<2003年総括企画>
一年の走りを振り返る
第二夜  春の探索



   4月3日は、三県計画発動。
これは、秋田雄勝、宮城鳴子、山形新庄を結ぶ壮大な旧道探索行であった。
もっとも、まだ山間部にはぶ厚い雪が残り、鬼首峠旧道の再訪は、見送ったが。

秋田発の湯沢行き終電車を用いて輪行するのはこれが初めてだったが、ちょうど0時過ぎに湯沢を発てるので、遠方へ向かうには都合が良い。
ただし、深夜の国道13号線は、道が狭い上に大型車の通行量が多く、余り生きた気はしない。 出発からそう経たずに訪れる第一の休息地、「道の駅おがち」は24時間開放されており、大変に助かる。
暖房まで求めるのは流石に贅沢なのだが、仮眠するつもりが寒さで永眠しそうになったのは、忘れられない。

< 鳴子町の旧橋群 >は、この旅にて得られたレポートであったが、他にも幾つもの古橋に出会った。
振り返れば、この旅ではかなり多くの収穫を得ている。
これは2003年内有数の、充実した旅だっただろう。


 翌週、4月10日矢立峠旧線は、奥羽本線の旧線遺構と廃隧道に焦点を当てた旅で、能代から大館を経て碇ケ関、そして最後は弘前まで至る遠大なものとなった。
当然、< 矢立峠旧線 >はこの日のレポートだ。

この旅実施の前後には、相互リンク先『NICHT EILEN』のTILLさんより多くの県内廃隧道情報を提供いただいており、これまで調査対象としては決して主役ではなかった鉄道由来の廃隧道が一躍、私の中で主役になったのである。
秋田県内の鉄道旧線を紹介するサイトが少ないことに着目し、廃隧道を中心とした探索はこの後も続行され、順次紹介してきた。

大館盆地から矢立峠、そして広大な津軽平野へと変化する景色をチャリの速度で歩くと、日本の広さを実感できる。




 4月17日抱返渓谷は、2002年の松ノ木峠旧道に匹敵する危険な道を体験した。
2003年のワーストデンジャラスは、間違いなく< 抱返渓谷 >である。
一体そこで何がおきたのかは、現在執筆が止まってしまっているレポートのみぞ知る…。

ちなみに、再走予定は、無い。




 4月24日、安代遠征
県内を隈なく走りたいという欲求も、決して潰えたわけではなかった。
早朝大館を発ち、古代遺跡の如き尾去沢を経て鹿角へ、さらに未知の県境線を求め湯瀬温泉に至る。
さらにはJR花輪線を辿るように岩手県は安代町、竜が森を越えて盛岡まで至る長大走行となった。
途中全くダートを介さない山チャリというのも珍しかったし、特にこれといったレポートは無いのだが、未知の風景の中を走る楽しみは、やはり色褪せぬものだと実感した。



 2003年を代表する山チャリは?
そう問われても一つには絞りきれないが、最有力候補の一つがこの、万世大路遠征だ。
挙行日は5月1日。

この旅は2003年度人気投票得票二位のレポート< 万世大路 >に集約されているで、余りここで語ることも残されていないのだが、一つ。
チャリを漕いでいる時間より、電車に乗っている時間のほうが長い気がした。
そう思って調べてみると、忘れられた走りがあったことに気が付いた。
深夜0時の終電車で湯沢に降り立った私は、次の米沢行きの始発を求め、新庄まで深夜漕いでいたのだ。
早朝、主寝坂峠を越えた辺りで霙に打たれたあの寒さ、新庄市に入って初めに現れたローソンでの、暖かいからあげ君チーズの味は、忘れない。
…いや、忘れていた、さっきまで。



 万世大路を攻略し、さすがに目標を失ったかに見えた私だが、ほんの1週間もすると、また山へと行きたい欲求が沸いてきた。
それで、結局翌週も近場だが、行ってしまった。
5月9日、仁別隧道

雪解け間もない森で遂に発見した念願の峰越隧道の姿は、森林鉄道という新しい冒険の大海を、私に垣間見せた。
< 仁別 峠の隧道 >は、森林鉄道探索という、2003年最大の新テーマとの出会いの旅であった。



