ミニレポ第117回 一般都道503号 相模原立川線 堀之内狭区

所在地 東京都八王子市堀之内 
探索日 2007.1.15
公開日 2007.2.26

車の通れぬ現役都道



都道503号には4カ所の重複区間と1カ所の未開通区間。
そして1カ所の、極狭区間がある。(今回レポート区間)

 一般都道503号相模原立川線は、神奈川県相模原市上溝と東京都立川市錦町を結ぶ、おおよそ19kmの一般県道である。
レポートの前に起点から終点へ向けて駆け足で紹介しよう。本稿がレポートするのはそのほんの一部分だけだが、全体像を知っていた方が面白く読んでいただけると思う。

 起点である神奈川県中北部の相模原市上溝を出発した本路線は、国道16号と一部重複しつつ北上、米軍相模補給廠の脇を通り境川を渡る。
ここまでは神奈川県内で、路線名も神奈川県道503号(同名)である。
 東京都町田市に入るとすぐ町田街道を渡り、ここから本路線の特徴的な路線風景である多摩ニュータウンへ入る。
しかしここから暫し一般都道158号小山乞田線と重複している。
多摩丘陵上に登り切るとすばらしい4車線道路を蹴って左折、ここから再び独自区間で丘陵内の低地へ下る。道は普通の2車線路だ。
下りきると今度は、さっき分かれたはずの都道158号が再び目の前に現れる。これは158号の旧道というか、別線というべきものである。
 起点から約9km。町田市と八王子市の境界付近。
ここまでは順調に立川を目指して北上してきた本路線が、唐突に姿を消す。
 次にこの路線が地図上に現れるのは、消失地点から1300mほど北東の一山越えた先、野猿街道にある名も知れぬ小さなT字路においてである。
どうもこの間は未開通のようで現地に道はなく、予定線を描いている地図も見たことはない。(昭和40年代の都市計画図にもない)。

 本レポートのスタート地点は、未開通区間から唐突に都道が姿を見せるこのT字路である。
レポート区間は全部で900mある。




高幡不動付近のモノレールと併走する都道503号。
通行量十分の幹線だ。

 レポート区間を抜けた後の本路線は、多摩丘陵の外縁を成す丘を登って多摩テック(動物園)に達する。この間も結構狭い道だ。
しかし、多摩テックから先は終点まで普通以上の立派な都道だ。
進んでいくと真新しい多摩モノレールが頭上に現れ、そのまま併走して日野市高幡不動を通過、さらに併走は続き、日野本町にて国道20号(甲州街道)にぶつかる。ここで独自区間は終わりで、帳簿上の終点である立川市錦町日野橋交差点までは国道20号と重複している。
しめて陸上19kmの道のりである。





 途切れていた都道503号が都道20号(野猿街道)から唐突に“復活”する地点は、左の図中のA地点。
ここから都道503号は突き当たりまで北上。突き当たりには帝京大の附属中・高等学校がある。
大縮尺な道路地図だと、A地点からここまでのほんの僅かな区間だけ都道の色塗りが施されていたりする。
だが、よく調べてみると都道はここで終わらず、小さな尾根を乗り越えて続く地形図の点線の道が都道である。
やがてB地点で都道155号にぶつかり、そのまま突っ切ってもう一本の日野町田線(旧道だが現役県道)に合して終わる。
ここから都道503号は都道155号と重複して北上し、再び独自区間となる多摩テック先の交差点へ向かっている。

 AからC地点まで、たった900mほど。
私の家からもとても近く、引っ越してきてすぐに行った場所の一つである。

 起点の相模原市内や終点の立川市内など、場所によっては重要な幹線道路となっている都道503号の、さながら“飛び地”のように存在する短い区間。
地図なしでは絶対に都道だと分からない都道だ。





【A地点】

 都道20号(主要地方道府中相模原線)のこの辺は「野猿街道」と呼ばれており、多摩ニュータウン地区を縦貫する幹線の一つである。タウン内ではほぼ全線が中央分離帯付きの4車線で、極めて通行量も多い。
そんな幹線から、都道503号の切れ端のような区間は始まる。 写真で右折する道がそれだ。

