橋梁レポート “恵岱別大橋” 到達作戦 前編

所在地 北海道北竜町〜雨竜町
探索日 2024.10.08
公開日 2024.10.13

 お分かり、いただけただろうか?


今回は前説なく本編探索をスタートする。

探索の目標は表題の通り、“恵岱別大橋”への到達である。

橋の説明は後回しに、さっそく現場へ。


《周辺地図(マピオン)》

現場は、北海道の中西部に位置する増毛山地の北東寄り、石狩川水系恵岱別(えたいべつ)川に沿って雨竜郡北竜町から留萌郡増毛町へと越える道道94号増毛稲田線の最高地点である御料(ごりょう)峠の近くである。
上の地図は最新の地理院地図で、この「現在地」の位置から現場のレポートを開始する。



2024/10/08 15:49 

これが現地の風景だ。
現地は急な直線的上り坂が続く山岳道路で、近くに車を停めてから自転車に乗り換えて登ってきた私は、さっそく息が上がってしまった。
例によって行動開始時刻が遅かったので(これまた私お得意(←悪癖ともいう)のスキマ時間的小探索であった)急いでいた。

そして、取り立てて目印といえる“何か”のないこの場所が、今探索における“最初の目的地”であった。



“最初の目的地”であるこの場所から、路肩のずっと下を流れる恵岱別川の向こう側へと目を向けると、そこには豪雪地らしくギザギザに削られた険しい山肌が広がっていた。この辺りの道と川底の比高は40〜50mもあり、木々が邪魔をして流れを直接見ることは出来ないが、渓流の音は盛大に谷を満たしており、水量の豊富なことが窺えた。
この対岸は雨竜郡雨竜町に属しており、川が今いる北竜町との境界になっている。
そして地理院地図を見る限り、対岸にはいかなる道……歩道すらも……描かれていない。

だが、視座をここと定めて、対岸の隅々までよくよく目を凝らして見ると……。



お分かり、いただけただろうか?

画像の“矢印”の部分、

対岸に繁る樹木の蔭に、白く薄ぼんやりとだが、“ぬりかべ”のような四角いシルエットが見えている。



それも、3本!

まさか、この画像に映ったものは、

開通への望みを絶たれた、

“哀れな未成橋の遺構”とでも、言うのだろうか?


……言うのである。

表題である“恵岱別大橋”は、未完成のまま建設を中止されたこの橋に与えられるはずだった名だ。

完全に樹木が葉を落とす積雪期や春先だと、もっと鮮明にこれらの橋脚をここから見ることができるが、その姿は後ほど他のサイト様(良いところを紹介する)でご覧いただくとして、今日のこの不完全な眺めを手元にある“文明の利器”で補完しつつ、同時に、表題の半身である“到達作戦”の参考としたい。
即ち、空撮用ドローンをここで投入する。

ドローンというものが世間に普及してだいぶ経つが、実は私も2020年にDJIのMini 2という機種を導入して以来愛用している。ただ、たまたま当サイトでレポートした範囲内では活躍の機会がこれまでなかったので、サイトでは初デビューとなる。
次の動画は、ドローンで撮影した(音声はもともとない)。



以下、映っているものの簡単な説明を箇条書きで。

0:41  1本目の橋脚が見えてくる
0:53  2本目が1本目の背後に見える
1:13  3本目を見下ろす
1:17  4本目?が下の方に微かに見える
1:22  その奥にはもう何も人工物はない
1:33  折り返して、1本目と2本目を見下ろす
2:35  戻ってきて終了


肉眼での目視、およびドローンで撮影した、対岸にある4つの構造物は、この地図上に示した辺りに配置されている。

その正体は、恵岱別川の峡谷を一跨ぎに道道94号と対岸を結ぶべく計画された、全長333mの恵岱別大橋の未成遺構である。

地図上に立派な川幅を有し、現地に盛大な渓声を轟かせ、かつ道路との比高が40〜50mもある恵岱別川の険しい峡谷。
その対岸(右岸)の緩斜面上に、この未成橋の構造物群が取り残されている。
そして、地図上においては、対岸へ向かう道も、対岸を通る道も、全く描かれていない。
この状況を打開して、直接触れる距離でこれら未成遺構群を確かめることが、このたびの“到達作戦”の最終目標である。
(詳細に検索して調べたわけではないが、探索前にさっと調べた限り、橋脚へ辿り着いたという話しは見つけられなかった)



 「恵岱別大橋」と「道道1086号増毛当別線」の簡単なる説明



『北海道道路史』付録「北海道道路図(昭和63年4月1日現在)」より抜粋

図を見て欲しい。
これは、昭和63年4月1日版「北海道道路図」である。

この図には、増毛町、北竜町、雨竜町、新十津川町、当別町の5町に跨がる“道道1086号増毛当別線”という29.6kmの路線が、“一般道道である開発道路”かつ、“通行不能区間”として描かれている。

この路線は、チェンジ後の拡大図に示した「現在地」の近くを起点として描かれているが、これこそ恵岱別大橋を利用するはずだった計画道路の正体だった。

道道1086号増毛当別線は、平成元(1989)年に北海道が一般道道として認定すると同時に、国(北海道開発局)がその全線を「開発道路」に指定している。

ここで少し説明を入れるが、北海道独自の道路制度としての「開発道路」は、道路法第88条および道路法施行令第32条に規定されるもので、ごく簡単に言えば、直轄国道並みの極めて高い国庫補助率のもと、道や市町村に変わって国(開発局)が道道や市町村道の新設や改築などを代行するという制度である。
現行道路法と同時にスタートしたこの制度によって、かつて全国水準より著しく遅れていた道内の道路網が飛躍的に整備されたという実績ある制度である。