   5月15日、間髪入れず十和田湖遠征
大館を出発し、まずは小坂町へ、そこから十和田湖畔まで余り知られていない林道を経由し到達。
県下最遠の地である十和田湖を、はじめて走った。
更に舞台は青森県黒石市を経て、夕闇迫る弘前、さらに、夜も9時を回ったころ、遂に目的地鰺ヶ沢へとたどり着いた。
彼の地に住まう保土ヶ谷氏の家で、昔を語りつつ就寝。
翌朝から半日を掛け、五能線に揺られ帰途に着いたのであった。
この旅には目立ったレポートはないが、未知の景色を堪能し、幸せだった。

相変わらず、暗くなる街を駆ける快感は、山チャリの中にあって異質な、なんというか、リッチな気分にさせてくれる。
時間的な贅沢という意味で。
常に時刻表に追われる輪行からの開放感がそうさせるのか。


 3月第1週の「笹川流れ」より、ただの一週も休むことなく続いたマンスリー山チャリは、5月29日の白神藤琴林道行を迎える。

これは、自身にとって最大の空白地であった「白神山地」に対する久々の山チャリであった。
藤琴川上流部の黒石林道を終着とする林道巡りを主体とする旅で、肉体的な負担は2003年中でもワーストクラスだ。
この日が、真夏並みに暑い日であったことも、体力を大幅に消耗させた。
最大の収穫としては、早口川と藤琴川とを峰越で結ぶ林道を攻略したことだが、この林道が「部外者一切進入禁止」の林道であり、しかも、立入禁止完全無視の走行時に管理者によって顔を見られているため、残念ながら、紹介できない…文字通り幻のレポートとなってしまった。
白神の自然は、全く容赦がなかった。

懲りたか、あるいは相性が悪いのか、この後の白神山地関連の計画は悉く中止された。
こうして、白神は2004年度以降の課題となった。




 6月5日十部一峠遠征は、ダート国道という道路界の天然記念物に遭遇。
ただの長い長い林道を国道に指定してしまっただけの景色が展開していた。
当然、山チャリストにとっては、滴る汗まで香ばしいような、熱いルートであった。暑いし。
そんな火照った体を冷やしてくれたのは、下りの途中で出会った写真の景色である。

…国道の路傍に、鉱山で亡くなった人々の墓石が、延々と…。
ここは、ちょっと信じられないほど怖かった。
もし夕方に通りかかったら、泣いてたかも。

ちなみに、この十部一峠はなぜか、レポート化されていない。
この時期、例年ならば梅雨によって閉じ込められがちなのだが、巡り合わせが良かったらしく毎週のように走ったため、レポートを執筆する時間が得られなかったのが、その最大の原因だ。


 春に積もった雪を最後に見たのは、6月19日に通りかかった仙岩峠旧道。
この前週は遂にお休みしたので、14週に及んだ連続山チャリ記録(当然自己最高)が潰えた翌週の旅が、この雫石高速走行だった。

この日は、一日に二度仙岩峠を越えるという、よく分からないコース取りとなった。
行きは雪の残る旧道を越え、帰りは、秋田新幹線こまち号のダイヤに追われるようにして、現国道の長い長いトンネルを越えた。
この旅の目的地は山伏峠だったが、それ以上に二度の仙岩越えは印象に残った。
特に帰り、「生保内だし」と呼ばれる地域風に押されるように、車列に混ざって下る仙岩峠は、異様な高揚感を私にもたらした。
MTBではなかなか味わえない高速走行の快感だった。


6月26日、鳥海高原雨天行

 「半日くらい」と中途半端な気持ちで臨んだ鳥海高原行きは、電車を降りた途端にまさかの雨。
そのまま、終日雨に打たれ身も心も冷え切った。
梅雨の現実を前に、チャリは無力だった。

しかも、デジカメも途中で沈黙…。

この日のレポートとして< 県道312号線 >を紹介した。





4月から7月までの3ヶ月に行った山チャリは計16回。
途中お休みしたのは、たった一週だけだった。

2003年の走りはここで折り返し、次回後半戦。


第三夜 夏の探索 へ


2003.12.27