国道291号清水峠 (新潟側) 第4回

所在地 新潟県南魚沼市 
公開日 2008.1.26
探索日 2007.10.7

 未知のエリアへ  【第3攻略区】

 先が見えすぎて放心する二人


 【第3攻略区】

起点:鉄塔下(←現在地)
終点:柄沢尾根
全長:2.0km 高低差:170m

 ひきつづき、約12kmある廃道区間全体から見れば序盤である。
この区間も全線にわたって登川の谷に面しているが、さらに比高を広げ続け、柄沢尾根上の海抜1050m地点に至る。
区間の前半は、「第3の九十九折り」と呼ぶべき大スパンのヘアピンカーブ2連で構成され、JRの所有する2系統の送電線を繰り返し潜る。
「鉄塔上」(3.4km)を経て区間の中盤となり、等高線の密な斜面を東進する。そして、柄沢岳が登川に落とす急峻なガリーに達する。
ガリーを横断して進行方向を南南東に変えて、再び急傾斜の斜面をしばらく進むと、区間の終点「柄沢尾根」(4.6km)に至る。




2007/10/7 9:46 鉄塔下

 廃道を歩き始めて3時間を経過。
最初の九十九折りで極端に時間を要した他は、まあ路面状況も想定の範囲内であった。
しかし、再びの本格的な九十九折りとなるこの“鉄塔下”の攻防は、苦戦を予感させる出だしとなった。
高木が減り、灌木が増えてきた事が、その予兆だ。




 うるさくなり始めた藪を騙し騙し進んでいくと、突然藪が途切れた。
そして、傍らの枝には赤いビニールテープが揺れていた。
ここが、清水国道と鉄塔巡視路の交差点であると理解するのはすぐだった。
巡視路は追分から延々と歩いてくるものばかりではなく、直線距離で100〜200mしか離れていない登川沿いの林道からも伸びていたのだ。
その巡視路が、国道を突っ切っている。



 いま何気なく書いたが、林道と清水国道とは僅かな距離しか離れていない。
ここまでのレポートの印象(=歩いている我々の印象でもある)からは、もう余程の山奥に分け入ったように思われるだろうが、実際には砂防ダム工事のダンプが行き交う林道の目と鼻の先と言っても良い。
斜度40度を下らない非常な急斜面で隔てられているとはいえ、これは事実である。
先ほどの巡視路を最初から利用していれば、ここまでの3時間をその5分の一くらいに短縮できただろう。

 もっとも、こうした発見自体が楽しいのであって、近道をしても納得のいく探索が出来たとは思わないが。




 路上に立ちはだかる、苔生す大岩。

私の知る限り唯一の現地情報として大いに参考とさせていただいた、『日本の道』のレポートには、これと良く似た景色が出ていた気がする。
松波氏の綴る、言葉の抑揚を抑えながらも緊張感を十二分に感じさせるレポートは、読むたび「いつかここを自分の足で歩いてみたい」と思わせるものであった。

そして氏に遅れること5年、ようやく私もこの地を踏むことが出来た。
そんな私情を知らないくじ氏はあっと言う間に通り過ぎて先へ行ってしまったが、私にとってはこの大石、清水峠挑戦のひとつと象徴的なものだった。

まずは…

  まずはここまで来た。
 



 路上の大岩は一つだけではなく、幾つもあった。
当たり前だが、一つ一つに形が違うし、苔の結び方だって全然違う。
そんな岩の一つを目印に、我々は短い休憩をとった。

 緑のある時期の山歩きといえば、虻や蚊、それに蛭などの害虫によって興を削がれることは珍しくない。
だが、この10月上旬の清水峠に、それらの姿は全く見られなかった。
これはもう、非常に快適な気温と共に、「余計なことで体力を使わせないから、力のままに攻略してみなさい」という、道の余裕のように思われた。




