橋梁レポート 無想吊橋 第3回

所在地 静岡県榛原郡川根本町
探索日 2010.4.21
公開日 2011.5. 2

 無想吊橋渡橋 前半戦



2010/4/21 14:12 《現在地》

橋頭にはじめてたどり着いてから、5分後。

私は橋の上にいた。

しかも既に転落すれば絶対に助からないだろう高所に達していた。

この画像からも、「空中歩行」の雰囲気が十分に感じられると思うのだが、その理由は明確である。
それは、自然に正面を向いてカメラを構えているにもかかわらず、谷底が写っていないからだ。
そのせいで、底知れぬ高さが感じられるし、実際にそのとおりなのである。

改めて、この橋の長さを考えてみる。
目測100m以上は間違いなくあるだろうが、やはり距離感が今ひとつ掴めない。
見慣れない景色だからだ。
ただし、地形図読みだと140m前後と測定される。
wikipediaの夢想吊橋の記事では長さ144mとしてある。(原典不明)




 14:13 《現在地》

明らかに腰がひけた摺り足の“臆病歩き”ではあったが、事前の構造チェックで得た信頼感を頼りに、逡巡せず前進して距離を稼いだ。
足を進めるたび「カンラカンラ」と鉄線が木材に接触する乾いた音がした。
またときおり「キッ」と小さく木材の爆ぜる音がする。割れているのではなく踏板同士の摩擦音だが、音にはとても神経質になった。

普通、吊橋を渡る鉄則というか処方箋として、あまり下を見ないで恐怖心を打ち消すという事が云われるが、本橋ではそれはむしろ自殺行為に近い。
足元の踏板の状況からは、絶対に目が離せない。
そのため、ほとんど下を見ながら、ときおり正面を見て前進具合を確かめるという感じで進んでいくことになる。

そして、上の写真から1分後には、直下に逆河内の逆巻く水面が見え始めた。
橋の中央が近いのだと分かるが、そこで遠望では気づかなかった 新たな難所が現れた。




♪踏板が〜 
  1枚足りないよ〜。

…だけれども、

実はこれはそんなに恐ろしくない。意外に大丈夫。
嘘だと思うかも知れないけど、これはまあ良い。
前述したとおり、16本の敷き鉄線が健在ならば、踏板は20cmの1枚があればとりあえず問題ない。(もちろん多い方がいいけど…)

だが、私がここで真に問題にしたいのは…

中横板」が1本抜けてる!

目前で敷板が2枚に復帰しているところは、ちょうど順番からいって中横板があるべき場所だ。
だがそこには、ただの横板となってしまった残骸があるばかり。

こっちの方が遙かに問題は大きい。
中横板と大横板は約3mおきに訪れるハンガー結索地点であり、橋上環境の本源的な生命維持装置なのである。
16本の敷き鉄線はあくまでも主索との連絡によって安定を保っているのであって、それが失われれば、人間の体重でどれだけ大きく揺動するか知れたものではない。




中敷板が失われている箇所はおそらくここが最初であり、しかも揺動が大きい橋の中間部分であることから、私は一旦立ち止まった。
そして左足だけを1歩前に出し、そこに体重を前傾して掛けるなどの動作を繰りかえして、ハンガーの結索が1スパン失われていても、大きな影響が無い事を確かめた。

行ける。

そう判断した私は、幸いにして失われていたのが中敷板であったために、健在である両側の手摺りに手汗を滲ませながら、ここまで以上のすり足で約6mの不安な区間を前進した。


写真はこれより一瞬前に、本来は橋の中央に敷かれているべき敷板の1枚が、橋外へ逸脱している先を撮影している。
その向こうにあるのは、逆河内の渓流だけでなかった。





いま向かっている対岸側橋頭の下手(南側)には、逆河内に勢いよく流れ込んでくる、滝の連なる支流があった。
進むほどに渓声が大きくなるのは、むしろこの支流に近付いているせいかも知れなかった。

写真はまるで“空撮”のようだが、その支流と逆河内の合流部を撮影している。
上の写真の逸脱した敷板の先、やや下流側にカメラを向けていることになる。

谷底までの高さはこれまた目測では見当がつかなかったが、地形図読みで80m程度と判断。
ただし、地形図は両岸の高さが40m近くもずれて描かれており、正確性に疑問がある。
また、wikipediaの夢想吊橋の記事では高さ83mとしてある。(原典不明)




