隧道レポート 国道229号狩場トンネル旧道 後編

所在地 北海道島牧村
探索日 2023.05.12
公開日 2023.06.02

 穴床前トンネルの秘密の窓


2023/5/12 4:54 《現在地》

現国道の(新)狩場トンネルの旧道に存在する一連のトンネル群も、次が最後の1本だ。
3本ともが一度は廃止されて完全に封鎖されたにも関わらず、再び人間世界の何らかの事情によって、秘かに開口させられていた。
とはいえ、この3本目の穴床前トンネルだけは、貫通していないことが確定している。そのことは前編で紹介済だ。
これから、穴床前トンネル最奥の閉塞地点を目指す。

なお、本トンネルも単体としての銘板や扁額は存在せず、現役当時より(旧)狩場トンネルを名乗っていて、その一部分を構成していた。
だが、建設当時の資料などから単体の名前(穴床前トンネル)や長さが判明しているので、その存在しない銘板を再現すれば次のようになろう。

穴床前トンネル
1976年11月
小樽開発建設部
延長822m 幅員6.00m

左図は、旧道の穴床前トンネルと現道の(新)狩場トンネルの位置関係を示している。
(チェンジ後の画像は、私が書き加えた内容を「現在地」以外取り払った元の地形図だ。崖だらけの険しすぎる海岸地形や、そこから完全抹消された旧道の寂しさを感じて欲しい)

平成14(2002)年に開通した狩場トンネルのうち、南口側から約300mの地点までは旧来の穴床前トンネルを再利用しており、そこから新たに洞内分岐で1350m近いトンネルを新設して、全長1643mのトンネルが完成した。
これを「現在地」側の視点で見れば、この北口から約500m地点までのトンネルが廃止されて放棄されているということになる。
そして廃止直後に完全封鎖されたのだったが、今回なぜか解放されていた。

解放された時期は令和3(2021)年の春頃のようで、工事関係者であるという匿名の情報提供者のほかにも、数名の方から同様の(解放されているという)情報提供をその後いただいていた。
そして、解放されたこのトンネルに立ち入った情報提供者は挙って、本トンネルの特別性を強く訴えてきた。

それが何であるかは、まもなく私の視点からも明らかになるが、前回の最後の動画で私が妙に神妙に聞いていた、洞内から聞こえてくる渚の音が、あまりにも直接的すぎるヒントである。
そしてこの音は当然、前回の探索時に辿り着いた封鎖されていた当時の坑口では、決して聞くことが出来ないものだった。




……緊張してきた。

生唾をゴクリとしてから最後にもう一度振り返り、ハイッテモイイヨネ?と、普段ならばほぼ遠慮なく行くところで、少しだけ逡巡して見せた。

情報として、一応、この先にどんな光景があるかの“想定”はしてあるが、画像などは見ていないので、実際の状況は分からない。
さらに、洞内からは“音”が聞こえているので、情報が間違っていたという最悪の事態は回避されたに違いない。

この先に間違いなく、ある。
私が、わざわざ一度攻略したこの地に再訪した最大の目的が、この先に……ある!



突入直後の状況。

見える限りは真っ直ぐ伸びているが、前2本のように出口は見えず、風の通りも感じられない。まさに約束された閉塞隧道といった感じだった。

さらに前2本との違いとして、洞床の激しい泥濘みが挙げられる。
北口部分に山側から供給され続けている堆土の山が生じていて、なおかつそこから水が入り込んでいるために、勾配的に低くなっている坑口付近の排水が不良で、水や泥や落葉が大量に堪ってしまっていた。これは坑口が封鎖されていて、外界との交渉が断たれていた時代にははなかった現象に違いない。
変な表現だが、“生きた廃隧道”の証しのような荒れ方だと思った。

そして、“生きて”いるものは臭い。
主に落葉の腐った匂いが非常に濃厚である。ヘドロの匂いだった。
幸いにして、トンネル両端の一段高くなっている部分を歩くことで、足がヘドロ塗れになることは避けられたが、押し進む自転車がヘドロの海を掘削するので大変臭った。



トンネルに入ってしばらくは、極めて微妙な上り勾配が付いており、進むほどに泥と水の深さは浅くなった。
おかげで私も両端の高い部分(歩道ではないので歩道とは表現しない)から離れて、自転車でジャブジャブと車道部分を自走するようになった。

