道路レポート 国道360号 飛越トンネル旧道  第1回

公開日 2014.7.16
探索日 2014.5.31
所在地 岐阜県飛騨市〜富山県富山市


オブローダーとしての活動歴が長くなってくると、どうしても「ここだけ」とか「変わり種」っていうヤツに心を奪われがちになるが、そんなネタばかりを取り上げていたのでは、この日本の主役を張ってきた道路たちを見落としてしまいかねない。
そんな自戒も込めて、当サイトの原点といっても差し支えがない“旧国道”ってヤツにアタックだ。
私だけでなく、多くのオブローダーが最初は旧国道から探索に旅立っているのではないかだろうか。

【周辺図(マピオン)】

今回取り上げるのは国道360号の旧道で、市販されている道路地図にも、右図のとおりばっちり描かれている。
現在の国道は県境を「飛越トンネル」という約1kmのトンネルで一気に通りぬけているが、平成11年にこのトンネルを含むバイパスが開通するまでの道は素直に宮川の蛇行に寄り添うものだった。

レポート本編に入る前に、この道のバックボーンについて簡単な年表で説明しておこう。
まあひとことで言えば、国道の見本のような歴史を有する道路といえる。


江戸時代宮川に沿って飛騨高山と越中富山を結ぶ越中西街道が公道として存在したが、牛馬は通れない難路であった。両国間の往来のメインは越中東街道(現在の国道41号に近いルート)が担っていた。
明治9年
(1876)
筑摩県高山出張所が飛騨国内の道路整備方針を発表。西街道は新たに県道三等 飛騨往還と命名され、道幅を3〜4間に拡幅のうえ車道へ改築する事が決定。
明治17年
(1884)
県道三等 飛騨往還が全線完成(今回紹介する道のベースで、以後はこの道が徐々に整備される)。
大正9年
(1920)
岐阜県と富山県によって、府県道 岐阜富山線(整理番号1) に認定。(この時点で、路線の格付けにおいては西街道が東街道を差し置いて飛越間のメインルートになったが、実際の交通量は引き続き東街道が多かった)
昭和35年
(1960)
富山県と岐阜県によって、一般県道 細入古川線(整理番号122)に認定。
昭和40年
(1965)
一般県道細入古川線が、主要地方道 古川細入線(整理番号29)に昇格。
昭和50年
(1975)
主要地方道古川細入線が、一般国道360号へ昇格。(同国道は富山市と岐阜県白川村を結ぶものだったが、後に終点が石川県小松市へ変更)
平成12年8月
(1999)
飛越トンネルを含む新道(現国道)が開通。(国土交通省による国道360号宮川細入道路整備事業の第1期工事)

県境の集落小豆沢を出発し、旧国道へ。


2014/5/31 6:48 《現在地》

ここは県境の集落、小豆沢。
江戸時代には越中西街道の越中飛騨国境として口留番所(一種の関所)が置かれていたところで、ここから宮川沿いに1kmも下れば富山県だ。
写真は、新旧道分岐地点を振り返って撮影。

私は、旧道入口近くの路肩に車を止め、そそくさと自転車を下ろした。
一連の旧道の長さを地図で計ると3.1kmほどだが、川の蛇行に付き合うためにこれは現道の5割増しである。
それでも旧道となった時期が平成12年と新しいので、自転車ならばちょうどいい退屈しのぎになると思った。こんな事を書くと「道に対して真摯でない」と非難される向きもあるかも知れないが、今日はこのあと近くで『廃道レガシイ』の撮影に参加する予定があり、今から集合時間まで1時間ほどの空き時間を有効活用したいと思ったのが、今回久々にオーソドックスな旧国道にほとんど予習なく飛び込んだ、その最大の理由であった。(盛り上がらない探索動機だなぁ? まあそう言わず…)



私がこの国道360号を走るのは今回が初めてで、もちろん旧道も未体験である。
富山から高山へ抜けるには、この国道360号よりも国道41号の方がメジャーで交通量も多い。
距離はほとんど変わらないと思うが、国道41号の方が整備が進んでいるというのが、その理由であろう。

