以前一度はなすすべ無く撤退した、専用線隧道の内部探索への野望。
今回は積雪のため見通しが良く、前回以上に周囲地形の偵察を行ったものの、工場敷地内を侵さずに接近する手段はないと判断するに至った。
私と細田氏は、万一の事態にはビッシビシ叱られる事を覚悟の上、民家の裏手の最も隧道坑口へと近いと思われるフェンスを乗り越える強攻策を採った。
時刻は午後0時58分、
想定される坑口までの距離は120mほど。
工場敷地の縁の山際を辿り、坑門を目指すものである。
周囲に人目のないことを確かめた上、ゴッ ゴッ ゴー!
(※今更ですが、あなたによるこのような行為を推奨する意図は、全然ありません。)
この日は土曜日であり、工場内の人影はかなり疎らなようであった。
しかし、稼働していないというわけではなく、煙の出ているプラントもあるし、壁の裏からは機械の唸りも聞こえていた。
我々は、工場の最も山側の壁と山肌の隙間の、落雪なのか山の斜面なのかよく分からない豪雪地を四足歩行の勢いで駆けた。
気分はシノビ。
セガサターン版「SINOBI」の2面クリアー時のドラマシーンで、主人公の忍びが屋敷の中を影のように駆けるとき、なぜか“ドタドタドタ!”というもの凄い音を立てていた事を彷彿とさせるような、我々の慌ただしい忍び行為であった。
距離は短いがまともな道があるでなく、気持ほどに足は前に進まなかった。
そして、我々をあらゆる監視の目から隠してくれていた大きなプラントの壁が消え去り、予想を遙かに超えるほどに広大な敷地の全貌が、眼前に現れたのである!
様々なプラントの立ち並ぶ敷地と、平和そうな街並みとの間は、陽の光に白く輝く閉伊川の幅広い川面が隔てている。
我々は、本格的に焦った!
早く坑門を発見して逃げ込まなければ、ヤバイ!
周囲には異様な臭いが立ち籠めていた。
明らかに化学薬品の臭いだ。
付近には、水蒸気を濛々と噴き上げる銀のタンクなどが立ち並んでいる。
敷地の背後には月弧形の山並みが遠くまで続いており、遙か遠くに天を突くまち針のような大煙突(高さ160m、先端の標高は250m)が見える。
肝心の坑門は未だ発見できていないが、おそらく我々のすぐ傍にあるはずだ。
かつて線路が敷かれていただろう道形が、前方の緑のプラントの裏の山際に刻まれているのが見えている。
そこにはブルドーザーが停まっており、工場内の道としては利用されているのかも知れない。
現役当時の専用線は、最も長いものが大煙突の傍まで続いていたし、それから扇状に工場内へと引き込み線が複数分かれていたらしい。
あったー!
膝までの積雪をまき散らしながら駆けていた我々は、やや山の上の方に石造りの坑口を見つけるやいなや、弾んだ息を漏らしながらなおペースを上げて駆け上がった。
この場所は工場の敷地から全く何の遮蔽物もない雪原であり、その気になれば容易に発見されてしまうだろう。
それを思うと、我々はのんびりと撮影している気分にはなれなかった。
まずは目的を達するべく、坑口へと駆けたのは当然だった。
写真では、先行する細田氏が這い蹲るように駆けずっている姿が鮮明に写っている。
坑門の前には自然に出来たらしい雪の壁があり、ちょうど工場から我々を隠す遮蔽物となっていた。
駆け上がった細田氏はそこで一気に安堵したのか、あるいは力尽きたのか、雪原に転がるようにして息を切らせていた。
私も数枚の写真だけを撮りながら、坑門の前へと近づいた。
こちら側の坑門もまた石材を谷積みにした構造で、アーチ部分のみコンクリート製である。
特にデザイン的な意匠は見られず、いかにも機能重視の専用線らしいものである。
また、坑口へは今も電線が工場内から引き込まれている。
前回敗退した藤原地区側の坑門と同様に金属製のフェンスが築かれているが、こちら側は簡単な造りであり通り抜けは容易に出来そうである。
基本的に、こちら側から進入しようとする不届き者はいないのだろう。
フェンスは両開きの扉となっており、閂には鍵こそ掛けられていなかったが、錆び付いているのか動かすことは出来なかった。
