道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道 第3回

所在地 東京都青ヶ島村
探索日 2016.03.04
公開日 2017.10.25

島の宝蔵「池之沢」探訪と、次への布石


13:16 《現在地》

前を見て、「すげー!すげー!」をしたところで、振り返る。
当然そこには今しがた登ってきた坂道と、青宝トンネルによって貫かれている外輪山の眺めがあった。
加えて、分岐する道が一本。この道は村道で、池之沢のカルデラ内を、中央火口丘である丸山の麓に沿って、半周するように付けられている。

右図の通り、地理院地図ではこの分岐地点(=現在地)から“問題の旧道”が右に分かれるように描かれているが、それらしい道は見られない。
写真の右側に見えている青色の柵の裏には、小さな貯水池があった。道にはなっていない。

【海上から眺めたとき】にも、とても実在するように思えなかった“旧道”。
そして今、そのもう一方の入口と思われる場所へ辿り着いたのに、それでも現れてくれないことに、大きな焦りを覚えた。
これは本当に、何らかの手違いによって描かれてしまった、地図上だけの道だったのだろうか。そんな大それた誤記があるのか?

その道が越えているように描かれている“鞍部”だけは、はっきりと実在のものとして、存在感を示しているのだが……。




…う〜ん、困った。

困ったが、地理院地図が正しくないのならば、旧道入口の捜索範囲をもう少し広げる必要があるだろう。
ここからは、足で稼ぐ必要がある。

だが、その前に私は身軽になりたかった。

背負っている60リットルのデカリュック、こいつが邪魔すぎる。
この起伏の大きな島の中を探索するうえで、非常な重荷になっている。
中身の大半は野営のための道具とか、輪行袋とかなので、常時持ち歩く必要のないものである。
なので、まずはどこか安心できそうなデカリュックの隠し場所を見つけて、身軽になりたい。
これは、コインロッカーなど用意されていない離島でいつもやる探索手法だった。



キョロキョロ…

    キョロキョロ……

リュックのひとつくらい、いくらでも隠し場所がありそうだが、この辺りは意外に人通りや車通りがある。
池之沢に住居はないが、青宝トンネルの近くは島内で最も便利な平地として、産業用地に利用されているようだった。
私が乗ってきた船で陸揚げされたらしい、今朝八丈島の港で見た覚えのある青いコンテナが、大きな貨物自動車に乗せられて運ばれてくるのを見た。
こんな大きな車も、青宝トンネルを潜って島の道路を活躍しているのだ。

こうした、青ヶ島の観光ガイドには絶対に登場しなそうな平凡な作業場の風景も、隙間を埋める南国色の鮮やかな緑と、背後に聳つ外輪山と、奇妙に近く感じられる青空の下では、ついカメラを向けたくなるような旅情があった。
青ヶ島は壮大で美しい地形を持っているが、そこに人の暮らしが深く根付いていることにこそ、私は大きな魅力を感じる。



村道との分岐地点から200mばかり進むと、都道に面して一棟の頑丈そうな倉庫が建っていた。
他の建物とはどことなく雰囲気が違っていて、目を引く存在なのだが、傍らに古ぼけた立て札があり、掠れかけた文字で「産業倉庫」と書いてあった。

産業倉庫?

これは後日に島民の方のブログを見ていて知ったことだが、近年まで島内には戸別配送を行う宅配業者が日本郵便とヤマト運輸の2社しかなく、それ以外の業者の荷物は陸揚げされるとこの倉庫に集められ、島民自らが持ち帰る仕組みであったのだそうだ。
(この話を聞いて思い出したのが、近代まで各地の峠で行われていたという、無人小屋を介しての荷物交換の仕組みだ。性善説を前提としたこの仕組みに近いものが、この人口の少ない島では平成に入った後も生き残っていたものらしい。私のデカリュックもここに置いたら良かったのかも知れない)

産業倉庫を過ぎると、道は森に入った。



っつうか、ジャングルだこれ!

