http://yamaiga.com/road/mituno/ の公開中コメント一覧

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コメント
31,3182019-03-15 19:54:00/road/mituno/main5.html10
ただただ合掌
31,0142019-02-09 03:50:16/road/mituno/main5.html10
千頭の辺りはたまに行きますが、こんな場所があるとはまったく知りませんでした。
何気なく通っている道路にも、当然のように使っている電気にもこんな歴史と人々の苦労が積み重なった重みがあることが実感できました。
無事の生還なによりです。
この辺りは現役の道路でも落石等で通行止めになったりもするので、忘れられた古道は尚更なのではないかと読んでいて思いました。

他の地方の方にはわかりにくいかもしれませんが、この辺りでこれだけの雪が降るなんてまずないのではないかと…。
ちなみに先週、旧春野町から千頭までの酷道362号を通ってきましたが、暖冬なせいか山を見渡しても雪らしきものは一切見かけませんでした。

道中のお地蔵様も、慰霊碑も、今なにを思いそこにたたずんでいるのかと感じました。
探索時は是非、お供え用?の草履持参で…。
29,3772018-07-07 11:48:20/road/mituno/main5.html10
とても興味深かったです。本編の手に汗握る展開、そして机上調査編で明らかになる思いがけない石碑の由来。北海道以外でもこのような労働使役があったことを思いかけず知りました。時間を忘れて読ませていただきました。労作をありがとうございます。
27,7432018-01-23 21:52:15/road/mituno/main5.html10
石碑を目にできて良かったです。
27,7132018-01-20 20:00:45/road/mituno/main5.html10
榛北の希少で貴重なレポをありがとうございます。
27,0882017-11-03 21:01:55/road/mituno/main5.html9
いつも読むヨッキさんの苦闘を綴る廃道とその風景は、写真の上からはいつも通りに見えるのですが、その「寂しい」という一文で、とたんに違ったものに見えてくるのですね。
それはにわかに降り始めた雪のせいだけじゃないような気もします。
忘れないで欲しい、思い出して欲しいという思いが行間から伝わってくる秀逸なレポートでした。
26,9612017-10-20 03:50:22/road/mituno/main5.html10
川根本町のあかみちと申します
昭和の終わり頃オチイ沢にアマゴ釣りに入りました。水道は稼働、橋は健在上流に登る道がありました。
あかみちのブログ
25,6922017-05-21 22:05:33/road/mituno/main5.html10
この導水路トンネル、寸又川ダムの取水口も、横沢川の貯水池も、いずれも海抜380mにあります。ということは、オチイ沢をクロスする地点でも導水路トンネルの海抜は380mである公算が高い。

オチイ沢で海抜380mの地点は、ちょうど橋のあった場所。これより低いところに水道橋はありませんでしたので、これより高い地点の地下で導水路がオチイ沢とクロスしていた可能性が高い。

慰霊碑や作業場跡の存在から、この付近にも導水路トンネルへの入り口があったはずですが、その入り口は導水路が地表からさほど離れていない箇所に設けられていたはずで、橋よりわずかに上流に、その入り口があった可能性が高いのではないかと思います。

地理院地図の導水路は、情報がない部分は直線で結んで描かれた、ということではないでしょうか。最終回の地図に示された導水路は、オチイ沢とクロスする場所で折れ曲がっていますが、これが正しいのではないかと思います。

もう一度行かれることはまずないとは思いますが、万一その機会がありましたら、橋から少しだけ上流側を探査されたら良いのではないでしょうか。
25,6682017-05-17 14:31:41/road/mituno/main5.html10
朝鮮人が強制徴用工ではなく、募集に応じて日本へ出稼ぎにきていた事実がこんな僻地の町史でも見て取れるなんて。また、現代に連なる当時の建設会社が人死にも記載された朝鮮人の手記をそのまま残すという公正さがにじむ記録主義を履行していたことにも驚きです。
良い話でした。
追記。よっきれんさん、自身の命をお大事に。
24,7072017-01-23 01:30:42/road/mituno/main5.html10
いつも貴重な濃い内容をありがとうございます。
24,6822017-01-18 22:09:41/road/mituno/main5.html8
日常なにげなく使っている電力の確保は、開拓した先人たちと現代の電力マンたちの通う道と一緒なんですね。
24,6632017-01-16 00:32:24/road/mituno/main5.html10
地元が静岡中部で、川根地方にも温泉に入りによく行っておりました。
我々が生活するために必要な電気を発電するダムが建てられた背景にこのような悲しい出来事があったことを忘れてはならないと思います。
24,3852016-12-13 03:11:59/road/mituno/main5.html10
(´Д`)ノ 歴史の谷間に呑み込まれてしまったモノクロ写真みたいな道ですね。
23,1742016-07-18 13:39:11/road/mituno/main5.html8
自分と異なる意見を『ネトウヨ』なんて差別してる人が、朝鮮人差別について語っても価値なしですよ。

この道路については地元の人へのインタビューはしてないんですかね? いつ頃まで利用してたとか聞けそうですが。
23,0152016-06-19 06:30:49/road/mituno/main5.html10
忘れ去られた、オチイ沢の慰霊碑。
もう直接的な遺族も無いでしょうし、
会社的にも危険をおかしてまで、
慰霊には行かないだろうから、
今回、見つかって以降は
再び沢の奥地に眠るんでしょうね。

