http://yamaiga.com/road/renju/ の公開中コメント一覧

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コメント
60,7062026-08-17 01:02:35/road/renju/main4.html10
全国Q地図のDEM1Aが小笠原にも広がりましたが、クッキリ判別できますね。
56,0622025-02-06 21:01:46/road/renju/main4.html10
今日連珠トンネルを訪問しましたが、照明は壊れたのか付きませんでした。連珠トンネル南口の暗渠付近に谷底に降りる踏み跡は全く無く、植生を荒らさないと暗渠を撮ることは出来ない立地でした。世界遺産になった今となっては踏み入るのは避けた方が良さげですし、撮り忘れて正解かもしれませんね。
54,0492024-04-18 21:28:54/road/renju/main4.html10
もしかすると、マイナーな病気を保有している虫や小動物がいるかもしれないので、できれば現地ガイドを雇った方がよろしいかも。
52,3372023-08-13 13:55:53/road/renju/main4.html8
http://yamaiga.com/road/renju/main.html
の中段の「2019/2/26 7:46」の竹芝客船ターミナルの2枚目の写真が、次ページ「第1回」の2枚目の案内看板の写真になっています。
削除あるいは訂正をお願いいたします。
(レインボーブリッジ周辺にこんな山道があるのかとしばらく考えてしまった…
51,0702022-11-23 20:40:47/road/renju/main4.html10
軍国日本の闇は深く、それは未だ続いていることを思い知りました。ところで小笠原まで行くのは大変だったでしょうね、すごいです。
51,0442022-11-18 17:01:42/road/renju/main4.html10
小笠原戦跡一覧 待島亮にて
夜明山トロッコが幅64(高さ165cm)となってます
トロッコ種が多数あるとは思えないので64で見ればよいかと

H15.3.31に時雨ダム付近に24cm砲(対艦?)が確認されており、これが特最大の戦果と思われる

ある意味当然ですが、トンネルは戦跡扱いじゃないですね


51,0332022-11-16 23:11:09/road/renju/main4.html10
隧道内のレールについて、もしかしたら小曲ダムの建設工事と関係があるかもしれないと思って、
ネット上でざっと探してみたのですが詳しい工事記録は見つけることができませんでした。 
 
国会図書館の「個人向けデジタル化資料送信サービス」にある「小笠原の水道」という本の 
P73に 
『(小曲)ダムの建設については当初索道を使用することになっていたが、
46年度において完成させなければならず、工事規模から検討して仮道を設けることにした。』
 
という記述がありましたが、この「仮道」が隧道を通る軌道だった可能性がワンチャンあるかも。
とはいえこの「仮道」が扇浦から顕レ峠を越えて小曲に通じる長距離の物なのか、
工事現場周辺だけの小規模な物なのかも、この記述だけではわかりませんし、
昭和40年代の後期となると、土木工事の資材運搬にトロッコが使われるケースは
特殊な例になっていたはずですので、かなり低そうな可能性ではあります。
それでも小笠原でのダム建設という時点で特殊な例ではあるので、
ありえないとは言い切れないかもしれません。 
 
この本には他に、 
 
P7  
昭和47年度 
『小曲ダムの躯体が完成し、貯水が始まった。しかし導水管が未完成のため、 
( P73に、管を敷設する道路の用地取得ができず翌年度に繰り越しとの記載 ) 
小曲ダム(←連珠ダムの誤記か)まで仮配管すると共に取水ポンプを仮設置して渇水期に備えた。』 
 
P8 
昭和48年度 
『48年2月に小曲導水管接合井が完成し扇浦浄水場への導水を開始する。しかし、
小曲ダム湛水区域内の立木が未伐採であること、取水ポンプの底部固定による取水条件が悪いこと、
有機物が多いこと等の原因から水は鉄、マンガン、有機質の含有量が多く、悪臭の強い水処理の難しい水質であった。
このため、直接浄水場へ導水することは避け、連珠ダムへの仮導水管を再利用し、
連珠ダムに落として充分曝気してから浄水場へ導水した。』
 
P69 
『48年度 小曲トンネル導水管工事 請負費4,007千円 導水管 Φ100 186m 電線管 Φ100 Φ75 1824m』 
( P85にも同工事事業費の記載あり ) 
 