 ここには何の案内標識も無いが、それもやむを得まい。
私でさえそう思うほどにどうでも良い道が始まる。



 一応信号のある角を曲がると、1.5車線幅の直線路。
道の先に見えている小さな山をこれから乗り越えて進むことになる。
この道がまともなのは、その麓までだ。






 入って300mほどで煉瓦色の校門が出迎える。更に先には白い校舎が現れた。 帝京大中学校・高等学校である。
もちろん都道は通学路として利用されており、ここまではちゃんとした道である。ここまでは。
というか、学校関係者と沿道住人以外が通ることはない都道だ。



 当然、都道は校門へ入ることはない。
その直前にバリケードで封鎖された右折路がある。
一応T字路を示すペイントが路面にあるが、分岐は死んでいる。

 …他に道がない。これを行くしか…。



 舗装は真新しいが、タイヤ痕が白く残っている。
道が殆ど使われていない証拠だ。

 行く手には造成された段々の丘が見える。
造成工事は今も続いており、ブルの野太い排気音がここまで聞こえてくる。



 せっかくバリケードを乗り越えて進んだのに、30mほどで終わりが見えてしまった。
終点の直前でも再び道は直角に曲がっており、そににもバリケードがある。
「こうじちゅう はいってはいけません 都市機構」

 昭和30年代以来日本最大のニュータウンとして開発が進められてきた多摩ニュータウンも、いよいよ開発は最終段階となって来ている。
残りの少ない大規模宅地開発の一つがここで行われている「京王堀之内プロジェクト」であるが、造成のペースはゆっくりのようだ。


 …さて、どうしたものか。

地図にある点線の道とはどうも形が違う気がするし…。

都道はどこへ行ってしまったの……?







 実は、
こっちが都道なんです。

 こいつは笑わせやがる。
車なんざ通れんじゃないか。
これが本当に、この道の続きなのか。




 この道が凄いのは、これでも「現役の都道」であるということだ。
現役という意味は、開通済みであり、しかも廃止されていないというそのままの意味。
もっとも、「自動車通行不能区間」ではあろうが。
とにかく、出入り口に一般人を排除するものはなにも置かれておらず、我々に解放された現役の都道なのである。
(学校前のバリケードも、階段には掛かっていない)



 惜しむらくは、そこに一切の都道を示すものが見つからないことだ。
ヘキサとは言わない。せめてカーブミラーか街頭の一つでもあれば、その何処かに「東京都」ステッカーが見られるはずなのだが…。この区間にはそんなものは無い。
なにせ、その辺の自然公園内の歩道のような都道なのだ。

 なお、こんな道を都道として描ききったぶっ飛びの地図の一つは、ALPS社の有名なアトラスシリーズだ…。
ALPS社 このシリーズは、どこから情報を仕入れているのか、かなりヤバイ道がしっかりと県道などの配色で(←ここ重要)描かれており、オブローダー必見である。(しかも私が調べた範囲内ではガセは殆ど無い)
ちなみに私が使っているのは、『プロアトラスSV2 全国DVD』である。



   工事現場の音が右手の広大な造成地のどっかかしら聞こえてきていた。
見た感じでは一面のススキの原っぱなのだが。
それでも、いずれはここにも家々が立ち並ぶのだろう。
そうすれば都道も今のままではないだろう。
(ちなみに昭和50年頃の都市計画図にこの道は含まれていなかった。現在は不明)

 この“山岳区間”は最初こそ階段だが、後は普通(?)のシングルトラックである。
犬の散歩などに使っている人はいるようで、やはり現役都道を信ずるに足る。
200mほど登ると今度は下りに転じる。



 下り始めると同じ様な道が二手に分かれるが(上の写真)、正解(都道)は直進である。
結局、この区間では最後まで造成地の外郭のフェンスに沿って続いている。
そして、下りが本格的になると、フェンスは高い目隠しに変わる。
ここを下りきれば「B地点」となる。



