストの上部にありながら、この国道は酷い仕打ちを受けているのだ。

「あとから出来た県道が、毎日私を見下してくるのです。 私はいつまで待てば、改良してもらえるんですか?」  …そんな嘆きが聞こえてきそう。

(…ちょっと妄想が気持ち悪い域に達しそうなので、このくらいにして…)


何でも砂防ダムと呼んでしまうのは悪い癖で、こいつは「谷止工」という治山構造物だ。
ちゃんと銘板(→)がついていて、昭和52(1977)年に復旧治山事業として長野県林務部が建設したものだと教えていた。

谷止工の目的は、上にある県道を守ることにありそうだ。ガリーの浸食が県道まで到達することを防ごうというのだろう。

それは大切な使命だと思うが、我らが国道はといえば、悲しいかな、完全無視であった。
谷止工に附属するコンクリートの段差で、道は綺麗に寸断されていた。

レポートの最後に詳述するが、この道が長野県の管理する一般国道として指定されたのは、昭和45(1970)年のことである。
長野県林務部が谷止工を施工したのはその後になるわけだが、この扱い…。
当時の工事関係者は道路台帳を確認しただろうから、ここに国道があることは把握していただろうに。 …泣けるぜ。



巨大な断層谷である上村川の険しさが、ただごとじゃない!
こんなに谷底から距離をおいても、まだ険しさが追いすがってくる。

こんな絶壁の縁みたいなところで、隣り合う国道や県道は助けあうこともなく、てんでんに戦っている。
谷底から必死に這い上がろうともがく道たちの姿は、地獄の亡者を連想させた。
亡者だなんて、とても賛辞とは受け取られないだろうが、これでも褒めてるつもりだ。
必死な道は、いつだってかっこいいのだ!! …まあ、必死にもなるわな、この地形じゃ。



谷止工を強引に横断して先へ進むと、荒々しい岩場の道が始まった。
このような険しさは谷川沿いではしばしば見られるが、河床から130mも高い位置でこれとは、恐ろしい。
背景からも、この地の高度感が存分に感じられると思う。

こんな地形を切り開かなければならなかった先人の苦闘が偲ばれる。
入口に大量の石仏があったことを覚えているだろう。中でも愛馬の弔いに安置されたとみられる個人名付きの馬頭観世音が多かったが、この険しい道を見れば納得だ。

それにしても、この写真に写っている大木の根性は凄まじいな。
路盤にどれほど深く根を張れば、こんな芸当が出来るのだろう。
道と百年以上を共に過ごしてきたような風格があった。




15:35 《現在地》

道がない!

第二の谷止工が国道の上部に出現した。
それは良いのだが、道が見当たらない!
谷止工の存在から推測するに、ここにあった道形を完全に消滅させてしまう規模の土砂災害が過去に起きたのだろう。

こうなっては仕方がない。道の位置を想像しながら、ガレた斜面をトラバースして進むことにする。
次の写真は、★印の位置まで進んで撮影した。



道形を発見!

案の定、道は大量の岩石の下から現われた。
土石流で埋没したのであろうが、生半可な規模ではない。なにせ、岩石のサイズがとても巨大だ。オートバイほどの大きさを持つものがざらで、軽トラよりも大きなものもゴロゴロしている。
いわゆるロックガーデンと呼ばれる地形になっていた。

(道形が消えた地点と復活した地点の高低差が思いのほか大きかったが、もしかしたらここにも小規模な九十九折りがあったのかも知れない)




うわ! 鳥肌立った!

この石垣は、マジで美しいッ!

周囲の風景とのマッチングが最高だ。
私が近代廃道大好きであることは、多くの読者が知っていると思うが、私にとって近代廃道風景の花形は石垣だ。
橋やトンネルに比べれば地味でありきたりな存在だが、ときおりこんな宝石のように美しい石垣があるから、私は近代廃道が大好き。

ロックガーデンに佇む石垣は、今日一の美しさだった。
これが平凡なスギ林の中だったら、この感想にはならなかった。
石垣を建設した当時から、ここはロックガーデンだったんだろうな。
石垣に使われている石と、周囲に転がっている石の風合いが本当にそっくりで、景色にすばらしく溶け込んでいた。

思うに、近代までは、道路を作ることが人による自然界の征服を意味しなかった。
人は遠慮がちに少しだけ自然界に手を加えて、生き伸びていた。
そんな慎ましさが、近代廃道の味である。



またしても路肩に物凄い姿をした巨木が根付いていた。まるで力こぶを誇示するように振り上げられた巨人の片腕だ。

この太さだと、仮に道が百年前に作られたとしても、既に大木としてここにあっただろう。ならば、通行人の記憶に残る大木ではなかったかという想像が働く。

ここを人が通った痕跡は、断続的に現われる石垣や道形、あとは石仏くらいなもので、全てが風化して消えかけているが、こんな印象的な大木にはなにがしかの記憶が刻まれていそうで、愛おしかった。



ここまで頻繁にGPSを確認しながら、この地形図にない道を辿ってきた。
先ほども書いたとおり、途中からは“予想ルート”よりも高い位置を通ってきたのだが、ここに来て再び“予想ルート”と重なった。
だが、やはり下から合流してくるような別の道は見当たらず、私が歩いたルートが、ここにある唯一の道であると思う。

ロックガーデンを抜けた後も、崩れかけた石垣が断続的に続いている。
結構なペースで登っているが、なかなか県道に追いつけない。
元は昭和43年に開通した林道である県道も、自動車のパワーを頼って負けじと登り続けているから、平行線になっているのだろう。

だがそれでも、遠からず追いつき、追い越すはず。
少なくとも、“予想ルート”はそうなっている。




久々にスギ林だ。
今回の探索の目標地点である清水集落が近づいてきた証拠だろう。

スギ林を抜け出した辺りからのこの道は、とても私好みの雰囲気であったから、こんな道ならばもっと続いてくれても良いと思っていたが、楽しい時間は終わりが早い。
まあ、結構いい時刻にはなっていたから、終わりが遠くても困るけれどね。

スギ林に入って、3分ばかり進むと……




15:53 《現在地》

【ここ】で別れてから、約2時間ぶりに県道が目の前に来た!

まあ、ずっと付かず離れずしていたわけで、それほどの感動はない。やり遂げた感はあるが。

なお、“予想ルート”の国道は、ここから目の前に見える九十九折りの県道を二度串刺しにしながら、

ほぼまっすぐ、50mほど高い位置にある清水集落へ上り詰めることになっている。

んな無茶な。