この高さなら乗り越えることもやぶさかではないが、よく見るとフェンスは坑門から30cmほど手前にあり、脇をすり抜けることが出来た。
ほんの20年前までは現役であった名称不明の専用線隧道へ、3年越しの夢を叶え、遂に進入である。
相当に長い期間扉が塞がれたままになっていたことを示す証人は、鉄格子を体に食い込ませながら体をくねらせて成長した若木である。
成長するうちに一度はフェンスの向こうの暗がりに芽を向けたが、やがてそれが誤りであったことに気づき、再び鉄格子の間に身を通し、お天道様に向かって成長したのである。
今や、その幹は完全に鉄格子をくわえ込んでおり、この木を伐らない限り扉を開けることは出来なくなっている。
閑散とした隧道内部の様子。
全長は100m足らずのもので、いまもバラストが一部残っている。
昭和の中頃に作られたものかと思うが、内壁はコンクリート打ちとなっている。
天井にはうっすらだが煤煙の跡が残っており、蒸気機関車が通った時期もあったことを伝えている。
余談だが、この専用線で活躍していたC10−8号機という蒸気機関車は、専用線で退役した後しばらくは宮古市に貸し出され宮古港線で観光を含め保存運転が行われた。宮古港線も間もなく廃止となったが、さらに静岡県の大井川鉄道に委譲され、現在まで現役で活躍しているという、SLファンには知られた名機である。
隧道内の壁は化粧気のないコンクリに見えるが、なぜか工場側坑口付近の一部分だけ、写真のような模様が見られた。
これは明らかにコンクリートブロックによる施工であり、部分的にはコンクリートブロックが使われているのか、それとも改良される前の旧い施工面が一部分だけ露出しているのか、それは分からない。
隧道内は土被りも浅いことから水気もなく、乾いた風が吹き抜けるだけである。
壁には電線が残っているが、これもだらしくなく垂れ下がり、もはや用を成してはいない。
その他、より古い時代の遺構なのか、小さな碍子が壁に取り付けられているのも見た。
おそらくこの規模の隧道では、宅地開発などによって人為的に破壊されない限りは半永久的に残ると思うが、健在であるラサ工業の工場と未来を共にしそうな雰囲気である。工場があるうちはこのままずっと残されるだろうから。
やがて、かつて私が見ただけでこれは駄目だと引き返した頑丈な扉に行き当たる。
遠くには我々の置いた車も見えているのだが、この扉を越えられないとなれば、再び“戦場”へと戻らねばならなくなる。
我々が困ったような表情を見せた、そのとき。
あれ?
この脇の隙間って、頑張れば、出られるんじゃないの?
最近は本格的に考え方がオブローダーらしくなった細田氏によって、私がかつて見ただけで断念した壁が、いとも容易く見破られてしまう。
これには私も唖然。
「… じゃあ、あんな辛い思いして走る必要はなかったんじゃ… 」
扉の内側には、近所の悪ガキが投げ入れただろう黒いバスケットボールが、半ば空気を失ったふうにして転がっていた。
我々はその膨らみを確かめると、次に両脇のフェンスにそれぞれよじ登り始めた。
坑口とほぼ同じ高さのあるフェンスは、足場が沢山あるので登るのは容易だった。
ついに貫通を果たした「ラサ隧道」。
終わってみれば、なんてことのない隧道であった。
しかし、この隧道は隧道単体で考えれば味気ないが、その生み出された背景“街のストーリィ”というべきものや、立地している条件(市井と工場の境目、門)、この地を駆けた列車が辿った流転の定めなどに思い巡らすとき、何倍も魅力的なものに見えてくるのだ。
最後に付け加えると、この日、この住宅地にひらいた坑門付近には、反対側の工場敷地で嗅いだものと同じ化学臭がうっすらだが立ち籠めていた。
3年前には気が付かなかったが、風向きによるのだろう。
この臭いを嗅いで、この隧道が周囲の住宅地からどのような目で見られているのかという問題が、初めて私の中に現実味を帯びて感じられた。
隧道自体に罪はないのだが、おそらく誰からも歓迎されていない隧道の余生…それを思うと、化学臭のせいではないのに胸が痛くなった。