道路レポート 静岡県道39号 掛川川根線 川根区間 前編

所在地 静岡県島田市
探索日 2015.3.10
公開日 2017.3.18


【周辺地図(マピオン)】

静岡県道39号掛川川根線は、静岡県掛川市の中心部と島田市川根町家山を結ぶ、全長約27kmの主要地方道だ。
この路線の大きな特徴は、全長の47%にも及ぶ長い距離、実に12.7kmが、【自動車交通不能区間】未改良道路(供用を開始している)のうち幅員、曲線半径、勾配その他道路状況により、最大積載量4トンの貨物自動車が通行できない区間をいう。であることだ。

掛川駅前の起点附近(標高約20m)におけるこの道の姿は、写真のように、4車線を有する筋金入りの重交通路線である。
しかしそれから北上を続けるうちに道は2車線になり、やがて1車線となって、掛川市北部の居尻地区(標高約180m)で敢えなく【自動車交通不能区間】となる。そこからいわゆる“登山道県道”として標高670mの大尾山(おびさん)山頂に駆け上がると、以後は南アルプス山脈の南端に属する稜線を延々と辿り、無名の峠で島田市(旧川根町)へ入ると、今度は一気に旧川根町の中心市街地である家山地区(標高約140m)へ駆け下る。ここまでが、12.7kmもある長い長い“不通区間”である。
そしてそれから、最後にほんのすこし、たった0.9kmだけ“不通じゃない区間”があってから、終点を迎える。

今回探索するのは、この川根側の“不通じゃない区間”である。
…実際はそれだけで済まなくなるのだが、そのつもりで探索を開始した(苦笑)。
チェンジ後の地図は、市販の道路地図帳(スーパーマップルデジタル ver.16)に描かれている、家山地区の県道39号の姿だ。
さほど整備されていなさそうな細い道路が、僅かな距離、主要地方道の色で塗られている。

なお個人的に、長い不通区間に阻まれてポツンと忘れられたように存在する短い“不通じゃない区間”が、大好物だ。
そうした区間は、どこでも大抵無能なもののように扱われていて、不憫で、私の保護欲を駆りたてる。今回はまさにその典型例といえる。


ところで、都道府県道の「自動車交通不能区間」の長さには、一応のルールが存在することをご存知だろうか。
長文になるが、興味のある方は以下を読んで欲しい。(こういうマニアックな道路話を大量に集めたのが、拙著『日本の道路120万キロ大研究』である。以下の記述も、そのリライトである。)

それは、建設省(国土交通省)が各都道府県知事に宛てた「都道府県道認定に関する道路局長通達」というもので、昭和29年の最初の通達以来何度かの改正を経て、現在は平成6年の通達が最新だ。ここには、新たに認定しようとする都道府県道について、いくつかの基準をあげている。@交通の流れに沿うこと、A重用延長が総延長の30%以下(特別な理由がある場合は50%以下)であること、B自動車(自転車道線の場合は自転車)の交通が可能であることなどだ。このBの基準により、最大積載量4トンの貨物自動車が通れない「自動車交通不能区間」はまだしも、軽自動車さえ通れない“登山道県道”のようなものは、本来なら認定され得ないはずである。
だが、これには例外の規定があり、「当該路線の新設又は改築を行なう確実な計画がある場合は、この限りではない」とされている。さらに、昭和29年に出された初期の通達では、全線の30%までは(無条件で)自動車交通不能区間が認められていた。

今回紹介する県道「掛川川根線」は、昭和35(1960)年に初めて認定された古い路線なのであるが、当初から全線の46%という、通達の基準(30%)より遙かに長い自動車交通不能区間を有していた。
また全国的にも、紀伊半島にあるいくつかの和歌山県道など、明らかに全線の半分以上が不通である県道が認定されている事実がある。
こうした路線の認定が行われた背景には、少なくとも認定当時には「当該路線の新設又は改築を行なう確実な計画」があったのか、なかったけれどもあるというふうに県が国を欺いた結果なのか、単に通達自体が無視されたものなのか、今のところこの謎が解明された路線を私は知らない。




それでは、県道39号の“ぼっち”区間へご招待〜!


