隧道レポート 新潟県道45号佐渡一周線 野崎トンネル旧道 中編

所在地 新潟県佐渡市
探索日 2013.5.29
公開日 2013.11.8

旧野崎隧道への侵入とその結末


2013/5/29 13:13〜13:19 (おにぎりタイム) 【現在地】

今突破してきた藪の姿がこれ。

もう、この道を戻りたくはない…。

言っておくが、地面がこの通りに盛り上がっているのではないぞ。
この“こんもり”の半分以上は、笹を圧倒的な強者とした植生によるもので、路面にはある程度の土砂が堆積しているに過ぎないのである。

なぜ?

確かに不思議である。
どうしてこの場所に、まるで道を塞ぐことだけを目的とするかのように、凄まじい藪が生育したのだろう。
最初は単なる土砂崩れだったと思われるのだが、植物が異常繁茂する「パワースポット」でもあるのだろうか…?




振り返るのはこのくらいにして、大切な“収穫の果実”を味わおうじゃないか。
今回の佐渡探索で、廃隧道を目前とするのはこれで何度目だったろう。
旧野崎隧道の出現である。

前回も書いたかも知れないが、この旅では両手の指でも数え切れないくらいの廃隧道に出会う事が出来た。
そしてその一本一本に、それぞれ違った印象を感じたのであった。
もちろん、隧道だけでは似たようなものも無いではなかったが、その前後の道路(廃道)風景との組合せが最終的な印象を作るのだから、同じなどあろう筈がない。

さて、この旧野崎隧道の印象といえば、ひとこと “寂寞” である。
現道や集落からさほど離れておらず、振り返ればそれらが見えるような立地ではあるのだが、「旧隧道だけが世界から取り残された」ような哀感は、むしろ日常から見えていながらと言うとこに、一層の際立ちを持っているように思われた。

もっとも、昨日までの2日間は晴れや薄曇りだったのに、今日だけがしとしと雨だというのは、感じ方に大きな違いを生んだだろう。
あと数時間で島を離れねばならないという状況も、幾らか気持ちをウェットにしたと思う。たった3日でも(いや1日でも)廃道をやれば、その土地に古老の百分の一くらいの愛着を誇るのが、この私だ。
初日にここへ来ていれば、ここは緑の草と青い海が爽快な廃道だと、全く別の感心をしたかも知れなかった。




旧野崎隧道の外見における最大の特徴は、おそらくこの東口の突出した構造であろう。

正確に言えばいま目の前にあるのは隧道の坑門ではなく、単なるロックシェッドなのだが、珍しい1車線幅のアーチ型ロックシェッドは、まさにトンネルの断面をそのまま伸ばしたような印象を与えている。
一般的にトンネルそのものよりも、それに接続されたロックシェッドは新しいのだが、おそらくこの隧道でもそうだろう。
しかし、廃止間際に取り付けられたような新しさは感じられない。
とても古い隧道と、かなり古いロックシェッドといった印象だ。

…繰り返しになるが、1車線幅のアーチ型ロックシェッドって、ありそうであまりないよな?


で……、

  これ、入りたいよね?


そりゃもちろん、入りたいよ。 ここまで来たんだし。


  今にも剥がれそうな封鎖板を、もう何枚か剥がせば入れるよ。


えっ。 そ、 それは、 どうかなぁ……。 剥がれそうだからって、
やっぱり、自分で剥がしちゃっちゃ駄目だよなぁ…。 駄目だ…よ。 


  じゃあ、  諦 め る の ?

………。




はぁ はぁ ……

危なく悪心に支配され、ロードクラッシャーに魂を売り渡すところだった。

正しいオブローダーは、構造物の故意的破壊は厳に謹むのである。

それにちょっとよく見れば、わざわざ塞がれた正面玄関をノックしなくても裏口から幾らでもムニュー出来るじゃないかぁ〜。

潮風さまさまである。
(いや、潮風は相当のロードクラッシャー野郎だと思うが…。 ←自分で手を汚さなければ良いというワルニャがここにいる)

それに、“裏口入学”をしようとする人間にも、試練つうか罠が、無いわけではなかった。

↓ ↓ ↓




「危ねっ!」


地面ねーし!