 下るにつれ、シングルトラックがバギー仕様のダブルトラックになり、最後は農家の前に下って舗装路に変わる。
その変化はめまぐるしい。
冗談みたいだが、これでも都道だ。

 写真左手に写っているのは農家のニワトリ小屋。
道はニワトリ小屋から3mの地点を通る。
奴らに騒がれないように注意!農家の迷惑になるぞ。



 下りきると(スタートから600m地点)、小さな橋がある。
下を流れているのは幅1mくらいの溝渠だ。
この橋だけは普通の都道っぽく見えるが、きっと偶然だ。
橋には銘板などが無く名前は分からなかった。
また、橋の上には絨毯が敷かれている…

 絨毯舗装??




  ねぇ、 都道だよね…… orz





【B地点】

 スタートから650m。
都道20号から始まった道が都道155号にぶつかる。
だが、都道155号は二本併走していて、都道503号の本区間終点となるのはこっちじゃない。
画像にカーソルを合わせてみて欲しいが、この都道503号の独自区間が終わるのは、奥の方の都道155号と合流する地点だ。
この二本の都道155号は、新道(手前)と旧道(奥)の関係だが、旧道の方も引き続き都道に指定され続けているので、都道の別線もしくは支線という扱いだ。
こういうダブり指定が東京には多いようだ。




 この辺りが多摩ニュータウンとして開発されてきた地域の外縁であり、多摩丘陵の古い風景、農村の景色が豊富に残っている。
田んぼがあると、やっぱり落ち着きます。

 信号も、横断歩道さえ無い交差点で都道155号を渡る。
そのまま真っ直ぐ、あぜ道に毛が生えた程度の舗装路へ進む。
なんだか歩道と交差するのさえ申し訳なくなるほどショボイ… 503号都道… がんばれよ。



 直進20mほどで、似たような道にぶつかってT字路。
今度は右折する。区間の終点(C地点)はもうすぐだ。

 写真はT字路から都道の行く手を望む。
あの丘の麓に終点がある。もうちょいだ。




おそらく都内で最も冷遇されている都道。

未成ならば仕方がないと思うが…
これで現役なのだから……。

何か一つくらい、都道らしいものを付けてあげて欲しいよ…。



 最後は気合いの入る狭さ。
写真の通り、軽トラでも歩行者とすれ違うのがぎりぎり。
なんだか道を広げる用意はあるようなムードだけど… いつになる事やら。

 ちなみに、スタート地点から学校までと、都道155号から都道155号まで(?)の区間は、大縮尺ならば結構いろいろな地図が都道として描いている。
だが、もし興味本位で走りに来ても、車ばらおそらく素通りしちゃうだろう。
どちらもかなり分かりにくい場所だ。



 スタートから約900m、終点。
極狭のまま迎える最後の場面。
「止まれ」のペイントの先にあるのが、都道155号(旧)だ。





 角の畑に立つ石碑とお地蔵さま。
どちらも辛うじてそれと分かるくらいまで風化している。
いや、風化というか、破壊されたような様子だ。



 都道503号を出口から振り返る(写真左)。
そこには、自動車の通行止めを示す標識が、居住者を除くの補助標識と一緒に設置されていた。
まあ、敢えてそう書かなくても、地元の人以外でここを通るのはかなり稀だろう。

 写真右は、角のカーブミラーにある東京都の文字。
だが、これは都道503号の備品と言うよりは、155号の方だろう。
結局、この900mの区間に何一つ都道を示すものを見つけられなかった。それが心残りである。



 都道155号に立って分岐を振り返る。
向かって左に行くのが都道503号であった。
そして、ここから先1kmほどは2つの路線が重なり合っている。
それらが再び分かれるまで、殆どが1車線の道だ。
ここに503号のインパクトさえ無ければ、155号も十分ミニレポたり得たと思うが、まあ隣にはまともな新道があるわけで、旧道だと思えば驚くには当たらない。
やはり、都道503号は偉大である (と、無理矢理おち。)











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