静岡県道288号 大嵐佐久間線 第13回 &

 飯田線旧線 中部天竜〜大嵐間 第5回

公開日 2009. 7.24
探索日 2009. 1.29

ラスト4kmを切ったあたりから、急展開となった。
まずは、ダムの減水した湖底から、飯田線旧線の隧道群が現れた。
以後の遺構発見も大いに期待されるところで、私は激しく湧いた。

だが、それとほぼ同時に、「ここに来て!」と臍を咬む場面があった。

これまでで最も大規模な、しかも新しい崩落である。
路盤を完全に活崩壊斜面へと変えてしまった大崩落は、どうやってもチャリを通すことが出来ず、もし仮にロープなどを持参していてもそれは変わらなかったと思う。
今さらだが、もう少し時間が経って斜面全体が安定するまでは、立ち入るべきではない斜面だったと反省している。
どうしてもここで終わりにはしたくなかった一心から、相当の危険を覚悟の上で無理に突破してしまった。

そしてともかく身一つでなんとか突破はしたものの、チャリとは離れ離れになってしまった。
チャリを残した事への悔恨は、それ自体への愛着云々ということよりも、決して安くはない探索道具を失うかも知れないという恐怖だった。
次いで、オブローダーとして「敗北の証し」を残していくことを恐れた。




そして前回、読者の皆様に「どうやって回収したか」などと書いたところ、多くのコメントをいただいた。
一番多かったのが、「後日北側から再訪してもう一度大崩壊を突破し、チャリと共に南へ抜ける」というご意見だった。

確かにそれが一番確実な方法と言いたいところだが、NGだ。
私は前記の通り、明らかに無理をして、はっきり言って運否天賦で斜面を突破したという自覚があった。
だから、もう二度とそこを通るつもりはなかった。
(単純に過去の経験と比較しがたいが、“松の木”クラスに危ないところだし怖かった。“チャリ無し”でと言うことも踏まえれば、松の木以上に最悪の崩壊地だったとも言える)

…それに、もうイヤである。
また10km近い廃道を戻るというのは、望んでやるならともかく、回収のためなどというのはイヤである。

さらに、「後日また」というのもイヤである。
出来ることなら、後腐れ無く今回の探索で仕舞いにしたかった。
チャリを回収して帰らねば、当然修理に出すことも出来ないし、次の探索に進むことだって出来やしない。


そんなきわめてイヤイヤで“ワガママ”な私が、実際に行った“回収術”は、いかなるものであったのか。




正解を予想された方も、少数いた。
その方々には、「山行が同脳の誉れ(?)」を贈呈させていただく。

ダムの水位があと2m高ければ絶対に不可能な方法であったが、右図のようなルートを私は現地で構想した。
そして、実際にこれをやろうとした。


ただし、達成するためにはA〜Bの湖畔線が全てチャリ同伴でで通れなければならず、さらにAではチャリを県道まで引き揚げなければならない。
しかも悪いことに、中ノ沢と夏焼口の間には、その中間部が最も高い20mほどのアップダウンがあり、区間内での湖畔へのアプローチは容易ではないと考えられた。

それでも、やるしかないと思ったのだ。







足元には、直前の崩壊が嘘のように平穏な道が再開。

残したものに後ろ髪を引かれながら、再会を約して出発する。



 遠くなる湖畔


2009/1/24 15:08

歩き始めても、まったく落ち着いて探索することが出来なかった。
果たして自分はチャリを無事に帰還させることが出来るのだろうか。
このまま回収できないで終わるのはもってのほかで、もし今やろうとしている方法で回収できなければ、やはり馬鹿正直にもう一往復する羽目になるのか。
多分その場合でも私は日を改めはしないだろう。
夜通し歩くことになっても、今回の探索で完結させてしまいたかった。

そんなことが頭の中にぐるぐるして、憂鬱だった。
そして、そんな私の気負いを嘲るように、湖畔への高低差と傾斜は、隔絶の度合を一向に緩めなかった。



3分ほど進むと、路肩が広場になっていた。
そしてその一角には目立つ大きな岩があり、その表面になにやら赤いスプレーで文字が書かれていた。

咄嗟に思ったのは、マナーのよろしくない同業者が残した“記念物”ではないかということだった。




19.11.21.44−5
         44−6
         ホツ上

これは一体何の暗号だろうか。
平成19年11月21日に、何かがあったと言うことなのか?
分からない。




これからする話は“岩の文字”と無関係だが、ここまでに読者の皆様から寄せられたコメントの中に、私の中にだけ仕舞っておくには少々惜しい、貴重な情報がいくつもあった。
その中でも二つだけ、ここで紹介したいと思う。
県道の改廃に関する話だ。

26年位前にバイクで飯田線の写真撮りに行った頃、すでに通行止めでした。

この道は平成13年に一度だけ復旧させています。その後崩壊が起きて放置プレーになってます。

特に後者、平成13年に一度復旧しているという話が真実ならば驚きだ。今あるこの無数の崩壊は、わずか7年ほどの間に起きたと言うのか。(人が通れる程度の復旧ならば分からなくもないが、車も通ったとなると信じがたい)



中ノ沢を渡って旧水窪町に入ってすぐに、比較的新しそうな落石注意の道路標識を見ているが、今度はまた新しげなガードレールが出てきた。

いよいよ、廃道も終わりが近いんだ…。

…チャリが手元にあったら、どんなにこのガードレールを嬉しく、また頼もしく見ることが出来ただろう…!


