http://yamaiga.com/tunnel/totikubo/ の公開中コメント一覧

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コメント
55,3372024-10-25 09:58:20/tunnel/totikubo/main3.html10
今度行ってみようかと思っていた隧道だったので、びっくりしました、、、
53,8332024-03-25 10:18:34/tunnel/totikubo/main3.html10
よかった
52,6252023-10-03 20:31:47/tunnel/totikubo/main3.html10
水のせせらぎの音が、昔の時間をゆっくり押し流してしまったようです。通り抜けた人はいても、人の思いからは消えた隧道。良いですなあ
51,1202022-12-03 07:26:51/tunnel/totikubo/main3.html10
国交省が公開している「全国道路施設データベース〜損傷マップ〜」でもこの栃窪隧道が載っていました。実質廃道と化しているも、管理は未だにされているそうです。(修復する気は無いと思われますが)

石碑があるくらいの存在ということで、ある種"国道291号の市町村道版"とも言えるのかもしれませんね。
50,9022022-10-27 21:53:48/tunnel/totikubo/main3.html10
(´Д`)ノ 石碑の内容に泣けたず
50,8002022-10-08 21:11:11/tunnel/totikubo/main3.html10
私が小中学生の頃(1975-80年頃)に何度かこの隧道を自転車や徒歩で通ったことが思い出されました。夏でも内部はひんやりとして,隧道を抜けると「山の家」。廃道になったと聞いてはいましたが,隧道内は自動車も走行していました。
47,8002021-06-05 00:33:27/tunnel/totikubo/main3.html10
同じ見附市内に住んでる人間ですが、身近にこんなディープな場所があったなんて知りませんでした。大変興味深く読ませて頂きました。
44,8112020-07-09 12:34:43/tunnel/totikubo/main3.html10
飛地である佐野町がどうして誕生したのか。隧道は今どうなっているのか。地図上にある石碑は誰が何の為に建てた石碑なのか。長年の疑問が一気に解決しました。
44,4262020-05-29 23:44:56/tunnel/totikubo/main3.html10
素晴らしいレポートです。興味深く読まさせて頂きました。臨場感あり、写真の使い方も上手く、まるでその場にいるような感じも覚えました。
44,1552020-05-10 22:11:54/tunnel/totikubo/main3.html10
見附市出身東京在住のものです。出身者でも知らないことばかりで、めちゃくちゃおもしろかったです。
43,8292020-04-01 16:23:36/tunnel/totikubo/main3.html10
おどろおどろしさが最高でした。子どもの頃感じていた冒険への憧れを思い出しました。執筆意図とは違いそうですが…(笑)
43,3012020-01-18 12:42:38/tunnel/totikubo/main3.html10
感動しました。凄いです。こんな歴史があったなんて。
41,9922019-08-20 17:41:15/tunnel/totikubo/main3.html10
親族が栃窪で育ち、集団離村で見附に降りました。最近古い戸籍を手に入れ、確認できる範囲の最古では、江戸末期生まれの祖先がそちらで暮らしていた事を知り、色々調べているうちにこちらにたどり着きました。廃村後生まれの私も、子供の頃から度々栃窪に遊びに行っていたのですが、トンネルや碑のことなどを初めて知ったので、たいへん興味深いレポートを楽しませていただきました。
41,8862019-08-13 03:44:50/tunnel/totikubo/main3.html10
廃隧道のレポートで毎回思うことですが、開通時には歓迎されたものがこうして廃れてしまう現実に複雑な気がします。記念碑へのアクセスがしにくくなり見てもらえる機会が減った(ほとんどなし?)というのも寂しいですね。
41,5482019-06-30 16:24:50/tunnel/totikubo/main3.html10
読み応え抜群で面白かったです!愛されたトンネルっていいですね。現状が現状だけに哀愁のようなものも強く感じますが、石碑のレポートにはなんだか私も胸を打たれてしまいました。
40,3802019-02-02 18:36:05/tunnel/totikubo/main3.html8
初見ですが大好物の所で笑ってしまいました。変態ですね(褒め言葉)
40,0972018-12-19 14:53:19/tunnel/totikubo/main3.html10
コウモリさん、コウモリさん、
38,4952021-06-05 00:33:27/tunnel/totikubo/main3.html10
