橋梁レポート 西会津町の旧柴崎橋 再訪編(前編)

所在地 福島県西会津町
探索日 2015.7.14
公開日 2015.8.21


皆さま、この写真の橋をご存知だろうか。
福島県西会津町の阿賀川に架かる旧柴崎橋だ。
本邦に現存する道路用廃トラス橋としては最大級の規模を有する。
ただ、最近のレポートでは無いので、ご存知の無い方も多いだろう。
そんな方はまずこちら、そして歴史解明編のこちらをご覧頂きたい。

最初の探索は平成18(2006)年に行い、そこで強烈な“平均台渡橋”を成し遂げた。
そして平成20(2008)年にも訪れ、この時は渡らなかったが、多くの写真を撮影したほか(左の写真もその時の撮影)、「西会津町史」に本橋の架設に関する記事を見つけ、昭和13年竣工などの新事実が判明した。

だが、実はこの2回の探索でもまだやり遂げていないことがあった。
それは…




私はまだ、あの岸辺に立ってない!

写真は下流から撮影しているので、阿賀川の左岸である。

そしておそらくあそこには、本橋に残された最大の謎を解き明かすヒントがある。


誰もが本橋を見た時に感じるであろう疑問。

「あの左岸の桁の傾きは最初からなの?」

…というもの。


鬼気迫る廃トラスの威容から、つい「廃橋故の傾斜」と決めつけて仕舞いがちな傾斜部分であり、事実、前回のレポートではそう書いている。
だが、実際の所はよく分かっていないというのが真相だ。
あれはナチュラルボーンの傾斜桁なのか、橋脚の故障による傾斜なのか。
(もし生来の傾斜桁だとすれば、それはそれで「珍しい作り」として、新たな評価に繋がるだろう)

最初の探索では危険を冒してトラスを完渡し、あの傾斜桁の上に立ってさえいるのに、なお解明できていないこの“謎”。
そいつを解明する為には、傾斜桁やそれを支える橋脚を、もっと間近に観察する必要があった。



これは現在の地理院地図に見る旧柴崎橋の周辺である。

私がこれまで二度訪れながら、左岸の橋頭に立たなかった理由であるが、単純に辿るべき道が見えなかったことと、遠目に見ても左岸一帯は猛烈な草藪で、踏み込むことが躊躇われたことが挙げられる。

この地図の通り、橋の左岸橋頭は県道から100m以上離れていて、道が通じていない。
旧柴崎橋が現役だった当時の旧版地形図では、もちろん道は描かれているのだが、その道が今では判然としない。
旧道はどこへ行ってしまったのか。

だが、このままでは進展は無い。
そこで今回、意を決して行ってみることにした。
道が見えなくても、自分で切り開けば良いじゃないか!

ということで、スタート地点は県道338号上の旧道分岐地点だ。





消えた旧道の先に


2015/7/14 13:56 《現在地》

前回が2008年だから、7年ぶりの久々の訪問となる旧柴崎橋。
一番最初に出会った時からは、もう9年も経過している。
本橋の架設は昭和13(1938)年で、廃止が昭和33(1958)年であるから、現役期間はわずか20年であったのに対し、廃橋として過ごした時間は優に50年を越えてしまった。

なお、今回もとりあえず“架かっている”ことは、直前に車で通過した(現在の)柴崎橋から見えたので安心だ。
最近は、長い間残っていた廃物件が、思い出されたように撤去される事例が多く、秘かに心配していたのである。

左に私が停めた愛車が見えているが、そこが昭和33(1958)年以前の県道と思われる。
当時の県道は、右手の河岸段丘上にある上野尻の集落から下ってきて、この辺りでヘアピンを描いて左奥方の旧柴崎橋へ向かっていた。
それが昭和33年に東北電力の上野尻発電所(堰堤)が完成し、それが新たな柴崎橋になったことから、旧柴崎橋は役目を終えたのである。



