http://yamaiga.com/tunnel/gosho/ の公開中コメント一覧

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コメント
53,3082024-01-11 16:45:16/tunnel/gosho/main3.html10
今回の能登半島地震による金沢市の通行止め情報で、隧道の東側が通行止めとなっているようです。私は1977年まで金沢市に住んでいましたがこのあたりに行ったことはありません。
https://www4.city.kanazawa.lg.jp/material/files/group/78/tuukoudomesyousaizu3.pdf
No.32 道路台帳に手書きで×のつけ方がアバウトですが、索引図
https://www4.city.kanazawa.lg.jp/material/files/group/78/kanazawasidoukannrennkoutuuseigenkimapu_0005keitai.jpg
では「林道、倒木による通行止め」となっています。
52,5632023-09-20 14:32:33/tunnel/gosho/main3.html10
へええ。にゃんと、地元のある世代以上は使って(遊んで)
いた物件だったとは。もし、見にいく人たちが増えれば、入り口残土が人の踏みならしで減っていくかもしれんねえ。
竹も取り払われたらえいねえ。忘れられた隧道も魅力的やけんど。
51,6262023-04-09 17:56:30/tunnel/gosho/main3.html10
謎解きを読むように,興味深く読ませて頂きました.
最初は江戸時代に住民が掘ったという結論を期待しておりました(^^)
夕日寺健民公園は我が家から徒歩1時間です.寄り道して是非トンネルに行ってみたいと思います.
49,7022022-04-28 23:07:15/tunnel/gosho/main3.html8
ニュータウンがギリギリ隧道を避けてるのは何か作為を感じますね
48,8732021-12-15 01:02:58/tunnel/gosho/main3.html10
ひょえ〜尾根三つを平らにしちゃったんですねぇ…。開発時に削られなかったのが奇跡ですね。
48,5482021-10-28 19:03:02/tunnel/gosho/main3.html10
このブログに出てきた小坂小学校に通学していた昭和47、8年頃、時々このトンネル(“マンポ“と呼んでいました)に御所町側から入って遊んでいた記憶があります。トンネルを抜けた向こう側は確か水田が左に、右は山腹に沿って小さな沢があったような気がします。レンコン田ではなかったような…。久しぶりに“マンポ“のことを思い出して検索したところこのブログにたどり着き、当時のことをいろいろ思い出しました。有難うございました。
48,3362021-09-16 14:01:07/tunnel/gosho/main3.html9
レポートありがとうございます。1960年生まれで、1966年から1983年まで御所町に住んでいた者です。経大(現星稜大)の金腐川を挟んだ向こう側に住んでいました。このトンネルは「マンポ」と呼ばれており、子ども達の遊び場のひとつでした。写真で見るよりも、もっと大きかった気がしますが、自分が子どもだったからか?…と。御所町に引っ越したときから存在し、化石を採った事も、2m以上もあるようなアオダイショウを捕まえたり、冬にはここに至る坂道でスキーをしておりました。マンポの先は水田が広がり、記憶ではレンコンでは無く、稲の田んぼでした。軽自動車が普通に走行できてましたけどね…。経大生がマンポの先の水田に車を脱輪させてしまい、小学生の我々に救助を求めてきた事もありました。みんなで車を脱出させた帰り道、脱輪どころか、水田に横滑りで落ちてしまい、悲しい思いで帰った記憶があります。大学生にはアイスを奢ってもらいました。あと自分の記憶では、御所側から上ったマンポの入口は、農道からストレートで繋がるのでは無く、左に直角近くに曲がると7〜8m先に入口があったと思います。この辺り、現在は見る影も無くなっているので「あれはどこにあったんだろう?」と常々思っていたところ、検索しているうちにここにたどり着きました。とても懐かしい思い出がよみがえりました。ありがとうございます。これからも、良いレポート期待しています。
47,2302021-03-11 22:17:44/tunnel/gosho/main3.html5
あまり面白くなかった。たぶん隅々まで歩こうとせずに、簡単に諦めたからだろうな。なんというか手抜き感?