 休憩しながら、何気なく近くの太い木を見ていると、その幹の表面に、小さな傷が幾つも付いているのを見つけた。

更によく見てみると、それは爪で引っ掻いた跡だと分かる。
人間の掌よりは一回りくらい小さいが、さすがの私もネコだとは思わなかった。
つうか、プーサンだろ。これ。



 …さあ、行こうかな。

ちなみに、この後注意深くなって道の周りの目立つ木を観察していくと、至る所に同様の爪の跡が残っていることが分かった。
かなり、…いるみたいですよ。




 高い木の生えている場所は下草が浅いので総じて歩きやすく、逆に灌木帯は苦労させられた。
これらは交互に現れて、なかなか一定のペースで歩くことは出来ない。
地図上にはほとんど見出せないような僅かなカーブでも、それ一つで景色ががらっと変わるような場所が何度もあった。
ごく小さな尾根と、水のない谷が交互に現れるが、谷の方が状況は悪かった。
谷は雪崩の通り道なのだろう。
いやらしい灌木が茂るのは、多くが谷筋であった。  




9:57 送電線Aの下 

 初めの送電線を潜ってから200mほど進むと、今度は別の送電線を潜る。
この送電線を支える鉄塔には、皆「A」で始まる番号が付けられているので、仮に「送電線A」と呼ぶことにする。
先ほどの送電線は「送電線B」である。
この二つの送電線は「154KV鉄道省(→国鉄→JR)信濃川送電線」といって、小千谷市の信濃川発電所から発し、上越国境を清水峠付近で越えて群馬県内を横断し、最終的には神奈川県鶴見区の変電所に達しているものだ。
よく言われるのが「東京の山手線は信濃川の電気で動いている」というものだが、実際にはそれ以上で、「JR東日本が首都圏の電車運行に使う電力の約半分」は、この2系統の送電線で運ばれている。
まさに、この国の知られざる動脈である。



 この鉄塔の下は傾斜がきつく、かつ電線に支障しそうな高木が切り払われているために、自然と眺望に優れる。

それは、目を瞠(みは)るような眺めだった。




 もしあなたが何の予備知識も無くこの景色を見たとして、真っ正面の稜線に峠が有る事だけを知っていたとしたら、そこに至るどんな道を想像するだろうか。

おそらくは、足元の谷に下って沢を渡り、それから向かいの尾根を登っていく道を想像するだろう。
私もそうに違いない。

しかし、現実の清水峠への国道は、この後で高度を下げることはない。
目の前の登川、さらに上流の本谷沢でさえ、国道は“かわす”のだ。
どう“かわす”かといえば、それはもう谷が尽きる場所まで、延々と谷を“巻き”続けるのである。
だが、谷が尽きる場所はどこだ。
まさか、遙か後方に白んで見えるあの山まで、道は巻き続けるのか。

 「導入」で紹介した「峠から撮った写真」のように、清水国道の新潟側の道は、その大半の部分が清水峠の裾山ではなく、登川を挟んで向かい側の山腹を通っている。少しでも峠までの距離を稼ぎ、その700mを超える高低差を緩やかな勾配だけで埋めようという、明治の試みであった。
しかしその試みの結実は、実際の交通量の大半を占めた徒歩による利用者には冗長として不評を買い、また修繕の前線基地となるような途中集落も無いために、数年で朽ちたという歴史を持つ。


 次の地図は、視座である現在地から峠までの道のりを記したものだ。
その、気の遠くなるような迂回ぶりを確認して欲しい。






 こいつは確かに …とんでもない道だ……

 ようやくにして、今まで謙信尾根によって隠されてきた清水峠が現れた。
さほど目立たぬ鞍部であるが、稜線に隙が無さ過ぎるからやむを得ないのだろう。
一応はああ見えても、この界隈の上越国境にある峠の中では最も低い。(1448m)

 それはともかく、あと7時間後のタイムリミットまでに、この重々たる山塊を半周し、目前の谷を挟んだ稜線上の峠まで辿り着けるとは…

 …ちょっと思えない。



 驚きはそれだけではなかった。



  見えちゃってるよ……


 写真は、最大限に望遠を効かせたもの。
眼下の谷の源頭である朝日岳の山腹に、道がはっきりと見えた。

画像にカーソルを合わせないままで、元の画像をよーく見て欲しい。
見えるはずだ。緑の山腹を渡る一本のラインが。
そこは、現在地から道なりに9kmも離れた、人跡未踏を濃厚に匂わせるエリアである。
今回の我々の探索行から言えば最終盤。「第6」ないし「第7攻略区」として想定されていたエリアである。

