隧道レポート 針ヶ谷坂の明治隧道捜索 机上調査編

所在地 千葉県長柄町
探索日 2018.2.25
公開日 2018.3.08


【位置図(マピオン)】

房総にありふれたものといえば、隧道だ。
それも、手掘りによって造られた、いわゆる素掘隧道。
とてもありふれたものではあるが、その発見がいつだってオブローダーに新鮮な興奮を与えてくれるのも事実である。
ここにまた一つ、私を夢中にさせた1本の隧道情報が存在する。

それは右の地図中のどこかにあると思われたが、当然のように描かれてはいない。
最新の地理院地図にも、115年前の地形図(チェンジ後の画像)にも、ここには掲載しなかったその他の全ての地形図にも、描かれたことがないのである。
この舞台の名は、針ヶ谷坂(はりがやさか)という。

千葉県のほぼ中央、房総丘陵のただ中に、人口約7000人を抱える長生郡長柄(ながら)町はある。
昭和30年に長柄、日吉、水上という三つの村が合わさって誕生したこの町は、旧村の境界の多くが丘陵の尾根であったことから、町内に多くの峠道がある。
針ヶ谷坂もそのひとつで、旧日吉村の針ヶ谷と旧長柄村の長柄山の間を隔てる、標高おおよそ100mの峠で、現在は一般県道147号長柄大多喜線が越えている。
標高が示す通り、さほど大きな峠ではないが、何度も改良されてきた長い歴史を持つ。

この“針ヶ谷坂の隧道”を私が知ったのは、文献調査の成果だった。
『長柄町史』(長柄町役場/昭和58年発行)に、この隧道のことが出ていたのだ。
そのひとつは、次のような記述である。

(イ) 針ヶ谷坂  明治16年2月着工。
○総工費 1736円40銭5厘
 その内訳  ○1480円82銭8厘 (延長521間4尺1寸(約938m)の坂道を切下げ、トンネルと排水溝をつくる。人足5231.15人、1人25銭。石工432.6人、1人40銭の賃金である)
         ○25円57銭7厘 (略…杉丸太や木柵などの構築費
         ○230円 (略…土地買上代
これは現在の道路より東側の泉谷を通り、トンネルをぬけて権現森の東中腹を通って長柄山に至るもので、トンネルは現存し、子供達が「こうもり」をとりにいったりしていた。一部は農道として利用している。 
『長柄町史』より引用

廃道および廃隧道の存在を窺わせる記述キター!!

上記記述は、明治15年と16年に当時の長柄・上埴生両郡(現在の長生郡や茂原市など)が、郡の事業として区域内の重要な坂道の改修を相次いで着工したことを伝える一部であり、他に鼠坂(現長柄町)、矢貫坂、綱田坂、棒坂(いずれも現長南町)などの峠でも工事が行われたことが書かれている。
そして整備が進んだこれらの道は相次いで県道に編入され、針ヶ谷坂、矢貫坂、綱田坂、棒坂を含む県道長柄大多喜線(これは現在の県道路線名で当時の名称は不明)も明治19年に県道となったという。
明治期の道路行政は各府県にせいぜい10本程度の県道しか認めない地方軽視のものであったから、この段階で県道に認定されていることは、本路線の重要性を十分に感じさせる事実といえる。実際、明治40年頃に発行された『千葉縣管内図』でも県道として表記されていることを確認している。

さらに、同書の別のページに次のような記述もあったが、これは私を興奮させるとともに困惑もさせた。

針ヶ谷坂は、明治以来4回も改修しそのたびに道すじを変更している。
旧道は川辺を通り泉谷から現在の道に出て、立鳥鴇谷へぬけていたが、明治16(1883)年泉谷の先にトンネルをほり、権現森の南に出るものに改め、同19年現在の道になり、昭和49年道幅を広げ、舗装完成し、すばらしい道路となったのである。
『長柄町史』より引用

『長柄町史』より転載。

4回の改修はあちぃが、文章でルートの変遷を書かれても、よく分からないんだぜ……。 しかも、さっきの引用箇所には、「トンネルをぬけて権現森の東中腹を通って」とあったが、今度は「泉谷の先にトンネルをほり、権現森の南に出るものに改め」とあって、混乱させられる。

町史も読者の混乱を予想してか、一応は地図を掲載してくれていた。それが右図である。

……ごめん。
町史さん、ちょっとこれだとよく分からないんだよね……。
図中の「A」というのが問題の針ヶ谷坂で、点線で描かれている「昔の道」というのが、この明治期に整備された改修路線を示しているらしい。並行する実線には「現在の道」とある。
手書きの大雑把な地図であり、新旧2世代の道が書かれているだけなので、ここに描かれていない世代もありそうなのだ。
ここから分かるのは、針ヶ谷坂の昔の道は現在の道よりも東側を通っていたのだということくらいだった。