「開発道路」については、以前のレポのここで少し言及しているほか、私が愛読するサイト「道道資料北海道」に、分かり易くまとめられた制度の解説過去の指定路線一覧も掲載されているので、詳しく知りたい方は強くオススメしたい。


昭和28(1953)年以来、道内各地に延べ100本ほどが指定され、完成後には本来の管理者へ引き継いできた開発道路であるが、これら開発道路のうち一番遅く指定されたのが、平成元年の増毛当別線だった(唯一の平成生まれの開発道路)。
留萌地域と石狩地域の短絡ルートを形成し、農林水産品の流通支援、地域プロジェクト支援、観光アクセス向上等に寄与することを整備の目的に掲げ、暑寒別岳を主峰とする増毛山地を南北に縦貫する幅8mの2車線道路(冬期通行可能)を完成させようとした。

右図がその計画ルートを再現したものである。
実際の整備は、全線29.6kmのうち北側の17kmからなる工事名「暑寒道路」が先行して進められたが、特にこのうち留萌開発建設部が担当する区間4.4kmを工事名「恵岱道路」と称し、もっとも工事が進んだ区間となった。

暑寒道路は、平成6(1994)年に事業化され、翌年より着工された。
総事業費391億円、完成までは20年以上を見込んでいたが、その最初に行われた本工事が、恵岱別大橋の下部工であった。
ようするに、いまも残る橋脚は、この頃に整備されている。

だが、この工事中の平成9(1997)年、暑寒道路の計画ルート上で国の天然記念物であるクマゲラの棲息が確認されたことで、生息調査や保護対策など環境保全上の問題が浮上。工事は一旦中断されたが、そのまま再開されることなく月日が経過した。

そうしているうちに、世論は長期化する公共事業への見直しを求めるようになり、増毛当別線も公共事業見直しの対象となった。そして北海道開発局事業審議委員会による審議を経た平成16(2004)年3月30日、国土交通省は、トンネル4本(4184m)と橋梁12基(2014m)の構造物の新設や、地すべり地帯を通るために、事業のさらなる長期化が予測されるとして、建設中止を発表した。
同年6月3日付けで、増毛当別線は開発道路の指定を解除されている。

なお、工事中断(=中止)時点における事業の進捗率は、測量・地質調査と設計がともに13%、用地4%、事業全体では僅か3%に過ぎなかった(事業費ベース)し、設計以外で具体的に建設された工事物は、恵岱別大橋の下部工とこれに関わる工事用道路のみで、暑寒道路に続く南側の工事名「徳富(とっぷ)道路」(12.2km)に至っては全く工事は行われなかった。
道道1086号増毛当別線の全体では、結局1mも供用されないままに全ての工事計画が中止されてしまったのである。

著しく立ち後れていた道内の道路網を整備しようとした開発道路の制度自体、公共事業抑制の大きな世の流れの中では大幅な整理が求められ、平成22(2010)年度より、開発道路に関する権限は国(開発局)から北海道に委譲されている。
現在も制度自体は存在しているが、平成元年の増毛当別線以降、新たに開発道路の指定を受けた路線はなく、制度は事実上終息している。
もとより優先順位の高いものから指定がされていたのだと考えれば、本路線がほとんど建設の進まないまま中止されたのは、制度自体がもう、潮時だったということなのだろう…。



『北海道開発局道路図』(令和5年4月1日現在)」より抜粋

なお、道道1086号増毛当別線の認定そのものが廃止された形跡はないものの、結局1mも供用されなかったこの路線自体、現在の扱いはよく分からないものとなっている。

右図は最新の令和5(2023)年4月1日現在の『北海道開発局道路図』であるが、道道1086号があるべき位置に、“全線が通行不能である一般道道”らしき線が描かれているにもかかわらず、なぜか他の路線にある路線番号の注記がなく、かつ欄外の「北海道所管道路一覧表」(赤枠内に抜粋)でも、1086番は欠番扱いとなっているのだ……。(一緒に欠番である1087号は別の欄に自転車道線としてある)

なんにしても、1mも開通しないで路線名まで抹消されているとしたら、これはもういわゆる“徒花”でさえない“徒つぼみ”以下の悲しさ…、“徒枯れ草”だよ……。
こんな悲しく虚しい未成道も、なかなかないぞ。
しかも、その唯一の遺構は、地図に辿り着く道のない山の中に孤立しているだけだなんて。

なお、増毛当別線のあらましについては、ウィキペディアの当該ページに読みやすくまとめられているほか、事業再評価の際に国が公表したPDF「一般道道増毛当別線」が、貴重な一次資料となっている。

さらに、先ほども紹介した「道道資料北海道」の道道増毛当別線のページには、決定版と言うべき詳細かつ丁寧な解説がある。詳しく知りたい方はぜひ訪れてみて欲しい。私の探索および本稿の執筆においても、基礎資料として多分に参照している。






唯一の“平成生まれ開発道路”の唯一の名残を、いまから目指す!


そのためのルートは……






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