怪しい三差路が、悲しい県道の終わりの始まり


2015/3/10 6:12 《現在地》

雨上がりの朝、本日一発目の探索として、県道39号の“ぼっち”区間をやることにした。すぐ近くの河川敷に車を停め、いつもの自転車に跨がった私は、旧川根町の中心地である家山の市街地へ。

現在地は、市街のメインストリートでもある国道473号で、すぐ先にある「川根交番西」交差点を左折するのが、県道39号流に言えば「掛川」方面ということになるが、県道39号はこの交差点まで辿り着いていないし、そもそも掛川まで通じていない。当然、青看にも「掛川」の文字は見あたらない。

なお、青看には直進する国道473号の行き先や矢印の表記が無く、行き止まりのような表現になっているが、実際は川根本町方面へ通り抜けられる。しかし、国道の道幅が狭いため、川根本町方面へは右折して県道を行くように案内されているのだ。




交差点を左折すると、県道63号藤枝天竜線へ入る。この道もこれから向かう県道39号掛川川根線と同様の主要地方道だ。
そして、我らが掛川川根線はといえば、交差点からたった120m先(既に奥に見える)の三差路が、「終点」になっている。

だからなんだと言われるかも知れないが、私はこんなところにも、根っからの不通県道としての県道39号の悲哀があるように感じる。
それはなにか。
少し複雑だが、次の図で説明するので、お付き合いいただきたい。



左図は、家山地区に現在ある主要地方道と国道の経歴をまとめたものだ。

これを見ればおわかりいただけるように、昭和35(1960)年に県道39号(主)掛川川根線が認定された当時、県道63号(主)藤枝天竜線はまだなく、代わりに当地を終点とする2本の一般県道があった。また国道473号も、当時は県道36号(主)金谷中川根線といった。
主要地方道と一般県道の関係は、基本的に幹と枝である。ゆえに昭和35年当時の県道39号の終点は、現在の位置ではなく、川根交番西交差点であっただろう。
県道39号が(たった120mだが)短縮されたのは、昭和57(1982)年に県道63号(主)藤枝天竜線が、一般県道から昇格して認定された時であろう。

多くの路線が昇格という“成長”の経歴を持つ中で、早い時期に主要地方道という高い地位で登場した掛川川根線だけが成長せず、さらには後から出来た主要地方道に路線の一部を奪取されたとみられるのだ。こんなところにも、不通県道の悲哀はあると私は思う。



6:14 《現在地》

この信号のない交差点が、全長の半分近くが不通(自動車交通不能)という曰わく付きの県道、

主要地方道 掛川川根線 の終点である。

青看はあるが、ひどいことに、我らが掛川川根線(左)の存在は完全スルーだった。



とても味のある分岐 に、朝から血圧が上がった。

どちらの道も入口には呼び込みよろしく“ヘキサ”がいて、「こっちへいらっしゃい」と甘声で私を誘っている。
もし仮に先入観も事前情報も抜きにして、この写真の景色だけで道を選ぶとしたら、私はどちらを選んだだろうと
考えてみたら、どっちもどっちな感じがした(苦笑)。少なくとも、どちらも瑕疵なき美女の纏う雰囲気ではなかった。

左は、たった0.9kmで自動車交通不能となる曰わく付きの県道だが、ヘキサは意外にも綺麗だった。
そしてその補助標識にある路線名には、「掛川」という、この道の体たらくには余りに厳しい志望地名が無表情に置かれていた。
右は、この道も知る人ぞ知る“険道”である。藤枝から天竜まで60km余りもあるこの道を全部通して通行したいなどと思うのは、
おそらくこの道を目的にする者だけだろう。不通の掛川川根線に代わって川根と太田川水系を結ぶ道ではあるのだが、
シールの剥がれかけたヘキサは、背後に秘めた長すぎる険道の存在を全く隠し切れていないように思える。

なお、不通県道の方がヘキサが綺麗なのは、単純に設置の時期が新しいのだろう。
県道としての認定は右の県道より遙かに早いのに、長らく放置プレイを受けていた過去が彷彿される。



三差路の中央に立つ、目立たなすぎる青看……ただしデザインは白看風……しかも手書き。
この分岐地点の放つ独特のオーラを語るうえで、こいつの存在を特筆しないわけにはいかない。
青看(白看風だけど、手書きだけど)の内容は――

直進 18km 塩本経由 三倉
左  0.5km 野守(のもり)の池

――というものである。
おそらくこれは昭和57年以前、(主)藤枝天竜線が(一)三倉川根線であった時代の標識であろう。
その頃から既に左の道は(主)掛川川根線であったはずだが、行き先表示はたった500m先の「野守の池」だ。
そしてそんな古ぼけた標識の内容が、未だに現実との齟齬を来していないから撤去もされない。それが、この県道の現実だった。