だが、最近は差がだいぶ埋まってきているようだ。
特にここにある飛越トンネルの開通は、国道360号の利便性に劇的な変化をもたらした。というのも、それまで小豆沢から先の県境区間は、毎年12月から4月頃まで冬期閉鎖になるのが常で、それだけでも国道41号が圧倒的に有利な状況であったのだ。

写真の中央に見えているのが、その名も誇らしげな飛越トンネルである。
そしてトンネルのすぐ上を横切って見えるのが旧国道。
トンネルまでの短い平地が小豆沢集落と言う事になるが、既に民家は数えるほどしか残っていなかった。



集落を何事もなく通過し、まもなく私の前にある道は旧道だけになろうとしている。

旧道は、飛越トンネルのいかにも平成生まれを感じさせる幅広で清潔な坑門のすぐ上を通過しているが、この線形が旧道現役時代のものではない事は、この写真に写っているものが教えている。
おそらく説明は要らないだろうが、よりはっきりと確認したい方は、画像にカーソルを合わせて欲しい。

答え合わせ。
私がいる旧道のすぐ下にある、今はガードレールで途中を塞がれている1車線の道が、本来の旧道だった。




6:52 《現在地》

旧道入口から順調に700mを進んで来たところで、突然道が二手に分かれた。

どうやら右の道は河原に設けられた観光やな場へ行くためのもので、旧国道は左の道であるようだ。

だが、ここで面白い展開。左の道には、歩行者が通れる隙間だけを残して閉じられた封鎖ゲートと、見慣れた「通行止」の道路標識が立ちはだかっていたのである。
これには思わずニッコリしてしまった! 綺麗な渓谷を見ながら軽い時間潰しのサイクリングが楽しめれば良いと考えていたが、どうやら“探索”をオマケで付けてくれるようだ。
廃止時期を考えれば自転車に乗れないほど荒れていることもないだろうし、それでいて自動車が入ってこられない状況というのは、自転車オブローダーにとって一番ワクワクする状況なのだ。

さてさて、どんな現場が待ち受けているのかな?



ゲートを越えると、いかにも車が通っていない感じの道になった。
鋪装は残っているが、道の両側には雑草が侵入してきており、廃道と言っても差し支えない状況である。
そして100mほど進んだ所で、今度は道幅に対して妙に大きな道路標識が見えてきた。

標識の正体は、県境を示す案内標識であった。
峠でも無いところで突然現れるので、「ああ、ここなんだ」といった印象である。
しかし、少なくとも江戸時代から変わらぬ由緒ある国境線であることは、後日「宮川村誌」により知った。

そして県境のすぐ手前には、向こう側を向いていて分かりにくいが、大好きな「おにぎり」が残っていた。
ゲートを越えた途端になされた手篤い歓迎に、私のテンションがさらに上昇したのは言うまでもない。



地形的にはインパクトの全くない県境。
だが、イラスト入りの県境標識は目立つもので、ドライバーが見落とさない県境を演出している。

ただし2段目の「細入村」というのは既に存在しない。同村は平成17年に広域合併し、現在は富山市である。
ちなみにこっち側も、平成16年までは宮川村といったが、現在は飛騨市と名前を変えている。
旧道化した時期が平成12年だから、国道降格後は道路標識を管理する体制が消失してしまったことが窺える。

とはいえ、旧道化しても道路法上の道路としては存続したようだ。
県境標識の下で半ば雑草に埋もれてしまった1枚の案内板が、その事を教えてくれた。



村道 加賀沢小豆沢線
これより2.3km(国道360号まで)

落石多発区間
通 行 注 意


道路の異常を発見されたら
  下記へご連絡ください

細入村役場 産業振興課
電話 07XXXXXXXXX

この案内板により、少なくとも旧道化後のある時点では、この道が細入村によって村道加賀沢小豆沢線に認定されていたことが分かった。 




オオッ! 良い感じじゃないの!!

たいして期待もせず来たのに、こいつは結構な掘り出し物?
なかなかの“逸材”に、出会っちゃったかもしれない!

