http://yamaiga.com/road/raiden1/ の公開中コメント一覧

(平均点 9.69点 / 投票回数 3322人)

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コメント
42,5042019-10-22 22:54:29/road/raiden1/main8.html10
長大シリーズでした。全てがひたすら凄かったです。
42,5012019-10-22 17:04:09/road/raiden1/main8.html10
覆道からの絶景、思わず声が出るほど震えました。今回はもはや冒険譚。まだ見ぬ景色を、発見を教えて頂きいつもありがとうございます。
42,4932019-10-20 16:00:15/road/raiden1/main8.html10
絶壁の岩山、深く静かな海、自然って怖くて美しい。そう思えるレポだった。しかもそんな所にも人は住んでいたし、道があった。あらためて人ってすごいって思う。ことろで、全天球って動画もできたのね。でもうちのパソコンじゃ重くて上手く見れなかった。
42,4882019-10-19 08:41:17/road/raiden1/main8.html9
http://minami-siribesi.world.coocan.jp/index.htm南後志の巨匠 「南後志をたずねて」さん。http://minami-siribesi.world.coocan.jp/contents/suttu_kaigan.htm海岸に穴をあけて杭を打つぐらい、大したことではなかったようです。
42,4852019-10-17 19:27:22/road/raiden1/main8.html10
まるで一つの小説を読んでいるかのような感覚でしたいつもヨッキさんのレポートを楽しませてもらっていますが、今回は特に名作ですこれからも活躍を応援しております
42,4832019-10-17 15:58:50/road/raiden1/main8.html10
普段から読書をしていないせいかもしれないが、久しぶりに、文章を読んで、心を揺さぶられました。
42,4792019-10-16 20:12:40/road/raiden1/main8.html9
人間の業と景観には本来なんの関係もないはずですが、土地が人を育てるというのもまた事実かも知れません水上勉氏が歴史に残る遭難事故を背景にその奇景に業の深い男の殺人を重ねたのもまた必然かも知れません
42,4632019-10-14 22:01:25/road/raiden1/main8.html10
遠く離れた北の大地で、かつてこんな難所に道を通して暮らしていた人がいたのですね。昔の人は強くたくましく生きていたんだなと実感しました。あと、「きたのたき」のリンクですがクリックすると怪しげなサイトに飛ぶようなのですが私だけでしょうか?
42,4612019-10-14 01:23:58/road/raiden1/main8.html10
率直に。感動しました。
42,4542019-10-13 10:59:24/road/raiden1/main8.html10
32,924です。アップされてから気が付きましたが、一番大事な部分が抜けていますね。原文からポイントだけ抜き書きします。雷電峠は〜(中略)〜有名な剣難であったが、今はほとんど通行する人がいない。よって、『北海道景勝地概要昭和九年』の徒歩道の記述は海岸道を意識していると推測されます。
42,4462019-10-12 11:10:13/road/raiden1/main8.html10
楽しく読みました。50年程前、北海道を自転車で旅行した時小樽から積丹半島の神威岬まで走りましたが雷電海岸へは通行不能であったような記憶です、今でも雷電海岸の名前には魅力を感じます。
42,4432019-10-12 08:17:05/road/raiden1/main8.html8
http://www3.library.pref.hokkaido.jp/digitallibrary/dsearch/da/detail.php?libno=11&data_id=4-917-0北海道測量舎五万分一地形図 後志国〔8〕−(3)後志国 【余市郡(余市川)、岩内郡(芽沼、稲穂峠、小沢、岩内)全部】 / 〔出版者不明〕  北海道立図書館蔵この地図、海岸線は青線なんだけど、このウェントマリの辺りは、道路を示す黒線なんですよね。しかも、何筋かあります。