しかし、これだけ鮮明に森を切るラインが見えるということは、道は形を保っている公算が高い。
あそこまで行ければ、おそらく完全攻略も現実的だと思われた。

 しかし、彼我の距離はあまりに大きい。
もう一度2枚上の写真を見ても分かるだろうが、その距離感はただごとではない。
写真には望遠という、遠い景色を切り出す便利な機能があるが、肉眼にはない。
近も遠も連続する実風景の中にあって、霞んだように遠い山腹の道は、まるで現実的なものに見えなかった。
ただくじ氏と二人並んで惚けたように、「スゲーときー(遠い)」を連呼するだけ。

 …戦意喪失とまでは行かないが…、正直言って精神面にかなり来た。

本道攻略がこれまで容易に達成されなかったのも頷ける。そういう眺めだ。


 2度目の鉄塔を潜って進むと、すぐに切り返しとなる。
ここはカーブのRが極端に小さく、その内側は小さな石垣で段差が作られていた。
石垣は貴重な発見であったにもかかわらず、なぜかこの写真一枚きりで軽やかにスルーされた。


 …直前の眺めのせいで、まだ惚けていた??



 第3の九十九折り 巡視路との再会と別れ


10:07

 折り返して進む。

気付けばもう10時をまわっている。

二本の送電線の下を行き来する九十九折りは、雰囲気的にもあまり面白くなく、正直言ってさっさと終えてしまいたいエリアだった。
何本かの巡視路と出会うが、どの道もJRの堅気を反映するかように業務に忠実だった。
すなわち、清水国道の僅かな平場と出会っても少しも興味を示さず、全く無視して下から上へと突っ切っていった。
少しは国道を利用してくれたら、我々も歩きやすいのに…。




 お陰で、我々は何度も巡視路のセットしたテープや、大胆にも立木に直接ペンキを塗ったものなどを横目で見ながら、馬鹿らしい藪漕ぎを強いられた。

さすがに今度ばかりは、「少しくらいショートカットしても良いかな」なんて思ったが、結局は惰性でガサガサガサガサとやっているうちに、雑念も消えていた。




 「送電線A」の下を再びくぐる。

送電線の下は大きな木が伐られていて、歩きやすいどころかむしろ藪がうるさくて大変だった。

なお、この写真に写っている鉄塔へは、後ほど再会することとなる。


 なんと行儀の悪い…。

鉄塔の下には、幾つもの巨大な碍子が放置されていた。
どれも割れていたり破損があって、墜落したものであるように見えた。
回収しろというのも酷だろうが。




10:25

 時計を見るたびに「ゲッ」と思った。
なぜか、妙に時間の経つのが早いんじゃないか。
いまだって、九十九折りのヘアピンからヘアピンまで移動するだけで、18分も掛かっている。(距離は400m)
気持ちは急いても、ろくに進めていない。

 わけは簡単。
写真に撮っている場所の他は、大概が藪漕ぎだから。
もう何回倒木を跨ぎ、潜り、這ったか分からない。そんな物を写真に撮っても仕方がないから無視し続けているが、とにかく道路状況は悪い。
手ぶらだったらこの二倍のペースで動けると断言できるが、そんなことを言っても情けなくなるだけだ。



 最初、「石垣?!」と思った岩肌。

だが、よく見ると格子状に割れ目の入った自然石だった。
イイ感じに苔生しており、100年変わらぬ姿である気がした。
何となくだが。
それにしても紛らわしい形をしている。




 朗報がもたらされた。

先ほどのヘアピンカーブで、遂に巡視路が清水国道に目をかけてくださった。
お陰様で、数時間ぶりにまともな歩道を歩ける光栄に浴した。(また卑屈になってる…笑)

