隧道レポート 小渋ダムの旧々県道隧道 前編

所在地 長野県中川村
探索日 2020.04.19
公開日 2020.10.14


《周辺地図(グーグルマップ)》

天竜川の支流の一つに小渋川がある。
わが国第7位の高峰で赤石山脈の主峰である赤石岳(3121m)より流れ出し、中流部では伊那山脈を横断して赤石構造谷と伊那谷を結ぶ顕著な横谷を形成している。この部分に形成された大峡谷は古くから小渋峡と呼ばれてきた。
昭和44(1969)年、この峡谷の中ほどに高さ105m、堤長293mの巨大なアーチ式多目的ダムである小渋ダムが建設省の手により完成し、誕生した小渋湖が峡谷の景観を一変させた。

今回の探索対象は、この小渋ダムの間近に眠る旧々県道の隧道である。
最新の地理院地図(右図)を見ると、小渋ダムの脇には既に旧県道が1本あり、そこに(旧)西下隧道が描かれている。
ここが旧道となったのは平成30(2018)年12月15日というごく最近のことであるから、今回捜索した隧道が旧から旧々になったのも、最近なのである。

ただ、私はこれまで、旧隧道が現役の時代に何度か通行した経験を持ちながら、さらに古い世代の隧道があるということを、知らなかった。……恥ずかしながら。

これについて言い訳すると、ここを描いている旧地形図は、明治44年版、昭和6年版、昭和27年版、昭和51年版などを確認しているのだ。だが、それらに一度も描かれていない隧道が、ここにあるというのである。

しかも面白いのが、このオブローダーを痙攣させるほど熱い情報を公表しているのが、小渋ダムの管理者自らである点だ。
雉も鳴かずば打たれまいという言葉が喉元に出掛かったが、なんともオブローダーの快感のツボを心得た管理者様だ。
ではさっそく、その公開されている情報を見てみよう。 ↓↓↓



何それ聞いてないよ〜!!!

まさしく、ねみにににッ……ねみみにみずッ!


……興奮して舌が空回りしてしまった。

ツイートの文章通り、見慣れた感じのする素掘りトンネルらしい写真が掲載されている!
いやいや、知らんぞこんなの。
このツイートにある3枚の画像のうち、左の一番大きな画像が坑口の遠望らしいが、なんてところに開口していやがる?!
これじゃ道というか、本当にただの崖に空いた穴じゃないか! ダムにつきものの試掘坑にしか見えないが、管理者が「ダム建設前の旧県道」だとはっきり書いているのだから、これを信じない理由はないのである。
いやはや、俄に信じがたい、とんでもない在処だ………。

もっとも、このツイートを見ても、実際に小渋ダムを訪れて堤体から下を覗いてみた経験を持つ人でなければ、いまひとつピンとこないかもしれない。
しかし、私は既にのぞき魔だったので経験があったのだ。
見てくれこれを! ↓↓↓



今を去ること9年前、降り止まない雨のなか、濡れたサドルに跨がって、このダムを訪れている。

そして、看板に指示された「 正しい姿勢 」で、この巨大なアーチダムから眼下の景色を堪能した。

こんな写真を持ち帰っていた。↓↓↓



これが小渋峡と呼ばれる、典型的なV字峡谷の景観だ。
奥の方の右岸にここへ至る県道のガードレールが細々と見えているが、
左岸にもさらに危うげな道の姿が、見えている。 明らかに、廃道の姿。

この左岸の道形、偶然この日に見つけたのだが、後に机上調査で正体が判明した。

↓↓↓


それだけでなく、訪れてもいる!
前回から2年後の平成25(2013)年5月のことだ。

このダムに突っ込んで終わる、見るからに軌道跡っぽい小渋川左岸の廃道の正体は、
久原鉱業軌道という民間の森林軌道であり、大正6年から昭和4年頃まで使われていたものだ。

……そうだ。 私は、思っていたんだ。
小渋ダムについて、自分はもう知らないことなどないと……、エキスパートだと……、
恥ずかしげもなく……、思っていた!



そんな驕りに塗れた私に突きつけられた、ダム管理者からの挑戦状――

かつて毎年夏になると決まって送られてきた「R」からの招待状よりも刺激的なこの挑戦状、

引き受けたぜ!






……なお、今回の探索のトリガーとなったツイートの存在を2019年8月に私に教えて下さったのは、ダム旧道マニア である。ありがとうございました!