42,4422019-10-12 02:37:31/road/raiden1/main8.html10
>雷電海岸方面の探勝は目下交通不便であるが、岩内町より歩道を利用するか、又は遊覧船を用意することができる。 『北海道景勝地概要昭和九年』よりですが、日本案内記. 北海道篇の雷電海岸の記述を見ると、峠道とは別に海岸沿いの徒歩道があったようです。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1877025p122〜123原文を書き出すのは面倒なので、『日本案内記』に見る国定公園の旅行記事に関する一考察―昭和初期における観光文化研究―より、コピペ。「海岸は雷電、ビンノ、刀掛等岬角突出し、断崖絶壁削立して神工鬼斧を逞うするところ、大小数条の瀑布は天空から白糸を垂れたるが如く、岩上に立てば碧潭静寂心膽を寒からしめる。また奇巌怪石の間に洞窟が穿たれ、景趣雄大」と記し、夏の探勝に絶好の地である、と述べる。岩内から雷電番屋まで自動車の便があったが、それより刀掛までの 8 �劼賄綿睨瑤楼觸�を雇って訪ねる場所であった。
42,4382019-10-11 16:51:40/road/raiden1/main8.html10
水上勉の飢餓海峡は歴史的名作です。発想の原点はここだったのですね。ここに導かれてしまったのですね。
42,4282019-10-09 20:47:17/road/raiden1/main8.html10
北海道の徹底的な旧隧道等の閉塞に1番はヒグマ対策だったんですネ〜!・・・北海道ならではと妙に納得してしまいました💦
42,4252019-10-09 08:17:19/road/raiden1/main8.html10
こんな高波をかぶりそうな場所にも集落があったんですか。飢えて故郷を後にして、生きていくためにたどりついたんですね。昔の人はたいへんだ。
42,4222019-10-09 03:49:02/road/raiden1/main8.html10
凄い。それしか言えない素晴らしいエンディングです。風景から人智の限界、歴史からフィクションの中へまで、とても心動かされる道でした。なんのスキルも経験も無い私がこれほどまで行ってみたいと思った道はこのサイトにもあまりありませぬ。なんだか胸が熱くなりましたね。とても水上さんヨッキさん両人の名文とアツい道を見せていただき感謝しています。100点満点だよ!
42,4202019-10-09 00:39:37/road/raiden1/main8.html10
話が少しそれますが32,821にある層雲峡本流林道の孤立車両は仮復旧して搬出したようですね。http://www.rinya.maff.go.jp/hokkaido/press/kanri/160921.html
42,4182019-10-08 23:10:45/road/raiden1/main8.html10
割と近傍に住んではいますが、これほどの廃道があったとは知りませんでした。10点じゃ足らない!
42,4172019-10-08 21:22:02/road/raiden1/main8.html10
ええ話や
42,4142019-10-08 18:22:40/road/raiden1/main8.html10
大作ですね
42,4112019-10-08 14:13:00/road/raiden1/main8.html10
飢餓海峡は小説も映画も好きな作品です。作品の発想の元になった場所だと知って驚きました。それほど印象的な凄い景色の場所が、今は誰も見られないのは勿体ないですね。海上から眺める遊覧船コースとか組んだら受けるんじゃないでしょうか
42,4102019-10-08 12:47:03/road/raiden1/main8.html10
読んでて凄く楽しかったです。あらためて廃道には浪漫があるなぁと思いました。北海道の廃道これからも楽しみにしております。
42,4092019-10-08 11:32:04/road/raiden1/main8.html10
静謐な、それでいてドラマティックな結末でした。名文。(←もちろんヨッキさんがですよ)こんな静かな仄暗い道にも、当たり前ですが、ちゃんとひとの息遣いが感じられるのですよね。たぶん、実際に行くことは、ないのでしょうけど…。(お)
42,4082019-10-07 11:59:42/road/raiden1/main8.html10
そうだったのか。『飢餓海峡』だったのか。雷電という地名どこかで聞いた気がしていたのですが。それにしても、素晴らしい結末、思わず瞼があつくなりました。
