隧道レポート 柏崎市の谷根隧道 第4回

所在地 新潟県柏崎市
探索日 2020.03.07
公開日 2021.05.12

 谷根隧道(仮称)東口より 内部へ突入!


2020/3/7 13:08 《現在地》

隧道は開口していた!

しかも、想像していたより遙かに大きな開口部だった。
ここまでの道の荒れっぷりや、おそらく反対の西口が閉塞しているという事前情報から、
この東口が開いているとしても、もっと縮小したギリギリの開口部を想像していた。

とはいえ、坑口が置かれている状況は、完全廃道の最たるもので、
手入れが行き届いているとは言えない植林されたスギ林のただ中で、
大量の落枝と倒木を前景に、髑髏の眼窩のような虚ろな闇を覗かせるばかり。

道として、隧道としての生命感が全くなく、不穏な風景だった。



四方から緩やかに崩れてはいるが、立ったまま入れる大きさをキープしている開口部。
だが、当然のように出口の光は見通せず、風の通りも感じられなかった。
坑門構造物はなく、内壁に覆工も見当らない、完全な素掘り隧道のようだ。

内部の状況について事前の情報はなく、全長は地図上からの推定のみが可能だ。
具体的な推定全長としては、明治生まれの隧道としては侮りがたいというか、
この時期の道路用隧道としては長いといえる、140m前後と考えられた。



うわぁ…

とっても見慣れた風景ではあるのだが、何度見ても、悍(おぞ)ましいと思う。
不自然な存在であるが故に、大いなる自然の法則に従って、土に溺れ死なんとする、
そんな隧道の宿命を感じさせる悲痛の風景が、ここにあった。

出口が見通せない理由になる程度の大きな落盤が、入口から30mほどの所に見えた。
天井に大きなホールが出来ているようで、今はそこを通って奥へ抜けられそうだが、
崩れやすそうな土が山盛りになっており、探索中に大地震が無いことを願わずにいられない。

ここから見える範囲の洞床や壁面は、長年の風化によって人工物としての角を失い、
自然洞窟のような風合いを見せている。轍なんてもう全く見られないが、
断面の規模としては人道専用という感じではなく、車両通行が可能な大きさがあった。

具体的には、天井が高くなく(2〜2.5m)、幅がそれより大きい(3〜3.5m)扁平な断面であり、
鉄道や軌道用の廃隧道とは一線を画する、いかにも古い道路用の手掘り隧道らしかった。


入口から一通り観察したので、黙礼の後――

入洞!



入ってすぐに振り返り見た入口。

この歪な視界が、隧道の現状を象徴している。
本当に人間の眼孔のような形になっていて、人工物らしさが感じられない。
しかも、どこかハメコミ合成写真のように見えてしまう外の風景とのギャップは、そこに隧道に連なる道があることを感じさせない。
もはやこの隧道は、道という繋がりの世界から孤立してしまっているのだ。

そんな孤立の奥には、何があるのか。
貫通していて、隧道としての本分を保っていることに一縷の望みを持ちながら、光のない世界に入っていく。




13:11 (入洞30秒後) 《現在地》

入洞直後に遭遇するのが、外からも見える(というか、これがあるために奥が見えなくなっている)、この大きな落盤ホールだ。
天井部分に、本来の隧道の断面を上回る大きな空洞が出来ており、本来の隧道とは関係のない自然洞穴部分を通過しなければ奥へ進むことが出来ない。

特に、崩れて堆積している土砂の大部分が、地表で目にするような土であるのが気色悪かった。
しかも、その土の中にまだ生きていそうな木の根が混じっているのがタマらない。




うわわわわ…

ホールの天井にも、大量の木の根が露出し、或いはぶら下がっていた……。
これは、地表スレスレにまで崩壊が達していることを物語っていた。
正確な厚みは分からないが、人が歩いただけで陥没して、洞内へ墜落するかもしれない。
しかも、地表付近の地下水が、天井を伝って洞内へ流れ込んでおり、目に見えない水の通り道が、現在進行形で天井の侵食を続けている状況だ。

土は岩に較べれば遙かに簡単に崩れる。だから、このホールには今にも崩れてきそうな気持ち悪さがあった。
廃隧道に慣れていない人が想像するほど、実際の廃隧道は崩れやすい場所ではない。だから、探索中に生き埋めなんてまずあり得ないと考えているが、それは“岩”を信頼しているのであって、さすがに“土”の下を潜るのは、いい気持ちはしない。
また、今後の探索者への注意喚起として一点だけ述べるなら、東口直上付近の地表を歩くべきではない。(尾根の古道から坑口を目指して下る場合特に注意)