分岐地点から見る現在の柴崎橋イコール上野尻堰堤。

周辺には多くのサクラが植えられており、何れも大木に育っている。
春なら相当に見事であろう。
そしてサクラの木々の合間には、遺跡となった工事用施設の跡が点在している。
サクラは堰堤工事の完成直後に植えられたものであろう。

いま見えている風景の中には、昭和33年以前のものはなにひとつ無いと思う。
(上の写真に見える石垣だって、旧道のものでは無い)
上野尻堰堤の建設は、周辺の景観を一変させており、これから向かう“旧道”も往時のものではない。
というか何度も書くけれど、旧道は途中から道そのものが見あたらない。




さて、そんな旧道に入って少し進むと、見えてきた。

阿賀川の広い広い水面、

そしてそれを跨ぐ、赤さび色の廃橋。

まずは健在であること改めて安堵する。

安堵する

安 堵… す る……   …………




なんか橋上の様子が…。



橋の上に沢山の流木が…!

前に来た時は、こんなモノは無かったぞ。(2008年の証拠写真

つうか、こんな状況だったら、2006年の訪問時にも渡れたわけが無い。絶対渡らない。



橋桁に流木が引っ掛かっている状況なんて、原因はそこまで水位が上がった以外は考えられない。

本橋の500m下流には上野尻堰堤があるが、日本第8位の流域面積を有する大河の中流を堰き止めた発電用堰堤は常に流水は豊富であり、一般的なダム湖に見られるような水位の季節変動が見られない。
この写真の状況で堰堤のローラーゲートは閉じており、これが平常時の水位である。そして私はこの水位しか見たことがない。
だが、たくさんあるローラーゲートを全部開けても流しきれない水量になる(つまり洪水時)と、写真では見切れているが、左端に二つある越流路から自然に水があふれ出す仕組みである。
その場合の最低水位がおそらく普段の水位の5mくらい上なのだが、廃橋の高さが普段の水面から7〜8mはあるので、橋桁の冠水はただ事では無い異常水位だ。
もちろん、堤上路である現県道も水面すれすれになったであろう。




いやはや、いきなり予想外に凄まじいものを見た。

今までこの橋は結構優雅に水面を跨ぐ“静物”という印象があった。
最初に訪れた時の川霧に包まれた姿が特に印象的だったせいもあろう。
だが現実には、人の手を一切借りずに“架かり続ける”ことへの猛烈な試練を、繰り返し受けていたようだ。
そして今回たまたま、そういう試練から余り経っていない時期に訪れたことで、如実に残る苦闘の跡を目にしたのである。
今回も橋は残ったが、案外とギリギリだった… のかもしれない。

そういえば、過去に訪れた時にも、橋上にいくらか流木らしきものがあったが(2008年の証拠写真)、この橋が沈水するという現実を意識しなかったので、かつて敷かれていた床材の残骸だろうと合点していた。
だが、多分あれはまた別の古い洪水によってもたらされた流木だったのだろう。

そして今回は、かつて無いほどに沢山の流木が引っ掛かっている。
その事は洪水からあまり時間が経っていないことや、洪水そのものの規模の大きさを物語っている。
もう、この地方にお住まいの方には説明も不要であろう。
「平成23年7月新潟・福島豪雨」。
それが、この光景の原因と思われる。
こんな廃橋の安否など気にしていられないほど、人間の生命や、数々の現役施設に甚大な被害を生じさせた大災害である。
流域では現役の橋でさえ、いくつも落ちているのである。

お前、よく耐えたな…。

すでに床版が無かったことも良かったんだろうか…。



13:58 《現在地》

私が知らないうちに受けていた橋の試練に想いを馳せて、ちょっと朦朧としてしまったが、本題へ戻ろう。(私は「平成23年7月新潟・福島豪雨」の最中、たまたま新潟県内にいて結構大変な目にあっているから、橋の苦闘が普段以上に他人事とは思われなかった。)

