隧道レポート いすみ市の旧岩船隧道 前編

所在地 千葉県いすみ市
探索日 2014.12.09
公開日 2014.12.12
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【周辺図(マピオン)】

房総半島の南東部、いすみ市と御宿町に跨がる海岸線一帯は、人口が多い関東地方にあって、しかも幹線道路からも遠くない立地の割に、あまり人目に触れていない場所ではないかと勝手に思っている。
その理由は、外房海岸の唯一の幹線道路である国道128号が、この区間では低縮尺の地図だとそれと気付かない程度に内陸を通っているのだが、現実には国道が通る低地帯と海岸線との間に幅1.5kmほどの一種独立した山地が細長く存在していて、しかもその中にいくつもの集落が“織り込まれて”いるということを、見過ごしがちだからだろう。

そんな観光ガイド的には地味目なエリアではあるが、房総丘陵が太平洋の荒波に直接削られ続けている海岸線は、外房を代表する景勝海岸“おせんころがし”を凌ぐほどの壮烈な絶壁美を秘かに誇っているのであるし、人の暮らしがある以上は、ここにも房総の御多分に漏れず、沢山の古い隧道たちが存在している。

そろそろ本題に入る。左の地図を見て欲しい。
「岩船地蔵尊」が今も昔も変わらない目印で、その北西に1本のトンネルが描かれている(矢印の地点)。岩船隧道という。

そして明治36年の地形図を丁寧に重ね合わせてみると…
やはり同じ位置に隧道が描かれているのであるが、その長さも向きも、微妙に異なっている気がした。
それは新旧地形図の誤差の範囲だったと、空ぶりを覚悟しなければならない程度の違いではあったが、それでも“隧道天国”の房総においては探索を試みるに十分な根拠といえた。




“日本三岩船地蔵尊”のひとつって、マイナーな“日本3大”だなぁ。


2014/12/9 10:54 《現在地》 

と、いきなり失礼な章題にしてしまったが、冒頭に述べた理由から今回初めて訪れた「岩船」という場所は、このくらい貶しても全く堪えないほどに美しい、気持ちの良い場所だった。
そのうえ、もしも廃隧道があるんだったら…… 
ここは私にとって忘れられない場所になりそうだと思った。

写真は岩船の海岸沿いの集落から北の方角を撮影したもので、海上に突き出た小さな岬の突端に一際赤く目立っているのが、章題に登場の岩船地蔵尊だ。

前面の太平洋は、遙か遠くの三陸沿岸まで見通せるのではないかと思える程に茫洋として広がっていたが、現実には見えるとしても銚子岬くらいまでだろう。
岩船地蔵尊についての細かい解説は省くが、案内板によれば、“日本三岩船地蔵尊”であるといい、鎌倉時代に創建されたという伝承が万が一にも大袈裟だとしても、この地の精神的なシンボルとして、古くから人の通う土地であったことまでは疑わない。
そんなことを思わせる、鮮やかな中にも妙に落ち着いた、砂浜と集落と堂宇の佇まいであった。



岩船地蔵を過ぎて岩船漁港に達すると、左折して内陸へと向かう道がある。
国道でも県道でもない“いすみ市道”だが、岩船にとっては最も重要な生活道路である。
センターラインは敷かれていないが、おおむね2車線の幅がある道は、緩やかな上り坂で、海岸から僅かに300mほど離れた所を南北に走る稜線を目指している。
岩船隧道は、あの稜線を潜る。


11:06 《現在地》

隧道は、あっという間に見えてきた。
稜線はそれなりに険しく切り立っているが、すそ野の乏しい山。房総の典型的な景色である。
それゆえ自転車でも極めて安易な道だった。

見えてきた坑口へ続く最後のカーブは掘り割りで、両側に切り立った法面が連なっているが、そのために旧道と分岐する余地を見出せない。
このまま旧道無しで坑口に突き当たってしまえば、旧隧道の実在は一気に期待薄になってしまうが。



う〜ん。

普通だ。

まったくもって、普通のトンネル。

平板なコンクリート坑門を持ち、黒御影石の扁額を掲げる。
扁額の文字は絡みついたツタのために読み取れないが、今日これまでに見てきた、この地域の町道や市道のトンネルの例にならえば、漢字でこう書かれているに違いない。
「岩船隧道」と。それ以外の小粋な情報が書かれている事は、おそらく期待できない。

明治の地形図の隧道は、やや南寄りの進行方向であるように見えた。つまり向かって左側が疑わしい。
だが一見して、そうした遺構は見あたらなかった。



?!