良い感じで、国道が廃道になってるぜ!
特にこの“傾いたおにぎり”は、かなり高ポイントだ。嬉し!




うおっ??!

実は想定外だった。

もう少し気軽に探索出来る状況を想定していたのに、この段階で早くも路上から轍が消えてしまった。
ここは地図にはっきり出ている旧道だから、私が来る前にも多数のオブローダーが訪れているだろうし、その中には私と同じく自転車や、或いはバイクといった車輌で挑んだ人もいるはず。
だが、県境からわずか300mほど進んだ地点で、アスファルトの路面はその道幅一杯に散らかった倒木や瓦礫、そして雑草の原っぱよって、すっかり占領されてしまっていた。

しかも、そのすぐ先には2度目となる「通行止」の道路標識が、道路の中央で通せんぼするように置かれていた。




これはもしや、私が想像していた以上に本格的廃道なのでは?

廃道を予想していなかった状況においては「青天の霹靂」といっても良い展開に、ほんの直前まで“傾いたおにぎり”に色めいていた私の心は、一転して不安の色に染まった。

平成12年までは国道だったという今回事前に知り得ていた数少ない情報が、なかなか私に現状を素直に飲み込ませなかった。
未舗装の林道だったとかならば分かるが、ここまでしっかり鋪装されて、道路標識をも完備した国道にしては、随分と荒廃のペースが速い感じだった。
そして何よりも不気味なのが、こんな目立つ廃道なのに、先人オブローダーたちの踏跡が不鮮明である点だ。
少なくとも集落を出発した段階では、こうなる気配は全然無かったように思うが…。

そしてまた一枚、この道の険しさを裏付けるような表示が現れた。
「この先土砂崩れの為 通行注意 富山土木事務所」。
これは国道だった当時のものだろう。




もうこれは間違いない…。

こいつは本格的な廃道だ。

自転車を連れてきたことが正解だったのかどうか、悩ましさを感じるレベルで藪が濃くなってきた。一応鋪装はあるが、その上に軟らかい土の層が出来てしまっている。

この状況となり、今いちばんに気掛かりなのは(これは全く私の都合なのだが)、約束した時間までに探索を終えて無事集合場所に辿り着けるのかどうかということだった。
こんな廃道がここで予告されたゴールまであと2km以上も続くとしたら、とても1時間程度では走破出来ない様な気が…。
この時点でもう、自転車は既にお荷物になっているし…。



無論、先がどうなっているかは分からない。

案外、この悪い状況の原因となっている道路の崩壊は一箇所だけで、しかもそれはすぐ近くにあって、過ぎればまた走りやすい道になるかも知れない。

これだけ荒れていると言うことは、少なくとも一箇所はあるはず。
自転車やバイクの轍を跡絶えさせた原因となるだけの、それなりに大規模な崩壊ってやつが。
その事は覚悟しなければならない。

だが、しつこいかも知れないが平成12年まで現役だったことや、旧国道であることを踏まえれば、そんな大きな崩壊は少ないはず。

それにだ。
この道は、先を見たいと思わせる引力が強かった。
少し前から、川側の木立の向こうに巨大な色の護岸擁壁のようなものがチラチラしている。
きっとこの先には、まだ見ぬ土木構造物がひそんでいると思った。




一面の緑に覆われた道の先に、枯れ木に絡まれるように傾いた電柱が、
磔にあった亡骸を思わせる無惨な姿で、道を通せんぼしているのが見えた。

経験上、電柱が倒れるというのは結構ただ事ではない状況だ。
予感にあった“大規模な崩落”ってのが、ここで早速現れそうな匂いを感じた。

私は自転車を走らせる事が出来ないが、代わりに緊張が走った。




電柱が倒れた原因が、近付いてみて判明。

それが立っていた川側の路肩がそっくりと川に落ちていた。

路肩が消え、そのまま切断されたアスファルトの切片が、中空に牙を剥く。
その向こうには、一目でげんなりする高低差を隔てて、宮川が朝日を反射していた。


いかにも、いやな感じがしたが……




道は、やはり途切れていた。


向こうに道や電柱が見えるけど、きつそうだなぁ…。