旧道の用地を転用したであろう道は、県道から100mくらいまでは確かなのだが、その先は写真の場所で消えてしまう。
周辺の地形は堰堤工事に伴って大規模に改変されているのかもしれないが、あまり唐突に道形が消えるので、過去にもここまでは来ているものの、「手掛かりなし」として先へ進む事を諦めてしまっている。

だが、今回はこの“ハードル”を乗り越えて進まなければならない。
とりあえず自転車を乗り捨てて、写真中央奥の平らな土地が切れている所へ向かった。



(←)ここまでは、こんなに道形が鮮明なんだが…

(→)小さな沢に突き当たったと思えば、その対岸には全く道形が見られない。
ただ猛烈な草藪と葦原が見えるばかりで、気が滅入る。



(←)ふと右を見ると、コンクリート橋の欄干のようなものが見えて「おっ!」となるが、実はこいつも右奥に見えるものと同じ、堰堤工事に関わる施設の残骸でしか無く、旧道とは無関係である。

ここでは完全に旧道は失われてしまったと結論付けるしかない。

(→)やや試行錯誤と逡巡があって、藪に揉まれたりしながらも…



14:03 《現在地》

とりあえず小沢を渡って先へ進むと、杉の植林地と石垣が現れた。

ここは位置的には旧道敷きなのだが、この石垣は旧道とは無関係と思われる。
石垣上の随所に東北電力の標柱があり、また前後も唐突に終わっている。

この右側は比較的傾斜のきつい山腹で、そこにも道形はなし。
左側は氾濫原(先の洪水時にはこの辺も間違いなく冠水しているはず)で、藪が深く地形は窺い知れないが、仮に旧道敷きであったとしても、長年の堆積でその痕跡は見出しがたいだろう。

とりあえず、目指す旧柴崎橋の位置は把握しているので、歩きやすい場所を探しながら淡々とそこへ近付いていった。
距離的には100mそこらしかないのだから、そんなに時間はかからないはず。



そして氾濫原の向こうには、再び目指す旧柴崎橋が見え始めた。

今まで体験したことの無い新しいアングルに、早くもどっきどき。

もう、想像するだけで震えるぜ。

あの橋が目前にそそり立つとき、いったいどんな迫力を見せてくれるのか。

思えば、今まで遠望したり渡ったりはしたけれど、仰ぎ見た事は無かったからな。
一般的に、橋の魅力を一番感じられるアングルは仰瞰であるとされるだけに、この接近は私を十分に興奮させた。




石垣が終わったので、氾濫原に降り立った。

いよいよ激藪を覚悟したが、相変わらず点々と現れる東北電力の標柱を結ぶように、一筋の刈払い道が出来ていた。
しかもその刈払い道、見事に橋へと向かっていくではないか。
これぞまさに渡りに船である。
案ずるより産むが易しというが、なるほど、意を決してやってみれば、案外簡単に橋まで辿り着けそうだ。



氾濫原を多少蛇行しながらも、徐々に橋へと近付いていく刈払い道。
視界は悪いが、川の匂いがするので、もう近いところに水面があるのだろう。

なお、周辺の杉林の低い所が一様に枯れていたが、これも洪水の影響であったろうか。



出た〜〜!!

と、大騒ぎでカメラを向けて撮影したが、写真だとえらく分かりにくい。
肉眼だと、思いのほか近くに橋が見え出して凄く興奮したんだけどな(笑)。

で、ここからあと少し歩いて…



遂に左岸橋頭へ到達した!

すぐ目の前まで差し出された巨大なコンクリートの傾斜した桁が、
まるでフェリー船のランプウェイのようで、なんともかっこいい。
それに期待通り、このアングルはやっぱり橋の構造を知るにも最適だ。

つうか、やっぱり橋は仰瞰に限る!!



なんか、色々と凄まじい姿だ。

これが、人の世を超絶してしまった橋の姿か。





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