振り返ったら、なんか出た。

こ、これが探していた、旧隧道??!



そこにあったのは、もの凄く急勾配な、素掘隧道。
路盤の中央に、混凝土ブロックを敷き詰めた簡易な階段が設けられているほどに、急勾配だ。
そして長さはとても短く、路盤ベースで15mくらいだが、天井ベースでは10mも無いのではないかと思われる。
つまり、天井と路盤とが平行でない。
こちら側に大きく開いたラッパ型の断面をしていた。
断面自体はクルマも出入り出来るサイズだが、その必要はまず無いだろう。
こんな“奇形”の隧道は、ほとんど見覚えがないのだが、これも素掘であるがゆえの自由度だ。

そして、肝心の行き先は、ただ一軒の民家だった。
そうした現状から考えて、おそらくは私設の隧道と考える。
こんなことさえも、“隧道王国”の呼び声高い房総半島においては、決して珍しい事でもないのである。
今日この界隈だけでも既に数本の私設らしき小隧道を、ほとんど探しているわけでもないのに、見かけていた。

この隧道は、稜線とほぼ反対の方向を向いている。
故に、私が探している旧隧道ではないだろう。
ちょっと驚かされたが、これではないだろう。
きっと、 たぶん…。




バックアタック!!! 


11:08 《現在地》

さて、気を取り直して、岩船隧道の旧隧道を捜索したい。

ここから見える範囲には、旧隧道はもちろんのこと、旧道への分岐らしきものも見あたらないのだが、改めて旧地形図と現場の地形を見較べてみれば、やはり疑わしいのは左側の地形である。

矢印の地点から、左の斜面へと立ち入ってみることにした。
特に踏み跡も見あたらないのだが、現在の坑口の上部を確かめてみたかったのだ。
自転車は、ここで留守番ね。




簡単に現トンネル坑門の上の高さまで登る事が出来たが、そこに平場があった。

平場を見付けた瞬間には当然、「旧道!」を意識して色めいたが、実際にそこに立ってみると、反対側(海の側)はすぐに道が切れているし、これが道の跡であるかすぐには判断できなかった。
写真でも非常に分かりにくいと思うので、チェンジ後の画像と見較べて欲しい。
右下に現トンネルの坑門が透けて見えており、その周りを垂直に近い人工的に削られた岩肌が取り囲んでいる。
この岩肌は、旧道の法面であるとも考え得るし、現トンネルを建造するための整形であったと見ても、違和感はない。

続いてはこの謎の平場を、現トンネル坑門の直上へ向かって歩いた。



だめかな…、これは。

結構な“頼みの綱”というか、ここがダメなら探しようがないと思っていた、現トンネル坑門直上の壁面へアクセスしてみたのだが、そこには旧隧道の坑口やそれを埋めたと思しき痕跡は見あたらなかった。
旧隧道の存在自体が私の抱いた妄想だったのか、それとも実在はしたが、現トンネルに飲み込まれて消失してしまったのか。

… … … … …

……まだ、諦めるは早い。

反対側があるじゃないか!


引き返して、山の反対側へ行こうゾ!



#%&?!


ま、 まだ山の反対側に行ってないぞ!

直前の写真の地点で、振り返ったら いた!

岩船隧道でなんと2回もバックアタック!を食らった…。

なんという…

なんというびっくり箱なワル隧道だよぉ……。




ちょっと状況が解りにくいかもしれないが、左図のような位置に坑口… おそらくは探していた明治の旧隧道 …が存在していたのである。

この位置は、最初平場に登った地点からは岩肌の影になっていて見えなかったし、現トンネル坑門上へと向かう時にも、左を注視しなかったので気付かなかった。
しかし、そこから戻ってくる時には当然、正面に見る事になった。
この偶然とは思えぬほど巧妙に隠されていた坑口を!

現トンネルとは45度くらいも別方向へ向いているのもさることながら、なんだって…

なんだってあんな、見上げるような位置なんだか!




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