静岡県道75号清水富士宮線 吉原狭区  第2回

公開日 2013.01.06
探索日 2012.12.10

伊佐布の空を駆ける3本の高架


2012/12/10 8:36 《現在地》

農道大向線の新吉原トンネルをくぐり抜けると同時に、眼前と頭上には3本の異なる方向へ走る高架橋が現れた。

これらが奥で1本に集約され、新東名高速道路の支線である清水連絡路となるのであり、これらの高架橋は新清水JCTのランプウェイである。

画像にカーソルオンで地図を表示するが、この地図で黄色く描いた線はJCTの各ランプウェイである。
ランプウェイは合計4本存在するが、ここではそのうち3本が見えているわけである。

ただし、より正確な表現をするならば、奥に見えている高架橋だけは清水連絡路の本線(北行き線)であって、ランプウェイではない。
将来、この新清水JCTを突っ切る方向に中部横断自動車道(平成29年度完成予定)が延伸されたときには、この視界にはさらにもう1本の高架橋が出現し、それが南行き線の本線となるはずである。
4本目の高架橋は奥の高架橋の隣りに建設されるであろうから、その時にはさらに荘厳な空を覇した眺めとなろう。




「俺は何だったんだよ!」

そんな農道大向線の不満声が想像できるようである。

麓から続く急坂をトンネルの中にまで延長し、喘ぎ喘ぎ台地の上へ辿りついている農道大向線に較べて、空の道は何ものにも縛られない。
橋ならば本来は橋脚の位置に束縛され、その線形の自由を大幅に狭められるのが常識なのに、農道の両側にまるで無差別爆撃を行なったように、巨大な橋脚を好き勝手立てている(ように見える)。
昔人が労して越えたに違いない鞍部にも触れるつもりは全く無いらしく、悠々と架空して越えていた。



農道大向線は、清水の市街地が広がる海岸沿いの平野部へ向けて一気に下っていくが、
その手前に高速の高架下をゆく道が分岐していた。

高架の眺めを楽しむべく、ちょっとだけ寄り道だ。




宇宙へでも行く気か?


将来、予定通り複線化すれば少しは改善されると思うが、
今はなんか見ているこちらが心配になるくらい、孤独に空を駆けている。

そこにある“緑看”のゲートが、見慣れたものであるだけに余計に感情移入され、

ただただ ひたすらに、

寒 そ う で あ る。




1本の清水連絡路が2本になるのは、このもう少し奥か。

分岐からこちら側に並ぶ数本の橋脚は、将来分岐の内側にもう1本の
高架を架ける事も織り込み済みで、今は半身を空に預けている。
これらも広義に見れば“イカの耳”と同種の物といえるだろう。



とりあえず空の眺めに満足し、元の農道へ戻ろうと転進。

その時に、2本の高架が3本になる場面がちょうど真上にあることに気付いた。

この眺めが、またなかなかに傑作でして…。
↓↓



おもちゃのプラレールっぽい(笑)。

しかしほんとうに、橋を架ける技術の洗練ぶりが凄まじい。
50年前の日本には、曲がった橋なんて数えるほどしかなかったはずなのに、
この視界に入ってくる橋は、まるでフリーハンドで描いたみたいに自由な形をしている。
しかも、橋脚と橋脚の間隔が尋常でなく離れていて、見た目には決して「無敵」って感じじゃないのにな…。

これだけの物を立てて見せつけているのだから、生半可な地震ではビクともしない作りなるのだろう。
…何か私の知らないメカニズムが、これらの橋には詰まっているに違いない。
普段、好んで見て歩いているモノとは、異次元過ぎんぞ… マジ。






ボロい平成6年式ワルクード(私のエスクード)にはちょっと贅沢な気はしたが、ワルクードだって自動車の端くれなんであるから、設計速度140km/h(そんなに出ませんが)の新東名を一度は味わって見たかろうと思って、探索が終った後に一区間だけ乗ってみましたょ。
(設計速度140km/hなのは新東名の本線であり、清水連絡路は違います。また実際の運転では制限速度に従って走りましょう!)

この写真は、ちょうど今上で紹介したあたりの清水連絡路の北行き本線上である。

このままもう少し進むと…。




例の“寒そうな緑看”ゲートを潜ります。

「←名古屋 東京→」という幹線感がいいやね。
秋田自動車道とか、どこで乗ってもたいてい「←秋田 北上→」とかで、そこはかとなくローカルな感じだからな(笑)。

でも、

尋常でなく高い所を通っているという感じは、車窓からでは今ひとつ感じられない。
やはり下をのぞき込めないことと、前方に路面よりも高い山肌が見えているのがその原因か。
反対向きだともう少し違うのかも知れない。

あと、防護壁がいたって普通なのも、なんか意外だ。

まあ冷静に考えれば、防護壁を逸脱して路外に落ちる事故では橋の高さを問わず乗員の生存率は皆無なので、特に落下防止に必要が無いのかも知れないが…。(直下に人家もないしな)




嗚呼。 もっとこの高架橋の高さを体験できる、そんな写真はないだろうか。


そんな願いを胸にネットを彷徨ったところ、見つけましたよ!!