といった記述があり、当時の小曲隧道は、管の敷設工事が可能な程度には安全に貫通していたと推測できます。 
 
この本には地図もあり、小曲隧道らしき破線の道が描かれていますが、南口の位置が不正確となっています。

正直なはなし、国家や軍隊といった巨大な組織による“計画”の残渣である『軍事国道』にはあまり興味が湧かないのですが、
離島の特殊な環境に人が暮らすためのインフラをなんとか整えようとした人々の営為の跡には魅かれるものがあります。
51,0322022-11-16 22:05:08/road/renju/main4.html10
あまり期待せずに読み始めたらエライ熱い内容で非常に面白かったです。
50,9122022-10-29 17:45:39/road/renju/main4.html10
囚人を多用しての突貫工事という他にもありがちな一文がありますから、米軍の捕虜か実際の犯罪者か朝鮮人かまでは分かりかねますが、
いわゆる典型的なタコ部屋労働であったろうと推測されるので、そっち方面での文献にも当たってみる価値はありそうです。
いくら囚人と言えども労務管理は必須だったはずですから。しかし真っ先に破棄される文書かもしれませんし、難しいですかね。
50,7802022-10-02 16:53:26/road/renju/main4.html10
大戦中の空気を残した隧道の風景がとても素晴らしかったです。
50,7192022-09-20 13:04:32/road/renju/main4.html7
小笠原へ行きましたか。あそこの環境はかなり特殊で、環境保護にはかなり気を使っています。今回の探索場所がガイド必須なのか否かは判りませんが、あまり軽々に踏み込むことは避けた方がよいでしょう。これに関しては他に苦言を呈している方もいますので、私からはこれ以上触れません。

さて二つ指摘です。まず本筋とは関係ないのですが、「戦前、グアム島が大宮島と呼ばれて、我が国の委任統治領「南洋諸島」の中心地であった頃は」これは違うと思います。グアム島は他のマリアナ諸島の島とは扱いが異なっており、委任統治領の南洋諸島には含まれていません。元ドイツ領だったところが日本の委任統治になりましたが、グアムはドイツ領ではありませんでした。太平洋戦争で日本軍が占領し、大宮島に改称しています。ちなみに南洋庁はもっと南のパラオに置かれていました。

他の方からも指摘がありますが、現在地の地図にリンク切れがあります。map_31.gif(アンダーバーが2バイト文字になっている)を参照するようになっています。

旧長谷橋はちょっと驚きました。こんな橋が残っていたんですね。私が小港海岸まで行ったとき(20年も前ですが)はバスを利用したんですよ。知っていれば歩いたのに…。
50,7152022-09-19 22:20:13/road/renju/main4.html10
既に書いておられる方もいらっしゃいますが、隧道内のレールは弾薬庫として使っていた名残という可能性もあるのでしょうか。
凄惨な爆発事故があった大分県の二又トンネルに代表されるように、当時は隧道を弾薬庫として活用する事もあったようですし。
50,7062022-09-18 23:57:53/road/renju/main4.html9
探索中に水に浸かったよっきレン氏はその後びしょ濡れの状態で民宿に突撃したのだろうか?
50,6412022-09-09 00:57:36/road/renju/main4.html10
小さいけど滑走路があったことに驚き
50,5262022-08-20 17:55:51/road/renju/main4.html10
レールについては大正13年に由良、佐世保要塞から運ばれてきた一次史料があります。レール種もわかるかも?
父島要塞開発支援として、昭和6年に特例で父島要塞管理(継続)に入り、開戦を迎えた様です。
犬釘3〜4万、ボルト、トロッコ60台程度が管理に有り。
やる気なら、普通に軽便出来た様です。
そうなると、軽便知識が無かった。軽便資材配置が間に合わなかった。戦後、徹底的にヤられた感じになります。
貫通してたとして、92式5トン牽引車やトラック等が20台位展開してた様なので、特が想定していた通行重量は10t前後(5t車が5t牽引)が上限かと。
馬は居ましたが、大量配置は厳し目。硫黄島では全頭処理となってます。バロン西、号泣不可避。
トラックが入れないとこは、12cm榴弾砲配置は非常に大変だったと思われます。
50,5012022-08-17 22:27:20/road/renju/main4.html10
https://www.atlasofplaces.com/cartography/ogasawara-gunto/#figure-2
1945米軍が使用したと思われる父島地図。地名等は1915年の物を使用していると思われる。飛行場等が無い。
上記の為、実際の父島1945が米軍に存在するかは怪しい。

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父島要塞築城史

ここに大村第一砲台の火砲は三十糎長榴弾砲に改められたり。しかるにワシントン
会議に基づく太平洋防備制限条約のため、該条約の有効期間中は平時における備砲作業不可能な
るをもって戦時必要の際急速に備砲を可能ならしむるごとくするため、折角三十糎に改めたるも
のを修正計画要領にて、また旧(もと)の四五式二十四糎榴弾砲に変更せられたり。
既述のごとく、二見港口北岸大村地区に、全砲台の集結したることは、父島の東南地区に対し
はなはだしく兵備の不足を生じ、敵をして該方面の奇襲を容易ならしむるの憂いあるをもって、
要塞戦備計画にては、常にこの方面に注意を払われありしが、ついに昭和 15 年に支那事変費をも
って巽谷砲台を新設せられたり。