濡れた草が生い茂る土の滑りやすい斜面から、同じようなシェッド脇の斜面へと、大股開きのたった1歩分だけではあるが、海に直接落ちている路肩擁壁の上、すなわち“空中”を跨がねばならなかった。

このとき、手に錆が沢山付くことを厭わなければ(私は構わない)、片手でシェッドの露出した骨組みを握って支えにすることが出来るが、この1歩だけは要注意である。


そしてさらに、ここで必然的に見渡す事になる険しい渚の風景であるが、そこにも大いに気になるものが…。

↓↓↓




海岸線に旧旧道があったと言いたげな、

怪しい草付きのラインが、切れ切れがら、岬の突端の方へ向かっていた…。

そ し て さ ら に



その行く手には、迂回不可能に見える巨大な巌が。


…もし、旧旧道があったとしたら、どうやって向こうへ通じているのか大いに気になるのであった…。

しかし残念ながら、こちら側からでは、まず最初の草付きにさえ立つ事が出来ないのだった。
物理的に繋がっておらず、この擬定旧旧道ルートをこちらから辿ることは、無理だった。



さて、改めて旧野崎隧道の坑門である。

今まで見ていたのはトンネルそのものではなく、それに繋がるロックシェッドであったが、ここに来て初めて本来の坑口の姿が判明した。

そこに坑門は存在せず、もともと素掘の坑口だったようだ。
岩盤から直接に金属のロックシェッドが、まるで“生える”ように出ていた。
坑門がないために、それに付随する扁額も見られなかった。

ところで、隧道が穿たれている岩盤は、顕著な柱状節理を見せていた。
それは観光の対象になっていても不思議ではないと思えるくらいの立派なもので、周囲の岩山はみな玄武岩らしき柱状節理を発達させていた。
佐渡の海岸線が一般に柱状節理というわけでもなく、この野崎鼻周辺の特異な地質であったようだが、柱状節理に掘られた隧道と言えば、あの“トリさん”を廃道の世界に引き込んだ廃隧道、生保内林用軌道の「柱石洞門」が思い出された。
そして岩盤も隧道も、こちらの方が遙かに規模が大きい。





それにしても、恐るべきは塩害の威力だ。

既に見たとおり、金属製ロックシェッドの海に面した側は、その表面に取り付けられていたプレートがほとんど削げ落ち、鉄骨を露出させていた。
それゆえにこの“裏口入学”が可能になったのであるが、残された鉄骨も細い部分は所々痩せて自重のために落下消滅し、太い鉄骨も表面がボロボロに腐食して、全く見る影もなくなっていた。
この状態で少し大きな落石でもあれば、ひとたまりもなく圧壊しそうだが、もはやそれを心配する状況にないのは幸いか。

今は穏やかな小佐渡の海も、時には激しい潮を天高く舞上げるのだと想像しながら、この朽ちた隙間を潜って、

いざ、入洞〜〜。




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なかなか芸術的な陰影を見せる、洞内のような洞外ロックシェッド部分。

はたして、この隧道の奥はどうなっているのかな〜?




厳つい外見に較べて、中身は意外に平穏?