それから完全に水が引いて、乾いた舗装路面が現れるまでは、ほとんど一瞬だった。
音を立てながら進んでいる最中は、坑口で耳にした、さほど微かではなくはっきりと聞こえた渚の音も、意識の外になっていた。




入口からおおよそ50mで、水は完全に引き、あとは空虚さだけが支配する、私にとっては妙に見慣れた北海道の現代的廃トンネル風景となった。
そこからは自転車の本領が発揮され、一気に加速して洞奥へと進行。坑口から約100mほど進んだのが、この写真である。

このトンネルも照明は撤去されており、消火器ボックスのような壁に埋め込まれていて撤去の難しい防災装置だけが残っていた。
水は引いたが、相変わらず路上にたくさんの落葉が散らばっている。閉塞した隧道の奥まで風が吹き込むとは思えないので、落葉がある範囲は水没したことがあるのだろう。

消火器ボックスの向かいにある左の壁にも、何かが埋め込まれていたような凹みがあることに気付いた。
非常電話ボックスかな? 近寄ってみよう。






あっ。(察し)


これだ…。





情報提供にあった、「トンネル内の小窓」だ……。


しかし、私の予想というか、当然にそうだろうなという勝手な思い込みに反して、

海とは反対側にあった。

そのことがまた、私には結構大きな衝撃であった。




この穴床前トンネル内に存在している「小窓」の正体について、

工事関係者なる匿名情報提供者からのメール文より紹介しよう。



穴床前トンネルは海蝕洞と交差しており、トンネル内の小窓から覗くことができます。

匿名情報提供者からのメールより


!!!




閉塞しているはずのトンネル内から渚の音が聞こえてくるという、心霊現象ばりの異常な現象の原因が、これである。

昭和51年に誕生し、平成14(2002)年まで国道229号として使われていた穴床前トンネルは、地中で海蝕洞と交差していた。




トンネル内での現在地をGPSで知ることは出来ないが、振り返れば見える入口の光の大きさから、
現在地は上記のあたりの地中であると考えられる。すなわち北口から120mくらいの位置。

なんとここに、トンネルと交差する海蝕洞が存在している。
私の現在地の把握と、この地形図が共に正確であるとすれば、
海岸線から30mは奥まっているはずだが、海蝕洞にはそれ以上の奥行きがあることになる。

自然界の神秘に、人間界が交差する……。




“小窓”と、情報提供者が表現したこの構造物は、本当に“窓”だったようだ。

なんというか、“異界に繋がる窓感”がある。

率直に言って、禍々しい。

特に閉鎖はされていないが、現役時代からそうだったのか、朽ちてこうなったのかは不明。
というか、このトンネルは平成14(2002)年まで普通に国道として通用していたのであるから、
ここを毎年何万人もの人が通行していたはずである。通行された方の記憶に期待したい。
現役当時、この小窓の存在に気付いていた人は、コメントを寄せていただきたい。


ともかく、“窓”である。


【 窓とは、人が出入りするための構造物ではない。 】


窓から出入りするのは、たいていは不届き者である…。

身を乗りだすことも、窓の使い方としてはあまり良くないのであるが、

やらざるを得まい。




奈落…




……かと思うような、光の届かなさに、気圧された。

今いる2車線の道路トンネルよりも、遙かに外の空間は広いのだ。

特に、高さがトンネルのそれではない。天然大洞窟のそれだった。




しかし、よく目を慣らしていくと、その地形の概観が見えてきた。
洞窟は縦方向に発達していて、おそらく頂角15°程度の極めて鋭角な三角形断面だ。
上方向は狭いので光が届きやすく、比較的早くその形状が判別出来たのだ。

窓と接続する位置に地形はなく、垂直の外壁のただ中に開いていた。
人が立てそうな場所までは、水平方向に最低3mは離れているのでマジで辿り着けないし、
仮に梯子を架けるとかして無理矢理行っても、そこから洞床に降りることは不可能だ。
加えて、降りた先の洞床は完全に海面下のようだが、夜の海より遙かに暗い海面には、
なかなか光が届かなかった。音や匂いから、底が揺らめく海面だとは察せられるが……。


