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2024/10/08 16:34 《現在地》
日没30分前――。
もう行動可能なギリギリの時間帯だが、どうにか辿り着いた。
現状では、もはや私をここへ辿り着かせるため“だけ”に存在しているにも等しい工事用道路跡を活用して、考え得る最小限度の時間で目指す場所へと到達出来たと思う。
ここが……
道道1086号増毛当別線がこの地球上に残した唯一の遺構、
恵岱別大橋(未成)の既設構造物群。
先に行ったドローン偵察や、航空写真でも分かるとおり、恵岱別川右岸高所の段丘面的平坦地に、4基の柱状の人工物が列在している。
これらは全て、恵岱別大橋の下部工として、平成6(1994)年から平成9(1997)年にかけて建設されたものだ。
「道道資料北海道」によると、恵岱別大橋は全長333mで、全部で7基の橋脚と2基の橋台が下部工として地上に建設され、上部工(桁)を支えることになっていたという。しかし、建設中断までの4年足らずに出来上がったのは、右岸側の橋台である「A2」および、右岸側から数えて3本目までの橋脚「P7」「P6」「P5」のみで、これら以外の下部工および上部工の一切は建設されなかった。
上図は、「道道資料北海道」に掲載されている情報を元に、私が想像で描いた恵岱別大橋の完成形であるが、このうち赤色の部分のみ実際に建設された。
7本の橋脚を結ぶ全長333m、幅員8.2mの橋だが、その主径間となる部分は3径間連続PCラーメン箱桁195mであり、これに側径間として56.3mと78.3mの部分が附属した。
最も高い橋脚はP4で53.5m(基礎からの高さ)あり、P2、P3も40mを越える高橋脚だった。
実際に建設された部分は、P5(17.2m)、P6(19m)、P7(13m)、そしてA2(11.5m)であった。
こうして全体図を描いてみると、全長30km近い長大な道路として計画されていた増毛当別線全体から見て100分の1ほどの長さに過ぎない恵岱別大橋の建設それすらも、まだまだ道半ばにも遠い序盤に過ぎなかったことが分かる。
工事中止の決定が下されるまで、この橋の外には一切着工されたものはなかったようだから、本当に、この世でたった4つだけの増毛当別線の遺物となった。
いまから、その貴重な遺物達を、間近に触れてみようと思う。
工事用道路の終点である広場は、この写真のA2橋台と、P7橋脚の間の空間にある。両者の間隔は目測で20mほど。
間近に見るA2橋台は、橋台であることがひと目で分かる姿をしていた。
上空からのドローン撮影だと、橋脚同様にポツンと立っている姿から、他の橋脚との区別が付きづらかった。
これは橋台なので、本来なら地上の道路と繋がるべき構造物だが、盛土として造成されるべき道路部分が着工された形跡はない。
この橋台については後ほど裏側に回ってみるが、先に川側に並ぶ3基の橋脚を見よう。
手前から順に、P7、P6、P5橋脚。
ニョキニョキニョキと、おそらく等間隔に3本。
上面の高さや、断面の太さと形は揃っているが、地面の側に微妙な起伏があるので、構造物としての高さは少しずつ異なる。
いずれも低い構造物ではないが、既に樹木の高さに空を抜かれてしまっているのが、経過した年月を感じさせる。
工事中はほとんど更地であったはずだから、その土中に埋れていたドングリから、ここまで育ったものか。
工事中断から20年以上も経過しているとはいえ、植物の強かさはいつでも期待以上である。
P6橋脚。
建設済みの構造物の中では最も高く、基礎から19mの高さがある。地面の下に基礎が埋められているので、地面からだと15mくらいの高さがあるだろうか。
未使用のまま風雨に晒され続けており、特に破損などはないものの、ちゃんと桁の下にあればこんなに水垂れの模様が濃くなることもなかったろうとは思う。
いよいよ次が、最後の橋脚。
P5橋脚。
恵岱別川に落ち込んだ崖地の縁まであと5mくらいのところに立っており、近づいてみるといかにも“地の果て感”がある。
実際、ここから恵岱別川を直接横断して対岸へ行く事は、まず不可能であろう。
なお、地上から見ても分からないが、先のドローン空撮によって、【この橋脚の上面】が2段になっていて、多少高さの異なる桁を支える構造を想定していたことが分かる。この先が主径間の3連PCラーメン箱桁となるはずだったのだろう。他の2基の橋脚にこのような構造は見られない。
また、これは少しだけ“閲覧注意”かもしれないが、この橋脚の地上に近い部分には、【大量のマイマイガの卵】(茶色い繭)が産み付けられていた。
日に当てられて温かくなる橋脚は、天然の保温器のようなもので、虫たちに良い環境なのかも知れない。
16:39
P5橋脚の先、恵岱別川まで落ち込む落差30m近い崖の縁に立って、対岸を撮影。
対岸の崖の中腹を道道94号が斜めに横断しているのが見える。
彼我の距離は250mほど。
恵岱別大橋は、この谷を私の頭上10mほどの高さで、少し斜行しながら横断する計画であり、対岸においては道道94号と平面交差することになっていた。
その平面交差による道道の分岐地点となるはずだったのが、本探索で最初に訪れた、この場所だった。
この道道94号の長い直線的な坂道の途中の場所で、道道1086号は平面交差で接続することになっていた。
そしてそのまま道道94号を突っ切って、右手の山を掘り抜いて進む計画であり、起点はその先で再度道道94号と接続する位置とされていた。
なお、ここにトンネルの予定はなかったから、山を掘り抜くのは長い切り通しで計画されていたのだろう。
なお、上記は実際着工された時点の計画で、初期の予備設計の段階では、道道94号と平面交差ではなく恵岱別大橋によって立体交差することが計画されていた。その場合の恵岱別大橋は写真右手の高台から対岸へ向けて緩やかに下る橋となり、全長は373mで橋脚も1基多かったが、最終設計で上記内容へ修正されている。
図に恵岱別大橋の左岸側の計画道路を描いたが、実際この通り完成していたら、道道94号の大きなヘアピンカーブも廃止されることになったと思う。(このヘアピン部分を道道94号として維持する理由が見当らない)
ちなみに、増毛当別線の一部として着工がなされた「暑寒道路」(17km)としては、道道94号以北を1工区(600m)、恵岱別大橋を2工区(415m)、その先に3工区(5935m)、4工区(4780m)、5工区(5220m)が予定されていたが、具体的な工事が行われたのは2工区のみであったから、道道94号以北でも一切の工事はなされなかった。
16:41
P5で折り返して、再びA2橋台へ戻ってきた。
今度はこのまま橋台の奥、第3工区側へと進んでみる。
と、その前に……
今回こうして橋台の近くまで実際に足を運んだことで初めて発見した、事前情報や空撮では存在を把握していなかった構造物があった!