まあ、断面がロックシェッドのアーチ型とは似ても似つかない、長方形に近い形をしている点で、“平凡”ではないが。

そして今回は珍しく、この珍しい断面となった原因を、推測することが出来た。
これは実用に迫られてこの形にしたわけではなく、単に、柱状節理を掘っていったら自然とこういう四角い角張った形になったのだと思う。

惜しむらくは、全ての壁面がコンクリートの吹き付けで覆われていて、素掘の岩盤を目にすることが出来ない事だ。
そのため、規模こそ大きいものの、内部のインパクトは「柱石洞門」には敵わない。

しかし、それも仕方がないと思える。
現在の野崎トンネルが開通したのが平成2年だから、この隧道はそんな近年まで、佐渡巡りの大型観光バスだって通る現役の県道だったのだ。吹き付けくらいはしないと不安だもんね。そりゃ。




洞床は鋪装されているが、どこから流れ込んだものか、東口付近は一面に泥が堆積し、水も溜まってぬかるんでいた。
そしてその泥濘の上に人間の足跡は見られず、代わりに無数の“肉球”のような模様が刻まれていた。

この模様の成因は二つあると思っている。
一つは実際に肉球を持った生き物が頻繁に行き来した場合。
かつて私は、その正体の分からないことから“隧道猫”の存在を推測したこともあったが、現実的にはネコ、タヌキ、そしてハクビシンなど、肉球を持った猫系のケモノが想像される。
もう一つの成因はといえば、全く肉球とは関係が無くて、天井から滴る水がランダムに刻んだ模様の場合もある。

この隧道がどちらであるか分からない。
だが、今雨が降っているにも拘わらず天井からは水が滴っていなかったので、前者であるような気がする。
しかし、この隧道を通り抜ける事は獣でも困難と思われ(後述)るから、通り抜けではなく滞在の場所として、たくさんの“隧道猫”がこの場所を愛用しているのか? 



30mほど進むと洞床の泥が無くなり、水気も失せて、本来のアスファルトの路面が露出していた。
出口まではあと100mくらいだろうか。
まっすぐ先に外の光が見えるが、明らかに何か柵のようなもので塞がれている見え方だ。
先ほどの東口へ板を打ちつけて塞いでいたのだから、普通に考えれば西口だって開放されているはずがなかった。
しかし、近付いてみなければ正確な事は言えない。

なお、隧道内は空気が冷たく、外との温度差があるために、霧が立ちこめていた。
風は幾らか吹いているのだが霧を晴らすほどの強さはなく、ライトをそこに向けると、水の微細な粒子が空中を緩やかに動いているのが観察された。
写真にも僅かに粒子の帯が見えている。




100mを越える隧道なので、ちゃんと現役当時は照明が点灯していたようだ。
昔ながらの白色蛍光灯が洞内全体で5本前後、片側の壁面に取り付けられていた。
しかし、洞内も金属には劣悪な腐食環境であるようで、照明類はほとんど原形を留めぬまでに破損していた。




更に進み西口に近付いていくと、洞床に取り外された両開きの扉の残骸らしきものが棄てられていた。
東口には扉が付けられていた痕跡は無かったが、どこで使われていたものなのだろう。

生き物の姿の見られない、霧と闇と静寂が支配する空間を、灯りを頼りに歩くことおおよ3分。
いよいよ、西口の状況が詳らかになった。




13:30

洞内西口に到達。

だがやはり、塞がれていた。
しかも東口のように壊れかけた封鎖ではなく、光は漏れていても視線は漏らさぬ程度の密な封鎖壁であった。

そこには東口にはない通用扉もあった(→)が、内側からはびくりとも動かなかった時点で、完抜は断念せざるを得なかった。
(はぁ… あの激藪に戻るのね…。)

なお、この西口だけ断面の形が歪になっていて、右側に膨らんで扁平な形をしていた。
そのため封鎖壁の面積も大きく、風圧で倒れないように洞内側に頑丈そうなつっかえ棒をしているあたり、封鎖に手を抜いていない。
またこれも西口付近だけであるが、コンクリート吹き付けの内壁に、落石防止ネットが被せられていた。

洞内探索は、ここまでである。




この塞がれた西口の外はどうなっているのか?
そして、岩場に見た“旧旧道の幻”は、現実か?

次回、全ての謎が明らかになる。