もう少しだけ、出発前の予習をしよう。

私は小渋ダムを何度も訪れているのに、軌道跡より遙かに大きいはずの旧々県道のトンネルを完全に見逃していたわけだから、また無策で臨めば返り討ちだろう。

まず私はこれまで、超そそる軌道跡がチラチラ見えまくる左岸にばかり目を向けていた。
だが、その左岸にもう1本道が通じていたとはとうてい思えない。もしあったら気付いているはずだ。

対する右岸には、高い所を走る現県道および旧県道の他に、極めて低い位置を走る道がある。
これは工事用道路のようなもので、2013年の探索で久原鉱業軌道跡へのアプローチに使った。
だがこの道にもツイートにあるような隧道は存在していない。

こうなると、改めてツイートにあったダムより見下ろした坑口の遠望を見直すまでもなく、もはや可能性のある場所は一つしかないと思える。

それは…… ↓↓↓



ここしか! あるまいて!


探索★開始!


( そこで私を待ち受けていた光景は、想像を絶するものであり…! )

( その姿へ至った経緯に至っては、さらなる奇絶を極めていた……!! )




従来探索の空白域へ突入!


2020/4/19 16:36 《現在地》

いつものように自転車に乗って登場。現在時刻は既に夕方に差し掛かっている。だが今回はほとんどピンポイントの小探索なので、日が落ちるまでには十分完了できるはずだ。

現在地は、事前に“隧道擬定地”とアタリを付けていた小渋ダム直下の右岸中腹エリアまで、残り700mほどの至近である。
長野県道59号松川インター大鹿線が、井戸入沢川を渡る橋の前まで来ており、下流からダムへ向かって走ってくると、この辺りからダムがよく見えるようになる。

県道はかなり谷底から高いところを通っている。道巾は平均して2車線分あるが、白線はなく、路肩の余地も狭い。一部の橋などすれ違い出来ないくらい狭いところもある。しかし、大鹿村へ通じるメインルートであることから交通量はそれなりに多く、最近はリニア中央新幹線の関連工事という名目で、沿道の各所で狭隘を排除するための改良工事が盛んに進められている。




路肩に立つと、小渋峡の切り立った風景が一望される。
このとき、季節によって見え方は変わるが、対岸の崖の中腹に等高線が1本だけ形を表わしたようなラインが見えるはずだ。
これが前説で触れた久原鉱業軌道の跡である。アプローチのためには一旦谷底に降りて川を渡り、それから対岸の崖を登る必要があるので、なかなか大変である。

対して、此岸の高い山腹を横断していく現在の県道は、昭和44(1969)年に完成した小渋ダムの工事用道路として整備された。
それ以前の県道がどこを通っていたのかは、いまひとつはっきりしないが、麓からこの辺りまではだいたい重なっていたようで、ここへ至るまでの所々に廃道となった旧道の痕跡が目に付いた。いずれも小規模なものなのでレポートは省略するが、以前通った時に既に探索を終えている。




16:42 《現在地》

井戸入沢川から300mほど前進すると、問題の隧道擬定地の“辺り”が、前方眼下に見えてきた。

地形図だとあの辺りには、いかにも沢を埋め立てたような三角形の平坦地が広がっており、小渋ダム工事関係の残土捨て場だろうと考えていた。
そして、その残土捨て場の片隅に、問題の旧々県道の隧道が開口しているのではないかというのが、私の読みだった。

なので、いきなりここから坑口が見えることも少し期待していたが、さすがにそこまで簡単ではないようだ。
それでも、道のような感じのする細長い平場が見える感じがするので(矢印の位置)、手応えは悪くない!
あとは、どうやって高度差があるあそこへ降りるかだが、残土搬入のための道らしきものが、今の地形図にも描かれているので、使わせてもらうことにしよう。




16:44 《現在地》

さらに200mほど前進し、小渋ダムというバス停がある地点までやってきた。
ここで県道は平成30(2018)年に開通したばかりの新道と、それまで使われていた旧道に分岐する。
旧道は小渋ダムへの進入路として使われているが、隧道擬定地へは、矢印のように一旦旧道へ入って、
そこから現道の下を潜って行くという、少し複雑なアプローチになっていた。

ちょうど片側交互通行をやっていたので、警備員に断って脇道へ逸れた。




残土捨て場らしき平坦地へと下る道の風景。

一応舗装はされていたし、明確な封鎖もなかったが、ほとんど利用されていないのか、草が道の両脇から圧迫し、落石が散乱していた。
しかしこの道の特筆すべき点はなんといっても、勾配のキツさだ。
地形図を見ると、たった250mほどで60mほど高度を下げており、平均勾配24%というトンデモナイ数字が導かれるのだが、実感に偽りなし。

一抹の不安として……、こんな道を自転車で下ってしまい、もしこれが“ハズレ”だったら、帰りはどんな顔して戻ればいいんだろうね…。

……いや、まだ弱気になるには早い。
確かに時間的にも、ここがダメなら、もう二の矢を放つ余裕はないかも知れないが、それでも私の勘はここが正解だと言っている。




ただのブレーキ操縦機械と化したチャリに跨がり続けると、あっという間に、さっきまでいた県道が遙か頭上に遠ざかっていった。
ブレーキのキリキリという叫びの前では、見頃を迎えた路傍のヤマザクラに和みを感じる余裕はなかった。
チェンジ後の画像の矢印の位置が、「16:42」にここを見下ろした地点である。