少しだけ掛川川根線に入り込んだところで三差路を振り返ると、この写真の眺めだ。

こうして見ると、道路の線形的には明らかにこの道がメインで、藤枝天竜線はサブだ。まっすぐ国道の交差点まで見通せる。
青看やら白線やらで自然と藤枝天竜線へ視線を誘導している(3枚上の写真を見直して欲しい)のであり、見事な手腕だ。
古い青看(白看風&手書き)などは、藤枝天竜線の方を「直進」の矢印で表現していたのだ。実質は右折であるというのに。
だいぶ昔から、この交差点においては藤枝天竜線がメインの道だと認識されていた証拠であろう。

だがさらに昔、この交差点が今の線形で出来た当初には、掛川川根線の方がメインという認識があったのではないか。そんな“夢のある想像”を抱かせる分岐の形だった。




上記した“夢のある想像”を確かめるべく、帰宅後に2枚の旧版地形図を比較してみたところ、次のような事実が分かった。

現在の掛川川根線の終点附近の道や三差路は、昭和5(1930)年当時は存在しないが、昭和27(1952)年の地形図には描かれている。

あわせて、昭和23(1948)年の航空写真や、お馴染みの「道路トンネル大鑑」トンネルリストを確認したところ、どうやらこの三差路付近の道は、藤枝天竜線の前身の道の家山トンネル(昭和7(1932)年開通)とセットで整備されたようである。

その当時、掛川川根線の前身の道がどのような扱いを受けていたのかは全く不明だが、“夢のある想像”はまだ否定されていない。



それではこれから、掛川川根線の

短い旅

の始まり始まり…。



不通区間:普通区間=14:1 のうちの1


6:17 《現在地》

ヘキサの誘いに従って掛川川根線へ入ると、ぎりぎり2車線幅だが中央線や歩道を持たない、いかにも市街地にありがちな道路であった。
そしてわずか100mの地点で、最初の分岐地点を迎えた。
それが写真の場面である。

左からお洒落なブロックタイル舗装の道が合流してくるが、県道は道なりに右である。
左の道は格下の市道だが、一時停止の標識はこちらの県道(主要地方道)側にあった。

さらに合流直後には、半地下化した狭い水路を横断する暗渠があり、高欄代わりの短いガードレールが、その存在を知らせている。
そしてそのガードレールには、静岡県が管理する国道や県道にしばしば見られる、路線名のシールが貼られていた。
紛れもなく、ここが県道39号であることが分かる。



お洒落な市道を吸収した県道は、一路西へと進路を向ける。
道幅は早くも1.5車線未満となった。

なおこの道は、お洒落な市道も含めて、県道藤枝天竜線の先代(旧道)である。
先ほど旧版地形図を挙げて解説した通り、昭和初期までは、この道が家山集落を東西に貫くメインストリートであったとみられる。
進行方向には越えるべき重畳たる連山が一足早い朝日を浴びて、南アルプス南縁の聳えを見せつけていた。

思わずのうちに襟を正し、ペダルの漕ぎ足に力を込めたくなるような風景だが、それはあくまで藤枝天竜線の探索者がすべきことである。
私のような掛川川根線の探索者は、ここでこそ冷静になって足を止めねばならない。 なぜならば――




掛川川根線は、

ここへ入るからだァー !!!

ここは、ハードだと思う。

地図ナシの条件では、まず誰一人として、ここを左折するのが主要地方道であるとは思わないだろう。
左折の道は、“路地”という表現がぴったりな感じの狭さと地味さであるが、何よりもキツイのは、路側の白線に無視されていることだ。
そのために、極端に等閑視された存在に見える。

“終点”の【三差路にあった青看】には、この道の行き先を「野守の池」として案内していたが、最短距離で池に着けるのは、ここを左折する県道の順路である。だが、直進した場合でも池に行けはする。少し遠回りだが。
果たしてあの青看は、どんな経路を想定して池を案内していたのか。昔は、この超絶分かりにくい入口にも青看があったりしたのだろうか?