さすが、358km南の東京。長崎よりも南にある東京だ。

今までの晴天の道が嘘のように薄暗い。
空は濃い樹幹に大半遮られている。
しかも私が見慣れている広葉樹や針葉樹の森ではない。闊葉樹…というのだろうか。常緑を強く思わせる濃い緑の森だ。しかも、複層林になっていて、というかいわゆる密林で、木、ツタ、シダ、その他下草が、見通しを皆無にしていた。




(→)ほらほら、これ見てよ〜。
なんだか得体の知れない、ヘラ状の広い葉を放射状に広げるシダ植物が、いっぱい生えてる…。(オオタニワタリという、青ヶ島に多く生えている植物だそうだ)

そんな森の勢いに圧せられるように、都道はえらく狭い印象だ。
特にコンクリート舗装されている部分の狭さが、それを印象づけている。すれ違いにも事欠く有様で、そのせいか舗装の両側の土上にも沢山の轍が刻まれていた。それがまた一層、どこかの未開なジャングルロードを思わせるのだった。
そして、そんなジャングルロードに、その辺の通学路にでもありそうな「早めのライト点灯」の看板が置かれているのが、またミスマッチで面白かった。
早めのライト点灯も何も、昼なお薄暗いんだよなぁ…(笑)。



13:18 《現在地》

未だかつて私が経験したことのないジャングル感の濃い道路風景に、テンションが上がる。
繰り返しになるが、ここは確かに南の島なのである。
多くの日本国民が想像する「南の島」というワードに相応しい景色が、ここにはある。
背後に聳つ怪しげな火山の姿も、物語の中の「南の島」そのものではないか。

村道分岐地点から400mで、再び分岐地点となった。
直進が都道で、右折する村道は丸山へ通じている。今夜の宿として予約している島唯一のキャンプ場も、村営サウナという温泉施設も、これを曲がっていくのが最短ルートだ。
しかし案内板も青看もなく、予習のない観光客が、このジャングルの細道へ迷い込むことには勇気が要りそうだった。あまり観光客を相手にしている気配がないのである。

それにしても、思っていた以上に都道が狭い。
青宝トンネルも狭かったが、あれはトンネルだったから仕方ないと思えた。
だが、この辺りは地形的に恵まれている。ジャングルを切り開きさえすれば、隣の八丈島に沢山ある2車線舗装路が簡単にできそうに見えた。

しかも、交通量は意外に少なくないのである。
島の人口が170人しかないとはいっても、自動車を用いた島内の全交通量が、この都道に集中している状況がある。
170人が暮らす集落へ通じる唯一の道の朝夕の風景を想像して欲しい。

離島振興法という法律が昭和28年に誕生してから、全国の離島に対する公共投資は確実に増大し、今日において少なくとも各島のメインストリートくらいまでは、本土と同程度にまで整備されたという印象があった。
だが、青ヶ島の道路整備は、島内の随所にある難所の克服にばかり手間取られ、とりあえず使えそうな平地の道の整備までは、まだ手が回っていないのかもしれない。

そんなことを思いながら、特注品なのか、初めて見る形をしたデリニエータを撮影した。(→)
その四角柱のデリニエータには「東京都」と書かれていて、密かに都道を主張していた。

(←)青ヶ島は、大型トラックの車体の色も青色なのか〜!
車体に「青ヶ島運送」と書かれたトラックが収められた倉庫が、都道に面して建っていた。
……建物の脇の道が、都道ですよ。
倉庫に収められている車に対して、全体的に道が狭い!!

(「青ヶ島運送」のサイトを見たら、島で活躍する青いトラックの姿をたくさん見れたぜ。)




13:20 《現在地》

デカリュックの隠し場所を探しながら進むこと900m、とりあえずジャングルを脱したようだ。

いい加減にデカリュックを置いて、見逃してしまった可能性が捨てきれない旧道の入口を探しに戻りたいと思ってはいるのだが、
結構な頻度で交通量がある都道沿いや、後で発見できなくなりそうなジャングル内に置き去りにする勇気が出ず、
また、この都道の先が見たいという単純な欲も相まって、ズルズルとこんなに進んできてしまった。
さらに、特にアップダウンのない自転車にも楽な道だったことも、このズルズルプレーの原因だった。

そしてここまで来ると、カルデラ外縁のカーブに沿って道は緩やかに東へ向き、正面には、
これまで丸山に遮られて見えなかった北東側の外輪山が、よく見えるようになった。


――見えるから、見た。 これはただそれだけのことなのだが、

私はここで皆様に、そして私自身に、驚くべき告白をしなければならない。

この島を海上から初めて間近に見たときに次ぐ衝撃が、この眺めはあった……。




村役場とか村落は、あの坂道の上ですわ。

とんでもないことである。

地図で見て一応の地形は把握しているつもりだったが、この景色には圧倒された。
今いる池之沢のカルデラ底の海抜は約100m。対して、村落がある場所は外輪山北側の高地で、海抜約300m。
その間の比高を乗り越えるのが、カルデラの火口壁をよじ登る、流坂ながしざかなる、あの坂だった。