この高架橋を “歩いて渡った方” が撮影された写真!



次の2枚の写真は、山形みらいさんのブログ「『くまドル』山形みらいの **雨天決行** 傘を持って外に出よう」の2012年3月12日の記事「おやびんが撮ると新東名はこう写る。」から、ご本人の許可を得て転載しました。



この写真の撮影地点は、ちょうど私が車上でこれを撮影したあたりだろう。

左端に見えているのが農道大向線、その右の地面にうねうねと見えるのは、私が寄り道をした道だ。
中央にある“空き”のある橋脚も、下から散々眺めた物に相違ない。

この小さなサイズの写真でも、大地をジオラマ視しているような高度感が十分伝わってくると思う。

そして、このようにカメラを欄干の外に支えて撮影出来るような欄干の高さなのである。
普通の高所耐性ならば、撮影自体が結構怖そうだ。



そしてもう一枚。

これはどの位置から撮影されたものであろう。
今回の探索で私が見たどのアングルとも違っており、撮影地点を計りかねるのが残念でならないが、もの凄い絶景である。

背景の清水港に連なる地上の風景と、雄大な高架橋群を別々に撮って合成したのではないかと思えるほどの、もの凄い遠近感と高度感である。

どこに行けばこの眺めが見られるのか…。
地上の道からでは味わえない、第一級の道路風景だ! 感激!







農道へ戻り、清水市街方面へ下り始める。

先ほども書いたとおり、この坂は非常に急勾配である。
麓の県道合流地点まで約400mで50mの標高差を駆け下る。

それゆえに、最初から高かった頭上の高架橋との比高は、さらに増していく。
一応高架橋の方も下り坂にはなっているが、その勾配の差は歴然。

農道と高速が立体交差する地点での両者の比高は、どのくらいあるのだろう。
調べてないので分からないが、次の写真がその交差地点で撮影したものだ。




これでも「高架下」だぞ。
一応は…。

ぜんぜん高架下(googleイメージ検索結果)のイメージじゃない(笑)。


高速道路が上を通っているが、地上には“影”と“音”と少しの橋脚以外に、これといった影響を及ぼしていない。

こういう状態でも高架の下は高速道路用地になっているのか興味が湧いたが、たいてい柵で取り囲まれていたので、たぶんそうなんだろう。
土地の買収をする必要があるのか疑わしく思う人もいるかも知れないが、自分が土地の所有者ならば、頭上を無断で跨がれていい気はしない。




高架の世界を背にしてガンガン下る。

そして谷底まで下って突き当たったところが、農道の終点である。



農道大向線の終点には、庵原川を渡る1本の橋が架かっていた。
一連の農道は、橋に始まり橋で終ったことになる。
橋の向こうで右から合流してくる道が前回の冒頭で分岐した県道75号であり、ちょうど6.2kmの狭隘区間を終えた所だ。
こちら側にも大型車が県道の狭隘区間へ入る事を禁止する標識が立っていた。

なお、橋には銘板が有り、「宮下大橋」「昭和45年3月竣功」と判明。
2車線幅には満たない中途半端な幅の橋であり、舗装が酷く傷んでいる。
そこからは農道として本来想定していない酷使を余儀なくされる、そんな厳しい現状が伺えた。

ここから県道を右折して狭隘区間を探索するつもりだったが、一度振り返って分岐地点を撮影するべく、少し通り越して進んだ。




分岐地点から県道に入って南下すること200mほど。

路傍にキロポストを兼ねた“ミニヘキサ”を見つけたので、
ここから転進して不通県道へ向かう事にした。

農道には2箇所のトンネルがあってアップダウンを幾らか軽減してくれたが、
これから向かう狭隘県道にはそんな甘えは許されない。
あの高架橋よりも高い所まで上らされる事になるはずで…… 楽しみだニャン。


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伊佐布から県道の狭隘区間へ入る


8:46 《現在地》

今回レポートの冒頭地点と対になる風景。
伊佐布側の県道狭隘区間入口である。

そしてこの分岐における道案内の“悩ましさ”は、高山側以上のものを感じた。

ここから見た2本の道の広がりは同程度で、線形的にもどちらが本線であるか分かりにくい。
しかしこれは路上の白線のおかげで、左が本線であると判明する。

では本線を行けばよいのかというと、そこが案内する側にとっても“悩ましい”所であろう。
県や市が設置する正式な道路標識である“青看”で露骨に農道を示しはしないが(青看未設置)、どこの誰が設置したか分からない中途半端な案内板が2枚。
いずれも右折して農道を行くべきであることを、教えていた。



2枚の色褪せた看板を見落とし、あるいは故意に左折して県道へ入ると、すぐにご覧の警告板が2枚現れる。

「この先 大型車 通り抜けできません」

そしてこれらの警告の後にはじめてヘキサが現れるという、何も考えていないようでいて多分そんなことはない、なかなかグレーな感じの県道案内具合である。
農道の方を堂々と案内したいんだろうな、本当は(笑)。

しかし、このように現地では「大型車通行止め」になっていて、道路地図上でも細い線で描かれている県道75号であるが、本当に恐れるほど狭隘であるかのかどうかは事前情報も皆無であったし、今からこの目で確かめる必要がある。

それでは、行ってみよう!