まさに、路地。(路地とは、人家の間の狭い道路のこと)

白線さえ敷かれていない激狭道。
広さも一定でないが、写真の辺りが一番狭い。
軽自動車相手でも、私にはすれ違う余地がなさそうだ。
両脇にはびっしり家屋が連担しており、逃げ場はそれらの家の敷地にならざるを得ないだろう。

強烈な狭さと地味さだが、昭和初期の地形図にも描かれている歴史のある道であり、県道としても近年に無理矢理認定されたわけではなく、昭和35(1960)年の認定当初から、ずっとここが県道であるはずだ。




しかし、そんな狭隘区間も長くは続かなかった。

わずか70mほどで左から1.5車線程度の市道が合流してくると、ここでも県道側が一時停止を余儀なくされ、その先は1.5車線程度の道になっていた。
左側の民家の裏手に小高い丘が見えるが、そこは天王山公園と呼ばれている。


6:19 《現在地》

さらに100mほど街路的な道を進むと、前方に枝垂れ桜の並木と広い水面が広がった。これが、三差路の青看に案内されていた野守(のもり)の池である。ここまで三差路からは320mほど。

そして、探索時にはうっかり見過ごしていたようだが、撮影した写真を見直してみると、ここにも“ヘキサ”があった。(隠しキャラだぜ)
数字の字体や、補助標識の型式が、三差路の所にあったものより古い。




野守の池は、家山を代表する観光名所である。
外周1.2kmほどのこの池は、かつて大きく蛇行していた大井川が短絡したことにより残された河跡湖で、家山集落のある小平野の大部分も旧河道である。
天王山という小丘も、新旧河道の間に残った島である。
もっとも、河道の変遷は最近の出来事ではないようで、池には、おおよそ700年前の南北朝時代の悲恋伝説が伝えられている。

ヘラブナ・バス釣りの名所としても著名な池の周辺は、ほどよく公園化されており、池の東畔を区切る県道もここでは立派な2車線道路になっていた。
これまでの状況からは見違える進歩だが、わざわざ狭隘区間を通って訪れる人は稀だろう。

昭和51(1976)年の航空写真を見ると、池端にある県道の位置は今と変わらないが、道幅は狭い。不通区間の解消とは関係ないだろうが、それでもこの区間の県道整備が全く見棄てられていたわけではないようだ。


野守の池を過ぎると、もはや私……いや、県道掛川川根線に残された行き先は、覚束なくなる。

もちろん、路線名を信じるならば、この道は遙か26km先の掛川駅付近に通じていなければならないが、地理院地図でさえも県道色で塗ることを放棄した“山道”が、この先に横たわっている。

そして現実の眺めも、行き止まりの予感を迎えている。
歩道付きの立派な2車線舗装路の行く手に、新調なったばかりの川根郵便局が誇らしげに建っているが、その先は山だ。
それも、鞍部などという手心を見せてくれない、どこを越えても高く肉厚そうな稜線だ。

山の形と地形図を照らし合わせてみると、越えるべき“峠”の位置のおおよそは分かるのだが、彼我の高低差600mという数字は伊達ではなく、まともな道がないとしたら尚のこと果てしない。
とりあえず、峠の手前に前山という集落のあるらしいことは地図から分かるが、こうして遠望しても気配がなく、傍目には何を糧に暮らしているかと思ってしまうような立地だ。
「前山」ではなく、もはやそこは「中山」ではないかとさえ思われるが、確かに掛川への遠い道すがらの命名ならば、そこは「前山」だったのか…。



6:29 《現在地》

“終点”から約800m地点で、2車線の県道は丁字路に突き当たる。この短距離で3度目の一時停止を指示された。
突き当たった道路は1.5車線の市道で、家山川の堤防を兼ねている。通常、国道473号から野守の池へ案内される順路でもある。

我らが県道は、ここでクランク状に屈折して、家山川に架けられたその名も前山橋を渡るのだが、橋の名前からして遙か山上にある前山集落の門戸としての存在感をアピールしてしまっている。

ここで常以上に「嫌な予感」を思ったのは、今日の私が、どこまで不通県道を辿るべきかを、未だ決めあぐねていたからであろう。
市販の道路地図や地理院地図が県道の色で塗っているのは、この橋を渡りきった地点までである。この先では、引き際を弁えないと、県道かどうかも分からない単なる山道を延々と歩かされる可能性が高く、私にとっては時間の浪費とまでは言わないまでも、望みではなかった。



野守の池からおおよそ400m続いた2車線道路の入口を振り返ると、ここにも(目立たぬ感じで)ヘキサが立っていた。
これも古いデザインのヘキサである。

仮に、掛川川根線を掛川より山越えで踏破してきた人間がここに辿り着いたら、出迎える役目を持っているのがこのヘキサ。
12.7kmもの自動車交通不能区間“明け”となれば、感動はひとしおであろうから、それを想像するしかない自分が少しだけ淋しかった。
でも、想像だけでもご馳走さま。ゲップ。