落盤ホールを乗り越えると、初めて洞奥部に視線が届いた。
しかしやはり出口の光は見えず、ヘッドライトと手持ちライトの2つの光の届く30mくらい奥まで、歪な断面を見せる半崩壊状態の坑道が真っ直ぐ続いている様子だった。
依然として崩壊の度合いが強く、閉塞地点が唐突に現われるリスクは高いレベルにあると感じる。

それと、入洞直後は意識しなかったが、この直線部分に至って初めて、隧道全体が結構な勾配で下っているということに気がついた。
そのため、天井から垂れている大量の水は東口へ流れ出ず、洞奥へと流れ込んでいるようだった。

……したがって、もし隧道が閉塞していれば、閉塞地点より先に水没に遭遇するのではないかという懸念が、一気に深まった……。
とりあえず、ここから水面は見えないが…。



落盤ホールのすぐ先に、温度計が落ちていた。
いかにも学術的な観測者が使いそうな温度計で、地面に落ちた際に壊れてしまったようで、水銀柱と目盛盤が分離していた。

しかし、この発見には少なからず驚いた。
我々のようなオブローダーより先に、研究者がこの廃隧道の存在に着目し、到達していた可能性が高いのである。
温度計の様子からして、最近設置されたものではなさそうだが……。

なお、研究者の目的を想像するに、おそらくコウモリの調査だと思う(ワンパターンな想像だが、実際それが多い)。
まだコウモリの姿を目にしていないが、洞床にグアノの山があり(上の写真に写っている灰色の部分がそれ)、ここに大量のコウモリが棲息している(た?)のは、間違いない。



入口から50mほど進むと、ようやく隧道は地表付近の風化した劣悪地盤を潜り抜けたようで、急に断面が整いだした。

おそらくこの写真の風景は、隧道が明治時代に生まれた当時の姿を、相当に色濃く受け継いでいると思う。
2.5mもない低い天井と、荷車がぎりぎり交差できそうな3m程度の幅員、そして古い素掘り隧道でよく見る、かなり四角形に近い断面。

ここまでの様子を見る限り、地盤は良くなさそうだったが、支保工があった形跡はない。
いくら廃止が早かったとしても、朽ち木が完全に消滅するとも思えず、また壁面に支保工を支えるような凹みもないので、この隧道は無支保だったようだ。




そして、この時期の隧道としては…………いや、建設時期を問わず「異例」といえる程度に、勾配がキツい。
この写真は入口を振り返って撮影したもので、途中に落盤ホールがあるせいでより強調されている感はあるが、隧道全体がかなりの勾配でこちらへ下っているのが分かると思う。

それほど傾斜した洞床の低いところを、チョロチョロと音を立てながら水が流れており、そのまま背後の洞奥に流れ去っている状態だ。
今にも水没区間が始まりそうで、正直、気が気でなかった。





入口から50m。当初の騒乱を潜り抜け、どうにか平穏を取り戻したかに見える洞内。




だが、

真に驚くべき場面は、

この直後から連続して現れた!!!




 異様な光景が続出した洞奥部



13:14 《現在地》

うわ…

あってはならないものを見てしまった感じがする。

手掘り隧道にあってはならないもの…… 恥ずかしいもの……

誤掘進の跡らしき、小さな副坑を見つけた。




事情は知らない。 だから、断言はすまい。

が、経験則から言って、この副坑は建設当初に、誤って掘り進めてしまった部分だと思う。

そう考える根拠はいくつかある。
たとえば、副坑が本坑に較べて遙かに小さく、しかも天井付近という、通常の洞内分岐ではあり得ない位置にあることだ。
これは、副坑が建設当初の導坑であり、その先端部分が予定と違った位置に入ってしまったために、導坑を拡幅する形で本坑を建造する際、不要な部分を放棄したためと考えると辻褄があう。

しかも、この副坑はいったん掘った断面をズリの土で埋め戻した形跡がある。その土が年月の経過によって崩れたために、天井付近に僅かに通洞しているようだが、この埋め戻しという行為も、不首尾を隠したいという建設者の心の表れのようであり、本来の隧道には不要な部分を掘り進めた痕跡であることを示唆していると思う。
都合良く、実は洞内で鉱石も採掘していた……なんてことはないと思う。




Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

濡れた土の壁面を登るのに手こずったが、どうにか副坑の天井部分の穴を
のぞき込める位置まで辿り着いて撮影した、全天球画像。

本来の副坑(おそらく導坑)のサイズは、高さ1.5m、幅1mほどだったようだが、
大部分をズリで埋め戻されていて、今は天井部分に、猫が並んで2匹通る位の隙間があった。

で、隙間の向こう側は、ほぼ真下方向に大きな空洞が存在しており、
貫通!しているのであるが、
これはどこか別の空洞へ通じているというわけではなく――



このように、本坑へ戻ってきているだけなのだった!(→)

隧道全体としては全くもって余分としか言いようのない盲腸みたいな副坑であったことが、はっきりしたのである。

副坑が貫通しているという事実から推測しても、やはりこの正体は導坑であったと思う。
もしかしたら、この導坑の貫通を持って一旦は開通して交通が行われ、その後改良工事として本坑が掘られた可能性もあるが、副坑が先に掘られたことは間違いないと思う。

こうした導坑の基本的な目的は、とりあえず反対側まで貫通させることである。
このとき、工期を短縮する目的で、迎え掘りといって、山の両側から同時に掘り進めて地中で会合させることがしばしば行われる。

だが、測量ミスなどの理由で、真っ直ぐ導坑を掘り進めたのでは反対側の導坑に繋げられないと判明すると、地中で進路の変更が行われ、洞内に不必要なカーブが出来たり、稀に、このような放棄された導坑が残ったりするのである。


この写真は、副坑のある付近を振り返って撮影したものだ。

私の“掘り直し説”を支持するように、東口からずっと直進してきた本坑をそのまま延長するように直進している副坑に対し、本坑は一足先にカーブしているのが分かる。(画像の緑の部分は本坑に吸収された導坑、赤い部分は副坑として残された導坑の末端部分を示す)

この辺りは既に峠の直下であるはずで、地形的には、わざわざ地中で屈折する必要性を感じないところである。
硬い地質を避けて巧みに隧道をカーブさせるなんてことは、明治の手掘隧道の技術水準ではおそらく無理で、やはり単純な測量のミスを糺すための洞内カーブではなかったかと思う。

ところで、こういう掘り直しの痕跡とみられる残存導坑の存在で、強く思い出される隧道がある。
福島県の会津地方にある束松洞門(隧道)である。
束松洞門は、越後街道沿線の住民たちが、自らの手で明治17年から27年までかけて完成させた全長234mの大規模な手掘隧道で、その内部には西口側と東口側の2箇所に【誤掘進跡】が現存する。

谷根隧道も、おそらく明治生まれで、地域住民の手による手掘隧道だろうという共通項がある。
測量というのは、目で見えない地中に道を作る隧道建設の根本であり、最も重要な部分だったから、そこで何か重大なミスがあると、末代まで消せない痕を残すということなのだろう。





……と、こんな小さな副坑ひとつで、ずいぶん熱く、長く、語ってしまったが、

これだけで終わらなかったのが、

― 谷根“”隧道 ―




短いが情報量の多い動画である。

・ 貫通副坑 (←既出)

・ 鈴なりコウモリ

・ もの凄い漏水

・ 隧道内に石垣?!(←NEW)



画像の情報量がうるさい!(笑)

副坑の出現を皮切りに、この隧道が隠していたいろいろなものが一気に噴出してきた。

鈴なりコウモリと、土砂降り漏水は、まあ珍しくないといえるだろうが、

本坑の左カーブから即座に右カーブへ連なる“S字シケイン部”と、

そのカーブの外側に築かれた石垣の存在は、

通常の隧道ではまず見られない異常な光景だった。 特に後者!

覆工ではない石垣とか、地下採石場でなら見たことあるが、隧道内で目撃したのは初めて!



ほんとなんなのこれは……?
多分、これが珍しいものだって思わない人もいると思う。
そのくらい平然と、隧道内部に積まれている。

覆工のつもりにしては、天井まで届いていないからほとんど意味がなさそうだ。わざわざ側壁を抑える土留めの石垣が隧道内にあるのは、不思議でしかない。もしかして、カーブの外側にあることに何かの意味を見出すべきなのか?

……まさか、横坑か何かを埋め戻して、隠しているとか?
いや、そんな感じもないよなぁ。

積み方は結構雑な空積みで、外から持ち込まれた石材という感じではない。おそらく掘鑿時に出たズリの砕石だと思う。
それをなぜ、隧道内にわざわざ積んで残したのかが分からない。
もしかして、深い意味はないのか……?
もっと素朴な感覚で、なんとなく壁が崩れないようにと思って並べておいただけ?