道はいきなり狭くなるわけではなく、まずは2車線で始まった。
歩道こそないものの至って普通の街中の県道であり、伊佐布集落のメインストリートでもある。

そして少し進んでいくと、正面の山の影から先ほどまでとは別の高架橋群が現れだした。
あれは吉原集落の中で一度下をくぐった、新東名高速の本線だ。

ちょうど見えている部分で道が三つ叉に分れており、新清水JCTの西端部と分かる。
伊佐布集落がある場所は、その北側を本線に、東側を清水連絡路に画されている。
いずれも集落内を避けて山中を通過しているが、県道はこれからその山中に入る。



8:51 《現在地》

分岐から約400mを平穏無事に過したが、ここまで並行していた庵原川を渡るときが来た。
そしてこの橋を起点に、2車線あった道幅は1.5車線程度に減少。
農道と較べても特に狭隘というほどではないが、一歩を踏み出したようである。


…それにしても……青看設置者さんよ(静岡市である)

ここまで来てから始めて青看を持ち出してくるあたり…。

お主も、 ワル よのぅ…。(←この感想はヨッキれんの妄想に基づいています)



庵原川を渡る橋からはちょうど、集落の北側と東側の尾根上を走る新清水JCTのランプウェイの1本が、とてもよく見渡せた。

地図上からではさほど見えてこない事であるが、こういう実際の集落と高速の位置関係を見ていると、なかなか巧みなルート設計になっているなと思わされる。
現代では、地形の易しいところに道を付けようとして集落の大規模な立ち退きを余儀なくするよりも、高架橋やトンネルを多用した方がまだ安上がりだし、地域の理解も得られやすいのだろう。

足元の県道をはじめとする一昔前の道路は、まず何はなくとも地形の緩急を見極めて進路を選んでいた。
新東名は高速道路であり、県道とは目的を異にする道路ではあるわけだが、ルートをどこに取るかという設計理念はまるで真逆のようである。



最新鋭の超絶高架橋を見た直後に、足元に佇む親柱の草臥れきった銘板を読む。

これぞ、オブの味である(笑)。

橋の名前は「一之瀬橋」。
昔からの渡河地点を思わせる名で好感触。
そして竣工年は達筆な文字で「昭和廿九年八月竣功」(昭和29年8月)とあった。

農道の開通が昭和45年と考えられるので、両者の差は意外に短い。
もちろん、県道の側にはもっと古くから木橋なり架かっていたのであろう。



橋を渡ると進路がこれまでと反転し、同時に目に見える上り坂が始まった。
まだ家並みは密に続いているが、新吉原トンネルに対応する最初の峠越えが始まったらしい。
道幅も橋から引き続いて1.5車線状態である。

このカーブの路傍にかなり哀しい状態になった青看が“転がって”いた。

もうまるで、「どうせジモピーしか通らないんだから要らないでしょ」と言われてるみたいだった。




庵原川とその支流の谷間を巻き取るように、左山右谷の上り坂が暫く続く。
地形的にはまるきり「山」だが、住宅はその上の方まで密集しており、清水市のベットタウン(今は静岡市である)として人口を集めてきた雰囲気がある。
これではもう県道を容易く拡幅することは出来ないだろうし、現にバイパスは全く別ルートで計画されているようだ。

普通ならば山の稜線を目指して上るところを、ここではその上にずっとランプウェイが見え続けているという違和感。
山の神はさぞプライドを傷付けられているかもしれない。



←ようやく集落の家並みが途絶え、森っぽい感じになったが、その向こうには高架がチラッチラッ。

谷留工も涙してますよ(笑)→

つか、ハニワの顔っぽいな。




そして、この小さな森を抜けると…。



またしても青空が、
NEXCO中日本の独擅場に!

一番高い奥の高架、あれが将来の中部横断道の本線路。
今のところはただのランプウェイであるが、新東名の本線をも軽々と跨いで、
日本海を見たい」気持ちを全面に押し出していっている。



さて、いよいよ次回は本編の核心部。


地図の上で県道と高速が激しく絡み合う区間である。


それはいったいどれほど激しい絡みなのか…。


刮目はせず、まぶた半開で待て。