隧道レポート 玉川森林鉄道旧線 鎧畑ダム水没隧道群 (再訪編)

所在地 秋田県仙北市
探索日 2007.10.26
公開日 2012.08.03


この写真は決して、優雅な昼下がりの湖上ボート遊びや、細田氏のデート風景では無い。
まあ、前回探索をお読みの方なら間違うワケなかろうが。

平成17年8月10日に行った前回の探索では、昭和31年の鎧畑ダム完成に伴って秋扇(しゅうせん)湖に沈んだ玉川森林鉄道旧線(同ダム建設の付替新線があるので旧線と表記)の廃線跡を、陸と湖面の両面から攻略した。

写真はこのうち、「水上攻略」のスタート時に撮影したものであり、この直後、船頭細田氏の身に起きた世にも恐ろしい出来事は、未だオブローディングの危難伝説として語り種になっている。

ともかく、この水上攻略は我々に新たに2本の隧道への接近を許した。



右図は秋扇湖周辺の現在の地形図であり、赤い線が湛水前の旧線(昭和14年完成)を、桃色の線が付替後の新線(昭和31年完成)を、黄色い線が平成17年の探索時のボートの航路を示している。

あの日は7号から4-2号までの5本の隧道(なお、隧道の名称は全て仮称である。特に、古いレポートとの整合性を取るため、4号隧道は「4」と「4-2」の2本となってしまっている。分かりにくいと思うが、ご容赦願いたい)を探索しているが、このうち4号と4-2号の2本はボートによる探索であった(4-2号は外から見ただけ、4号はボートで内部を通過した)。

そして今回の再訪編のターゲットは、前回すぐ近くまで接近しておきながら現状を確認する事が出来なかった、3号隧道に他ならない。

この隧道については、随分昔から存在自体は知っていた。
だが、私も私の友人も、その姿を見た事はなかった。

それはどういうことかと言うと…。





← ご覧の通りである。

3号隧道と私が呼んでいる隧道(そのワケは、起点の生保内貯木場から数えて3本目の隧道だから)は、4号や4-2号隧道とともに、昭和14年や28年版の地形図にしっかり描かれているのである。

しかも、その地形図上の「長さ」は、玉川林鉄の隧道の中ではダントツに長く、おおよそ200mの全長が期待された。
もしも現存している事が確かめられれば、玉川林鉄の全貌を把握する上での重要な前進と言えるに違いないのである。

そもそも、「そこにある」事が分かっていながら辿り着けないというのは、オブローダーにとってもっともストレスの溜まる存在なのであって、その攻略がそれほど甘美であるかは、前回の探索でわざわざボートを持ち出してきた事からも十分お分かりいただけるだろう。


この3号隧道が今まで長い間「未発見」であった理由は、立地を考えれば当然、ひとつしかない。




← これは、前回の探索で接近した4-2号隧道の南口である。

この探索時の水位は、それまでに私が見た中で最も低かったが、それでも4-2号隧道は、辛うじて坑道の上部が水面上に出ている状態であった。

そして3号隧道というのは、この4-2号隧道から3〜400mほど下流側に「描かれている」。
路盤は河川に対して順勾配になっていたと考えられるから、その勾配が林鉄としては緩やかな5‰だったと仮定しても、3号隧道の北口は4-2号隧道の南口より、1.5〜2m低い位置にあることが想定された。

つまり、この水位では足りなかったのだ。



おそらく、あのあたりに坑口は……………ある!と思う。

水没した他の隧道たちは、特に人為的に封鎖された様子は無かった。
となれば、この最も長い3号隧道についても、水位さえ下がれば出現する公算は大!

問題は、その水位が“現実”となるかの一点に尽きたわけであるが、

“実現”の時は、意外に早く訪れた。

水上探索から26ヶ月後の平成19年10月26日が、そのXデーだったのだ。




こ、この水位はッ! 前代未聞!!



2009/10/26 6:33 《現在地》

ここは玉川林鉄「新線」の廃線跡である水明橋。
どう見ても道路の橋にしか見えないが、歴とした林鉄の橋である。
昭和31年という時期に建設された新線は、その大部分が自動車道との併用軌道として建設されたのだった。
そして、昭和38年に軌道が廃止された後は純粋な自動車道(玉川林道)となり、後にそれが国道341号になったのである。
もっとも、平成元年に国道は新道が開通したため、この橋も旧道化し、通行量は激減している。

欄干を兼ねたプレートガーダーにひじを乗せ、湖面を見渡している細田氏の表情は、喜びと興奮に満ちていた。

なぜならば…




↑こんな低水位、見たことナイッ!