46,1272020-11-10 03:05:53/tunnel/gosho/main3.html9
いつも楽しく読んでおります。今回の御所町の開拓によって大量なる土を動かし幸い隧道には手を付けずに住宅地造成地となりましたが貴殿が申す山王とは平安時代に三代の天皇がお通りになった事から三王と呼ばれました、そして二俣越沿いには其れなりに多くの行き帰りが多かったことから明治初めまで茶店が建っていたとあります。又参勤交代の裏道とも使われておりニュウタウンが出来る前にはそれなりの恵光の地迄道が繋がっており地元の間では使用されていた事がわかってます。この参勤交代にこの裏道が使われた意味は富山を過ぎて金沢を向かう際井栗谷大門線なる川沿いの道が平坦であり南西の砺波市に向かいながら福光の光林寺脇を登り二俣越を行っていたらしく過去の三人の有名な天皇が行き交っていた歴史的な背景が大きのではないかと思います。昭和40年代、50年代には金沢大がこれらの街道近くの開墾が盛んとなりその一環で御所町近辺の山も削られたのではと推察いたします。当方たまたま見つけた散策や林道歩きを趣味とする元能楽者の書いた小松市を中心にしたブログを見て判断致しました。山王は元は三人の天皇が通った道から付けられたわけです。では、ご苦労様です。
46,0982020-11-07 21:19:58/tunnel/gosho/main3.html10
 御所町在住の四十代男性です。 このトンネルの下りの山側の所有者です。YouTubeから拝見しました。 以前私が小学生の頃は下り右側の方はぶどう畑が広がっており、山菜取りに人が奥まで入っていたように記憶しています。 また件のトンネルは戦中に朝鮮の人に掘らせたと知り合いの七十代の爺さんが言っておりました。以上。
45,3032020-08-27 19:59:30/tunnel/gosho/main3.html10
昭和52年修正、昭和54年発行の2.5万の地形図までは、隧道の記号が有りました。昭和58年測量、昭和60年発行の2.5万の地形図は、写真の通り、隧道の記号は、有りませんでした。個人所有の地形図より。
45,2972020-08-27 14:21:59/tunnel/gosho/main3.html10
ネット上に、夕日寺のトンネルについて、金沢市図書館に照会した文書が載っている。https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000262261これによると、夕日寺トンネルには、二つの開通の見解が有る旨、記載されている。私が書くまでもないが、一案が、妥当で有れば、第二案を、新聞社が、新聞に記載したもので有れば、第二案の昭和30年11月7日が、御所町の隧道の開通日でしょう。
44,1692020-05-12 13:06:57/tunnel/gosho/main3.html9
金沢在住時代にレポできなくて悔しいです。石川県、穴だらけで楽しい地域ですよ。こそばゆい
43,9702020-04-18 19:33:34/tunnel/gosho/main3.html10
大桑層の大桑町には猫シタイという小字があります。ワルニャンの成れの果て……いや聖地らしいですぜ。
43,1872020-01-06 03:10:56/tunnel/gosho/main3.html9
31448のコメントにある「main2.htmlにある「一つではなかった。」の下の画像、ずっとカーソルオンしてるとだんだん画像が揺らぐ感じになっていって、最後に少しだけアップになるの、ヨッキさんのイタズラですよね!?そうだといってください!」他にコメントも、追記もないけど同じ現象が起きてて夜中の3時に見て怖くなったんですけど…。
41,6962019-07-20 13:38:54/tunnel/gosho/main3.html10
行ってきました。東口は周囲の竹藪が伐採され、伐採した竹を縞模様に積み上げた際に、坑口前にも積み上げられ近づくのが困難になっています。西口は坑口に通じる道に2個所、竹がバリケードのように積まれていますが、坑口は手つかずで中に入れました。東口の明かりが見えたので、東口も藪を積んであるだけで封鎖はされていないと思われます。

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