同じ見附市内に住んでる人間ですが、身近にこんなディープな場所があったなんて知りませんでした。大変興味深く読ませて頂きました。
35,5062020-07-09 12:34:43/tunnel/totikubo/main3.html10
飛地である佐野町がどうして誕生したのか。隧道は今どうなっているのか。地図上にある石碑は誰が何の為に建てた石碑なのか。長年の疑問が一気に解決しました。
35,1212020-05-29 23:44:56/tunnel/totikubo/main3.html10
素晴らしいレポートです。興味深く読まさせて頂きました。臨場感あり、写真の使い方も上手く、まるでその場にいるような感じも覚えました。
34,8502020-05-10 22:11:54/tunnel/totikubo/main3.html10
見附市出身東京在住のものです。出身者でも知らないことばかりで、めちゃくちゃおもしろかったです。
34,5242020-04-01 16:23:36/tunnel/totikubo/main3.html10
おどろおどろしさが最高でした。子どもの頃感じていた冒険への憧れを思い出しました。執筆意図とは違いそうですが…(笑)
33,9962020-01-18 12:42:38/tunnel/totikubo/main3.html10
感動しました。凄いです。こんな歴史があったなんて。
32,6872019-08-20 17:41:15/tunnel/totikubo/main3.html10
親族が栃窪で育ち、集団離村で見附に降りました。最近古い戸籍を手に入れ、確認できる範囲の最古では、江戸末期生まれの祖先がそちらで暮らしていた事を知り、色々調べているうちにこちらにたどり着きました。廃村後生まれの私も、子供の頃から度々栃窪に遊びに行っていたのですが、トンネルや碑のことなどを初めて知ったので、たいへん興味深いレポートを楽しませていただきました。
32,5812019-08-13 03:44:50/tunnel/totikubo/main3.html10
廃隧道のレポートで毎回思うことですが、開通時には歓迎されたものがこうして廃れてしまう現実に複雑な気がします。記念碑へのアクセスがしにくくなり見てもらえる機会が減った(ほとんどなし?)というのも寂しいですね。
32,2432019-06-30 16:24:50/tunnel/totikubo/main3.html10
読み応え抜群で面白かったです!愛されたトンネルっていいですね。現状が現状だけに哀愁のようなものも強く感じますが、石碑のレポートにはなんだか私も胸を打たれてしまいました。
29,1662018-06-15 19:23:40/tunnel/totikubo/main3.html10
西口の排水工事して洞内最奥まで行ってみたい!
29,0762018-06-06 16:51:42/tunnel/totikubo/main3.html10
本題と無関係ですが、
http://yamaiga.com/tunnel/totikubo/map_11.gif
の現在地すぐ右の標高209の山の右側の道路が
現在の地理院地図だと、ちょうど209の数字の書いてあるあたりの中間部だけ20mほど削除されています。
google航空写真をみるとその区間だけ木がなく路面が見えているので、
土砂崩れしたのが復旧されたようにも見えますが、
地理院地図ってそういう一時的で局所的なものまで織り込むものなんでしょうか?
というか、地理院地図に織り込まれた時点で既に復旧されてて、行き違いになってるような気がしなくもない・・・・・・
29,0312018-05-29 23:52:17/tunnel/totikubo/main3.html9
合併が西隣の北谷村より半年遅れという点と、
26,424さんの
〉栃窪地区は見附が市制施行にあたり、僅かに人口が足らなかったのでここを持ってきた
という話から妄想してみる。

平成の大合併でもそうだが、合併は県主導だったはず。
上北谷村では、西の見附と合併したい北部と、東の栃尾と合併したい南部(栃窪・小貫・土ヶ谷)とが対立していた。
(見附町を含む)南蒲原郡が選挙区である県議が、県や見附町の意を受けて、交通不便だった栃窪に対して「見附と合併すれば、同じ市内ということで(駅もある)西側へ抜ける道路に補助が出やすいぞ」と勧誘した。
結果、栃窪は見附との合併に同意。トンネルもでき、"功労者"としてその県議の名前が石碑に刻まれた……、とか。
28,6432018-04-19 21:02:41/tunnel/totikubo/main3.html10
栃窪から桑探峠の向こうの田井に生まれた者です。
記念碑の写真に写っている寄付者の苗字を見ると、この近辺に(特にまさに栃窪の旧住民が暮らす栃栄に)多い苗字が多く見られます。
筆者様のご推測通り、寄付者の多くは集団就職などで移住した栃窪住民の親族の方だったのでしょう。

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