つか、干上がってね?!

総貯水量5100万立方メートル(東京ドーム41杯分)は、その大部分を亡失しており、
代わりに広大な泥土の海が広がっていた。

この水位ならば、これはもう確実に…


確 実 に♪



出てるはず♪

あの真っ正面の尾根(半島?)に、3号隧道はある。

しかも、このアングルならば南口が既に見えている…はずなのだ……。




だが、幾ら凝視しても、坑口らしきものは見えない。

というか、軌道跡自体が全く見えない。


なぜなのだろう。

それはもう明らかだった。

全て“泥没”してしまっていたのだ。




同じ地点から下流方向を眺めると、そこにはさすがに水面があった。
だが、相変わらず湖畔に軌道敷きなど見えるはずもなく、また仮に水が完全に干上がっていたとしても、それは見えなかった事だろう。

奥には鎧畑ダムの施設が見えている(堤体はあのすぐ奥)が、鎧畑ダムの堤高は55.0mである。
つまり、あの建物の下辺りには、本来50mを越える深い谷があったということになる。
しかし、ダム湖には「堆砂」がつきものである。
鎧畑ダムの場合、建設当初計画された堆砂面標高が299mであり、ダム堤下流の標高が273.5mである。
つまり、その差の25.5mは、湖底に堆積している砂や泥の深さと言う事になる。
このダム湖の最大水深は53m程度(満水時)だから、その約半分が堆積物に沈む前提なのである。

鎧畑ダムは完成から半世紀以上も経過しており、堆砂は計画量の上限に達している事は容易に想像出来る。


嗚呼、 よもやこのような伏兵(堆砂)が、湖底に伏していようとは!


ダム湖の水位が如何に下がろうとも、もう二度と元の地形は見られない言う事か…。


とはいえ、まだ完全に諦めたわけではない。


“北口”が、あるじゃないか!!




6:37 《現在地》

場所を少し移動して、今度は3号隧道がある半島の対岸附近に来た。

印の辺りには、泥没していると考えられる南口があったはずである。
そして、これから“最後の希望”を胸にアプローチする北口は印の辺りだが、山の裏側なのでここからは見えない。

それにしても、上流方向はどこまでもどこまでも、ものの見事に干上がっている。
こんなのは見た事ない。

…だって、前回の探索はあの辺でボート浮かべて対岸に行ったんだぞ…。

それが……。

もしかして、歩きで対岸へ行けたりして…。




当然のことながら、見えていた。

前回はボートでアプローチした、4号と4-2号の2本の隧道が。

それらは完全に陸上にあった。

また、それらと谷底の比高を見る限り、目指す3号隧道の北口も、泥没は免れていることが期待出来た。

これは確実にチェックしたいと思える状況!

だが、

そのためには、もっと湖に近いところまで行かないと…。
というか、前回のように湖の中に行かないと、北口の擬定地は目視出来ないようだ。
(湖畔の国道からは、地形の都合上どうしても見えないと思う)




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3号隧道北口への初アプローチ!


6:53 《現在地》

なんという高揚感!

水の引いたダム湖を前にすると、オブローダーはいつだって野獣になるニャン。

2年前の記憶を便りに、朝露をたっぷりと含んだ草原を掻き分けて、湖畔へと急ぐ。

目指すは、あの思い出の船出場だ。




なんとなく、地形に見覚えがある。

かつてボートを漕ぎ出したのは、この辺りだったろうか。




この泥浸しの盆地が、秋扇湖の正体…。

ダム反対論者になる気はないが、水の干上がったダム湖の景観が
しばしば環境問題のやり玉に上がるのは、やむを得ないと思ってしまう。

ちなみに「秋扇湖」という名前は公募で選ばれたもので、秋扇とは、
「秋になって使われなくなった扇。寵(ちょう)を失った女性のたとえ」(デジタル大辞泉より)だそうである。
なんかあんまりおめでたいイメージじゃないが、綺麗な語である。