・ 貫通副坑

・ 鈴なりコウモリ

・ もの凄い漏水

・ 隧道内に石垣?!

極端な下り坂(←NEW)

極端な断面縮小(←NEW)



13:19(入洞9分後) 《現在地》

めちゃくちゃ…

マジでやりたい放題じゃないか…。
言葉が悪いが、幼子が砂場に思いつきで掘ったトンネルが、
うまく貫通しなかった場面を、等身大で見せられている気分になってきた。

直前に見た、導坑跡を残す“S字シケイン”からして、
接合しない導坑に業を煮やした故の悪あがきだと思ったが、
どうやら左右方向だけでなく、上下方向にもずれていた様子。

それをどうにか接合させるために、
シケインと急坂を組み合わせた、
全く新しい洞内線形を現出させていた!



この線形、マジやばいwww

振り返り見た、急坂シケイン部分である。

ほんの10mほどの距離ではあるが、釜トン”(15%)をも上回る洞内勾配区間がここにある!
この部分だけの落差は7〜8mといったところだろうか。
目測であるが、勾配30%前後はあろう。舗装されていないので、自動車が自力で登れる限界に近いかと思う。さすがに、この隧道に自動車が入ったとは思えないが……。

既に述べたとおり、隧道の内部は東口からずっと下り続けてきた。おそらく5%くらいの勾配で。
しかし、もともとの設計に計算ミスがあったのか、これでは割が合わなくなってしまったのだろう。
このままだと迎えに来ている西口導坑と接続できない。
「やむを得ん! とにかく急坂で繋いでしまえ!」 ……と、なったのだと思う。



そしてこれである。

断面サイズの異様な縮小。

入洞当初の断面サイズは、高さ2.5m、幅3.5m程度を標準にしていたと思うが、急坂を下りきった所から、突如として断面サイズが半減する。
この先は、高さ2m、幅2m程度しかないように見える。

……挫折……。

そんなワードが脳裏に浮かんだ。
実際のところは分からないが、ここで断面サイズが小さくなる理由として考えられることは、そう多くない。
これでも導坑よりは広いと思うが、導坑を十分に切り広げないまま工事を終えてしまえば、きっとこういう断面変化のある状態になるだろう。




鎮まった。

めっちゃ鎮まった。

地下深くに沈降して、本当に深い所まで来て、鎮まった。
断面が小さいだけの、綺麗な素掘り隧道になった。

たぶん、東口から80〜100mくらい来ており、推定全長140mの半分を通過したと思う。
東口と西口の両方から同じペースで導坑を掘ったなら、すでにここは貫通点を超えて
西口側にきているはずで、この綺麗な洞内は、西口側の工作物なのかもしれない。

ただし、まだカーブがあった。
左、右、下と曲がって、今度は左だ。
なんでこんな、格ゲーの必殺技操作みたいにぐねぐねと…
やっぱりこれも、両側の導坑を接続させるための、地中迷走の跡なのか…。

そして、必死の迷走に、報われる終わりは来るのか……。





カーブの先に―




ヤバい!!!

ここは奴らの領域だ!!!




地底は隧道ぬこ(ハクビシン)の世界だった。




13:22(入洞12分後) 《現在地》

そして、隧道は閉塞していた。

最後は、下り坂で行き場を失った水が深いプールを作っており、
水面が天井に触れようかというギリギリのところに、ぬっちりとした、
土の閉塞壁が現れていた。天井までみっちりで、突破はできそうにない。
ぬこ汁とコウモリ汁がブレンドされた最終プールでの水泳は遠慮させて貰った。

隧道は結局、最後まで下り続けた。
東口からの最大到達深度は、推定120m。
さらに目視できる水没坑道が10m程度あるから、推定全長140mとの差を考えると、
おそらく現在の閉塞壁は、本来の西口であると考えて良いと思う。

かなり大量に地下水が流れ込んでいる最終プールの水位が、
比較的抑制的であることも、閉塞壁があまりぶ厚くなく、
地上へ排水されていることの証拠だと思う。




素人土木の恨みを孕み、悪戦苦闘の辛みを極め、

貫通の悦びをどこよりも噛みしめたに違いない、驚くべき隧道であった。



↓ この奇抜な隧道の全貌を、閉塞地点から完全ノーカットの動画でご覧いただこう。 ↓




隧道ぬこ1号よ、家族の元へ帰ってこい!




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