2.巽谷砲台は昭和 15 年兵器発送命令により臨時に構築せらる

兄島の家内見崎及び父島東南端の巽崎に観測所を設置する計画なりし
も、これら観測所は工事着手に至らざるうちに、ワシントン会議のため、当要塞の建設工事中止
となり出現にいたらざりき。しかれどもそのあと昭和 7 年度に災害復旧費の利用により構築せら
れたり。

昭和17年度以降に第二次の要塞整理事業にて実施に着手の予定なりしも、支那事
変の進展に伴い昭和16年夏季の頃より第二次の要塞整理事業は当分実施せざるの方針となれり。

本要塞の編成上特に留意を要することは用水特に飲用水にして、いたるところ海岸に近き
ため、井水は塩分のため飲料に適せず、島民はほとんど天水を利用しある状態なり。ゆえに防御
施設としては天水の収集貯蔵を計るを要あるのみならず、所々に貯水所を設け戦時守備兵に対し、
水の欠乏の生ぜざらしむること肝要なり。

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当時、対艦として30cm砲が有力でしたが、条約の為、間に合わず。設置不能になる。
最終的に緊急構築時間が短い24cm砲を採用で我慢。
大村のみを防御しても、南部から攻略されると不味い為、南東部、南西部に防御陣地構築を計画。
巽崎観測所は、ごまかして昭7に構築。
条約失効に合わせて、昭和15年に父島要塞強化を開始。この強化範囲(南部)に設定されたのが特。
昭和17年に第2期要塞強化を予定していたが、対米開戦(昭和16年7月に考慮開始)によりうやむや。

水確保に不安がある為、貯水所の考慮が必要。
(南部では袋沢が特に有力。工兵や袋沢囚人が展開。袋沢は特殊で田圃も造成された)


昭和19年3月1日〜昭和19年3月31日 父島方面特別根拠地隊戦時日〜
扇浦に分遣隊を配置。振分山の支援に当たらせたと思われる。

昭和 19 年 7 月 27 日、第三〇六大隊は清瀬から袋沢(赤旗山)へ移動の命。移動中に、各部隊に分散、
雨期ともなり、食糧窮乏、死者とともに患者の続出。
50,4962022-08-16 20:20:56/road/renju/main4.html10
英語で公開されている資料を数点見てみました。素人目だと地形図を見ても全く分かりませんが、一部解像度が高いものもありますので、特19・30・31号の全貌解明に役立てば幸いです。

※ 全て米国の教育機関が開示している地図ですので、リンクを貼らせていただきました!

・米国海軍水路部作成(1944/8)
https://library.ucsd.edu/dc/object/bb7339134t/zoom/0

・旧米国海軍水路部作成(1944/8)
https://library.ucsd.edu/dc/object/bb7339134t/zoom/0

・旧米国陸軍地図局作成(1945)
https://maps.lib.utexas.edu/maps/ams/ogasawara_gunto/txu-pclmaps-oclc-6615415-chichi-shima.jpg

・英国海軍情報部作成(1945)
https://maps.lib.utexas.edu/maps/historical/pacific_islands_1943_1945/chichishima_retto.jpg

・米国極東空軍作成?(1944)
https://digital.library.ucla.edu/catalog/ark:/21198/zz002hf6tf

・米国統合参謀本部戦略情報局作成(1944)
https://digital.library.ucla.edu/catalog/ark:/21198/zz002hf6x0

50,4892022-08-15 23:20:37/road/renju/main4.html8
>その地名を関する「小曲隧道」というところの湧水を、島の渇水危機に際して、農業用水として活用しているという内容である。
 
↑ここの解釈はおかしくないですか? 素直に読めば 
【川島某さんが管理している小曲隧道湧水という農業用水の一部を 
水不足に際して農業用水以外の用途に活用させていただいている】 
という内容に取れると思うのですが… 
 