それでは、家山川を渡っていこう。

前山橋の袂には、立派な(県内の国道や県道で見られるデザインの)橋名の案内看板が立っているが、橋自体はがちがちの1車線しかない。しかも、今では珍しい太鼓橋形状(中央が盛り上がった)の桁橋である。通常、このような形状にする目的としては、河川交通を考慮した橋下高の確保が考えられるが、家山川に木材流送以外の河川交通があったとも思われない。
また、橋自体は狭いものの、左折で侵入しやすいように角切りが施されていた。県道の順路に沿った施工とみられる。

川のこちら側は旧河道だった低平な土地だが、対岸はいきなり山がそそり立っていて、少しの平地も見あたらない。まさにこの橋、里と山の境界だ。



6:32 《現在地》

橋を渡りきり、おそらく県道の自動車交通不能区間の始まりと思われる地点に差し掛かると…

色々なものがドッと現れた〜!

それら(@〜B)を見て行く前に一点、気になるのは右折用の角切り施工の存在だ。
しかし、この「前山橋」から「前山集落」へ行くには、ここを左折なのである。
すくなくとも現在、車で行くにはそれしかない。
にもかかわらず、右折側に角切りがあるというのは、この橋…県道の順路が右折であることを物語っていると思う。


(@)は、ここまで県道39号を辿ってきて初めて現れた、交通不能であることの告知であった。
しかし――

この先400mより通り抜けできません。 静岡県

――という内容は、逆に私に、「400mは通り抜けが可能なのか?」という驚きを与えた。

なにせ、私がこれまで見てきた全ての地図は、これより先に県道の位置を図示していないのだ。にもかかわらず、あと400mは県道が「通行可能」であるらしい。それがどこかを探さねばなるまい!

(A)は、橋に通常取り付けられている銘板だけではなく、情報量の多い製造銘板が取り付けられていた。
前山橋の竣工は、昭和52(1977)年2月であるそうだ。
県道認定から15年も経ってからの架設であるにも関わらず、1車線で事足りるとしたのは、当時既に県道39号の不通区間解消は現実的でないと見做されていたのだろうか。

しかし、別の可能性もある。
銘板の「型式」欄に「簡易組立H橋」と書かれており、本橋はそもそも応急的に架設されたものなのかもしれない。
先代の橋に何らかのトラブルが生じ、その復旧のため急いで架設されたとしたら、橋前に不自然なクランクが生じていることの説明にもなる。
もし、不通区間を解消するような大規模な新道を目論むならば、クランクにはしないだろう。

(B)は、もう現れないと思っていたヘキサだった。
先ほどのヘキサよりさらに不通区間寄りに立つヘキサであるが、デザインは“終点”の三差路にあったものと同じで新しい。

また、ヘキサの標識柱に気になるシールが貼られていた。
シールには、県道番号の入ったヘキサの他に、「2X(1の位はシールが剥げて読めず)」と「0」の数字が写真のような配置で表示されている。キロポストかもしれないと思い、改めて【三差路にあったヘキサ】標識柱のシールをチェックすると、「X(シール剥がれで読めず)」と「850」の表示が確認出来た。

このシールの正体をご存じの方がいたら教えていただきたい。周辺(島田土木事務所管内?)の少なくないヘキサやおにぎりの標識柱に同様のシールが貼られているのを目撃しているが、はっきりした意味を未だ把握出来ていないのだ。



さて、ここまでやってきた。 私が地図上で事前に把握していた県道掛川川根線の川根側区間は、ここまでの僅か850〜900mほどで終了である。

これからどうするかだが、「あと400mは通行可能」という通行不能看板の逆説的解釈から、その400mを探したいと思う。
通行可能とするからには、自動車が通れる程度の道があるのだろう。
となれば選択肢は少ないが、まずは現在地である前山橋の袂を、右か、左かである。

現在の前山集落へ通じる車道は「左折」だが、左の道が作られる以前に認定が行われた県道は、古い地形図に描かれている前山集落への道をなぞっている可能性が高い。これは経験則である。

前山集落への古い道は、右図の通りで、家山川を渡ってから「右折」して入山している。

ゆえに私は右折を選択した。

そしてこれが、とんでもない県道へと導く選択であった。