たとえ前進はしていても、私はまるで抜け殻だった。
進めども喜べず、戻ることには何ら希望はなく…。





15:18 《現在地》

来た…! 運命の分かれ道!

地形図と対照すると、この場所こそが、「湖畔へ下りうる」と私が踏んだ、その尾根の突端である。
ちょうど、置き去りのチャリから500mを進んだ地点だった。

当然、ここに来る前に下りうる場所が現れてくれればそれに越したことはなかったのだが、そうはならなかった。
そういう場所はなかったし、もし無理に下ってもチャリを登らせられなければ、余計ドツボにハマルだけなのだ…。



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 運命の湖岸線 


時間的に、事は急を要した。
だから、私は迷うことなく県道を外れ、尾根の上へと進み出た。
恐れていたのは、途中に断崖が現れたりして、湖畔まで下れなくなることだった。

だが、地形図は嘘をつかなかった。
そこにはまるで馬の背渡りのような、狭いが比較的なだらかな尾根が、確かに湖面へと真っ直ぐ続いていたのである。

「これは行ける!」「これなら自転車も担いで登れる!!」

…まだ、天は私を見放してなどいなかったと、そう思った。



私はよほど浮き足立っていたらしい。

ここで、しなくても良いミスを犯した。

背負っていたリュックを、ここに下ろしたのである。
目印となる、林班界の赤い標柱の隣に、置き去りにしてしまった。

それは、これからの斜面の上り下りを踏まえ、少しでも体力の減少を抑えるための策で、当然“ここへ戻ってくること”を前提とした上での行動だった。

が……。




……。


リュックを下ろして身軽になった私は、跳ねるようにして尾根を下った。

だが、すぐに私の顔面は強ばった。


尾根のラストは……。









orz…


色褪せたトラロープが一本、頼りなさげにぶら下がっている崖。
これより下は一本の草木もなく、湖面の満水位であるらしい。

湖面への、ラスト10mに裏切られた…。
しかし、ロープには頼れそうもないが、それが無くても下れそう。
だが、チャリを持ち上げることはまずできないだろう…。

…いや、或いはこのロープを上手に使えば、可能性はあるか…。

ロープを持参しなかったことを、この日初めて悔いた。(以来m場所にもよるが、私は10mロープ1本を持ち歩くようにしている)





15:26 【現在地:A地点】

下った…!

満水位と今日の水位との差とほぼ等しい高低差を、下った。

湖底となることもある山腹は一様に険しい岩崖で(表土が流出してしまっているのだから当然だが)、しかも風化が著しく、体重を掛けがたい部分が少なくなかった。
それでもゴツゴツしているおかげで手がかり足がかりは豊富なので、下ることが出来た。

しかし、果たしてチャリを登らせることが出来ようか。
可能であるという確信はなかったが、あまり悩んでいる時間もないし、
ここまでチャリを連れてこられてから考えても遅くないだろう…

と、「行き当たりばったり」な判断を下した。

…チャリ生還へのタイトロープ。
その孤独な綱渡りが、静まりかえった灰色の湖岸線に開始されたのだった。




これから辿るべき、湖岸線である。

まずは、なんとしてもB地点まで約500m。
これを踏破しなければならない。
それが出来なければ、この回収行動は水泡に帰する。

途中に水没している部分が無くて最後まで砂地の湖底が続いていてくれれば難しくはないと思うが、見通した感じだと、小さな入り江が二箇所ほどある気がする。
多少足を濡らしてでも、なんとしてもB地点へたどり着く覚悟だ!

なお、ここで初めて飯田線旧線「第一白神隧道」の北口が見えた。
南口が湖面に面していて接近できなかった隧道だ。【写真】




気付けば手元にチャリもなく、リュックもなく…、首から提げたデジカメと、貴重品や小物を入れた腰のポシェットだけを身に付けていた。
そんないつにも増して身軽な装備で、私は1月の乾いた風の吹き抜ける天竜の畔(ほとり)にあった。
すでに西日は山に落ち、一旦は極大化した空と地面のコントラストも、今や夕闇へとぼんやり沈み始めていた。

ダム湖は全くの静寂に包まれていた。

そして、対岸の目に見える高さには、白いガードレールでそれと分かる県道1号があった。
車通りはない。だが、それは間違いなく生きた道。
それが、直線距離でおおよそ100mくらいのところにあるのに、辿り着く術はない。
まさに、今の私は“どん底”だった。