42,4072019-10-07 11:03:08/road/raiden1/main8.html9
(投票するを押してしまったので続き)旧国道より高い位置で崖に張り付いて行こうとする海岸道が防波堤を従えて海岸を辿る旧国道を目指すヨッキに気付かれなかったとしても不思議ではない隧道を挟んでヨッキは下へ海岸道は上へ行きたいのだから(但しそうだとすると海岸道は袋澗跡と大正6年地形図にカバソマナイに1つ描かれている建物に寄れないが)>>同一レポート(シリーズ)への採点は1日1回までとなっております。 ガッ
42,4062019-10-07 08:30:02/road/raiden1/main8.html10
面白く拝見させていただきました。江差の五月は江戸にもない、と言われたくらいだから、おっさんが道をかけるくらいの剛毅さがあったと思いたい。
42,4052019-10-07 08:12:37/road/raiden1/main8.html10
お疲れ様でした、大変興味深く読ませて頂きました古より人々が自然に抗い続けた軌跡に畏敬の念を抱きます袋澗付近の小穴は人が歩く桟橋とするには少し貧弱そうな感じもします番屋を設けるにはかなり手狭で絶えず落石の危険がある崖が続く土地、オーバーハング下を番屋替わりに使いたくなります網干しやひさしの延長程度に使ったと考えるのが妥当な気もします
42,4042019-10-07 07:58:24/road/raiden1/main8.html10
小説の中にこそ風景のリアルはある、というのは慧眼ですね。物語がフィクションであれば、それが寄って立つ世界のありさまを、克明に記述する必要に迫られる。紀行文よりも創作物にこそ、過去の真の姿が眠っているのかもしれないですね。そして机上調査の作業量は倍加する(笑)
42,4022019-10-07 02:10:32/road/raiden1/main8.html10
>そこのオッサンが、私財を投じて断崖絶壁に道をつけたりしたらしい「オッサン」について。「鰊漁場建築」〜鰊御殿とまり〜 北海道泊村http://www.gyokou.or.jp/100sen/pdf/100sijitu/si011.pdf>武井家は代々、忠兵衛を名乗った。>岩内・古宇両郡で翁に資金を仰がないものは稀であったと言い伝えられている。>また、明治年間には武井忠兵衛らは茶津トンネルを開通。>当時難所であった兜岬のトンネル工事を竣工させた。時期が一致するか不明ですが、「岩内では資金を仰がないものは稀であった」とか、「私財でトンネルを整備した」とか、色々活躍したらしい「武井家」の方かもしれませんね……岩内より北の方ですが、近隣では海岸を強行突破するような移動をしてたみたいですね。時代と共に道はあった : 積丹半島の道https://www.envcom.jp/personalPC/0454.pdf>道なきみち>海の中からわずかに現れている鉛形の熊石から彼方の岸へと跳ねては飛び時に脛まで海水に浸って岬頭まで急ぎ足に迂回する。>熔かも番号に順って進むように甲の岩からこの岩と飛び跳ね超へ身軽に渡って行く軽からの荷物を負うて能くまあああ能きるものと感服する神威岬 - 国土交通省 北海道開発局https://www.hkd.mlit.go.jp/ot/kouhou/vu2tjq0000000qxz-att/vu2tjq00000010np.pdf#page=4>波が静かなときは海岸の岩伝いに腰まで濡らしてゆくより道がなかったコレに比べれば、現代の感覚では危険な崖道でも、海岸の直接歩行に比べれば安全で確実な道だったんでしょうなぁ……安政時代江差岩内間道路開鑿之図http://www3.library.pref.hokkaido.jp/digitallibrary/dsearch/da/detail.php?libno=11&data_id=2-2322-0ちょっと期待したのですが、コレは岩内近辺まで描かれてないっぽいですね……左端の「スツ」が多分「寿都」で、もう少しで岩内だったんですが……関内嶋小牧間新道開鑿之図 / 長坂庄兵衛https://www2.lib.hokudai.ac.jp/cgi-bin/hoppodb/record.cgi?id=0D016450000000000&lang=0上記の元になったっぽい資料でも、やはりスツ山までっぽいですね……るくす

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