2002年総括企画
一年の走りを振り返る その2
私が出会った新しい相棒。
そいつとの、門出の日は、7月5日。
一ヶ月のブランクを経て、遂にその機会が訪れた。
舞台は、前回とは正反対、県北の果て、大館市であった。
廃道、廃隧道、廃橋…、廃されたものに強く惹かれる私にとって、魅力的な街がある。
そこは、今日では大館市に編入され、かつての町名は、ひとつの集落の名に過ぎなくなった。
その名、
花岡町。
戦中の忌まわしい事件に、その名を残すが、鉱業の没落と共に、自立する力を失っていった。
そしてそこには、期待を裏切らない景色が残っていた。
乱立する、錆色の巨大プラント、山中白煙を吹き上げる巨大な煙突、そして、町を見下ろす森の中には、巨大な廃墟があった。
2003年以降も継続して探索したいのが、この旧花岡町一帯である。
この回では、地味だが長大な峰越林道である 長木沢林道 も攻略した。
再開するや否や、またも毎週ペースで山チャリに挑んだ。
7月11日、今度の舞台も、廃されし鉱山であった。
協和町荒川は、マインパーク荒川という観光坑道を中心にした一帯で、かつては県有数の銅山であった。
この地の探索は、ほぼ半日降り続いた雨のため困難さを増し、計画の一部をキャンセルすることとなった。
しかしそれでも、トンネルとは一味違う坑道という世界を堪能できたし、思いがけず出会った
奥羽本線跡の廃隧道 の、厳粛美には、息を呑んだ。
単発の林道攻略としては異例といってよいほど疲労した…、いや、もうこれ一本で限界というほどに疲労したのが、7月25日に挑んだ
男鹿林道。
摂氏35度の炎熱地獄のなか、標高差700mの山頂への道。
これは山チャリストへの挑発。
あまりに容赦ない、極道であった。
2002年、もっとも難易度が高いと感じたのが、この男鹿林道だ。
この旅は、これ一本のみ!
日が南中を迎える前に帰らねば、死あるのみと考えたため、早々に切り上げたのだ。
(この日は、2002年の最高気温を更新した。)
8月に入っても、今年の山チャリのペースは緩まなかった。(例年暑い時期は、余り走らない)
北上行きは、その名のとおり、横手市を発し、ひたすらに東進するという、一見面白みの無い旅だ。
たしかに、山チャリとしては、平凡過ぎるルート選定だが、国道107号線沿線に残る数々の道路遺構は、前回の苦難男鹿林道とは、まったく正反対の楽しさがある。
もちろん、わたしの山チャリは、有意義と思えれば、何でもありだ。
特に、写真の錦秋湖一帯の景色は、国道風景として、最も好きなもののひとつである。
未知なる道の楽しさを、春の青沢峠に続いて、再確認した旅だった。
錦秋湖の謎のトンネル は、このときの探索だ。
さて、この旅では、また一つ、愛着のあった道具を失った。
それは、2000年から愛用してきたデジカメだった。
もっとも、この旅の終点である北上市で、さっさと新しいものを購入してしまったのだが。
8月22日、
森吉山中、林道彷徨。
今年のわたしは、本当に精力的であった。
かつて、日帰りでは行けぬ場所と諦めていた道も、次々と攻略した。
それはひとえに、徹底的に輪行を利用するスタイルを確立したためだ。
金のかからないのがメリットだった山チャリ趣味も、なかなかそうは言えなくなってしまったが…、連休など取れない身の上、やむを得ない。
この日は、もうひたすらに、林道。
次から次へと、林道。
峠を越え、行き止まり、引き返し、また別の林道へ、一日いっぱい林道三昧。
初期の山チャリを髣髴とさせる旅だっだ。
ちなみに、
旧小様トンネル や、 きみまち坂の隧道群 は、この時の探索。
県下最大の長大林道の宝庫、白神山地。
この地へは、過去何度かトライしようとしたが、いずれも、悪天候などのため断念。
ただ一度、トリオで青森県側を辿ったのが唯一の白神体験だった。
そんな、何か私にとって因縁めいた地、白神。
遂にその重い扉に手を掛けたのが、9月5日、
北米代林道攻略。
この旅は、過去の失敗を踏まえ、いきなり白神の核心に突入するのではなく、まずは、その外郭である北米代林道を攻略しようという意図があった。
ケータイ電話を喪失するというアクシデントに見舞われつつも、なんとか、これを成し遂げ、次年度以降の主要な課題である、白神攻略作戦に、先鞭を打った。
そういえば、
トリオ哀愁の一幕も、この日の出来事であった。
油ギッシュに駆け回った、2002年の夏。
そしていよいよ、今年終盤の走りを紹介したいが、ここで一旦、小休止。