17:28
上高地側の旧道入口からおおよそ400mほど進んだ、釜上洞門の途中に、初めて進路を阻む鉄扉が現れた。
そして、その先は路幅もぐっと狭まり、かつて片側交互通行が行われていた区間にさしかかる。
相変わらず釜上洞門は続いているが、より古くに作られた鋼鉄製のスノーシェッドに変わった。
下りの勾配も、角度が一段と増した。
路上の全ての事象が、“釜トン”に収束しつつあるようだ。
鋼鉄製に変わったシェッドの隙間から、その行く手を眺める。
草木も育たぬ垂直の絶壁が、まるで釣り鐘のように聳え立っているのが見える。
梓川はあの岩盤にぶち当たり、右に逃れながらより深く谷を刻んでいる。
そこではまるで水面が煮立つように飛沫を上げることから、釜ヶ淵と呼ばれている原因になった。
この釜ヶ淵を迂回するための隧道。
それが、釜トンの正体である。
釜トンが、いよいよ目睫の間に迫った。
…それにしても、シェッドがよく働いている。
…うっ
行く手を闇が…。
見通せない闇が、覆っている…。
こ、こ …こ
うはッ!
ウハィッ! …
今見えた闇の中には、待ちに待った釜トンが待っているに違いない。
テテテテンションが大変だ!!
ままずちょっとと落ち着け!ナガジス!!
(どう見ても落ち着くのはあんたやろ…)
じゃあ、行きますよ…。
暗い。
もう隧道の中?
いや。 違う。
ここはまだロックシェッドの中の筈。
にもかかわらず、鋼鉄の壁によって天井と谷側は完全に塞がれている。
路面には小さな落石の欠片が無数に散乱し、廃のムードを余計に醸し出している。
しかも、よく見るとそれは線上に並んでいる。
それは、流水が並び替えた跡である。
高いコンクリートの擁壁と、重い鋼鉄のシェッドが作り出す、暗黒の玉座。
御前に立った全ての訪問者に対し、王は視線を反らすことを許さない。
湿り気と瓦礫を蓄えた舗装路面は、既に坑口前の常識を覆すほどの急な下り坂である。
それは、我々を闇の君側へと誘う勾配だ。
心から恐ろしいと思っても、重力さえも味方にした王からは逃れることが出来ない。
まさに、廃隧ブラックホール。
「 ワレこそは、この国で最も大勢に恐れられ続けたトンネルである。
もしそれが大袈裟だと思うなら、ワガうちに入って確かめるがいい…。 」
そんな余裕に満ちた王の声が、私には確かに聞こえた。
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17:31
坑門はコンクリート製で、極めて簡素な外見である。
穏やかに年輪を刻んだというよりも、言葉は良くないが、働いてくたびれてへたったような印象を受ける。
末期には年間200万人もの人々がくぐり、また通年のマイカー規制が敷かれる以前には年間100万台の車が行き交ったという、世界的観光地の玄関としては、いささか不格好である。
だがこの隧道に関して言えば、坑門を飾り付けるより先に改善すべき問題点が多く、そこまで手が回らなかったようだ。
なお、注目すべき扁額はなぜか現存しないが、その取り付け痕がある部分と、坑口を取り囲む部分とでは、明らかに構造が不連続である。
まるで怪物、フランケンシュタインの額のようだ。
埃と傷にまみれ、最後まで本当によく働いた。
この写真を見て欲しい(←)。
写っているのは、現在地点だ。
路上に大量の土砂が崩れ落ち、坑口も半ばまで埋もれている。
引用の都合で白黒だが、これはさほど昔の風景ではない。
平成11年9月15日に撮影されたものだ。
この日、台風がもたらした豪雨によって、釜トンネル上高地側坑口前で大規模な土砂崩れ災害が発生した。
280mも上から落ちてきた土砂の山は、昭和39年に釜上洞門として一番最初に建造された老朽部分(15m)を直撃し、これを一撃で破壊した。
幸いにして犠牲者は無かったが、一台の観光バスがギリギリで難を逃れたという。
王の玉座には、その日数十年ぶりに日が射した。
県道24号は全面通行止めとなり、上高地には大勢の観光客や車輌が取り残される事態になった。
まもなく歩行者用通路が用意されて彼らは無事に救出されたが、この災害によって、世界的観光地の危機管理という問題が取りざたされることになる。
崩れた区間により堅牢なシェッドを設けて仮復旧としたものの(この頭上を覆う真っ暗なシェッドがそれだ)、本格的な復旧は「新トンネルの掘削」という形で決着されることが決定した。
平成11年の土砂災害こそ、改良を受けながら70年以上も使われた釜トンに引導を渡した、張本人である。
そして、この真っ暗闇の坑口こそが、その現場であったのだ。
“ブラックホール”に蓋が…。
これは、さすがに「無視」出来ないか。
なんと執念深い…。
またゲートがあらわれた。
どうしても入って欲しくないようだが。
当然、鍵も掛かっている。
万事、キュウス??
にゃーん…。
さあ! 遂にここまで来たな。ナガジスさん!
こんだけ気を持たせたからには、ただの急で狭いだけのトンネルで終わったら、嫌だぜ!
(ちなみに、最初のゲートで我々のチャリは剥ぎ取られてる。)
17:32
洞内へ最初の一歩を刻む。
新トンネルと同程度と思われる、10%前後の急な下り坂になっている。
内壁はコンクリートで巻き立てられているが、坑門のイメージをそのままに、継ぎ接ぎや亀裂だらけだ。
洞外からもたらされただろう細かな瓦礫が堆積する洞床は、滑り止めのギザギザが刻まれたコンクリート舗装である。
とりあえず、今のところは
「少し急坂だが普通の廃隧道」だ。
…なんか、変だけど。 奥の様子が…。
… 。
目の錯覚なわけ、無いよな?
…なぜ、赤い?
何が赤いの??
照明が付いてるのか……。
まさか、有人なのか………。
あ…
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