この勾配、車両が非力だった時代の車道とは、とうてい思えない。
つまり、この先で旧々県道の隧道を見つけたとしても、当時の県道はここを通ってはいなかったということだ。
どこか別のルートで麓と結ばれていたのだろうが、現道のすぐ下に並走して旧道があった訳ではなさそうだ。そこは急斜面過ぎて、別の車道が割り込む隙はなさそうなのである。

本来の旧道は、残土処分の地面の下に既に埋め立てられてしまったのかもしれない。




16:46 《現在地》

下りはじめから約3分後、県道の60mほど下にある残土捨て場らしき平坦地へ降り立とうとしている。

この平坦地も谷底から見れば30mの高さがあり、県道と工事用道路に挟まれた従来探索の空白域だ。



舗装された道は、広場の地平に降り立つと同時に終わっていた。
地形図だとこの広場の中ほどに建物が1軒描かれているが、実在しないようだ。
無人のすすきの原っぱは淋しげだが、奥の谷底の向からは重機の音が間断なく聞こえていた。

そして私は、この広場の山際に沿って、微かな高まりを見せる帯状の平場があることに気付いた。

そこに、旧道の気配を察し、激しく興奮する私がいた。




自転車を広場に残し、歩き始めた。

どうなんだ?

私の見立ては当たっているのか?

ここがダム完成以前に使われていた旧県道(旧々道)なのか?!

やはり山際に細長い微高地があり、埋め立てられた右側の地面とはなんとなく区別されている感じがある。
ただ、通行が絶えてからとても長い月日が経過しているのだろう。草ではなく樹木が育っていた。
そして少し進むと、今度は竹藪が現われた。

もし、ここが正解なら……、 いや! 正解でなければならない! ここ以外、思い当たる場所がない。




いい感じだ!

ここは確かに道の跡っぽい!

埋め立て地を外れた途端、3mほどの道幅を確保するための土工の痕跡が、山側にも谷側にも同時に現われた。
埋め立て地からさらに上流へトラバースする道形が存在している!

ただ、いまのところ“時代”が読めない。
コンクリートの擁壁も石垣も見当たらないからだ。
そして、間もなくダムの直下だというのに、工事用道路として使われたことがおそらくなさそうな狭い道幅だ。砂利も敷かれていないし、もちろん未舗装だ。

四方八方で大工事が進められている最中も、この路上だけは蚊帳の外で放置されていたのだろうか……。





うおおーっ!!

お目当ての隧道こそ現われていないが、

スゲぇ俺好みの廃道風景!

思わず叫び出したい気分だったが、ここでの大騒ぎは止そう。
あまり工事関係者やダムの関係者に私の存在を気付かれたい場所ではない。
黙って萌え萌えしよう。

なお、写真の正面にうっすら見える“道形”は、対岸の松川町を走る軌道跡だ。
これは偶然なのだろうが、ほぼ同じ高さにあるようだった。
いったいどちらが古いんだろうな。軌道は大正6年から昭和4年まで使われていたらしい。



路肩から下を覗くと、さっきから重機の唸りが響いている界隈が見えた。
地形と樹木のおかげで、私の姿は下からも上からもカモフラージュされていると思う。

路上の様子は、対岸の軌道跡ほど荒れてもいないし、そこまで危機感を感じさせないが、
実態としては、既に相当にのっぴきならない領域へ入り込んでいるはずである。
ここは確実な袋小路だ。先細り、ダムで終わることが、確約されている。

その最後に、まだ見ぬ隧道があることを、私は願っている!





16:50

うおぉーっ!

ダムの大迫力!!!

迫ってくる力と書いて迫力。 呑み込まれるぞこれは……。


対岸の軌道跡の“最期”が、一足先に見えた。

しかし、我らが県道跡にあるべき、 隧道は・・・?




実はこの時点で既に、当初の予測とは違っていた。

隧道の西口は、もっと下流にあると思っていたが、そこは既に通り過ぎており、
現在地は、堤体を正面に見るところまで、“明り”のまま前進してしまっていた。

この先に、西口があることを期待しよう…!


さあ、前進再開だ。




16:51

うーーー……

ダメっぽい〜……

隧道はてっきり素掘りだと思っていたが、そうではなかったらしく、

立派なコンクリートブロックの坑門らしきものが、土砂で埋め戻されているようだ……。




いま、私は、絶望を感じています。



こちらの坑口が開いていないとなると、部外者の私が、この反対側……

ダムに面したツイートの坑口に辿り着く術は、ないような気がします。









(狭いな、おい…)




(眼下は副ダム。足を滑らしたら終わりだ)




(黒いぞマジかよ……)




あった。



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