いやー。
いいものですね。
刈り払いって、本当に。

そして、この素晴らしき300mほどは、清水国道で最後の現役エリアだった。
我々はこれ以降の前進で二度と、人の出入りを感じる場所に辿り着けなかった。
これは、最後だった。






10:36 鉄塔上 着 

 三度「送電線A」をくぐる。
この場所は、長い清水国道(新潟側)の道中で唯一、鉄塔と出会う場所である。
鉄塔の下は20m四方ほどの広い草原になっており、ここだけはピクニックを連想させる場違いに平和なムード。
それに、ここから見渡す景色は文句なく絶品で、この景色のためだけに登ってきても損はしないくらいの場所だと思える。

 いままでネット上でこの地点まで来たというレポートを見たことがなかったので、「清水国道の攻略史」(←勝手に作りました)に新しい道程里を付けた“偉大な一歩”と自画自賛したいところだが、残念ながらそこまで言うほど到達は難しく無さそうだ。
林道から分け入る巡視路を上手く見つけられれば、1時間くらいのアルバイトで登ってこれるのではないかと思う。
それは前述の通り、下界側から清水国道にアプローチする、最後の“現役道”である。

 ちなみに、我々は「今回の探索が失敗」する場合を考えて、途中に“セーブポイント”を探しながら歩いていた。
“セーブポイント”とは、「次回ここから再開する」のに都合の良い場所で、すなわち、正規ルートよりも楽に下界と出入り出来る地点のことである。
この地点は、ここまででは最良の“セーブポイント”だろう。




 先ほど予告した、この場所からの絶好の眺めがこれ。

先ほどの大写真とそう違わないが、視座は70〜80mも上がっている。
故に、謙信尾根の向こう側に上越国境線が広く見渡せるようになった。
逆に峠への直線距離は、少しだが離れた。


 問題は、次の写真である。

現地では、その眺めをさほど貴重なものと思わなかったのか、たった一枚しか撮ってなかったのが悔やまれるが、とにかく非常に問題のある写真である。



 誤解の無いように予め言っておくが、写真内に描いた道のラインは現実に見えはしない。
しかし、地図を信じるならば、遠からぬ位置を間違いなく通っているはずである。
また、画像にシャギーが目立つが、逆光の激しい中で望遠を効かせた弊害である。しかも、なぜかこの方角を写した写真はこの一枚しかなかった。

 この写真の価値は、本谷沢の源頭部を国道が横断する、全線中最大の難所と予想していたエリアの内部を捉えた、唯一の写真であるということだ。(これ以降は、いくら近づいても覗き見ることが出来なくなった)


 地形図からは、この本谷源頭横断部が相当に酷い悪地であると想像できる。
大烏帽子山の山腹を楔形に深く抉るのが本谷沢の源流で、そこにはおびただしい数の崖記号が、方向も定まらずに描かれている。
道はそれらと交錯し、隙間を縫うように蛇行して描かれている。
故に、地図で見るその部分の道は、さながらサバイバルナイフのエッジのようである。
おそらく道中で最大の難場だろう。
未だかつて、そこがどのような場所なのか報告がないので、いたずらに不安感だけが募るエリアだが、現在地からはまだ7kmも離れている。
辿り着くためには、まだ三回も大きな尾根を超えねばならない。


どう考えても、これはヤバイだろ。
この景色の中を横断する道があるはずなんだが…
くじ氏はともかく、素人の俺がこの中に入って大丈夫か……
プチ 一ノ倉じゃんよ……。


現地でこの景色を見て特に何の感想を抱いた覚えもないというのは、何だったのか。

おそらく、道の姿が見えないので深く考えなかったんだろうな。

これは見えなすぎてヤバイって。
ここに行くときは、絶対命がけになる……予感。




 時間もないんで、行きますか。


そんな風に草原から腰を上げた我々だったが、

嗚呼、無情。

どうやら道は… 左の藪の中らしい。

今までよりも、悪化するのかょ。
もう時間がぱっつんぱっつんだっつーのに!!




これ以降、路面状況が劇的に改善する状況を想定できないだけに、これはキツイ。




第3攻略区 中途
清水峠まで のこり.8km。
ようやく10km切りました…。