http://yamaiga.com/mini/222/ の公開中コメント一覧

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コメント
33,1902019-11-16 03:58:18/mini/222/main.html10
次はカンジキを装備しましょう
32,7882019-09-23 16:21:48/mini/222/main.html10
リアルな歴史に触れることができ、大変勉強になりました。
26,1872017-08-01 19:04:16/mini/222/main.html8
>年号は様々だが、全体的に六月の日付が刻まれたものばかりが目立つのは、どういうことなのだろう。

雪のある冬場は墓石の新設は困難です。
よっぽどの理由がない限り、雪解けを待っての作業になるはずです。
あと、埋葬した当初は白木の墓標を使い、
新盆に合わせて墓石を準備して法要を行う
風習の地方か宗派があると聞いた記憶があります。
(学生時代、問題集か何かの小説の一節に新盆の描写型あり、
年配の先生に質問して得た知識なので、大雑把&詳しい地方不明)

この地方の盆が7月の新暦の盆か8月の旧盆か知りませんが、
盆前に、その1年で亡くなった方の墓石を集落中が準備したなら
6月の同じような日付になっても不思議はないかと思います。
23,8292016-09-24 10:54:05/mini/222/main.html10
碑文こそ後世に伝わる記録文書?
23,6952016-09-13 12:47:57/mini/222/main.html8
墓石を台座にした石碑跡は、もしかすると無縁仏の供養塔かもしれませんね。
23,6872016-09-11 22:24:47/mini/222/main.html1
日本人の墓が個人墓主体から先祖代々の墓に移行していったのは、関東大震災で多くの犠牲者を葬るための墓地が不足した大正12年以降です。
そこから徐々に地方にも広がりました。
それから土葬の場合、日本では多くの場合埋葬用の墓地と墓参用の墓地を分けて設けているようです(腐敗等の臭気を避けるために埋葬墓は人里離れた場所に、墓参りに行く墓地は便利な集落内か程近い場所に)
だからこの墓地跡に土葬時代の人骨が残存している可能性はほぼ0だと思います。
23,6602016-09-08 21:50:40/mini/222/main.html10
秋田県人ですけど、川原石に故人銘を刻んだだけのような江戸期の古い墓石は
他に使い道がないってので新たな「累代の墓」の基礎に使われるのが昭和には良くあったようです
大正期の墓石はコンクリート製で原型がそのまま残ってたりするので保存されてるけど
23,5902016-09-01 16:43:20/mini/222/main.html9
東北の事例に詳しくないので、参考まで。

浄土真宗が浸透していた地域では、町や集落の墓地に三昧(さんまい)や焼場などと呼ばれる簡易の火葬炉を併設している例はよく見られたそうです。都市化が進んだ地域から、行政が設置した大型の火葬場や斎場に移行し、姿を消しましたが、北陸や山陰などには、使用の可不可は別としてまだ残っている地域もあるようです。
火葬していれば埋葬に必要な面積は土葬よりも小さく、本当に墓地に余裕がなくなって整理されるまで無縁墓が永く放置されることもあるようです。
私の母方の実家のある北陸のある集落では、昭和60年頃に河川改修に伴って集落墓地の整理を行いました。合同法要後に長い間使用されていなかった三昧を取り壊し、無縁墓を整理して合葬塚を三昧跡に建てましたが、その塚には無縁墓の墓石を使いました。
この墓地の場合は、かつて一部の古い個人墓を一族の墓に合葬した例があったのではと思います。そして、空になった墓の墓石で、慰霊碑等が建立された。ダムにより移転が決まった時、最低限必要な墓石と碑のみを新しい墓地に移転し、残った無縁墓や古い個人墓は法要後に骨壺のみ移動することで、墓地の整理を移転と同時に行ったと考えれば、この墓地跡の説明がつくと思います。
23,5892016-09-01 06:02:04/mini/222/main.html10
昔、死亡事故も起きた鉱山が沈んでいると言うダムを見て、それ以来、泥とすさまじい水圧の底にこの世の終わりまで在り続けることとなった死者たちは、どんな気持ちだろう?と考えるようになっていました。