 14:15 《現在地》

すり足差し足で慎重に1度目の敷板単線区間1スパンを乗り越えた。
それから少し進んだところで、またしても足が止まった。

目の前ではまた「中敷板」が1本、壊れかけていた。
辛うじてまだハンガーには接続されているが、歪みのせいか、まったくテンションがかかっていなかった。
そして、そのもっと手(足)近なところにも、小さな罠が潜んでいた。
片方の踏板が割れており、足を乗せるとメコリと沈み込んだのである。
(もっとも、これは直前に異変に気付いたので、知らずに踏み込んだのではなかった)


一歩一歩が常に真剣勝負だった。

普通ならば、半分を超えたこのあたりである程度の“慣れ”が余裕を生んでも良い頃合いなのに、そういうことにはならなかった。


そして、【あの眺め】の後半戦に立ち至った。

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 無想吊橋渡橋 後半戦


 14:16 《現在地》

上の写真の奥に見える、2度目の敷板単線区間1スパンを慎重に通り過ぎ、「安定姿勢A」(大敷板の上で欄干に手を掛けた、橋の上で望める最も安定した体勢)で一休止を取った。

しかし、完全な静止というのはもう無理な状態に立ち至っている。
こうして近くを撮した写真では分からないが、橋は間違いなく左に5度ほども傾いており、この微妙な傾きは心にさざ波を立て続けていた。
そして、恥ずかしいので告白を迷うところだが、実は私の足は奮えていた。
じゃない、震えていた。
この橋で怖さを感じないなんてあり得ないし、恥ずべき事もないだろうが、しかし理性でそこを乗り越えているつもりなのに、決して冷静さを失っているわけではないのに、それでも足は小刻みに震えていた止まらなかった。
そう自覚できたからこそ、完全な静止が無理だと悟ったのだ。

しかし、天候(主に風)状態が変化が発生するリスクを考えれば、震えが治まるのを悠長に待つのも得策ではないと思った。

往復しなければならないのだから。

それに、私を支えている橋への最低限の信頼感は、事前の構造チェックで得たものであり、その構造をじっくり落ち着いて観察出来ない状態が続くと、その信頼さえ忘れてしまうような不安があった。
というのも、先程来の危険地帯で、本当に最初の信頼が正しかったのかと、自問自答をしたくなる弱気に陥りつつあった。
それは本当は気の迷いであったが、この橋の途中で最初の勢い…熱…を完全に失うのは、恐ろしい予感があった。




今度はとうとう
大横板」が壊れていた。


この怖さ、写真だけで十分に伝わっているか不安である。

まず、大横板の故障が他の故障よりも遙かに恐ろしいことが、ここで判明した。

というのも、ここまで来るのに実は手摺りの存在は、とても大きかった。

しかし、大横板に手摺りの支柱が接続されている以上、これが故障すると手摺りに支障が出るのだ。

今回の場合、手摺り支柱ごと大横板が橋から墜落しかかっており、特に左側はまったく支えを失ってブラブラしている。
手摺り支柱の1スパンは5〜6mであり、これがひとつ失われると、それだけの手摺りが信頼のおけないものになるのだった。

ただでさえ左に傾斜しているというのに、その左側の手摺りがまったく支えとして機能していない状況の怖さを、想像して欲しい。

自然と身体は橋の中央から右寄りに移り、ますます不格好だが、右の手摺りを抱きかかえるようにして、前屈みで歩くという状況に立ち至った。

それでもまだ、前進を諦める事にはならなかったのだが……。








この橋を人が渡っている姿を端から見たら、きっと壮観だろう。

でも、自分で自分が渡っている姿を見る事が出来ないのは、幸運なことだ。

もし千里眼でもあって見る事が出来たら、とても渡る気になれないだろうから。




いよいよ私は、ここに立つ。

この、明瞭に途切れたかに見える地点、

最後の難所に、立つ。








血の気がひいた。


2スパンにわたって、橋は壊れていた。

1スパンは、完全に敷板が失われていた。

途絶えているといっても、言い過ぎではなかった。

しかも、目前にゴールは見えているのにも関わらず、こちらの斜面は特に急峻なのか、

眼下にはまだまだ確約的に死ねる高さがあった。





さあ、むがいい!




次の一歩は、どこを踏む?





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