あそこに見える坂の頂上、岩場が露出している尾根の辺りが海抜300mで、
集落はそれとほぼ変わらない高さにある。あれは峠ではない。登りっぱなしの坂道だ。
そして、この島の全ての住人は、自宅と港の往復の度にこの高低差を登降しているのである。
(関東近郊で言えば、東京湾に面してよく目立つ房総の鋸山、あれが標高329mでだいたい近い。)

改めて、人が暮らす島としての青ヶ島のすさまじさを、思い知った。



いや、本当の意味で「思い知る」のは、後ほど実際に通行するときだろうが…。

それに今日の私は単なる趣味的な意味ではなく、村役場にキャンプ利用の届け出をするという、あそこを越える「義務」を持っている。

辛かろうとも避けがたい坂道だ。この島で暮らす人々の業のような坂道を、私も目的を持って体験できることに、興奮を覚えた。



暑い。

誤字じゃないぞ。道が「熱い」のもあるが、そうじゃなくて「暑い」のだ。この辺り妙に暑い。

もともと、海風のある三宝港から無風の池之沢へ入った時点で蒸し暑さを感じたのだが、

この辺りの暑さはなんかもっとこう、空気が熱を含んだような感じが……。



って、オイ!

道から見えるそんな遠くないところから、噴気が上がってるんですけどー!(驚)

この気温(20℃はある)で湯気ってことはないでしょ? 噴気だろあれ! 木も生えてないし!

天明5(1785)年に当時の島民の半数が犠牲になる大噴火が起きて以後、2世紀のあいだ新たな噴火は起きていないらしいが、
島内にこれだけの緑が甦った今日なお、カルデラ内にはそこかしこに地熱を帯びている場所が存在しており、
村はそれをサウナなどとして有効に利用しているとのことだった…。 人って、適応するんだなぁ……。

つうか、見たところ特に立ち入り禁止とか、案内板とか、そういうのもなく、
都道やら倉庫やらいろいろな施設がある隣に噴気を上げる地山があるのが、強烈すぎる…。


そして、お待たせしました――



ぬこ発見。

前方の都道を私と同じ方向へ進む四つ足の姿を捕捉した。

だが、島の環境に適応した独自のぬこに近づこうとする私を、青い1台のミキサー車が追い越す。
その喧騒が終わった後、再び見通す遠くの路上に、彼(彼女)の姿は既になかった。




13:22 《現在地》

カルデラに出てから約1.4km。結局、島で最初にやろう思っていた青宝トンネルの旧道探索を置き去りにしたまま、第二の探索ターゲットと考えていた旧道がある流坂の入口まできてしまった。

池之沢自動車整備工場という、これまで見た中でもひときわ大きな建物が目印のこの分岐を境に、直進の都道は流坂へと舵を切る。
右折は村道で、カルデラに入ってすぐに分かれた【あの道】に続いている。

そしてこの地点では、ついに見慣れた“ヘキサ”を発見!(→)
補助標識も東京都の標準デザインで、都内でよく見るヘキサそのままだった。
これも外から船で運ばれてきたんだろうなー。



あ、 いた。

さっき見えなくなったぬこが、池之沢自動車整備工場の敷地内で振り返り気味に私を見ていた。
しっかりと目が合ってしまった。青ヶ島の厳しい自然環境に適応して、あんな立派に育ってる。

でも、ぬこと見つめ合ってる時間はないんだよな…。






13:36 《現在地》

あったッ! さっきはやっぱり見逃してた!

探してた旧道の入口っぽい!

いい加減、本来の計画に立ち戻らなければならないと焦った私は、ぬこと見つめ合った直後、
その辺のすすきの藪の中にデカリュックを放り捨て、小さなアタックザックに必要最低限のアイテムを詰め込んで、、
大車輪で来た道を戻ったのだ。そして、地理院地図に旧道の入口が描かれている位置のほんのちょっと南に、
前に反対から来たときには道と思わず素通りしていた“分岐”を見つけた。

やる気のなさそうな仮設バリケード一基によって封鎖された、見るからに廃道と分かる道の入口。
バリケードには何やら警告書きでも付けられていたかのような木板もあったが、残念ながら内容はない。

青ヶ島での記念すべき最初の廃道探索が、ようやく始まる!

覚悟はしてる。



(島への残り滞在時間 23:54)