あと [地名を関する]は[地名を冠する]の誤変換でしょうか?
50,4822022-08-15 16:01:54/road/renju/main4.html10
特は最後に305、307連隊が使用していたと思われる。306が大滝あたりかと
サイパン後、小笠原兵団の配備は,第304聯隊が兄島海峡を挟んで父島の真北の兄島に,第308聯隊が父島の北西部全域,第305聯隊は南東部全域に配置され,第305聯隊の直ぐ北側に第306聯隊が配置され,その西側には父島の南西部を担当する第307聯隊が配置されました.
 敗戦時の兵員総数は13,550名を数えています.
 海軍は,港や通信塔など海軍施設が多くある島の中央部に配置されていました.
 海軍は敗戦時,7,659名を数えました.
50,4712022-08-15 00:18:14/road/renju/main4.html10
自動貨車特別支給に関する件 ttps://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C01004903600

ここで昭和15年5月に大村〜扇浦間の国道が開通したからトラックをくれ、という要求が出ていますね

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11223523/33
現代本邦築城史第二部第十四巻
ここには父島要塞の略図がありますが、道路はどうも軍道以外は国道も他も一緒くたっぽい書き方ですね
50,4672022-08-14 13:38:20/road/renju/main4.html10
水道用にも使用されているなら北口内部の探索は自重した方がいいですね
50,4612022-08-13 23:35:44/road/renju/main4.html10
大阪大学文学研究科人文地理学教室の所蔵資料に昭和19年の『小笠原群島兵用地誌資料図』があるようです

昭和19年時点で軍隊が必要とした情報が概ね載っているはずですから、、その時点の軍事国道の様子を知る手掛かりになるのではないでしょうか
50,4552022-08-13 12:14:23/road/renju/main4.html10
小笠原群島・五万分一陸海編合図・軍事秘密・戦地に限り極秘/参謀本部/昭和19年/硫黄島・父島列島

昭和18年測量版と思われる。おそらく戦時小笠原を確認できる最終地図。
マーシャルあたりは玉砕中で、測量結果が間に合ってないハズ。東條が、米軍早過ぎと愚痴る要素の一つだったのでは。

web参照レベルでは扇浦南下の隧道は確認出来ない。画質レベル不足で、隧道アリとするのは無理。
特19隧道郡は有る様に見える。ただし、ここの道路は前からかなり良い。
防衛省かなんかに問い合わせれば、一次資料コピーが貰えるかも知れない。

特30は拡幅改善されている感じ、特31は南崎の重要位置(砲台かは不明)までは歩行可能。

顕隧道が未完前提なら、昭18年前半に小曲周辺(おそらく第二世代)の修繕記録がある。陸海民が作業に当たったとされる。
珍しい話とのこと。同時に重要位置だったことが伺える。

陸軍セメントは相当に貴重である為、南部全ての路面は未舗装だったことが推測される
50,4542022-08-13 11:38:32/road/renju/main4.html10
ヨッキさん,単なるオブローダー超えてきたな.
机上調査込みで論文レベル.
50,4522022-08-13 01:07:55/road/renju/main4.html9
第一回終盤で
『遊歩道を整備した際、この無名の軍用隧道たちに連珠トンネルという名前を与えたそうだが、2本とも同じ名前というのは説明しづらい。』
と述べておられましたが、父島での渇水に関するネット上の記事に『小曲隧道湧水』とか『 旧小曲隧道(農業用水)』
という記述が見られますので、(仮称・顕レ峠隧道)の、少なくとも日本復帰後の名称は『小曲隧道』かもしれませんね。
50,4472022-08-12 13:49:49/road/renju/main4.html6
大戦中に既設トンネルを利用して臨時の弾薬庫にした例はしばしば聞かれます
トンネル内を弾薬庫代用にして、それらの搬出入に手押し軌道を用いたのではないでしょうか
50,4462022-08-12 09:54:11/road/renju/main4.html10
おつかれさまでした〜。情報が集まることを祈念!!
50,4442022-08-12 06:58:33/road/renju/main4.html10
古い5万分の1地形図「父島」(陸地測量部・参謀本部、昭和11年発行「軍事極秘」)の一部
というのが存在する様で、web参照可能です。マニアならトーチカ位置とか確認できるかも

南部は農地を広げてた記録があり、いくつかの道は農道代わりだったようです。
農道を軍道指定したのが、特なのかも知れません



50,4402022-08-11 22:38:04/road/renju/main4.html5
少し前のコメントにガイドの板長さんの名前も出ていましたが、小笠原村戦跡調査報告書の執筆に関ったマルベリー(ガイド)の人となど、詳しい人はたくさんいるので、是非コンタクトを取って再訪を。随道内にレールが残っている所は他にもありますよ
50,4382022-08-11 18:22:33/road/renju/main4.html10
素晴らしい調査能力は相変わらずですね。今後の進捗期待してます。さて、先日地元の軍用道路と思しき道路跡を辿ったのですが、自衛隊基地の敷地に吸い込まれており断念しました(T_T)

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