いつ来るともしれない
命知らずな冒険者を待ちながら。
22,9392016-06-05 19:26:06/road/mituno/main5.html10
おもしろかったです。ちなみに、自分は、本川根に住んでいますが、3月にも雪は降りますよ。静岡弁で「風花」といいます。後、中川根の地名にも廃道と旧トンネルがあるとおもいます。今の状態は、よくわかりませんが、ぜひ、探索してみてください。
22,9382016-06-05 19:24:14/road/mituno/main5.html9
おもしろかったです。ちなみに、自分は、本川根に住んでいますが、3月にも雪は降りますよ。静岡弁で「風花」といいます。後、中川根の地名にも廃道と旧トンネルがあるとおもいます。今の状態は、よくわかりませんが、ぜひ、探索してみてください。
22,8382016-05-22 13:04:44/road/mituno/main5.html9
導水路トンネルですが、地理院地図のトンネルは、単純に直線を引いたもので、実際の位置とは異なるのではないでしょうか。

地理院地図で見ますと、三ッ野沢には二つ、横沢側にも一つ、水道橋らしきものが描かれておりますが、オチイ沢には、水道橋は描かれておりません。

一方、最終回に掲載された導水路トンネルは、オチイ沢をクロスする位置で下流側に大きく曲がっております。おそらくはこの図が正しく、導水路がオチイ沢を渡る箇所は、第二回で渡った橋にかなり近いところであるように思われます。

地理院が導水路をどのように地図に表示しているか、どこかで確認したいところですね。
22,8232016-05-19 22:02:51/road/mituno/main5.html10
険しい状況のレポで、1人で貫いたのはさすがヨッキと思いつつ楽しく読みましたが、あまり危険な事はしないでという気持を持ちました。また机上調査もとても重い気持ちで読ましていただきました。
22,7792016-05-16 17:23:18/road/mituno/main5.html10
初めて10点をつけさせていただきました。素晴らしい!
22,7722016-05-16 08:18:37/road/mituno/main5.html10
朝鮮人労働者の飯場の跡かもしれないですね。
生活の痕跡。
あまり住民と接触してほしくないし
22,7592016-05-15 08:03:02/road/mituno/main5.html10
大井川水系と電力開発は切っても切れないものだけに
道にもその開発の歴史が埋もれてるんだなぁ
22,7502016-05-14 17:50:14/road/mituno/main5.html10
感動しました。
22,7342016-05-13 14:00:03/road/mituno/main5.html6
終わり方ダセェw
22,7282016-05-12 22:36:13/road/mituno/main5.html10
google mapのEarth表示にて導水路とオチイ沢の交点付近を見てみたのですが、それらしいくぼみのようなものが確認できました。ご参考までに

35.117717, 138.117354
22,7212016-05-12 09:06:08/road/mituno/main5.html9
淡々と書かれたレポートが、逆に道中の物寂しさを表現しているようであった。
また、机上調査によって、歴史の日陰部分を垣間見ることができた。
22,7202016-05-12 07:55:44/road/mituno/main5.html8
何やら朝鮮人労働者の扱いについての話が出てきているようですが、まああの時代は、労働者の安全というのが今ほど重要視されてなかったので、日本人、朝鮮人にかかわらず、数々の悲劇が起きたことでしょう。
ヨッキさんも行かれた万世大路も、昭和の工事の時にいくつかの悲劇が起きているようです。
http://www42.tok2.com/home/ht990/kurijiko.htm

まだ開拓中などの北海道は、囚人やうまい話で連れてこられた人たち(もちろん日本人)の悲劇が伝わっていますし、
http://kitagawa.tv/eyado/hokkaido/inh4.html
http://www.kangoku.jp/data2.html
http://blog.goo.ne.jp/80k700/e/0285e5b12f4510db384f391e977c8287
海軍美幌基地建設の時にも、過酷な扱いを受けた労働者の話が「ゼロ戦黙示録」という本に出てきたりします。

これらでわかるのは、朝鮮人だけが過酷に扱われたというわけではなく、単純労働者の扱いが全体的に酷かったということですね。
特に「ゼロ線黙示録」という本には、半島から募集を受けて来た朝鮮人よりも、内地からうまい話で連れてこられた日本人の方が過酷な扱いを受けていたことが書かれています。
なので、証言は大事だと思うのですが、それを受けて話の内容を鵜呑みにしたり朝鮮人を差別していた証拠だなどと決めつけるのではなく、当時の時代背景を先入観無しで考慮して調べることが大事だと思います。
22,7002016-05-11 21:14:42/road/mituno/main5.html9
机上調査編の最後の一節が、胸を打ちました。
22,6962016-05-11 13:22:38/road/mituno/main5.html8
他の方も書いてるけど後半のこの道、本当にメインテーマの旧街道なんですか?
22,6952016-05-11 12:43:17/road/mituno/main5.html10
お疲れ様でした、現在から過去を推測する廃道探索の醍醐味味わえました、実際に歩いて初めて感じるものがたくさんあったでしょうね、他…ここはあくまで廃道探索の場所、後だし粗捜しなら誰でもできます

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