しつこく、マグライトとヘッドライトの二つの光とカメラの向きを調整して、

やっと海面をはっきりと撮影出来たのが、次の写真だ。





怖過ぎ。


しかし間違いなく下は海面だった。 しかも深い。

当然、外の海と繋がっているはずだが、外の光は反射を含めてまるで見えない。
もしこの“窓”が反対方向に開いていたら、外の光は見えたと思うが……。




動画も、どうぞ…。


この闇の底に鳴る波の音が、坑口にまで届いている。



……怖い。




改めて、トンネル側の景色を見てみるが、

窓があること以外、海蝕洞の存在は窺い知れないし、

ここでトンネルが海蝕洞を渡っていることは分からない。

この変態的な構造物は、トンネルの壁で上手く?カモフラージュされていた。



全天球カメラも使ってみたが、光がなさ過ぎて上手く撮影出来なかった。一応よく見ると、海面と、窓の位置関係(どのくらい離れているかとか)が分かる画像かとは思う。

なお、本日の海蝕洞は、外の海況を反映してとても穏やかな揺らぎであった。地中で聞く渚の音色は、正直心地の良いものとは思えなかったが、それでもこの穏やかさが常の表情ではないことは、前掲した匿名情報提供の続きの部分に記されていた。
皆さまも、状況を想像しながら、読み進めて欲しい。

海蝕洞内には海水が流入し、波しぶきがトンネルに吹き込む、衝撃的な光景です。
小窓の直下が海蝕洞をまたぐ橋のような構造になっており、海蝕洞には降りられません。
小窓から360度カメラを差し込んでみると面白そうですね。

ちなみにこの海蝕洞は、新狩場トンネル掘削時にも確認され、工事が一時止まった経緯があります。
おそらく少なくとも北海道で一番長い海蝕洞、日本全国でみてもトップクラスの海蝕洞かと。

匿名情報提供者からのメールより

波飛沫がトンネルに吹き込むのはさすがにヤバイので、現役当時は、窓は鉄板で封印されていたのかも知れない。

そして真に驚くべき内容が、最後に登場している。

なんとこの海蝕洞、現在使われている狩場トンネルの掘削時にも、「確認され、工事が一時止った経緯がある」のだという。

この内容は、他の公表されている文献資料には今のところ確認できておらず、工事関係者のみが知る特別な情報である可能性が高い。
そして、地中にある狩場トンネルの位置が地形図の通りであるとすれば、海蝕洞の最大到達深は海岸から100mに達する可能性がある。

まあ、この「確認され」というのが、海蝕洞が現在のトンネル本坑と接触したという意味かどうかは、現トンネル側には特に痕跡が見えないことから、全く確かめようがなく不明だが……。
(もし狩場トンネルと海蝕洞がぶつかっているなら、この辺りの位置だと思う…)

情報提供者が、おそらく北海道では一番長い海蝕洞だと述べているくらいだが、実際、海蝕洞の長さの記録はどのあたりにあるのだろう。私にははっきりしたことは分からない。
ただ、これまで現役廃止を問わずおそらく3000本を越えるトンネルを通過してきた私にとっても、地図上でこんなに海岸線から離れた地中で海蝕洞と交差しているトンネルというのは、初めての体験だった。
それくらいレアだった。



 海蝕洞と交差するトンネルの話

これまで私が通った何千本ものトンネルの中には、海蝕洞と交差しているものが数本ある。今回は上図に青く示した3本を紹介しよう。


【福井県越前町】 国道305号 房山トンネル
極めて珍しい、現役である海蝕洞交差トンネル。昭和45年開通、全長338m。海岸からの距離は10m程度。外側から穴を見ると、トンネルのネオンライトを確認できる。石柱に囲まれた極めて縦長なシルエットも特徴的。
【石川県輪島市】 国道249号旧道 曽々木隧道
3世代のトンネルが居並ぶ奥能登の名勝曽々木海岸にある、昭和37年開通の2代目曽々木隧道は、全長288mの戸中で海蝕洞と斜めに交差しており、明確にそれと分かるトンネル内橋梁があるのが特徴的。海岸から10mほど。(廃止済)
【新潟県佐渡市】 県道45号旧道 戸中隧道
外海府海岸の難所に大正2年に開通した戸中第一隧道(全長172m)の素掘りの洞内には、荒々しい海蝕洞との交差部がある。やはり海岸からは10m程度の深さである。(廃止済)
レポート済