或いは、子供のころNHKのシルクロードで、イシククル湖の底に沈むキャラバン用の一里塚や、墓の跡を見たせいだったかもしれませんが…。

何れにしても、短いながら興味深いと言うか、考えさせられるところの有るレポだったと思います。
23,5152016-08-23 21:26:19/mini/222/main.html10
いつもレポート楽しくよませてもらってます。
通りすがりの巨木オタクです。
墓石の転用は衝撃でした。
切り株はなんとなくですがケヤキではないかと思います。
仙人峠の姥スギに行く途中の斜面もケヤキが目立ちますし。
山奥にしては気温が高いのかもしれませんね。
23,4902016-08-22 10:31:38/mini/222/main.html10
誤字発見

まさか、河童が陸から上がってきたワケではあるまい。
23,4862016-08-21 21:03:06/mini/222/main.html10
ナンマイダブナンマイダブ
23,4832016-08-21 13:43:30/mini/222/main.html9
某国だと敵国(?)扱いで家の土台に使われています。日本だと現在は魂抜き後、砕いて寺のまく石に変えて利用しています。でも石材業者だと回収後は放置プレイや自分が見たものだとそのまま状態で飛び石に使われるなど扱いは今回以上にひどかった
23,4812016-08-21 12:20:34/mini/222/main.html10
ダム底に沈むから、墓石移転するのが通例ではあると思うけど
漏れたものがこれなのかなあ。
まだ縁者がいそうなものもあるが・・・
23,4792016-08-21 10:38:38/mini/222/main.html5
小生の菩提寺では20年以上前に無縁となった墓を祭事の後ピラミッド状に一まとめにし、コンクリで固め、中央におじぞうさまを祭りました。本当の意味での流用も有るのでしょうが、廃棄せずに皆でおまつりすると云う形も有るのだと思います。
23,4772016-08-21 08:03:40/mini/222/main.html10
近年では、不要になった墓石は砕石にする事が多いようです。庵治の砕石とか贅沢だ。
昭和期(大抵の墓石が四角くなってから)は文字面を削って墓石や他の用途に転用していたようですが、元墓石と判るといろいろ気まずい事になったとかなんとか。
23,4762016-08-21 06:08:40/mini/222/main.html10
ダムは必要か?などの論議はここでは致しません(当事者様に失礼かも知れませんが私はダム好きです。)ただいつもこう云う風景や昔の写真をみると、遺構と呼べるかは微妙ですが、当時の事が垣間見え、何とも物悲しく感じます。それと尼瀬橋主塔跡じゃなくて、アンカーロックですよね?
23,4752016-08-21 03:14:40/mini/222/main.html10
魂抜きされた元墓石が、境内に積重ねられて放置されたり、転用されたりはよくありますが
立ったままってことは、無縁仏が無縁塚へ合葬もされず
土葬の骨もそのままに完全放置ってことでしょうか。

もし骨が流出して下流で見つかったら大騒ぎになりそうな・・・
23,4742016-08-21 00:13:11/mini/222/main.html7
私の知る範囲では、福知山城の石垣にも墓石の転用がありますね
23,4692016-08-20 17:43:36/mini/222/main.html10
丁度、過去レポ読んでいる所でした。山が史上初となる全面机上調査のやつ・・・平地が少ない中、墓地が駅前の平坦地にあるってことは、(谷側であれば)堰を作ったときに移動したのかもしれませんね(山側であれば)旧国道なり、ダム事務所の可能性もある。6月の死者が多いのは、川が氾濫するとは考えにくいでしょうから疫病なのでしょうか?
23,4662016-08-20 15:29:40/mini/222/main.html10
北上市の出身の者ですが、まさか錦秋湖の湖底にこんな遺構があったとは、夢にも思いませんでした。
こうして往時の暮らしをときどき垣間見せてくれる水中遺構、ロマンを感じます!
今後とも楽しみにしております。
23,4652016-08-20 15:24:17/mini/222/main.html10
城の石垣なんかは、使える石材を片っ端から集めて造られた物も有る為、五輪の塔や地蔵に石臼、果てには古墳の石棺まで転用されてますね。

>我々が何が何でも後世に伝え残したいことがあるとしたら、どんなハイテクよりも、碑が最強の手段なのではないかと思える。
古代の遺跡やその碑文などから分かるように、最強の情報保存手段は石に刻むことですね。
情報の長期保存の研究では、透明のガラス的な固体の内部に多層的にデジタルデータや文字等を刻むのが有望視されているとか。
現代文明が滅びた後には、ラピュタ中枢部の様なイメージで情報が残されているのかもしれません。

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