たいへん地味なものではあるが、これまで世に4つしかないとみられていた増毛当別線の一部として建造された構造物の“第5基目”である。
ものとしては、A2橋台の背面を埋設し、さらに続く築堤道路の盛土の裾を抑えるための土留め擁壁とみられる。
反対側にはなく、ここに1基だけ建造されていた。
そしてさらに愉快なこととして、この構造物の“矢印”の部分に、北海道で見覚えの多い銘板が取り付けられていたのである。
「品質記録保存分類番号」「08・06・01」「01・086・008」このような文字が打たれた金属銘板。
このアイテム自体は、北海道で道路構造物をつぶさに調べたことがある人ならば、大抵目にしたことがあろうと思う。
正式名を、「構造物表示板」という。
北海道開発局のサイトに掲載された「道路・河川工事仕様書」付表「別紙-2 構造物表示板取り付け方法」によると、「道路、河川及び農業部門における品質記録の保存された構造物については、その構造物に表示板を取り付けるものとする
」とのことで、その内容は、「表示板の内容は、分類番号のみとし、上段に大分類番号、下段に小分類番号を記入する。ただし、道路部門は別途特記仕様書によるものとする。
」とあるが、“別途特記仕様書”が不明のため、具体的な内容の解読は出来ていない。
大雑把に道路ファン的な経験則を述べると、このフォーマットの銘板は開発局が整備したさまざまな道路構造物に取り付けられているものであることから、この構造物が確かに開発局の仕事(この場合は開発道路)であることが分かる。
おそらく、記載内容を開発局内の品質記録データベースに照合すると、いろいろな技術情報が得られるようになっているのだろう。
……まあ、今後この構造物について照会されることは無さそうだが……。
複雑な立体的造形を有するA2橋台の裏側へ。
地表から天辺までの高さは8mくらいあり、コの字型になっている内側に入ると、三方を高いコンクリートの壁に取り囲まれる。
橋台の裏側というのは、道路が完成した暁には決して人目に触れることがなくなる、橋の中にあって最も神秘の部分だ。
これが土のつかない綺麗な状況で現れていることが、未成道の証し。
……ひどく空虚な証しだった。
本来あるべき“路面”と、“橋台”、および“擁壁”の位置関係を示した。
高い盛土によって橋台に達する道路が造られねばならなかったが、ここから先は着工されなかった第3工区に属する部分である。
しかしまあ本当に……、畳1枚分すら本来の路面となる位置に道が造られていないとは……。
“地に足を付ける”なんて言葉があるが、増毛当別線こそは、真に地に足を付けない、最後まで宙ぶらりんの道路だったという印象が深くなるな。
路面ナシ、橋台や橋脚しかない道なんて、悲しすぎるよ……。
実際にここへ辿り着いて“それ”を確かめた成果には満足しているが、本当に悲しい遺構群だと思った。
16:45 《現在地》
本当にこの先には何もないようだ。
日没15分前――、
帰る時間を考えれば本当に限界というタイミングまで橋の先の地表に工事の痕跡を探ったが、地均しすら行われた気配がなく、背丈よりも深い笹藪が続くばかりで、手に負えない。
一応、この先でも測量や設計が行われていて、さまざまな構造物を建設する計画があったが、着工には至らなかったという。
工事用道路さえない状況では、その通りであるに違いなかった。
撤収する。
16:48
“5基”の人工物が点在する、未成の現場を跡にした。
数分前、ここへ初めて到達したときは、建ち並ぶ柱達を見て墓標のようだと内心に思ったが、立ち去る段階では、何かを成し遂げた標(しるし)でもないこれらは、墓標より空虚であると感じていた。
もちろん、真摯に向き合って建設した工事関係者の心はあったはずだが、行き止まりの未成道として“好き者”に通られたことすらない架空の道の空虚さは、強く私の胸に迫った。
この後、走るように下山して、日没後の17:12にどうにか車へ辿り着くことができた。