 穴床前トンネル最深部へ


2023/5/12 5:03 《現在地》

驚愕すべき、トンネル内での海蝕洞遭遇劇は、5〜6分の出来事だった。
もっと長居することも出来たが、海蝕洞の存在を目の当たりにしてより逸り始めた気持ちは、私を長くここへ留め置かなかった。先へ進むことにする。

海蝕洞交差地点は北口から120〜130mの位置だったか゛、そこから自転車に跨がって洞奥へ向き直る。
これがその写真で、面白いほど、何事もなかったように、トンネルは続いていた。
ほんとうに、あの小さな“窓”だけが、海蝕洞の存在を示す唯一の遺跡であったのだ。(逆に、あれを残さなければならない理由も無さそうだったが、敢えて残した心境を知りたくもある)




(←)この動画では、ぜひ音を聞いて欲しい。
私が手を叩いて出した大きな音が、まだ見えない洞奥の閉塞壁に反射して、思いのほか大きく聞こえてきている。

トンネルが直線で、かつ内壁や閉塞壁が整った形状であるために、これほど理想的な反響が起きているのだろう。
ちなみに音速は約340m毎秒とされているので、反響した音が耳に届くまで1秒かかるとすれば、閉塞壁は170m先に在ると計算できる。
この動画では、1.5秒くらいかかっているので、閉塞壁は約250m先にあるようだ。これは想定の範囲内である。




これはなんだろうな?
何の変哲もない両側の壁に、赤いペンキで大きな丸い印が描かれていた。ちょうど正対する両側の壁にである。

先ほど“あんなもの”を見ているだけに、このマークにも大それた想像をしたくなる。
実はこの位置にももう1本海蝕洞がクロスしているのではないか……なんて。

このトンネルの経歴が単純でないために、いつどのような状況で付けられた印なのかが、まず分からない。
現役時代か、最初の閉塞工事時か、(閉塞中は除外して)、再び解放された後なのか。そもそも、再び解放された目的もはっきりしていないから、手に負えないといえる。

しかしともかく、この印を見たのは、これ一度きりであった。




さらに進むと、このトンネルに入ってから初めての非常電話ボックスが現れた。
そこには「狩場 NO 2」という文字や、この位置が「狩場トンネルの寿都側坑口から675m」であることを利用者に報せる表示があった。

このひとつ前の番号を持つ「狩場 NO 1」の非常電話は、第二タコジリトンネル内で【見ており】、その場所から475m前進していることが分かった。
また、ここから出口(南口)まで残り681mだったことも計算できるが、このうち300mほどは現在の狩場トンネルに組み込まれている。




うあ……。

これはキモイ。

このトンネルを再解放した直後、工事関係者は当然ここへ立ち入って状況を確認したであろうが、彼らもこの光景を見て、きっとそう思っただろう。
そして、心の中では再解放したことを後悔し、まさしく、「そっとじ」したい気持ちにさえなったかも知れない。一応これは冗談だが……。

トンネルの洞床が、30cmくらいも盛り上がっていた。
いまのところ洞床以外の壁面には目に見える亀裂や歪みないので、トンネル全体が変状しているワケではないようだ。
なぜ盛り上がっているのか。可能性はいくつか考えられる。

洞床が盛り上がる原因としては、やはり膨張性地山の影響が疑われるかと思う。モンモリロナイトに代表されるような、空気や水に触れることで堆積が大きくなる鉱物の影響だ。


この画像は、このモンモリロナイトの影響によって短命を余儀なくされた、山形県の国道113号旧道「宇津トンネル」内部の激しい変状の模様だ。
ここは平成16(2004)年に訪れてレポートしているが、その後も廃隧道をいたぶる不気味な変状は続いており、令和元(2019)年にチェックした時には、右画像のようなおぞましい洞床の盛り上がり(壁面も歪み崩れ始めている)が起っていた。

宇津トンネルは全国的にも稀な極端な例ではあるが、穴床前トンネルのこの洞床の不気味な盛り上がりも同じ芽の兆しかもしれない……。何かへ活用するつもりなら、これが萌芽する前に、さっさとし終えてしまった方が良いのかも…。




あっ!