足元は、思ったほど柔らかくない、非常に密な泥だった。
おかげで足を取られることもほとんど無く、容易に歩くことが出来た。

そんな“浜辺”が、湖水と岩場(山腹)との間に、狭いところで3m、幅広いところで30mほどのスケールで横たわっていた。

そこを当然のように歩いているが、これは極めて幸運だった。
飯田線旧線を多く発見できると言うことだけでなく、県道288号のチャリ同伴踏破においても、この水位は“必須”であった。
もしもあと1m水位が高ければ、浜辺の大半の部分が湖底であった。
それを考えると今でもゾッとする。




左岸を見上げると、先ほど歩いた県道288号のラインが見通せた。

だが、そこに至る斜面の急さは崖にも等しく、とてもチャリを持って登れる感じはしなかった。
上からの見立ては、間違ってなかったと言える。

先ほど遠目に見て“入り江”があって陸地が切れているかも知れないと恐れた地点だが、実際には辛うじて浜辺が繋がっていてくれた。
だが何度も言うように、あと1m水位が有れば、きっと渡れなかった。




隧道発見!!

今までは岩陰になって見えなかった新たな隧道が現れた。

小さな岩尾根の先端を掠めるだけの、非常に短そうな隧道だ。
おそらく、今ならば隧道にはなるまい。

現地では名前も分からずじまいだったが、この隧道は大方の予想通り「第二白神隧道」という。

なお、この写真には3本の隧道が写っているが、水面という純粋な“レベル”がそばにあるおかげで、泥下の路盤がいかにも鉄道らしい緩やかな勾配で、着実に登ってきている様子が良く見て取れる。




隧道探索をする気分では無かったが、相当に短そうなので立ち寄った(というか、覗いた)。

全長37mと記録されている「第二白神隧道」は、まだ辛うじて貫通しているようだった。
反対側の明かりが僅かに見える。
もっとも、人が通り抜けられるほどではないようだし、身を以て確かめることも遠慮した。




そして、同隧道の南口である。

湖底と地上とを繰り返し往復し続けた半世紀の傷跡か、本来は地中にあるべき隧道本体の“外側”が露出していた。
この状態は相当に偏圧がかかって危険であるはずだが、洞内がほぼ泥によって埋もれていることや、そもそもの土被りが僅かであるせいか、亀裂はあっても崩壊には至っていない。

憐れな水没隧道の成れの果てを見た気がした。




そしていよいよ問題の…あの、大崩落地の直下が近づいてきた。

大量の瓦礫やら倒木やらが、湖底の泥の上にドッカと居座っているのが見える。

決死の突破からは30分少々を経過しているが、落日が刻一刻と迫っているのが分かる。
そんな色合いだ。

果たして、我が手負いの愛車へは辿り着けるのか…。





見上げる、“絶望”。


我ながら、よくぞ無事にあそこを横断できたものだ。
(写真上の黄色い破線は、本来路盤のあったと思われる高さで、私が横断した位置とは必ずしも一致しない。)


当初、路盤は落石に埋もれているだけだと思っていたが、下から見るとそうではなく、ゴッソリ落ちてしまっているのかも知れないと思った。
うして見上げて、埋もれているはずの路肩構造物が全然見えないのはおかしい。

だとすれば、もはやこの地点の車道復旧は、桟橋でも架けない限り不可能と言うことになる。




15:40 【現在地:B地点】

湖畔を歩くこと13分、「第一白神隧道」北口の真ん前に到達した。
ちょうど、大崩落のすぐ南側の湖畔だ。

この膨大な泥の下には、水没した3つの駅のなかで最も上流側の「白神(しらなみ)駅」が埋もれているはずだ。
2mくらい地面を掘れば、片面1本だけの小さなホームが出てくるかも知れない。(ゾクゾクする…)
昭和11年の三信鉄道(私鉄)開業当時には白神停留所であったものが、国鉄に買収された昭和18年から停車場(駅)に格上げされたという歴史がある。

当時の地形図を見ると、駅の対岸少し下流の山腹に富山村の下山中という小集落が描かれ、駅は同集落を経て豊根方向へと続く山道の入口だったようだ。
しかし、付近には一本の車道もなかったから、現存すれば大変な“秘境駅”であったろう。(豊根口や天龍山室も同様だが)




一応は確かめておこう。

「第一白神隧道」の内部である。

やはり溜まった土砂が洞内を埋めており、全長88.5mと記録があるが閉塞している模様である。
天井付近に隙間があって通じている可能性もあるが、風がないのでその可能性は低い。
いずれにしても、通り抜けは不可能である。

撤収。

そして、いよいよ…運命の…。




ここだ。

この斜面の上にチャリは止めてあるはず。

ここをマズ登って、そしてから…

きっと片道通行になろうが…

チャリを、下ろしてくることになる。

この湖畔へと…。




オーケー…!

これは、何とか登れそうだ。

かなりキツイが、何とかなる。


まるで私をとり囲むようにして、巨大な路肩の擁壁がそそり立っている谷。

西日が射しこむ急斜面を、がむしゃらに登る私。

その先に待ち受けるものは……。







…ただいまー!




大嵐駅起点まで あと.4km