先ほどの引用箇所をもう一度見てみよう。今度は道の世代ごとに文字の色分けをして番号も振ってみた。

針ヶ谷坂は、明治以来4回も改修しそのたびに道すじを変更している。
旧道は川辺を通り泉谷から現在の道に出て、立鳥鴇谷へぬけていた@が、明治16(1883)年泉谷の先にトンネルをほり、権現森の南に出るものに改めA同19年現在の道になりB、昭和49年道幅を広げ、舗装完成し、すばらしい道路となったのである。
『長柄町史』より引用

このように、針ヶ谷坂のルート自体は最低3度変遷している。4度目の改修は3世代目の拡幅舗装のようである。

第1世代は近世以前からの道を指している。
町史はこれを、大多喜から長南、長柄、潤井戸(市原)を経て浜野(千葉)へと至る、近世には大多喜城下と江戸を最短距離で結んだ「中往還」という房総半島の重要な街道だったとしている。針ヶ谷坂は矢貫坂、綱田坂、棒坂などとともに、その経路上に位置していた。

つづく第2世代の道が、今回私がメインターゲットとしている、隧道があったとされる明治の改修道路だ。
だが、その道としての寿命はどうだったのか?
「同19年」というから明治19年を指すのだろうが、この年に「現在の道になり」という記述をしている。
これをそのまま鵜呑みにすれば、第3世代の道は明治19年に開通し、それを昭和49年に拡幅舗装したのが現在の県道ということになる。
すなわち、隧道があった道は明治16年の着工から3年後には旧道化したということになるわけだが、さすがにそれは俄には信じがたいというか、なんというか…。

このほか、町史に掲載されている「大野善八家文書」には、この針ヶ谷坂の県道について次の記述がある。

「立鳥村ヲ通行スル県道、二等、幅四間に相成タルトキハ、明治十九年十月、翌年五月迄ニ落成シ候」
『長柄町史』より引用

ここまでの町史の記述をまとめると、明治16年2月に針ヶ谷坂の改修工事が始まり、同19年10月に県道2等に指定され、明治20年5月までに落成したという一連のストーリーが出来上がるものの、第2世代(明治16年?)と第3世代(明治19年?)の関係が不明のままである。



隧道があったらしいことは分かったが、どこを探索すべきなのかが、分からない。
きっと読者諸兄もそろそろ、いい加減にしろ! わけがわからないよ! なんでもいいから隧道を見せろ!(中毒) …などとお思いのことだろう。
だが、私も苦しめられたこのわけのわからなさと、もうしばらくお付き合いいただきたい。

町史だけでは道の変遷が解明できないという結論に至った私は、普通の地形図よりもさらに古い地図に望みを繋げることにした。
右図は、明治16(1883)年に測量された、迅速測図と呼ばれる我が国最古の地形図(縮尺は2万分の1)の一部である。
これと先ほども掲載した明治36(1903)年測図の地形図(縮尺5万分の1)を重ねて比較してみると、ようやく明治期にあったルートの変遷が見えてきたのだ。

まず、明治16年の迅速測図には、この年の2月に着工したばかりの改修道路は描かれていないはずだ。ここに太く描かれている道は、近世以前の道と考えられる。先ほどの引用に照らせば第1世代の道である。

対して、明治36年の地形図(チェンジ後の画像)ではルートの一部が変化している。
町史に出てきた様々な地名(図中で強調表示)と照らしてみても、明治16年から20年頃までに整備された改修道路(第2か第3世代の道)は、このチェンジ後の画像に青線で示した道を指すのだろう。
ちなみにこのルートの変化は、先ほど引用した町史の手書き地図とも概ね一致するものになっている。


(←)ここで改めて、最初に掲載した最新の地理院地図とも比較してみよう。

縮尺も製図技術も大きく異なる地図を機械的に重ねているので、細かいルートの不一致はあるものの、次の結論に至ると思う。

結論。 明治の改修道路のルート = 現在の県道ルート

……って、オイオイオイオイ!

それだと結局、私にとって肝心要の隧道に関することは何も解決してないじゃないか!

地形図に一度も描かれていない隧道は、いったいどこにあるの?!

町史を書いた人に直接聞けば分かると思うが、それは案外に容易なことではないし、できることなら自分で見つけ出したいとも思う。
そもそも、町史が昭和58年に発行されてからずいぶん経っているので、現在も「トンネルは現存し」ている保証は、どこにもないわけだが…。
こうなったら、現地へ行って直接探すぞ。
自身のオブローダーとしての経験と勘と運を信じよう!

もしその結果、目指す隧道が見つかったなら、温かい拍手をお願いします!
おそらくそれは、明治20年以前の完成という“素掘隧道王国”の房総といえども古参に属する隧道で、しかも明治中には廃止された可能性が大という、“幻の逸品”だから。




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