これは、来たんでないでしょうか……。

前方、何か反射するものが見え始めた。
たぶん、閉塞壁に取り付けられた何かが反射していると思う。

先ほど一度だけ洞床がもんもりしたが、それを過ぎるとまた平穏が戻っていた。
閉塞壁が近いのであれば、向かって左の冷たい壁の先に、明るい現トンネルが近づいてきているはず。その存在を知覚することは決して出来ないのだが…。





5:08 《現在地》

閉塞壁を目視で確認!

北口からおおよそ400mほど前進したと思われる位置だ。

トンネルを取り囲む内壁には,、アンカーボルトを打ち込んだ痕が格子点状に残されていた。新トンネルとの接合工事の際、補強をするために打設したものに違いない。トンネル接合工事ではよく見るやり方だと思う。

また、天井や洞床には、成長途中のコンクリート鍾乳石が発生していた。
自然界の鍾乳石よりも遙かに速いペースで成長していることが伺える。
もしトンネルの再解放が行われなければ、人の目に触れることはなかった。



閉塞壁の直前に、「狩場 NO 3」と書かれた非常電話ボックスが残されていた。
これがこのトンネルに設置されていた多数の非常電話の運命の境目であり、この次の「狩場 NO 4」以降は、新・狩場トンネル内で“生存”しているはずである。まあ、通し番号は変化していると思うが。


これが閉塞壁だ。
壁の一部が、周囲に反射材を取り付けられた四角いフレームで区切られているのが分かるが、ここが新トンネルとの接合直前まで解放されていた通路の部分だ。
トンネル内に1車線分の頑丈な覆道を設け、そこで交通を確保しながら、外側で工事を進めていた。活線工法という。
そして最終的に新トンネルへ切り替えられた時点で、旧トンネルもろともこの通路も役目を終えて封鎖された。

現トンネルと斜めに接合していた競合部分全体がコンクリートで密閉されているはずなので、壁の厚みは大きいところだと50mくらいあると思う。
これより先に進む術はない。ないが、反対側は【現役のトンネル内部】である。



閉塞壁を背に振り返ると、400mほど離れた北口が真っ直ぐ見通せた。
ここは穴床前トンネルとしてのほぼ中間地点で、現役時代は南口も同じように見通せたはずだ。シンプルな直線のトンネルであった。
海蝕洞と交差することを地中で蛇行することで回避しようとはしなかったようだ。

入口を封鎖する壁を撤去してから、既に2年以上経過している。だが今のところ何かに活用されている様子はない。
読者様からの情報だと、北海道新幹線の工事で生じた残土処理のために解放しているのではないかという“説”が挙がっていた。
これは真実味があると思うが、もし事実なら、残土処分の開始と共に、この地は二度と日の目は見ないことになる。

撤収開始。




5:16 《現在地》

閉塞壁をタッチしてから10分もかからず、スタート地点の狩場ンネル北口へ戻った。
戻ると、なんだか出発時よりも空が暗い感じがした。
スマホでアメダスのリアルタイム情報を見ると、1時間後くらいに通り雨があるようだ。なんでも海側から雨雲の塊が近づいてきているらしい。今日の天候はあくまでも曇り時々晴れの予報だったが、朝だけの通り雨のようである。

ともあれ、ゴールの閉塞壁にタッチして、スタート地点へ戻った。
まるで完成された探索の終わりだが、地の底にさざめくあのおぞましい海蝕洞の情景は、未だ鮮明に私の好奇心を引き寄せ続けていた。
まだ、過去の成果という安座には、落ち着いていない。


いま思いついたことではなく、今回の遠征計画立案当初から、

この探索には、“第二部”計画が存在していた。


“第一部”では、“第二部”の最終目標となるものの実在が確認できた。

私の性質を熟知した察しの良い読者さまなら、“第二部”の内容は、もうお分かりだろう。

ヒントは、前年(2022年)の10月末に行ったこの探索である。







これより“海上作戦”へ移行!
目標は、海蝕洞最深部到達!





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