それはともかくとして、

目指す3号隧道の北口は、あの辺(印)っぽいな。
まだ穴らしきものは見あたらないが、前回は完全に水没していたエリアであり、夢はまだ捨てていない。




前回はボートで移動した領域へ、徒歩で進入した。

今のところ、足元の泥の地面はよく締まっており、歩行するのに差し支えはない。
この亀の甲羅様の模様が出ているエリアは湿り気が少ないようであるから、出来るだけそういう場所を選んでいこう。
まあ、いずれは干上がりきれなかった玉川の水流に行く手を阻まれるのだろうが…。




この湖底は満水位時の水面から見て、どのくらい深いのだろう。

計算によっても大体の数字は求められるだろうが、敢えて目視に頼るとすれば15mくらいだろうか。

そしてそんな深い(こともある)湖底には、たくさんの立ち枯れ木が未だ林立していた。
前にも書いたように、この湖は誕生から約50年を経過しているわけであるが、地面に根を張った木というのは、意外に長持ちするものらしい。




それにしても、ひとつショックだった事がある。

それは、前回ボートの船上にあって、エメラルドブルーの水面から突きだした立ち枯れ木は、まさに計り知れない水深を感じさせる畏怖の対象であったにも関わらず、今回湖底から突きだしたそれらの高さを見た事で、実は大した深さでなかったという事を知ってしまったのである。

前回だって足が湖底に着くほど浅くはなかったのだから、ボートなしで成し遂げられなかったのは間違いないが、しかし深淵の大湖を横断したというイメージは虚構だった事が判明したのである。
水深を知らないままでいた方が、前回の探索は我々の中でより輝いていられた。

とは言っても、この前回の写真の水面を見て、その水深が3m未満とは普通思わない。
玉川の酸性水が生み出す異様な青みは、距離感を鈍らせる効果があるに違いないのだ。




遠くから見た湖底はほとんど平坦だったが、
実際に歩いてみると、河岸段丘のミニチュアのような微地形が存在していた。

それを1段下るごとに泥土の湿り気は格段に増しており、
いよいよ次の段の下は、残存する玉川の流水である。

そして、隧道の北口は、向かって左の斜面のどこかに眠っていると思われるが、未だに見えてこない。
まだ目視確認が出来ていない領域は、あの小さな岩尾根の裏側だけ…。




一縷の望みを賭けて、残り僅かな未確認領域への接近を試みる。

その途中では、遂に玉川の本流を横断する事態となったが、
流量の大半は泥中を伏流しているのか、地表にあるのはほんの小川に過ぎなくなっていた。
それこそ、長靴だけで余裕で横断出来たのである。




7:03 《現在地》

湖底の横断を開始してちょうど10分。

約300mの泥土を踏み越えて、対岸の岩壁直下に辿り着いた。

そこから上流方向を眺めると、相前後して並ぶ2本の隧道が一望出来た。

その気になれば、どちらの隧道へも歩いて近付けそうだったが、実はこの朝の探索は別の合同調査の待ち合わせ場所へ行く途中の“寄り道”であったので、これ以上時間を使うことは自重した。
まあ、これらの隧道前回湖面上から十分観察しているので、今回は遠見だけで満足しよう。

ただし、この写真はあくまでも写真である。
実際の見え方は、もう少しスケールが大きい(↓)。




これが現実のスケール感で見る、4号および4-2号隧道の連続する風景だ。

ここで注目したいのは、奥から手前に向けて徐々に高度を下げてくる軌道跡の行方である。

はっきり言って隧道以外の部分には、これといった軌道の痕跡は見られないのであるが、
2本の隧道を直線で結び、その線を同じ勾配で手前へ引っ張って来たと仮定すると…

その行く手にあるのは…。
↓↓



絶望でしかなかった…。


残念無念。

遂に私は3号隧道の坑口擬定地に辿りついた(実は10年来の夢であった)のだが、

堆砂というダム湖の現実は、奇跡を許してはくれなかったのだ。




この辺りが水上に露出している期間は、毎年どのくらいあるのだろう?
これまでの経験上、おそらく数年に一度以下の出来事だと思う。

それだけに全く現実的とは言えないが、
辺りの斜面を片っ端から掘り漁って行けば、
いつかが隧道の残骸を掘り当てられるのだろうか。

そこに空洞はあるのだろうか。
それとも、完全に泥に埋もれているだろうか。
想像するだけで、なんだか息苦しい……。




水と泥の二重の封印を施された幻の林鉄隧道が、今もこの半島の下に眠っている。


だが、それが暴かれる日は永遠に来ないだろう。






完結

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